12.血まみれの月(1)
光が消えると、魔法陣の中に男が立っていた。
頭に立派な二本角、豪華な衣装に身を包み、漆黒の宝石で飾られた黄金の輪を額にはめ、黒髪を乾いた風になびせている。
言うまでもなくそれはサマエルの兄、現魔界王タナトスだった。
(……ホントだ。ダイアデムが言ってた通り、サマエルとは全然似てないや)
リオンはつぶやいた。
魔界の王族達は揃って高貴な顔立ちをし、瞳も同じ色をしていた。
だが、ごくたまに冷たい光を帯びるほかは、いつも優しさを
魔法陣を出たタナトスは、無言でつかつかとダイアデムに歩み寄っていく。
「遅かったじゃねーかよ」
「──このたわけ!」
声をかけてきた宝石の化身を、王はいきなり殴った。
「てっ、何すんだよっ」
紅毛の少年は、頭を抱えてうずくまる。
「乱暴はよせ!」
止める弟を無視し、タナトスは、少年の襟首をつかんで引きずり起こした。
「俺は、手を出すなと命じたのだぞ! 何を聞いていた、このたわけ者が!」
「やめろと言うのに!」
サマエルが、二人の間に割って入る。
「邪魔するな!」
タナトスは、千年ぶりに会う弟を、憎々しげに睨めつけた。
「こいつは魔界王たる俺のもの、何をしようと俺の勝手だ、貴様ごときの下知など受けん!」
兄の
「何が魔界の王だ、そんなに思い上がっていて、よく今まで家臣達に見捨てられなかったな!」
無論、魔界王も負けてはいない。
「何だと、口を慎め、この浮浪者めが!」
「浮浪者とは無礼な!
追放されたと言っても、私の称号、王子としての資格は、剥奪されてはいないぞ!」
「ふん、名のみの王子など、何の役に立つ!
魔界でなら女どもの気を惹くこともできようが、人界では犬にも劣るわ!」
「犬にも劣るだと……!?」
弟王子の声が一層刺々しくなり、周囲に緊張が走る。
一触即発。
リオンは
「痛っ! な、何だ!?」
魔界の王族達の睨み合いは、不意にタナトスが足を押さえたことで終わった。
宝石の化身がそっと忍び寄り、王を思い切り蹴ったのだ。
「き、貴様か、ダイアデム! ──このっ!」
殴ろうとする主人の拳を、少年は素早くかわす。
「へっ、同じ手を二度も食うか、バーカ! お前ら、頭に血が上ったら、天界のヤツらの思うツボだぞ!
ま、タナトスにゃ言うだけムダだけどな、サマエル、お前まで単純バカに釣られてどーする、頭冷やせ!」
「何ぃ! 貴様、主人に向かって、馬鹿とは何だ、単純だとは!」
短気な王は、頬を紅潮させて叫び、少年を捕えようとする。
しかし、弟王子の方は、瞬時に冷静さを取り戻した。
幾分冷たさが残るものの、静かな口調で兄に話しかける。
「待て、タナトス。彼の言う通りだ、我々が熱くなっていてどうする。
過ぎたことは仕方ない、最善の方法を考えなければ」
ダイアデムは、にやっとした。
「よーしよし、やっと調子が戻ったな。ーったく、世話が焼けるぜ」
「何を偉そうに! 皆、貴様のせいだろうが!」
「へいへい、その通り」
慣れているとみえて、宝石の精霊は主人のかんしゃくを柳に風と受け流し、頭の後ろで指を組んで、ぶらぶらとリオン達の方に歩き出した。
宝石の化身が近くまで来ると、リオンは大きく息を吐いた。
「……ふう、聞きしに勝る仲の悪さだね、ダイアデム。びっくりしちゃったよ。いつもこうなの?
あ、頭、大丈夫かい?」
「頭? ああ、こたえてねーよ、全然。
そ、いっつもあーしていがみ合ってんだ、……たく、しょーがねぇガキどもさ」
ダイアデムは乱れた紅色の髪を解き、結い直すでもなく、もてあそび始めた。
「へええ……」
「まあ」
リオンは、同じく緊張を解いたライラと顔を見合わせた。
「でも、サマエルがあんなに熱くなったの、初めて見たな。
いつもは相手を怒らせといて、フードの陰で、くすくす笑ってたりするんだけど」
紅毛の少年は肩をすくめた。
「お前が殴られたからだよ」
「それに、魔界王様はあなたのこと、自分のものって仰ってたでしょう」
宝石の化身はきょとんとして、髪をいじる手を止めた。
「……へ? 何でオレが張り倒されたり、所有物扱いされたくらいで、あいつが怒んだよ?
“
そのとき、ライラと眼が合って、ダイアデムは頭をかいた。
「まあ、あいつはオレのこと、お気にのペットぐらいには、思っててくれてんのかも、な……」
「そうかな、彼はお前のこと、もっと大事に思ってるんじゃないのか?
お前やフェレスだって、サマエルに何か言われるたび、真っ赤になってさ、まるで恋人同士みた……」
言いかけるリオンを、宝石の化身は乱暴にさえぎった。
「やめろ、ガキ! 変な想像しやがって!
ま、オレ達大人の複雑で微妙な関係ってのは、ガキにゃ分かりっこねーけどよ!」
「何だよ、それ? また子供扱いして!
“複雑で微妙な関係”ってどんな意味なんだよ!」
リオンはむっとし、叫んだ。
ダイアデムとライラの心話を聞いていない彼には、分からなかったのだ。
彼の眼には、サマエルと“焔の眸”の化身とが、とても似合いの恋人同士として、映っていたのだから。
一方、リオンの脳天気なところはジルそっくりだなと、ダイアデムは思っていた。
大体、王子が一番大事に想っているのは、亡き妻、ジルだろう。
その次は、目の前にいるリオンとライラ、となれば当然、自分など最後……。
それにしても、なぜ生物は、愛や恋などといったものを持ち出して、自分と魔族の王子を結び付けようとするのか。
「るせーんだよ、バーカ。自分で考えろ」
王女とのやり取りを話す気はないダイアデムは、反論するのも面倒になり、突き放すように言った。
「今度はバカって言うのかよ!」
「あーうぜぇ……」
しつこさに
「ンなコトよか、彼女見ろよ、顔色悪りーぞ。小屋で休ませてやったらどうなんだよ、ったく」
「あ、ご、ご免、ライラ、気づかなくて。今、連れてってあげるから」
リオンは慌てて議論を切り上げる。
ライラは、心細そうに首を振った。
「ううん、わたし、ここにいたいの。そばにいさせて。
あなたのお家に安置されているアンドラスは、一人で淋しいかも知れないけれど、わたしにはもう、あなた達の方が大事なのよ」
「うん、でも……」
「ま、何が起こるか分かんねーし、一緒にいた方がいいかもな。
ほんじゃ、結界張りゃー少しは涼しくしくなるんじゃねー?」
「うん、そうだね。ご免、気が利かなくて」
急いでリオンが結界を張ると、ダイアデムも、甲斐甲斐しく彼女の世話を焼き始めた。
「冷たい水に、……そーだ、座り心地のいいイス!
──カンジュア! っと、ほい」
「ご免なさい、リオン、ダイアデム」
「いいって、な? リオン」
「うん、気にしないで」
「ありがとう……」
暑さから解放された王女は、ほっとしたように柔らかいソファに座り込み、冷たい水のグラスを受け取って、いかにもうまそうに飲む。
「あ、そうだ。──アクイアス!」
そんな彼女を、眩しげに見つめていたダイアデムが、何かを思いついたように再び呪文を唱えた。
グラスが二つ乗った盆が現れると、それを彼はリオンに押し付けた。
「おい、これ、ヤツらに持ってけ」
「え、何で、ぼくが?」
「バカ。タナトスは魔族の
「あ、うん……」
「あいつ、ムカツク性格だから、気に食わねーコト言われても我慢しろよな……って、何ビビってんだよ、情けねー顔すんな、だからガキって言われんだぞ!
──早く行けっ!」
気遅れしている彼の背中を、ダイアデムは思いきりどついた。
「わっ!」
「こぼすんじゃねーぞ!」
「もう、お前が押すから、こぼしそうになったんじゃないか!」
リオンは息を整え、
とりあえず彼は、先にサマエルに声をかけることにした。
「……あ、あの、サマエル、水……なんだけど」
「ああ、ありがとう。ちょうどのどが乾いていた」
サマエルは微笑んでグラスを受け取り、うまそうに飲みほした。
それから、彼は息を整え、タナトスに声をかけた。
「……は、初めまして、魔界王様。ぼく、リオンって言います。よろしく。
お水、どうぞ」
王はグラスを手に取ったものの、あいさつを返すでもなく、
「……ふん、こいつが貴様の子孫か?
大したことはなさそうだな、これでは、ベルフェゴールに太刀打ちできんのも無理ないか」
「彼は、平時は力を抑えている。手を、リオン」
「はい」
サマエルに言われ、彼は右手の痣を見せた。
「ほう、“封印”か。それほど強大な力を秘めているというのか?
この頼りない子供が?」
タナトスは首をかしげ、彼の本質を見極めようとでもするかのように、眼を覗き込んで来る。
リオンは、心臓が一層激しく鳴り出すのを感じながらも、負けじと魔界王の紅い瞳を見返した。
「“焔の眸”はすでに彼を認めているぞ」
サマエルは、兄に話し掛けた。
「ふん、十五、六の見かけとは裏腹に、遙かに年老いた『朱色の瞳』に潜む、
たしかに、我らの
「その通りだ」
「……致し方あるまい。
貴様、リオンとか言ったな、魔界王家の血を継ぐ者として認めてやる、ありがたく思え」
「はい、ありがとうございます」
リオンは礼をした。
いかにも気乗りしないように言い、まずそうに水を飲んでいる癖に、タナトスの顔には、渋々ながらの賞賛が浮かんでいるようにも思える。
それから、リオンは、直系の先祖に向き直った。
「あの、サマエル、ベルフェゴールを倒すことができなくて、ご免なさい。
あと、ダメって言われてたのに、変身しちゃって……」
「仕方がないよ。お前はまだ、さほどうまくは魔力を制御できないのだから。
私が無理を言ったのだ、気にすることはない」
第二王子は彼をとがめなかった。
リオンはさらに続けた。
「えっと、それからね、魔物を殺したのはダイアデムじゃなく、ぼくだってことにすればいいんじゃない?
魔族の血を引いてるのを知らなかった、ってことにすれば……」
すると、サマエルは否定の身振りをした。
「申し出はうれしいが、それは無理だな」
「どうして?」
「トリニタスとの戦争以来、天界は魔族の動向を絶えず監視している。
この国の異変も、とっくに承知していたはずなのに、今まで干渉しなかったのは、魔族の大物が出てくるのを待っていたのさ。
シンハが手を下すところや、お前の変身も、確実に天界の監視者に見られている。
だから、そういうごまかしは、おそらく効かないだろう」
「あ、だからぼくの代わりに、とどめを刺そうとしたの?」
「まあ、それもあるが……」
二人の会話を聞いていたタナトスが、そのとき口をはさんだ。
「なるほどな。それで“焔の眸”が出しゃばったというわけか。
天界のヤツらの狙いは貴様だからな、サマエル。
貴様を封じるために“掟”を我らに押しつけ、今回も、
だが、やむを得まい。“焔の眸”は天界に引き渡すしかなかろうな……」