~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

9.すれ違う心(2)

実戦訓練の翌日、ケルベロスを見張りとして残し、彼らはサマエルの館を後にすることにした。
「でも、どこに行くの?」
リオンに聞かれたサマエルは、一呼吸置いて問い返した。
「……たしか、お前の家は、“刻の砂漠”のほとりにあって、近くの町まで三日は掛かるのだったね?」
「うん、そうだけど」

「ふむ、千年の間に、ずいぶん荒廃が進んだものだな。
しかし、この際は好都合だ、お前の家に行こう。
周囲が砂漠なら、万一、何かあっても、人界にさほど影響を与えなくて済むだろう……」
「そうだな。オレもそれに賛成だ」
「お前には聞いていない。黙っているがいい、“焔の眸”」
いつものように、ダイアデムが合いの手を入れたときだった……突如、サマエルの口調が変わったのは。

それは、皆が今まで聞いた中で、一番冷ややかなサマエルの声だった。
その場にいた全員が凍りつき、ダイアデムは、面食らって魔族の王子を見つめた。
「えっ……」
「ずっと思っていたのだが、お前はいつも一言多い。
これ以上、差し出口をたたくようなら、今すぐ魔界に帰すからな」
無慈悲な宣告に驚愕した宝石の化身は、声を上げた。
「……い、いきなり、なに言うんだよ!? 冗談だろ、サマエル!」

「冗談などではない。
どうせ、お前は、アンドラスの件が片づいたら、魔界に帰らなければならないのだから。
少々帰還が早くなったとしても、タナトスは喜びこそすれ、文句は言わないだろう」
「ヤ……嫌だよ!
オレは、イナンナと約束したんだぞ、半端で帰るなんて、出来っこねーだろ!」

「ならば、出しゃばった真似はやめることだな」
王子は、またも冷たく言ってのけ、ダイアデムは唇を噛んだものの、指摘されるまでもなく、自分の欠点はよくわきまえていた。
「分かったよ、ご免、これから気をつける。
でも、どうしてだよ? 今までンなコト、ひとことも言わなかっじゃねーか。
あ、ひょっとして、昨日のこと、まだ怒ってんのか?
なら、も一回謝るよ、ご免なさい。あんなこと、二度と言わないから……。誓うよ」

意地っ張りの彼にしては、素直に頭を下げ、ちゃんと謝ったつもりだった。
しかし、サマエルは容赦なかった。
「そんな誓いなど、信用出来ないな。お前は、いつも安請け合いをする。
幾度破ったのだ? 約束を。誓いを。──ええ?」
刺々しく言い返されたダイアデムは、声を詰まらせた。
「たった……たった一度だけだ! それ以外は、破ったことなんかない!
それだって、許してくれたんじゃなかったのか? やっぱりそれも……ホントはまだ……?
だったら、さっさと消せばいい、オレを! こんな、遠回しで陰険なやり方はご免だぜ!」

「どうせ私は陰険だよ。
それに、わざわざ手数をかけてまで壊す価値などないね、たかが、お前ごとき石など」
「………!」
まさか、そこまで無情な言葉を投げつけられるとは思ってもいなかったダイアデムは、息を呑み、顔から、みるみる血の気が引いていく。
「それに、私が手を下せば、またタナトスとごたごたが起きる。それも面倒ではあるし。
お前が、さっさと魔界に帰ってくれれば、この上なくほっとするだろうな」

「サマエル、いくら何でも、そんな言い方はよくないと思うよ」
たまりかねたリオンが口を挟むと、第二王子はそれを退けるように、さっと手を振った。
「余計な口出しをしないでくれないか、リオン。
古くからの因縁がある我々のことを、お前が理解出来るはずもない。
さあ、そんなことより、さっさと出発しよう。
──ムーヴ!」
サマエルは、手もつながないまま全員を一度に移動させた。
すぐに彼らは、“刻の砂漠”のすぐ近く、リオンにとっては懐かしい家の前に立っていた。

「……サマエル、んな風に思ってたのか、オレのこと……。
分かった、帰るよ、帰ればいいんだろ、魔界に……!
そんなら、今すぐ片つけようぜ、もう、これ以上待ってんのはうんざりだ!
──わああああああああああああ────っ!」
ダイアデムは、悲しみを振り払うように、天に向かって吼えた。

「ダイアデム!?」
「一体どうしたの?」
リオン達が面食らって見つめるうち、紅毛の少年の体は紅く発光していき、変身を始めたのかと思わせた。
だが、それは変化ではなく、光はそのまま上空へまっすぐに伸びていく。
その様はまるで、地上から天めがけ、巨大な紅い柱が立ったようだった。
「よせ! 敵をまねき寄せるつもりか、“焔の眸”!?」
サマエルが叫ぶ。

「──そうだよ!
早くオレを追い出したいんだろ? そんならこっちの場所を知らせて、さっさとノシちまえ!
これなら文句ないだろーが!」
「余計なことを──!」
刹那、サマエルの瞳に闇の炎が燃え上がり、いきなりの平手打ちが、ダイアデムの頬に飛んだ。

「うわっ!」
華奢な体は衝撃で吹き飛び、砂の上に倒れ込んだ。
口の中が切れ、ダイアデムの唇から、たらりと血が滴る。
「……い…痛ってて……な、何すんだよ!」
ダイアデムは、赤くなった頬を押さえ、拳で血をぬぐった。

「やめて、サマエル!」
「やめて下さい、サマエル様! 一体どうなさったのですか!?」
リオンとライラが止めに入る。
取りすがる王女にサマエルは言った。
「ライラ、一つ忠告しておこう。恋人の前で、他の男をかばったりしてはいけない。
その者との仲を疑われるもとだからね。
……しかし、ここは暑いな、家に入ろう」

室内に入ったサマエルは、石のように黙り込んでしまい、ダイアデムは、リオン達が代わる代わる招いても、家に近づこうともしなかった。
家に背を向け、焦げつきそうに熱い砂の上に膝を抱えて座り込み、無言でうつむいていた。

ライラは、サマエルの顔色を窺ったが、黒いフードに隠されたその表情は、ちらりと見ることさえ出来なかった。
リオンも、二人のことは心配だったものの、自分のことで精一杯だった。
いよいよ本番が近づいてきたと思うと、足が震え、緊張して喉が渇く。

幾度も(つば)を飲み込み、住み慣れた小屋を見回した彼は、ふと思った。
つい最近まで住んでいた家なのに、なぜ、ここはもう自分の家ではないという感じがするのだろうと。
自分と母親の思い出がたくさん詰まっている、この小さな家。
百年以上経っているというのに、しっかり建っていられるのは、母が結界で守っていてくれたからだということが、封印が解けた今、彼には分かった。
それなのに、どうしてそう思ってしまうのか。

(そうか、きっと、ぼくの住むところは、もう人界にはないからなんだ……。
いや、初めから、なかったのかも知れない……。
でも、もう、どうでもいいや、そんなこと。
ぼくは、もっともっと、素晴らしいものを見つけたんだから!)

「喉渇いた。水、飲んで来るから」
彼は、最愛の女性にそう言い置いて、ドアを開けた。
外はやはり暑かったが、それでも家の周囲には、ほんの少しとはいえ緑があるため、砂漠の中よりはましだった。
裏に回り、冷たい泉で喉をうるおしてから、ぽつんと座り込んだままのダイアデムに、リオンはもう一度声を掛けてみた。

「ねえ、ダイアデム、暑くない? 家に入りなよ。
ボロ家だけどさ、ずっと涼しいよ。それとも、水、飲む?
ぼくん家の水、冷たくておいしいんだ」
「うるせぇ、バーカ! このオレが、暑さを感じるとでも思ってんのか?
オレは、水飲む必要もねー“石”だ、鉱物なんだぞ!
──ったく、ガキのくせに、もう頭ボケてんのかよ!?」
返って来たのは、いつも以上に邪険な言葉だった。

「……何だよ、せっかく人が心配してやってるのに……!」
リオンがむっとしても、宝石の化身は振り返ろうともせず、遠くを見たままだった。
「ふん! お前ごときに心配して欲しいなんて、これっぽっちも思ってねーよ!
それにだ……──おっ、やっとお客のお出ましだぜ」
「お客?」
「ほら、あれさ」

「………?」
ダイアデムの指差す先には最初、何も見えなかった。
それもそのはず、並の人間には見えないほど遠く、その“お客”は、砂漠に足を踏み入れたばかりのところにいたのだから。
「ぼくには、何にも見えないけど……」
「魔眼で見てみろって。お前はもう、魔族なんだぞ」

じれったそうに言われ、急いでリオンが眼をこらすと、突然視点が変わり、遙か上空から見下ろすような景色が飛び込んで来た。
(まばゆ)い太陽が照りつけ、ゆらゆらと陽炎(かげろう)が立つ中、幻のような人影が一人、砂漠を行く情景が見える。

「あ、見えた! でも、あれ、誰?」
「──バッカヤローッ! ライラの弟、アンドラスに決まってんだろーが!
ヌケたこと言ってんじゃねーよ、この状況で、ほかの誰だってんだぁ、え!?」
ダイアデムは思わず大声を出し、それからがくりと肩を落とす。
「──ったく……はぁ、これでホントに大丈夫なのかなぁ……」

リオンは慌てて答えた。
「だ、大丈夫だってば、イザとなったらぼくだって……多分、なんとか……」
「はあ……。やっぱダメだな、こいつ……」
「……ひどいなぁ……」
リオンはつぶやいた。

ダイアデムは気を取り直し、髪をかき上げた。
「ま、ともかく、いよいよご対面ってわけだ。
いいか、これからが本番なんだぞ、シャンとしろよ!
あのヤロー、よっぽど自信あるんだか、護衛は連れちゃいねーようだけど、油断すんな。
一人とは限らねーんだからな、敵は。
うまくやれよ、リオン。オレ……とサマエルは隠れる。
ヤバくなったって、絶っ対助けてやらねーからな、ちゃんとやるんだぞ!」

「お前は、初め、中にいて様子を見るがいい」
二人が話しているうちにそばに来ていたサマエルが、その時声をかけた。
「あ、はい、サマエル」
「ライラには、アンドラスが本当に憑依されているのかどうか見極めるために、まずは少し、話をしてみてくれと言ってある。
リオン、言うまでもないだろうが、彼女が危なくなったら、すぐ飛び出せるようにしておくのだよ」
「も、もちろんですよ」

「我々は天界の者に見つかってはまずいし、また、アンドラスを警戒させるのも得策とは思えないから姿を隠す。
だから、本当は、変身はしない方がいい……角のある姿を見られたら、すぐに魔界の者と分かってしまうからね。
お前なら出来る。しっかりやるのだ、リオン。……では」
「ま、ンなに緊張しなくても、お前、力だけなら、サマエル並みなんだからよ。
じゃーな!」
「うん、大丈夫だよ! ぼく、頑張るから!」
サマエルとダイアデムの姿は前後して消え、リオンは家の中へと戻った。