11.末期 の刻(3)
“ご免なさい……!”
ライラは顔を覆い、泣き伏した。
「どうしたの、ライラ、ねぇ?」
リオンに肩を揺すられても、泣き止むことができない。
「ダイアデム! お前、彼女に何か言ったのか……え、どうしたんだい、二人共?」
宝石の化身を詰問しかけたリオンは、相手の眼もまた、涙でうるんでいるのに気づいてまごつき、ライラと彼を見比べた。
「ご免なさい、ご免なさい……」
しゃくり上げる王女の様子を見ているうちに、ダイアデムの怒りも徐々に収まっていく。
“オレの方こそご免。キミのたった一人の肉親を殺したことには、変わりないんだもんな……。
そうだ、ついでに言っとくよ。キミがサマエルと結婚しても、幸せにゃなれねーぜ”
ライラの肩がぴくりとした。
ダイアデムは話し続けた。
“いっつもぼーっとして、他の女の事考えてる上に、やたらモテる夫。
子供はできねーし、しまいにゃキミは耐えられなくなって、別れちまう。
その後、キミは、ずっと独身で通す。跡継ぎには遠縁の子供を養子にするんだけど、出来の悪いガキでさー、
結局この国は、キミの代で滅んじまうんだ……”
王女は息を呑んだ。
“……ほ、本当なの、それ?”
“もっちろん。だからキミは、リオンと一緒になった方がいいんだよ、オレの予知は絶対、外れねーんだから。
それからさ、これはお願いだ、リオンにゃ、口が裂けてもバケモノだなんて言わねーでやってくれ、頼む!
たった一度でもンなコト言われたら、あいつは死んじまう……な? ライラ、約束してくれよ!”
宝石の化身の口調に必死さがにじむ。
“心配してくれてありがとう。
でも大丈夫よ。彼がどう変わろうと、わたしは、決して化け物だなんて思わないわ”
“……そっか、よかった。これでもう、思い残すことねーな……”
今、ライラの心に伝わって来ているダイアデムの声は、いつもの軽薄さとは裏腹で、先ほど興奮していた時ともまったく違い、聞く者の心を、深い絶望の淵へと引きずり込んでしまいそうなほど、暗かった。
その声に、初めて彼を呼び出した時と同様の響きを、王女は感じ取っていた。
彼の心は、とても傷つきやすかったのだと、彼女は思い知った。
見かけで人を判断するなと、父王にもよく
代々続いてきた言い伝えにも、『いかに年若く見えようとも、彼は遙かに歳を重ね……』とあったのに、つい軽んじてしまった自分を、王女は深く反省した。
何も知らないリオンは、優しく背中をさすり続けてくれている。
気分が落ち着いた彼女は、尋ねてみた。
“それでは、あなたなら耐えられるの?
サマエル様が、他の女性と親しくしていたりしても?”
“……なんで、ンなコト聞くんだ?”
暗く沈んだままの声が返って来る。
“あなたはいつも、サマエル様のことを見てるみたいだから”
“オレは守護精霊。魔界人達を見守るのが役目。そんだけさ”
“そうなの? でもサマエル様だって、あなたのことは大切に思ってるはずよ。
さっきも、ぶたれてしまったもの……”
“けっ、大事に思ってるわけねーよ!
気に食わねーこと言や、オレだってぶたれんだから。さっきの見たろ。
キミがぶたれたのは、プライド高いあいつの前で、魔界王家の象徴のオレをバケモノ呼ばわりしたからさ。
魔界人全部をバケモノ扱いされたと思って、サマエルは腹立てたんだ”
“そ、そんなつもりはなかったのよ、わたし。ご免なさい……”
ライラはうろたえて答えた。
“分かってるよ。
……んー、でもサマエルだって、そんくらいのこと、分かりそうなもんだよな……。
──あ、そっか、ペットの悪口を言われたとでも思ったんだろ”
“まさか。サマエル様は、あなたをペットだなんて思っているわけないわ”
“そんなら、オモチャか、毛布とか、縫いぐるみとかだろ。オレは生き物じゃねーんだから……”
哀しい色に縁取りされた、何もかも諦めてしまっている感じの思念が、王女の心に届く。
彼女は不思議に思った。
“なぜ……?
たしかに、あなたは、普通の意味で生きていないのかもしれないけれど、魔族には違いないのでしょう?
わたしが、あなた方のお芝居に騙されてしまったのも、二人が本当に思い合っているのが、伝わって来たせいもあるのよ。
あの方の深い孤独を癒せるのは、あなただけではないのかしら”
“外見に騙されんなよ、サマエルは、優しい笑顔の裏で陰謀を企む、
魔界でも、あのよく回る舌で女にゃ不自由してなかったけど、女神まで口説いてたのには、さすがにオレも驚いたな。
あんときゃ、すっげー大騒ぎだったっけ……リオンに聞いたろ、ここら辺のことは?”
“ええ、まあ……”
“けど、人界に来て、特にジルと一緒になってからは、そーゆーコトはなかったな。
彼女が死んでからも……。
実は、そのせいで、魔力も弱っちまったんだぜ。
そうだな、もうこの際だから、ホントのこと言っちまうか、『夢魔』って知ってるか? ライラ”
“えっ……ええ……”
ライラは先ほどの、弟に取り憑いた魔物との会話を思い出し、どきりとした。
ダイアデムはわずかにためらい、続けた。
“落ち着いて聞いてくれ、サマエルは、その『夢魔』なんだ。
女を
“な、何ですって? あの方は、人間の女性を食べていたの!?”
ライラは驚きのあまり、勢いよく顔を上げてダイアデムを見た。
それから、サマエルへ視線を移す。
彼はまだ、呪文を唱えながら、複雑な魔法陣を描き続けていた。
彼女の動作に、リオンも驚いた。
「ど、どうしたの、ライラ」
「……い、いえ、何でもないわ……」
ライラは、今の話を口に出してしまいそうになったが、それはこらえた。
リオンは、サマエルのことを、先祖というよりは、父親か兄のように
ライラは、体が震えて来た。
その時、ダイアデムの思念が、彼女の注意を会話に引き戻した。
“おい、ライラ、何か勘違いしてねーか? サマエルは、女を食ってなんかいねーぜ。
女に望みの夢を見せてやって、そのお返しに、ほんの少ぉ~し、精気を分けてもらってるだけだ”
“そ、そう……”
ライラは、一旦は安堵したものの、知らぬ間に自分の精気も盗られていたのではないかと思うと、あまりいい気分ではなかった。
彼女の考えに気づいたのか、ダイアデムは、むっとしたように言った。
“言っとくが、あいつは、キミにゃ手を出しちゃいねーぞ。
『夢魔』は、人間にいいイメージ持たれてねーから、黙ってただけだ。
あいつは魔界の王子なんだし、『食事』の仕方もお上品なんだぜ。
それによ、ライラ。サマエルん家に来てから、もう二度と目覚めなくてもいいって思うくらい、すっごくいい夢、見たことあるか?”
“……夢? いいえ、お城を出てからは、いい夢なんて見たことがないわ。
顔のないオバケに追いかけられたり、いつも恐くて嫌な夢ばかり。
さすがに、最近は、冷たい汗にまみれて飛び起きることはなくなったけれど……”
“──だろ? もし、サマエルがキミに手を出してたら、きっとキミは、極上の、ものすっごくいい夢を繰り返し見てたはずだ。
インキュバスは、そうやって相手を虜にして、精気を吸いやすくするのさ。
……でも、なかった。つまり、安心してていい、ってことだ”
“そうね、サマエル様は、そんなことなさるお方ではないわね、ご免なさい”
ライラは謝ったが、ダイアデムの心の声は、相変わらず暗かった。
“……同意もなしに、唇奪ったのなんて、オレのくらいなもんさ……。
だって、あいつにとっちゃ、オレは縫いぐるみか、せいぜいペット……”
“違うわ、サマエル様は、あなたが好きだから、キスしたのよ”
“──ち、違っげぇよ!
……たくもー、ンなわけねーって言ってっだろ!
あん時サマエルは、腹ぺこだったんだし、ついさっきも、ヌケヌケと、キミのことが好きだって言ってやがったんだぜ!”
ダイアデムの声が刺々しくなる。ライラは辛くなった。
“ご免なさい。この話はもう、よしましょう……”
“そうだな、きつい言い方してご免”
ダイアデムも苦しそうだった。
王女は、話題を変えることにした。
“ね、ダイアデム。
もちろん、今は違うって分かっているけれど、わたし、子供の頃、魔物は恐ろしいものだとばかり思っていて、人間と同じように暮らしているとは、考えもしなかったわ……”
“ほとんどの人間が、そう考えてるだろうさ、気にすんなよ。
何十億年も前、サマエル達の先祖が魔界に逃げて来た頃は、食いもんが全然なくてさ。
……でも、共食いなんかしたら、あっという間に自滅だろ。
だから、初めは非常手段として、魔力を融通し合うようになったんだけど、そのうちに、それが当たり前になっちまったんだ。
それに、血を吸う魔物が多いのも、エネルギー効率がいいし、肉を食うのと違って量が少なきゃ、相手を殺さないですむからなのさ。
キミらが思ってるほど、魔族は人間を食ってねーよ。ま、例外はあるけどな……”
“ええ、サマエル様も、そう仰っていたわ”
“サマエルの屋敷にゃ、いっぱい花が咲いてただろ?
あれも食用なんだ、花の精気を吸って、魔力に変える……けど、ホントは、女の精気を直接吸うのが一番好きなんだけどな。インキュバスなんだし。
あいつのこと、恐くなったかい?”
“……ほんのちょっぴりね。だってサマエル様は、とても親切にして下さっていたし。
彼のことは、リオンのお父様かお兄様、そんな風に感じてきていたの”
それは、ライラの今の正直な気持ちだった。
ダイアデムは、にこりとした。
“そっか、ありがと。
たしかに、リオンはインキュバスの血を引いてるけど、千二百年も経った子孫なんだし、もう純粋な魔族とは、色んな面で違うようになって来てる。
人間の食い物だけで、あんなすさまじい魔力を維持できるなんて驚きだけど、ホントは、それが一番いいんだよな”
“そうね”
“でもさ、ホントはもっと……何っつうのかな、女を手玉にとるくらいになってもらわなきゃ、困るんだけどなぁ。
魔界の将来が、あいつにかかってるかもしんねーんだから”
“まぁ……でも、わたしは困るわ……”
“分かってるって。キミにとっちゃ、あのヘタレなまんまがいいんだよなー、へへっ”
“まあ、ヘタレだなんて”
“だってそーじゃんか、『あのダメさに、母性本能くすぐられるわぁ』ってな感じなんだろー?”
“もう、ダイアデムったら”
深く沈み込んでいたダイアデムも、会話を続けるうちに心が軽くなって来たようだった。
声も徐々に明るくなり、やんちゃでいたずらっ子のような響きが、戻りつつあった。