12.血まみれの月(4)
「えっ、そんな! ひどいじゃないか!」
リオンは思わず叫ぶ。
ダイアデムは、暗い眼で彼を見た。
「もち、シンハも、消されんのなんざ、真っ平だったさ。
生みの親は王族だったし、そいつの命令にゃすべて従った。
なのに、なんで消されなくちゃならねーんだって思ったシンハは暴れた、牙を剥き、吼えた……。
けど、結局取っ捕まって檻に放り込まれ、ベリアルの前に引き出されてさ。
頭に来たシンハは、こう言ってやったんだ……」
言葉を切った彼が再び話し出した時、その声は澄んだ少年のものではなく、深く朗々と響く、魔界のライオンの声になっていた。
『魔物どもよ、
ならば、何ゆえ、我にこの肉体を与えた?
下僕が欲しくば、使い魔を召し出せば済むものを、何ゆえ、新たに生命を吹き込んだり致したのだ?
その上で、意に沿わぬゆえ、消滅せよ、と?
気紛れにて命を与えられ、また抹殺致される者の心持ちなど、汝らには到底分からぬであろうな、
我はただ、この肉体を創りし者の命に従ったのみ。それを罪と申すか?
されば、我はもはや、魔界王家は守護せぬ、何者が魔界王に似つかわしいかなど、太古の昔と同様、汝らで思うがままに定め、その上で、同士討で滅びてしまうがよいぞ!』
そこまで言うと、彼は深く息をつき、少年の声に戻った。
「見てな、リオン」
ダイアデムは、そばにうずくまったままでいた第二王子の額に、指先で軽く触れた。
「オレが、こいつに触っても、何もなんねーだろ」
「う、うん」
「そんで……おい、タナトス、こっち来て、座れ」
魔界王が言われた通りにすると、少年はその額に触れた。
途端に、彼の体と瞳の炎が明るく輝いた。
「……ほらな。
こいつは乱暴だし、かなり短気で困りもんだけど、それでもちゃんと、王としての資質は備わってんだ。
オレにゃ、それが分かる」
「ふん、悪かったな、乱暴で短気な王で」
タナトスはそう言い、ひざの砂を払って立ち上がる。
サマエルも兄に
「王にふさわしい者の額に触れると“焔の眸”が輝くことは、昔から知られていたが、意志を通わせるには、肉体を与えることが必要と分かったのは、その頃だったのだね」
ダイアデムは、こくんとうなずいた。
「そ。そんときまでは、ただ本能的に反応してただけさ。
オレ達化身は、ずっと眠ってたようなもんだ」
「だがな、それが天界に行かん理由にはならんぞ、ダイアデム。
神族どもは、貴様の輝きに夢中になろうさ、我が父祖ベリアルと同様にな。
どれほど痛めつけられ、踏みにじられても輝きを失わない、シンハ。
誇り高き野性の王者の美しさ、
どれをとっても“王権の象徴”にふさわしいと、先祖が
消滅など選ぶより、天界の者どもをその美しさで
タナトスは、滅多に使わない、
だが、ダイアデムは、その紅い眼を激しく燃え立たせて、王をなじった。
「──だったら、お前はどーなんだ、タナトス!
魔界の王ともあろうモンが、敵の情けを受け、見世物になってまで、生き延びて生き恥をさらす気があるってぇのかよ、ええ!?」
「む。そ、それは、たしかにそんなことは思わんが……しかし……」
彼の剣幕に押されて、珍しくも、タナトスは口ごもってしまう。
「そうやって、時期を待つのも一つの方法だよ、ダイアデム。
お前の寿命は星と共にある。
永劫の時の果てのいつか、
穏やかに口を挟んだサマエルを、ダイアデムはキッと睨んだ。
タナトスに答えたときよりも、紅い瞳の奥の黄金の炎が一層強く燃え上がり、輝きを増す。
「オレには、未来が視えるんだ、ンなの慰めにならねーぜ、サマエル!
それにお前だって、リオンの身替りになった後、どうする気だった?
天界に連れてかれる途中で暴れて、わざと殺される気でいたんだろ!」
「ええっ!?」
それを聞いたライラの顔色が一層悪くなり、深い緑の瞳がうるんだ。
サマエルは、否定の身振りをした。
「そんなことは思ってなかったよ、ダイアデム」
「嘘つけ! お前、さっきリオンに言ったじゃねーか、『私はもう十分生きた』って!
死ぬ気じゃなかったんなら、何で、ンな風に言ったんだよ!?」
ダイアデムが鋭く突っ込む。
「それは……」
とっさに言い訳が見つからず、サマエルは言葉を濁す。
たまりかねたリオンは、彼に詰め寄った。
「どうして!? 本当に死ぬ気でいたの、サマエル!?」
第二王子は答えず、ただ眼を伏せた。
「それが分かってたから、オレが身代わりになったんだ。
オレは、リリスだけじゃなく、お前の先祖、ベリアルとも約束してたから……」
ダイアデムは、苦しげに肩で息をしていた。
紅い眼の黄金の炎は、か細く揺らぎ、声はかすれて、徐々に弱まっていく。
「あの後、ベリアルは、シンハの言い分をちゃんと聞いてくれて、今までのことを謝ってくれた。
“焔の眸”が盗まれたのは、自分の責任だって。
その上で、“貴石の王”の称号と地位をくれて、魔界王家の守護精霊となって、ずっと子孫を守ってくれって頼んだ……。
そうして、五十六万七千年……いや、“焔の眸”としては、もっと長く王家に仕えて来たけど、もう、終わりにしてーんだ!
壊されることでしか、自由になれねーんなら、オレを壊して、解放してくれ!
サマエル、タナトス、お願いだ、オレは苦しい、もう疲れたんだ……!」
最後の言葉は、振り絞るようだった。
魔界王と王弟は、長年忠実に仕えて来た、魔界の至宝の訴えかける眼差しに応えられず、言葉もなくうなだれた。
“ダイアデム、あなたがいなくなってしまったら、サマエル様が悲しむわ。
彼は、独りぼっちになってしまうのよ?”
心の声で、ライラは話しかける。
しかし、返事はなかった。
「嫌だよ、ダイアデム、死んじゃ嫌だ……」
小さな子供のように足にすがりついてくるリオンを、ダイアデムは冷たく突き放す。
「うっせーぞ、このガキ!
たまにゃ、その空っぽ頭使って考えてみろ、お前ならどーすんだ!?
愛する者から永遠に引き離されて、他人のなぐさみ者になってまで、生きてたいと思うのかよ!?」
「あ……」
リオンは気を飲まれ、うつむいた。
ダイアデムの言葉は、ライラにも向けられていた。
王女にはそれが分かった。
涙が頬を伝う。
宝石の化身は、それを見まいと眼を伏せた。
「……もう、いいだろ。オレは天界にゃ行かねーよ」
もはや、誰も、彼に掛ける言葉を思いつかなかった。
照りつける太陽と、砂が風に流される音だけが砂漠を支配し、皆、暑ささえ忘れてしまっていた。
「……それは残念です。あなたの美しさは天界でも評判。
ぜひお会いしたいと望む、密かな賛美者も多いのですよ、ダイアデム殿」
突然聞こえて来た美しい声に、リオン達が驚いて振り返ると、そこには、いつ現れたのか、純白の翼を持つ天使が一人、立っていた。
それを見たダイアデムは、元気を取り戻し、突っかかるように叫んだ。
「ふん! 密かな賛美者だ? けっ、気色悪い! オレは見世物じゃねーぞ!
お前、今までどっかに隠れて、こっそり、オレ達の話を盗み聞いてやがったんだろーが!」
「あなた方のお話が済むまで、お待ち申し上げようと思ったまでのことですよ。
せっかくまとまりかけたお話に、水を差さないようにね」
天使は、彼の毒舌を受け流した。
金の髪が、輝く滝のように背中を流れ落ち、着ているローブも翼と同じ純白で、砂漠の
中でも印象的なのは、アクアマリン色の瞳だった。
吸い込まれてしまいそうなその美しさに、リオンは眼を見張り、ライラもまた、生まれて初めて見る天使に見とれた。
「お久しぶりでございます、タナトス様、サマエル殿。
そして、こちらの方々は……初めまして、わたくしはセラフィと申します。
人界の言葉に訳せば『熾天使』、つまり“最高位の天使”という意味になりますが」
天使は、鈴を転がすような快い声で言い、優雅なお辞儀をした。
リオンは我に返り、うなずいた。
「聞いてたんなら、知ってるだろうけど、ぼくはリオン。彼女はライラだ」
「存じ上げております、サマエル殿の血を引く貴公子よ。
こちらは、この国の姫君ですね、ご先祖のイナンナ姫によく似ておられる」
「え、イナンナをご存じなのですか?」
「はい、お会いしたことがございますよ、一度だけですが」
「貴様か、セラフィ。まだ使い走りをやらされていると見える」
二人の会話に、冷ややかな声で、タナトスが割り込む。
熾天使は、王女に軽く会釈してから、魔界王に微笑みかけた。
「以前、お目に掛かりましてより、かれこれ千二百年にもなりますか。
あれから多少、わたくしの地位も向上致しましたが、やはりこういう場面では、お二方と面識のあるわたくしが適任であろうということで、引っ張り出されまして」
「ふん、わざわざご苦労なことだな」
「恐れ入ります」
天使はタナトスに頭を下げ、今度は宝石の化身に話しかけた。
「ところで、ダイアデム殿、本当によろしいのですか?
あなたは、魔界の象徴、粗末に扱うことなど致しません、お考えを改めては頂けませんでしょうか?」
心底残念そうに言うセラフィに、少年は冷たい返事を返した。
「なに言ってやがる、やなこった! しつこいぞ、天使!
──ったく、オレ達の話、聞いてなかったってとぼけるつもりかよ、白々しい!
だったら、てめーはどうなんだ? 大嫌いなヤツに取っ捕まって、ずっとへーこらしながら、そいつの情けにすがって、生きてく気があんのか?」
「わたくしですか? そうですね……」
熾天使は、優雅に首をかしげてほんのわずか考えを巡らし、答えた。
「ええ、わたくしなら、そうします。できると思います。
そうやって機会をうかがい、いつかきっとと思い続けて、その仕打ちに耐えることが……。
それが、わたくしの運命だというのなら……」
意外な答えに、ダイアデムは、不思議なものを見るような眼差しで、相手の顔を凝視した。
しかし、それも一瞬で、すぐに軽蔑し切った声を出す。
「へっ、プライドも何もねーヤツだな、あきれたもんだ、天界の犬め!
それにだ、オレの未来にゃ、“いつか”なんて日は、絶対来やしねーんだ。
今、天界に行けば、二度と戻れねーのさ。この世界が終わる、そん時までな。
だから、オレは行かねー。
それにもし、解放されると分かってたって、鎖につながれ、檻に入れられるなんざ、もうご免だ!
飼猫に落ちぶれるくらいなら、きれいさっぱり消滅してやる!
セラフィ、てめーなんかにゃ、到底理解できねーだろうが、ミカエルにはこう言ってやれ!
魔界の王権の象徴である“焔の眸”は、天界のヤローどもに尻尾を振る気はねーってな!」
セラフィの表情は、旧友の最期を看取る者のように悲しげだった。
「左様ですか。大変残念ですが、ミカエル様には、そう伝えさせて頂きます」
こうして、彼の処分は決まった。
もはや、後戻りはできないと、誰もが分かっていた。