12.血まみれの月(3)
ダイアデムの話は続いた。
「元々、ヤツは、盗んだ後、証拠隠滅のために、“焔の眸”を壊そうと思ってたらしーんだけどよ。
あんまりシンハが見事だったせいか、泣いて命乞いすりゃ助けてやるって言い出したんだ。
もちろん、シンハはそうした。生まれたばっかで、壊されるのは嫌だったしな。
そしたら、涙が宝石になっただろ。
それ見たヤツは、これなら王に選ばれなくたって、金で魔界を買えるって、大喜びした。
“一握りのダクリュオンがあれば、魔界をすべて買い占められる”なんて言われるようになったくらい、希少価値があるからな、オレらの涙は。
何しろ、それまで、どこにも存在しなかった……いや、これからだって、オレらがいなけりゃ、絶対、出来っこねー宝石なんだから」
そう言いながらも、ダイアデムの声には力がなく、自慢しているようには聞こえない。
彼は、髪をかき上げ、再び息を継いだ。
これから、話が辛くなってくるからだった。
「……それからは、地獄みたいな日々だった……。
ヤツは涙を
殴る、蹴るは当たり前、真っ赤に焼けた鉄の棒を押しつけられたりもした。
命乞いなんかするんじゃかった、こんなヤローに屈伏したりせず、
いくら、吼えても暴れても、助けなんて来るわきゃねー。
その場所は、強力な結界で隠されてたし、大体、誰もシンハのこと知らねーんだしさ。
そんで、しまいにゃ、どんなに苦しくても悲しくても、涙が出ないようになっちまった。
けど、その頃にゃ、シンハの血も、宝石になるって分かって……。
──エンサングイン!」
まったく感情のこもらない口調で話していた宝石の化身は、急に呪文を唱えた。
「よせ! 何をする気だ?」
止めるサマエルを気にもかけず、ダイアデムは、魔法で出した黄金の短剣で、自分の腕を傷つけた。
紅い血が一滴、腕を伝い、砂に滴り落ちる。
それもまた、一瞬で美しい宝石へと変化した。
禍々しいほど深い、紅の宝石の中に浮かび上がる白い月。
腕の傷は、すぐに跡形もなく消えた。
「心配すんなよ、サマエル。ちょっとこれをこいつらに見せてやるだけさ。
ほらよ、リオン。“ブラッディ・ムーン”だ」
彼は貴石を拾い上げると、無造作に投げた。
「ちょ、いきなり、うわっ……!?」
リオンは、一旦受け取ったものの、落としてしまった。
手に、べったりと血がついたように見えたのだ。
「どうしたの? リオン」
ライラが、心配そうに彼と宝石を見比べる。
「い、今、手に血がついて……」
「血ですって?」
「うん、真っ赤に……あれっ?」
見直すと、掌には何もついていなかった。
「……変だなぁ」
首をかしげ、リオンは恐る恐る石を拾い上げる。
「わっ……って、あ」
途端に、彼の手や指は紅く染まったが、それはただ、妖しいまでに美しい宝石の深い紅色が、映っただけだったのだ。
「……なるほど、そういうことか。ライラ、持ってみて」
「まあ!」
手渡された王女も、眼を見張った。
人界には、こんな宝石は存在しない。
当然、リオンとライラにとっても、初めて眼にするものだった。
無論、サマエルとタナトスは、知っていたので驚きはしない。
「……何と言ったらいいのかしら。とても美しいけれど、でも……」
「うん、そうだね、ライラ。
ぼくもどう言っていいか、よく分からないけど、ものすごく綺麗過ぎて、怖い感じがする石だ。
ダイアデム、これって、何だかすごいね」
いつものダイアデムならば、長々と自慢をしたことだろう。
しかし、涙の時と同様、今度もそんなことはしなかった。
それどころか、まるで血や涙が宝石になることが恥ででもあるかのように眼を伏せて、貴石の化身は答えた。
「その石、ホントは“サングイス”って名なんだけどな。
“血まみれの月”っていう
オレ、“貴石の王”の血を手にしたものは、自分の血にまみれた手を自覚しろ、ってコトさ……。
なのにあいつは、ンなコトまったく気にもせず、すごい
そして……そん頃から、さらにひどいことを始めた。
シンハの魔力をぎりぎりまで奪ったあげく、鎖を外して、
『そら逃げろ、逃げてみろ』って言いながら、動けないシンハを的にして、短剣を投げつけて楽しむ、ってことをな……。
必死で逃げよう、避けようとするのを見て、笑いながら……シンハが血を流すのを酒の
淡々と話していたダイアデムの瞳が一瞬、微妙な
金の炎は過去に
「その上、あのヤロー、とことんヘンタイでさ。
あいつ好みの美少年に変身させられて、強引にキスされたときにゃ、もうヘドが出そうで、反射的に舌に噛みついちまった。
そしたらあいつはものすごく怒って、散々ムチでひっぱたいたあげく、オレをベッドに縛りつけやがって、……無理矢理……」
「そこまでだ、“焔の眸”。もうやめろ」
「えっ?」
命令するのに慣れた響きの声が聞こえて来て、過去の悪夢のさなかにいたダイアデムを、現実に引き戻した。
彼をさえぎったのは、この中で一番そんなことをしそうにもない人物──魔界王タナトスだった。
口調は冷ややかだったが、王の表情はいつになく
「ここには女性もいる。そこまで言えば、皆にも分かるだろう。後は言わんでいい」
「そりゃ命令かよ?」
「ああ、そうだ」
「余計なお世話だ! 何言おうと、オレの勝手だろ!
あ、それによ、てめーが話せっつったから、ンなみっともねーコト、ぶちまける羽目になっちまったんじゃねーかよ──それを今さら!」
指図されるのを嫌い、自分の主人だというのに、ダイアデムは魔界の君主に食ってかかった。
「だからといって、これ以上詳細に語る必要はあるまい。
見ろ、彼女を!」
珍しく冷静に言い、タナトスはあごをしゃくって見せる。
その先では、王女が青ざめて胸を押さえ、震えていた。
ダイアデムは、はっと我に返った。
「いっけね。ご免よ、ライラ。気持ち悪くなるようなこと、ベラベラしゃべっちまって。
女の子に聞かせるような話じゃなかったな」
「……可哀想に。そんなひどいこと、平気で出来る人がいるなんて……」
ライラは、弱々しく首を振り、気の毒そうな目つきで彼を見た。
普段のダイアデムの様子からは、そんな過去は想像できない。
最近まで、たくさんの家来達にかしずかれ、王宮で大切に育てられて来た王女にとって、宝石の化身の悲惨な体験は、少々刺激が強過ぎた。
彼と、よくケンカをしていたリオンも、驚きは並大抵ではなく、蒼白な顔色をしつつも、何とか彼を慰めようとした。
「な、何て言えばいいんだろう、思いつく言葉がないよ……。
でも、ダイアデム、お前は強いんだね。ぼくだったら、とても……」
サマエルが受けた衝撃は、皆の中でも、最も大きかった。
シンハが襲いかかって来たときのことを思い出した彼は、立っていられずに、宝石の化身のそばにがくりと膝をついた。
あのとき……自分が、ダイアデムに対して同じような振る舞いをしたため、戦闘形態であるシンハが出現したのだろう。
そして、忌まわしく悲惨なこの体験が、理性を奪っていたに違いない。
なのに、自分は、見当違いのことで責め、ダイアデムを泣かせてしまった……。
それに、初めてフェレスを抱こうとしたときも。
いくら優しく扱っても、何かに怯えているようで、なかなかうまくいかなかった……。
『……この後もずっと、話しかけててくんない……? そしたら多分、怖くないと思うんだ……他の男じゃなくて、お前に抱かれてるって分かってれば……』と。
他の男。
サマエルは、漠然と、歴代の魔界王のことだろうと思っていたのだが。
「すまなかった、ダイアデム、許しておくれ!
私は、本当に、何も知らなかったのだ。知っていたなら、あんな風には……」
手を取ろうとする彼から、“焔の眸”は素早く逃れた。
「分かってるってば」
「待ってくれ、ダイアデム、私は……」
「気にすんなよ、サマエル。もう、五十万年以上も前の話なんだからさ!
『いつまでも過去にしがみついてるなんて、愚か者のすること』だって言ったのはお前だろ。
同情なんていらないぜ、お前らもだ!
オレは宝石、肉体なんて
さらに後ろに下がってダイアデムは平然と言ってのけ、うっとうしそうに前髪をかき上げた。
しかし、サマエルは、彼の手がわずかに震えているのに気づいていた。
そして、昔から、化身達が触れられるのを嫌がっていたのを思い出した。
しかも、たった今、自分に触られるのをも避けた。
平静を装っているものの、心の傷は相当深いに違いない。
おのれのうかつさに、
宝石の化身は、一息つくと、話し続けた。
「そして……どれくらいの間あいつに捕まってたのか、もう分かんなくなって、ずっとこのまま……世界が終わるまで、こうしていなきゃならないんだって諦めちまってた、んな頃、血を盗みに来た泥棒を、シンハは噛み殺しちまったのさ。
けど、それが、助け出されるきっかけになったんだから、人生って皮肉なもんだよな……。
そいつは、宝石の秘密を嗅ぎつけ、血を盗ろうと忍び込んできて、シンハを傷つけた。
それで……魔力を奪われ続け、治らない傷の痛みにうめいてた、あいつの怒りに火がついちまったんだ。
シンハは、ただでさえ、攻撃形態なんだしよ。
それに、オレらの主人を気取ってたヤローは、盗みに来た者は殺せって命じてたし。
どんなに嫌でも、ヤツにゃ逆らえなかったから……」
その瞬間を思い出し、ダイアデムは額に手を当て、疲れたように眼を閉じた。
紅い瞳の輝きが隠れてしまうと、急に周囲が薄暗くなったような感じがした。
タナトスが、気遣うように後を継ぐ。
「ところで、そのコソ泥は、身分は低いが貴族でな。
その上、そいつの使い魔が一部始終を見ていたため、事が露見したのだ。
こうして、ベリアルの弟は捕まり、“焔の眸”を盗み出したかどで処刑された。
それだけではなく、魔界王家の歴史に汚点を残す者として、記録からも抹消されたのだ。
ベリアルには、弟などいなかったことになっている。
だから、俺もヤツの名は知らんし、知りたいとも思わん」
その声に、ダイアデムは眼を開ける。
すると、雲間にいったん隠れた太陽が再び顔を出したように、辺りがぱっと明るくなったように感じられた。
「あいつが引ったてられてくのを見たシンハは、やっとこさ、この苦しみから解放される、自由になれるんだってほっとした。
けど、現実は、そんなに甘くなかったんだよな、これが。
シンハを生かしておくことに、大臣どもが大反対してよ。
結局、泥棒とはいっても、貴族を殺した罪は罪ってことで、シンハとしての肉体は消去され、宝石に戻されることになっちまったんだ……」
元来は仏教語で、「慚」は自己に対して恥じること、「愧」は外部に対してその気持ちを示すことと解釈された。「慚」「慙」は同字。