~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

14.紅き夢の龍(1)

「ちっ、ミカエルか! 人が悲しんでいるというのに、相変わらず不愉快なヤツめ!
おのれだけが正しいと思っているその尊大さで、いつかその身を滅ぼすぞ!」
不快極まりないといった表情で、タナトスは叫び、目の前に現れた人物を()めつけた。

いつの間にか、新たな天使が、やって来ていたのだ。
ブロンドの髪と白い翼を持ち、純白のローブを着込み……そこまでは熾天使と同じだったが、優美な感じを受けるセラフィとは異なり、顔はいかつく、背も高い。
中でも、人間の少年少女の注意を引いたのは、やはり、天使の眼だった。
敵を完膚(かんぷ)なきまでに叩きつぶさずにはおかぬという、鋼鉄のように固い意志を感じさせる、冷たく厳格な灰色の瞳は、静かな諦めが漂っているようにも見える、シェミハザの澄んだ瞳とは、正反対と言ってもいいほど違っていた。

「久しいな、汚らわしき悪鬼どもの長タナトス、その弟たる悪しき龍サマエル。
直に、こうして相まみえるのも、一万二千年ぶりというわけか」
彼らの前に神々しい姿で現れたのは、天使の長であり、シェミハザの上司でもある天界の実力者、大天使ミカエルだった。
その声もまた、鈴を転がすようなセラフィの快い声とは異なっていた。
心にやましいことを持つ者が、思わず平伏してしまうような、清廉(せいれん)で、威厳のある響きを帯びていたのだ。

「セラフィがずいぶんと油を売っておるゆえ、呼び戻しに参ったのだが。
悪魔二匹に、人間の娘が一人……そしてこれは……?」
ミカエルは、魔界の王族達を鋭い目でじろりと見た後、人族の王女を素早く観察し、おもむろに視線をリオンに移した。
「不可思議な“気”を放っているな、少年。……ふむ、なかなか面白い組み合わせだ」

(な、何だこいつ、じろじろ見て……やな感じ!)
まるで珍種の生き物でもあるかのように、しげしげと見られて、リオンは気分を害した。
「これはこれは天使長様。ご予定にはなかったお出ましでございますね。
いかがなされました?」
リオンの心を察したように、熾天使が二人の間に割り込む。

ミカエルは眉をしかめた。
「セラフィ、天使の長たる我に向かって、その言い草は何だ、我が参っては都合の悪いことでもあるのか?
魔物どもと額を集め、何をこそこそしていたか知らぬが、汚物処理が終わったのなら、疾く戻るがいい。
……む、そうか、そなた、あろうことか今度は魔物どもと結託し、よからぬ事を企んでおるのだな!
そこへ直れ、我直々に成敗(せいばい)してくれるわ!」
突如ミカエルは、腰に()いた長剣をすらりと抜いて、部下に突きつけた。

「あ!」
どきりとしたのは、リオンとライラだけで、魔界の貴族達は微動だにせず、鼻先に光る刃を突きつけられたシェミハザ本人もまた、落ち着き払って大天使を見返す。

「何のことやら、わたくしめにはとんと図りかねますが。
人界に参りました後の経緯はすべて、天界へも中継されていたことと存じます、わたくしがいつ、彼らと結託したと申されるのでしょう。
先ほどの画像に、何か、疑いをかけられるような場面でもございましたか」
「い、いや、左様なものはなかったが……」
他の天使同様、少し脅せば化けの皮がはがれるだろう、そうなめてかかったミカエルだったが、相手は、その恫喝(どうかつ)にはまったく動じず、逆にやり込められる形となった。

言葉に詰まる上司に向かって、熾天使は泰然(たいぜん)と話し続ける。
「帰還が遅れたのはお詫び致しますが、わたくしはただ、彼らをなだめていただけでございますよ。
蛮族といっても、“象徴”を自分達の手で破壊しなければならなかったのですから、平静ではいられまいと思いましてね。
彼らが自棄(やけ)を起こして“カオスの力”などを解放してしまうようなことがあれば、また面倒な事態になってしまいましょう?」

すると、ミカエルは、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ふん、“カオスの力”か。左様な下らぬものに怯えておるのか、そなたは。
王権の象徴だと? 小賢しい! こやつらには、必要ないものだ!
その上、“焔の眸”など、たかが石ではないか、そんなものを象徴としてありがたがるなど、魔界の者どもは揃いも揃って愚か者よ!」

大天使の高飛車(たかびしゃ)な態度に、タナトスは、たちまち眉間に深いしわを刻んだ。
「何を今頃、身の程もわきまえず出しゃばって来おった!?
まったく、おこがましいことこの上ないわ!
目障りだ、尻尾を巻いてとっとと天界へ還れ!
愚鈍な者ならば、やすやすと騙されて地面に這いつくばるところだろうが、貴様ごときの取り澄ました聖者面をありがたがる手合いなぞ、この場にはおらんわ!
今すぐ、そこの腰巾着(こしぎんちゃく)の熾天使ごと消え失せろ、()ね!」

「まあ落ち着け、タナトス。おそらく、リオンのことが気になって、敵情視察に来たのだろうさ。
……そうではないのかな? “天使”よ」
サマエルは、いつもの穏やかな声で兄をなだめた。
だが、宿敵がわざと“天使”と言い、自分を侮辱したことに気づいたミカエルは怒りで顔を紅くした。
「どちらが無礼だ!
我は“大天使”なのだ、下っ端の“天使”ごときと一緒にするとは何事だ!
天の怒りを食らわすぞ!」

「ふん、何にせよ、天使の一種には違いがあるまい。
そんな下らんことごときで一喜一憂するとは、ずいぶんみみっちい天使長“様”だな。
──はっはっは!」
せせら笑いながらも、タナトスは、先ほどから、弟の様子が引っかかっていた。
外見は何も変わらないが、その体から立ち昇る“気”は、到底穏やかとは言いがたく、しかも、フードの陰に隠された紅い瞳もまた、徐々に黒く染まりつつあった。
「我を侮辱するか、奈落の蛇め!
主のお慈悲により、命長らえておるに過ぎぬ化け物どもが!」
サマエルの異変になど皆目気づかず、ミカエルは挑発を続ける。
大天使が何か言うたびに、弟王子の瞳は、怒気をはらんで燃え上がっていくようだった。

“シェミハザ、このたわけミカエルを黙らせろ!
これ以上、ヤツの罵詈雑言(ばりぞうごん)が続けば、『紅龍』の怒りが爆発しかねんぞ!
何が天使の長だ、サマエルが本気で力を解き放ったらどうなるか、分からんほど低脳だったとはな!”
たまりかねた魔界王は、熾天使に向かって念を送り、拳を握り締める。

それを受けた堕天使は、急いで第二王子を見た。
たしかに、ローブの腕の辺りが、心なしか震えているような気がする。
自分の手で、“焔の眸”を破壊しなければならなかったことが、相当応えているのだろう。
こんなときに、ねちねちといびられては、たまったものではない。

“ミカエルに関しては、まったく同感です、タナトス様。
『紅龍』の恐ろしさは、天界でもあまねく語り継がれており、無論、こやつも承知しておるはず。
上に立つ者としての自覚のなさには、あきれます。
お待ち下さい、ただ今、わたくしが、この馬鹿な男をたしなめますので”

そう答えを返し、シェミハザは上司の悪口雑言(あっこうぞうごん)をさえぎった。
「ミカエル様、もういい加減、感情に任せて暴言を吐くのはおやめ下さい、大人げない。
いくら魔物といっても、“焔の眸”は、主に従い、忠義を尽くして消えていった者。
それを悪く言うことは、天界の品位をおとしめる結果になりはしませんでしょうか」

「ふふん? ずいぶんと魔物どものの肩を持つのだな、セラフィよ。
されど、そなたの言い分にも一理あるか。
“焔の眸”が消滅したことにより、魔界の力はかなり削がれたことでもある。
それに免じ、今回の無礼の段は大目に見てやるゆえ、地べたに頭をすりつけ、礼を申せ!」
しかし、部下にいましめられても、傲慢な大天使は態度を改めず、抑えなければと思いながらも、つい、タナトスの感情も高ぶってしまう。

「何だと!? 魔界の王たるこの俺に平伏せよと言うのか、このエセ天使!!」
「エ──エセ天使だと!?」

「お待ち下さい、落ち着いて下さいませ、ミカエル様!」
熾天使が、もみ合う大天使と魔界王の間に割って入るが、二人はののしり合いをやめようとはしない。
「エセでなければニセだろう、このまがいものめが!」
「まがいものとは何だ!」
「やめて──落ち着いてよ! タナトスってば!」
「タナトス様、おやめ下さい!」

見かねたリオンとライラがセラフィに加勢し、手を貸して、やっとの思いで犬猿の仲の二人を引き離した。
「放せ、リオン! ちょうどいい機会だ、この愚天使めを、今ここで成敗してくれる!」
タナトスは息巻く。
「ふん、まあよいわ。それにしても、悪魔は悪魔らしく、イオウ臭い穴蔵にでも閉じ込もっておれば、無駄に消滅する必要もなかったものをな……!
使い捨ての愚鈍な使い魔の分際で、分もわきまえず出しゃばりおって!
何が忠義だ、小賢しい! 下劣な魔物めらが!」

ローブを直しながら、ミカエルは、まだしつこく言い続け、自分を偉いと思い上がっている者特有の、相手を見下した言動を、一向に改めようとはしなかった。
魔界王は、そんな大天使を忌々しげに睨みつけた。

「我らのことは常のことゆえ、今さら何とも思わんが、“焔の眸”を悪く言うことは許さんぞ!
そもそも、魔界の者のみが人界に手出しできんと言うのも妙な話だが、我々は平和主義者だ、無益な争いはさけたいと思い、我慢して来た。
それをいいことに、貴様は……!
世界の終わりを、それほど見たいか、愚天使よ!
サマエルの真の怒りの恐ろしさを知らんわけではあるまい、“カオスの力”は、三位一体の世界すべてを、いちどきに滅ぼすのだからな……!」

「左様なこけ脅しは我には効かぬぞ、悪魔よ。
話ばかり大きくて、実際に行使せぬような力など無きに等しい。
見せられるものならば、今、ここで見せてみよ!
──どうだ、できぬであろうが!
平和主義だと? 笑止千万(しょうしせんばん)! ならば、何ゆえ人間を滅ぼしかけた?
一万二千年前、“王の杖”などと称して、破壊の限りを尽くした報いを受けたのだ、あの下等な使い魔はな!
遅過ぎたくらいだ、あの時に、処分しておくべきだったのだ!
奈落の不浄の炎より生まれ出で、人々を惑わすおぞましき石……あやつの邪魔がなければ、()しき龍サマエルか、そこの少年に化けた悪魔か、どちらかを始末できたものを……!
まったく、たかが少し小ぎれいなだけの鉱物から呼び出される召喚獣ごときの分際で、姑息な真似をしおって!」

反論や注意を受けるほど、大天使の不遜(ふそん)さは増大していくことにタナトスは気づいた。
だが、“焔の眸”の名誉を傷つける、あまりにひどいその暴言は、彼を知る者には、許容範囲を越えていた。
「黙れ、このたわけ! あやつは俺の家臣だ、単なる鉱物などではない!」
魔界の王は叫び、リオンとライラも、顔色を変えて天使に抗議した。
「ダイアデムの悪口を言うな!」
「言い過ぎです、あなたは彼の何を知っているのですか!?」

「待ってくれ、皆」
その時。
天使の長に詰め寄ろうとした彼らを、静かな声が制した。
「サマエル、こんなこと言われて悔しくないの!?
ミカエルとか言ったな、お前、一体、何様のつもりだ!」
少年は大天使に指を突きつけた。

「リオン、お前が怒るのももっともだ。
それに、もし“焔の眸”がこの侮辱を聞いていたら、黙っていまい。だから、代わりに私が言おう……。
愚かと言うにも値しない、傲岸(ごうがん)なる天界人よ。実際に行使されたことのない力など無きに等しい、と言ったな」
話し続ける彼の声から、次第に暖かさが消えて、氷の刃のように冷たく、鋭いものが忍び込んでいく。

「──ならば見せてやろう!
あらゆる恩寵(おんちょう)を失い、(うら)みと憎しみと呪いの果てに、我ら魔界人が手に入れた、“カオスの力”を!」
サマエルは言い放った。

彼の背後に広がるのは、光さえも飲み込む、暗黒の妖気。
恐ろしいほどの力を隠し持つ“カオスの貴公子”が発する声は、耳にした者の背筋を凍らせ、高慢なミカエルでさえ、本人も知らぬ間に青ざめていた。

清廉(せいれん) 心が清らかで私欲がないこと。また、そのさま。
恫喝(どうかつ) おどしておびえさせること。
罵詈雑言(ばりぞうごん) 口ぎたなくののしること。
不遜(ふそん) 思いあがっていること。おごりたかぶっていること。また、そのさま。
傲岸(ごうがん) おごり高ぶって、いばっていること。また、そのさま。