~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

12.血まみれの月(2)

「ええっ、そうなったら、彼はどうなるの!?」
リオンが叫んだ時、いつの間にか、三人の近くにやって来ていたダイアデムが話に加わった。
「オレは、天界なんかに行かねー。さらし者になるのなんざ、絶対ご免だからな!
ほら、リオン、ライラがそばにいたいってんで、連れて来てやったぞ」

ダイアデムの後ろには、王女が、浮かぶソファに座っていた。
急いで彼女は立ち上がり、うやうやしくあいさつをした。
「お話中のところ、お邪魔して申し訳ございません。
お初にお目にかかります、タナトス陛下、ライラと申します」

それを受け、サマエルが彼女を紹介する。
「タナトス、こちらはファイディー国の王女、ライラ姫だ」
「ああ、イナンナの子孫か。たしかに生き写しだ。よろしくな」
「はい」
礼をする王女をちらりと見たタナトスは、そっけなくうなずき、すぐに宝石の化身へと視線を戻した。

「ダイアデム……天界に連れて行かれてしまうの?」
そう尋ねた王女の顔色は、まだ少し悪かった。
「へーん、オレは行かねーよーだ」
紅毛の少年は、小生意気そうに下唇を突き出す。
タナトスは渋い顔をした。
「何を呑気(のんき)な事を言っている。貴様、事の重大さが分かっているのか?
覚えているだろう、『魔界は、人界に関わってはならぬ。この“掟”を破った者は天界に封じられる。それを拒む者は……』」

「『処刑される』、だろ」
魔界王が言いかけた“掟”の条文を、ダイアデムは途中で横取りした。
「つまり、オレの場合は“消滅”ってわけだ。文字通り何一つ残さずにな。
ンなコト、とっくに分かってら。
けどよ、別に誰も困らねーだろ、オレが消えたって」

「ええっ、処刑!? 消滅!? 何で平気な顔してられるんだよ!
前に、消えるのは死ぬこととおんなじだって、すごく嫌がってたじゃないか!」
驚くリオンに対し、当人は、わずかに眉をしかめただけで、平然としていた。
「言っとくが、あんときだって、命乞いなんかしてねーぞ、オレは。
イナンナとの約束を守りたいから、時間をくれって頼んだだけだ。
……けどそれも、もう終わっちまったしな」

「だがな、魔界の王位の象徴である貴様が、天使どもの手で処刑されたりしたら、俺の立場はどうなる?」
魔界王は険しい顔をする。
ダイアデムは首を振り、悲しげに言った。
「ちっ、タナトス、相変わらずだな。てめーのことしか考えてねー。
もう忘れちまったのか? 前に話してやったろーが、シンハとして生まれたばっかの時、どんなひでーコトされたか……。
また、ンなコトされても、我慢しろってゆーのかよぉ」

タナトスははっと息を呑み、何かを思い出したように、複雑な表情でうなずく。
「……ああ、無論、それは覚えているぞ。
忘れることなど、到底出来はしまい、あんなことは……。
だからと言って、自棄(やけ)を起こすな、“焔の眸”。まだまだ、貴様は生きられる……」

「ちょっと待ってくれないか」
その時、サマエルが、二人の会話に割り込んで来た。
「シンハとして生まれた時、何があったというのだね? 私は、聞いた覚えがないが……」
兄と宝石の化身を見比べながら、不思議そうに問いかける。
「えっ? 何って……あ、」 
ダイアデムはぎくりとし、動きを止めた。

(しまった、こいつは知らないんだった。うっかり忘れてた……。
せっかく、言わないまま、消えちまおうと思ってたのに。
ちぇっ、オレってどうしてこう、一言多いんだ……!
くっそう、やっぱ、“ダイ”の体と精神をまんま複製したのが、マズかったな。
けど、あいつが、こんなにそそっかしいなんて、あんときゃ知りようもなかったし……)

「……い、いや、何でもねーんだ、ちょっと、その、昔な……」
言いよどむ宝石の精霊に、助け船を出したのは、意外にもタナトスだった。
「今さら隠しても始まるまい、ダイアデム。言いにくいなら、俺が代わりに話してやるが」
「……って、ま、待てよ、タナトス、このバカ!
それ言ったら、サマエルにも、ホントの理由が分かっちまうじゃんかよ!」

「……本当の理由、とは何のことかな?」
第二王子は首をかしげる。
「う、い、いや、その……」
ダイアデムは口ごもり、静かにたたずむカオスの貴公子の、端正な顔を(うかが)った。
サマエルは、穏やかな眼差しを彼に向けて、急かすこともなく待っている。

タナトスの言う通り、こうなったら、すべてを話してしまった方がいいに決まっていた。
どの道、もうすぐ消滅する運命なのだ。
サマエルにだけは知られたくなかった、この事実を知ったなら、少しは、自分の消滅を惜しんでくれるだろうか……。
そして、時々は、懐かしく思い出してくれたりもするのだろうか。

眼が濡れて来るのを感じたダイアデムは、気取られないよう、ぷいと横を向き、投げやりに答えた。
「──ああ、言いたきゃ言えよ、タナトス! 勝手にしやがれってんだ!」

そんな彼を気づかうように、魔界王は口を開いた。
「では、俺が代わりに話してやろう。
サマエル、貴様が知らんのは当然だ、公式記録から抹消され、代々の魔界王だけに口伝(くでん)されて来た事件だからな。
無論、こいつの名誉のためでもあるが、王家の恥と言ってもいい出来事だったのだ」
タナトスは、宝石の化身を示す。

「……抹消された事件とはね。道理で知らないはずだ。
しかし、なぜ消されたのだ? 王家の恥とは……?」
口を挟んだ弟を、タナトスはぎろりと睨んだ。
「それを、今から話してやるところだ、黙って聞いておれ、貴様」
「ああ、すまない、続けてくれ」

「……ええと、だな……たしか、ベリアル……王の時代だった、と思うが。
“焔の眸”が、王冠から外され、盗まれるという事件が起きたのだ。
盗んだのは、ベリアル王の……兄、いや、弟の方だったか?
……まあいい、ともかく、そいつは、兄弟を失脚させ、自分が王になろうと画策したのだ。
あの、間抜けなベルフェゴール同様にな。
その頃はまだ、誰も、“焔の眸”が変化出来るとは知らなかったのだが。そいつは、どうやら偶然、“シンハ”を創り出してしまったようでな。
その涙が、貴重な宝石になると知って、欲を出したのが運の尽き、結局バレて処刑されたのだ。
……そうだったな、ダイアデム」

「おいおい、……ったく、てめー、忘れるもんかとか言っときながら、ロクに覚えてねーじゃねーか!」
自分から話してやると言った割には、要領を得ない魔界王の説明に、宝石の化身は、思わず声を上げた。
タナトスは肩をすくめた。
「仕方なかろう。千二百年も前に、たった一度聞いただけだ」
「はぁ……ダメだ、こりゃ」
ダイアデムは、あきれ、どうせなら自分で話した方がよさそうだと思い直した。

「もういい、タナトス、覚悟決めた。後はオレが言うから、お前はすっこんでろ!」
「いいのか、本当に……?」
「……タナトス?」
サマエルは、眼を見張った。
いつもなら、相手が誰であろうと、命令口調には激怒するはずのタナトスが、怒るどころか、心配そうに言ったのだから。

サマエルの困惑に気づいたダイアデムは、わざと元気な声を出した。
「こーなったら仕方ねーだろ! お前の説明、超ヘッタクソなんだから!
ガキの頃、サマエルにばっか作文やらせて、サボってたからだぞ!」
「ふん、貴様が、どうしてもと言うのなら止めはせんが、ガキの頃の話を、ほじくり返すのだけはやめろ」
顔をしかめてタナトスは引き下がり、ダイアデムが話を引き継いだ。

「……んで、その犯人ってのは、ベリアルの“弟”でよ。
魔力だけなら、今のサマエルに匹敵するくらい強力で、当然、魔界王家の中でも、ピカ一だったのさ。
だからヤツは、兄貴よりか、自分のがずうっと魔界王にふさわしいって思い込んでて、機会を窺ってたんだ。
そんで、ある儀式ん時、警備が手薄になったところで“焔の眸(オレ)”を盗み出しといて、王権の象徴を盗まれるようなドジな兄貴は王の資格がない、って言い出したんだ。
けど、んな計画がうまくいくはずもねーさ、大体、あいつは大臣どもにも、思いっきし嫌われてたしな。
──と……ここまでは、後でベリアルに聞いた話。
宝石でいたときのオレは、周りの出来事を、記録として結晶面に刻み込むことは出来たけど、それを理解はしてなかったのさ、全然。
“自分”っていう意識があって初めて、物事を認識出来るようになるもんなんだからよ。
それにしたって……ったく、何考えてたんだか、あのバカは。
そーゆーアタマの悪りートコと、残虐な性格のせいで、魔界王になれなかったんだけど、自覚がねーっていうのが困りもんでよ」
ダイアデムは、ため息をつき、紅い髪をかき上げた。

「そして、盗んだ“焔の眸”の輝きを眺めているうち、ヤツはライオンの姿を想像したんだ。
『この宝石は、まるでライオンの眼のようだ。紅く燃える炎のたてがみを持ち、毛皮は黄金色、重々しい響きの声で話をする……そうだ、“焔の獅子”だ』……みたくな。
強力な魔力を持った者が、“焔の眸”に強く念を送ることで、化身の肉体は創造される。
ヤツのイメージが、すっごく鮮明だったせいで、“シンハ”が出現した……それがオレら、化身誕生のきっかけってわけなのさ……。
──へへっ、初めてシンハを見たときの、あいつのびっくり仰天したマヌケ面、見せたかったぜ、お前らにも」

聞くうちに、リオンの脳裏には、ダイアデムの右眼が宿っていたペンダントが、紅く(きら)めく様子と、彼の涙が滴り落ちて宝石になった瞬間、そして、闇中で(まばゆ)く輝く黄金のライオンの姿が浮かんだ。

透明なペンダントを手にしたライラは、母からこれを譲り受けたとき聞いた、不思議な宝石の精霊の話に胸を(おど)らせたことを、そして、その精霊であるダイアデムが出現したときの驚き、さらに、このペンダントが紅い光を発し、彼の瞳に吸い込まれていった様を、息をするのも忘れて見つめたことを思い出していた。

サマエルは、初めて“焔の眸”を見、その輝きに魅せられた、遠い子供の日のことを思い起こしていた。
そして、その化身であるシンハが、突然、目の前に現れたときの驚きを。
胸を貫く強烈な痛みと悲しみを一瞬忘れて、彼の瞳の輝きに見入ったときのことを。

タナトスも、この話を聞くのは久しぶりだったので、痛ましい思いを抱きつつも、黙って耳を傾けていた。