~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

9.すれ違う心(1)

ライラを促し、早足でさっきの場所まで戻ると、サマエルは肩をすくめた。
「おやおや、これはまた派手にやられたね、ダイアデム」
ついさっき、戦い始めたときには、元気いっぱいだった宝石の化身は、何があったのか、苦しそうに地面にうずくまり、息も絶え絶えになってしまっていた。

「……はぁ、はぁ……。
バ、バカヤロー……お前が……ノロノロしてるからだっ!
ホントにもう、死んじまうかと、思っ、たぜ……!
このバカ……マジ、加減、知らねーんだ、もん!」
腹立たしげに、ダイアデムは、リオンに指を突きつける。

「無謀な闘いを挑むからだよ、ダイアデム。
リオンなら、一撃でお前を倒せるのを知っているだろうに」
そう先祖に言われたリオンは、眼を丸くした。
「ええっ、まさか! そんなの出来っこないよ!」

「何、言って、やがる……今の、闘い、どこ、見てたんだ、お前。
これで、オレは、全力を出してんだ、それでも、全然、歯が立たねー。
お前が、オレを壊そーって思ったら、オレは防げねーんだぜ、はあ……。
サマエル……身の程を、わきまえねーからだって、言いたいんだろ?
へへ……分かっちゃいたんだけどさ、やっぱ、自分の眼で、確かめないと、な。
でも、これなら、大丈夫だな……。
見かけよか、ちゃんとしてるんで、まあ少しは……安心出来るってーもんだ、ふう……」

「ダイアデム、大丈夫かい?」
「助けて欲しいなんて言ってねー! 一人で立てる!」
差し伸ばされた少年の手を、宝石の化身は邪険に振り払う。
リオンは、淋しそうに言った。
「ごめん、怒ったの? でも、ぼく、まだ、うまくコントロール出来なくて……」

サマエルは、くすくす笑った。
「リオン、気にしなくていい、彼は悔しいのだよ、負けず嫌いなのでね。
位も力も、お前の方が上だというのは、頭では理解しているのだが」
「う、うるさいぞ! よけいなコト言うな、おしゃべり! 
──トニトルス!」

かっとなったダイアデムは、呪文を唱えた。
見る間に辺りが暗くなると共に雷鳴がとどろき、稲妻が(ひらめ)く。
「きゃっ……」
「ライラ!」
リオンが、悲鳴を上げるライラをかばった途端、頭上に集められた雷撃は、狙いあやまたず魔族の王子に命中した。
「サマエル!」
リオンが叫ぶ。

すさまじい光が炸裂(さくれつ)し、空間を衝撃が走ったが、それが消え去った時、サマエルは何の痛手も受けてはいなかった。
「風や雷は私の属性だ。地震もね。水の攻撃は私の力を増す。
変動し、流転(るてん)する世界の相……波動と言い換えてもいいが、それを私は(つかさど)るのだから。
長く眠っていて、忘れてしまったのかい、ダイアデム?」

「ちっ、そうだったな! お前の弱点は金属だったっけ!」
平然としているサマエルを、忌々しそうにダイアデムは睨みつけた。
リオンは眼を丸くした。
「へえー、すごい。あんな電撃をまともに受けて平気なんて」

「もう力は使わない方がいい。中に入ろう。ほら、立って」
サマエルは手を差し出した。
ダイアデムは少し迷ったが、結局手を借りて助け起こされながら、心の声で尋ねた。
“彼女、なんて言ってた? アンドラスのこと。ショック受けてただろ?”

“……まあね。だが、薄々気づいていたそうだ。
彼女も魔法使いではあるし、城に古文書も多く残っているようだし”
“そっか。じゃ、あんまり取り乱さなくてすんだんだな?
でも、お前がいてくれて助かったぜ、いくらでも冷静に言えるもんな。
オレ、そーいうの苦手。
けど、辛れーだろなぁ……それしか方法がねーったって、実の弟を殺すのが、よりによって、自分の恋人だなんてよ……”

“そうだね……。
アンドラスが、『血の契約』などしていなければ、どれだけいいか知れないのだが……”
サマエルの心の声は、ため息をついているように聞こえた。
“けど、そりゃ、見込み薄ってもんだよな……。
だって、ライラ言ってただろ、『禁断の古代魔法を使って隣国に攻め込もうとしてる』ってさ。
ヘタすりゃ自分もぶっ飛んじまう、あぶねー禁断魔法を使いこなせるのは、魔物か、魔物と融合した人間か、どっちかしかねーんだからな”
“……そうだな。だが、そのことは彼女には言わないでおこう”

サマエルは、ふらつくダイアデムを支え、声に出して言った。
「おや、お前、見た目よりかなり弱っているね、可哀想に、早く戻って休まないと。
リオン、私は彼を連れて先に帰るよ。
──ムーヴ!」

残されたリオンは、抱きしめていた王女の顔を覗き込んだ。
「ライラ、真っ青だよ。さっきより具合が悪そうに見えるけど。
やっぱり、何かあったんだね?」
「い、いいえ……何もないわ。あなたのことを心配しすぎて、ちょっと気分が悪くなっただけ。
もっと前から、ケルベロスと戦うところを見学しておけばよかったわね」

ライラは無理に笑顔を作ったものの、リオンには、彼女が本当のことを言っているようには思えなかった。
そこで彼は、持ち前の粘り強さを発揮した。
「嘘、ぼくには分かるよ。サマエルが何か言ったんだね?」
「いいえ、サマエル様は、私の気持ちを和らげようとして下さったのだけれど、うまくいかなかったの。それだけよ」

「……ホントにそれだけ……?
ねぇ、何か困ったことがあるんだったら、隠さずに教えてよ。
ぼく、頼りないって思われてるかも知れないし……実際そうなんだけど、一人で悩むより、二人なら、いい考えも浮かぶかも知れない。
一緒に考えようよ。ね?」
自分を気遣ってくれるリオンの真剣な眼差し、曇りのない瞳を見ているうちに、ライラは、弟のことを告げることが出来なくなってしまった。

「ご免なさい、リオン……。
あなたは前に、話しにくいなら、何も聞かないって言ってくれたことがあったわね、覚えているかしら……?
お願い、今度も、もう少し待っていて……」
「うん、分かったよ、困らせてご免……」
眼を伏せるライラの暗い顔を、リオンは悲しい思いで見つめたものの、彼女を信じて、大人しく引き下がるしかなかった。

一方、部屋に戻ったサマエルは、紅毛の少年を、自分のベッドにそっと降ろしていた。
「それにしても、私はこの頃、慰め役ばかりしている気がするよ。
お前が、ライラに知らせても、よかったのではないか?」
すると、ダイアデムは唇をとがらせ、だだっ子のように言い訳した。
「だぁーって、彼女は、オレのこと嫌ってるんだから、しょーがねーじゃんか。
その上さぁ、オレは口も悪い上に、慰めんのもヘタだしよ。
第一、ライラだって、オレみたいな悪ガキに慰められるよりかさ、お前みたくイイ男の胸で泣きたいに決まってンだろーが」

サマエルは肩をすくめた。
「そういうものかな……。しかし、お前が慰め下手だとは思えないね。
昔、とてもうまかったじゃないか」
「はん! ガキをあやすのに慣れてただけだ。
それに、見たろ? 誓いの儀式ん時、ライラがシンハに怯えてたのを。
だから、シンハじゃ慰められねーし、フェレスになったときだって、すっげー気に食わない、って顔してたもん」

「それは、彼女が、フェレスに嫉妬していたからだろう?」
ダイアデムは顔をしかめた。
「……そうかなぁ。
大体、人間って、オレ達が自由に姿を変えれるってこと自体、嫌なんじゃねーの?
呼んだのは、そっちだってーのに、バケモノ扱いだぜ、まったく。
あーあ、マトモに接してくれたのは、イナンナとジルくらいだよな。
サマエル、お前、いい嫁さんもらったぜ」
「……そうだね」

「初対面の時さー、『オレは宝石の精霊、この瞳が紅いのは、有史以来の生き物達が殺し合った血を吸ったからだ。大地に流される血、それがオレの(かて)なんだぞ』
ビビらせてやろうと思って、んな話をしてやったのに、ジルのヤツ、何て言ったと思う?」
「……おそらく、平気だと言ったのだろう?」
サマエルは、つぶやくように答えた。

「それどころじゃねーよ。
『あたしだって食べなきゃ生きられないし、何を食べるかの違いでしょ?』
なんて言いいやがんだぜ。こっちがびっくりしちまった。
その上、『あなた、吸血鬼?』とか聞いてくっから、『違う!』って怒ったら、にっこり笑ってこう言ったんだ。
『よかった。それなら今度、皆とピクニックに行きましょう。あたし、お日様の下が好きなんだけど、あなたが吸血鬼だったら無理かな、って思ったの』だとさ。
……なんておめでたい女なんだ……って、ガックリ来ちまったんだけどよ、あんな真っ直ぐな眼差したヤツ、その前にも後にも会ったことねーぜ」

「彼女らしいね……」
サマエルは微笑んだ。
「でもさー、ライラはどうなんだろな。
今はラブラブだけど、この後、リオンの本性……ホントーの姿を見ちまったら、どうなると思う?
やっぱ、逃げちまうのかな?
大体よー、サマエル。お前、ホントはライラに気があったんだろ……少しはさ。
だから、わざわざ、女の姿を創り出したんだよな。
だって、諦めさせるにしても、得意の話術なり何なり、他にもっといい方法があったはずし。
形だけでも女がそばにいりゃ、ちっとは気が紛れると思って、それで……」

「ダイアデム、今お前が言ったようなことを、リオンの耳に入れたりしたらどうなるか、分かっているね?」
彼をさえぎるサマエルの口調は静かだったが、ダイアデムは、まるでムチで打たれたかのように、びくりとした。

「ンな言い方……しなくったっていいじゃんか……!
そんぐらいわきまえてるよ、オレだって……」
「それならいいが……?」
サマエルは首をかしげた。
彼の態度に、ダイアデムはひどく傷つき、瞳がうるんでくるのを感じた。
「もういい!」
涙を見られたくなくて、彼は駆け出し顔を覆った。

(ひでーや、あいつ。
いくら、フェレスがいいからって……男のオレにゃ、こんなに冷たい……。
ああもう、絶っ対、フェレス出してやんねーから!)
両手の間から、いくつも輝きがこぼれ、点々と床に紅い軌跡を描く。
(……それに、フェレスでいたって、どうせ、サマエルとは、どうにもなりゃしねーんだ……)

ダイアデムの本体である“焔の眸”は、代々、魔界王の占有物とされ、王以外の者は、触れることはおろか、許可なくしては見ることさえ、出来ないとされて来た。
たとえ、第二王子が本気で望んでくれたところで、魔界王でない以上、彼が“焔の眸”(自分)を所有することなど、断じて許されるはずがない。
ましてや、サマエルは、二千年後に生贄(いけにえ)とされる運命であり、その上、予知によって、この王子が、自分を破壊することが確定してしまっているのだ……。
どこをどう取っても、彼らの未来には、スズメの涙ほどの希望も存在しなかった。
その上、サマエルが欲しているのは、女性である。
小生意気な少年である自分のことなど、まったく眼中にないだろう。

“泣かないで、ダイアデム。サマエルは、ちゃんとあんたのことも好きだってば”
心の中でフェレスが言った。
“泣くでない、憎まれて(しか)るべきは我のみ……許せ、童子よ”
シンハも彼を慰めた。

外に飛び出たダイアデムは、あふれる涙をぬぐいもせず、天に向かって()えた。
「──うるせーよ! もう、なんもかんも八方ふさがりじゃねーか!
これが泣かずにいられっかよっ、バカヤローッ!」