~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

8.忍び寄る影(3)

「くそっ! 外したかっ」
どん、と鈍い響きが周囲を揺るがし、攻撃が地面をえぐる。
彼らは、何時間も、そうやって戦い続けていた。
リオンにとって、肩慣らしにちょうどいいと思えた戦闘も、相手は意外と手強く、そう簡単には勝たせてもらえない。

“ドウシタ? モウ終ワリカ。ナラバ今度ハ、コチラカラ行クゾ!
──ぶりむすとーん・ふぁいあ!”
「うわっ!」
青みがかった銀色の狼の口から吐き出される、真っ赤な炎をよけそこなったリオンは、爆発の衝撃で、大きな岩にたたきつけられた。

“狙イガ甘イゾ! 敵ノ後ロヲトレ。
バカ正直ニ、タダ正面カラ突ッ込ンデ行ッテモ、カワサレルダケダ!
ソレニ、魔法攻撃ダケデナク、武器デノ反撃モ考慮ニ入レナクテハ勝テナイゾ!”
「分かってるよ、ケルベロス」
悔しそうにリオンは言い、口の端から流れる血をこぶしでぬぐった。
“……ソウハ思エヌガ。マアイイ。疲レタヨウダナ、少シ休モウ”

「いや、もう少し……あ」
リオンが言いかけたとき、二つの人影が現れた。
「無闇に戦うだけでは疲れが溜まるばかりだ。休養も必要だよ、リオン」
「サマエル、でも、ぼく……」
不服そうに答えるリオンは、前と同じ、十五、六歳の少年の姿だった。
“紅龍の紋章”で真の力を封じられたために、大人の姿ではいられないのだと、サマエルからは説明を受けていた。

「ここも危なくなって来たようだ、そろそろ行動を起こさなくては。
そのためにも、英気を養っておかなくてはね」
「危なくなって来た? どういうこと?」
「王宮を探らせていた使い魔からの報告では、アンドラスが何者かに操られているのは確実のようだ。
敵は単独ではないらしいのだが、詳細は不明だ、偵察の途中で使い魔がやられてしまったのでね。
敵はかなり出来ると見ていい、ヤツらが行動を起こす前に、我々も移動しよう」

「その前に、実戦訓練した方がいいぜ、サマエル。
こいつ、イマイチ頼りねーんだからよ」
魔族の王子と一緒に現れた、紅い髪の少年が口を挟む。
「頼りなくて悪かったな! だから、今やってるんじゃないか!」
むっとして言い返すリオンを無視し、ダイアデムは続けた。

「オレ達、加勢出来ねーんだろ? ちゃんと鍛えとかないと、やっぱまずいぜ。
相手は一国の王なんだし、兵隊も一杯いるんだろうしな。
けどよー、ライラにゃ見せねー方がいいんじゃねー? 
実の弟と、頼りねーけど一応、恋人ってコトになってる男との戦いなんて」

「いいえ、何があろうと、わたしはリオンと一緒にいますわ」
澄んだ声に、皆が振り返ると、輝かしい銀髪を風になびかせて、緑の瞳の王女が歩み寄って来ていた。
「ライラ、ありがとう……」
リオンは頬を染めた。

「……なんだ、いたのかよ」
ダイアデムは頭をかいた。
「お食事の用意が出来たのをお知らせに来たの。
心配してくれるのはうれしいけど、わたしは大丈夫よ、ダイアデム。
そうだわ、ケルベロス、あなたもいかが?
人間の食べ物は、お口に合わないかも知れないけれど」

問われた魔狼は、サマエルの顔を見上げた。
主人がうなずくのを見て、ケルベロスは答えた。
“頂コウ、王女。御身ガ作ル食事ハ、結構イケル”
「たしかに、今までの総仕上げとして、結界のないところで戦ってみることも必要だね。
ここを引き払う前に、やってみようか」

サマエルの言葉に、ダイアデムが勢い込んだ。
「──おーし、んじゃあ、オレが相手をしてやる!
最近は、なんかこう、むしゃくしゃしてたんだ。
ちょうどいい、お前らが食い終わったらやろうぜ、ケルベロスは手加減し過ぎで、話になってないからな!
なあ、いいだろー、サマエル?
たまにゃ、オレだって、外で思いっ切り暴れたいんだよぉ!」
「やれやれ、私相手ではそんなに退屈なのか、ダイアデム。
実戦もいいが、手加減するのだよ」

「そりゃこいつに言えよ。お前と同じで、ヤバそうだもん」
指差されたリオンは、きょとんとした。
「……ヤバそう? どうして?
ぼく、今まで一度も、ケルベロスに勝ててないんだよ?」
サマエルは微笑んだ。
「ケルベロスは力を抑えている。
それを無意識に感じ取っているから、お前も本当の力を出せないのだ」

魔狼は身を震わせた。
“実ヲ言エバ、恐ロシクテ、本気ナド出ス気ハ起キヌ……『焔の眸』閣下ニ、代ワッテ頂ケルナラ有難イ”
リオンは眼を丸くした。
「えっ、恐ろしいって、ぼくのことが?」

「だから、オレが相手をしてやるんじゃねーか、ありがたく思えよな! 
ケルベロスなんて超格下の相手とじゃ、お前の実力が出ないってコトなんだよ!
へへ、楽しみだけど、ちょこっと恐いな、オレも……。
サマエル、こいつが暴走したら、ちゃんと止めてくれよ。
オレ、片眼しかないんだからな」

「ホントに、ぼくの力って、そんなに……?」
リオンは半信半疑で先祖に眼をやる。
サマエルは、そんな彼に力強くうなずいて見せた。
「自信を持ちなさい、リオン。
お前の本来の力は、魔界の貴族である彼を、呪文一つでねじ伏せられるほどなのだよ」

「ええっ……!」
何のためらいもないその言葉にリオンは驚き、ダイアデムは気を悪くしたように、紅い瞳の黄金の炎をひときわ鋭く輝かせた。
「──ちぇっ、そう簡単にやられてたまっかよ!」
「その前にまず、お食事にしましょう、皆さん。今日はチキンよ」
ライラは口では明るく言ったが、その眼は吸い付けられるようにリオンから離れなかった。

湧き上がる不安を無理に押さえつけ、リオンは元気よく昼食を平らげる。
ライラはあまり食べず、サマエルは普段通りに、ケルベロスはテーブルの下で、たまには調理された食い物もいい、とつぶやいていた。
ダイアデムは、そんな彼らには興味もない様子で、いつものようにお茶だけを飲む。

「──さ、やろーぜ! いっちに、さんし、っと……!」
和やかとは言えない食事が終わり、少し休んだ後、ダイアデムは、浮き浮きした様子で準備体操を始めた。
「……だ、大丈夫かな……」
対照的に、リオンは少々腰が引けている。

ダイアデムは、心配そうな王女に声を掛けた。
「ライラ、これはリオンのためにやるんだから、怒んねーでくれよ。
サマエルも言ったけど、オレは両眼そろってても、本気のこいつにゃ、全然(かな)わねーんだから。
ケルベロスとオレが格が違うように、オレとリオンじゃ、やっぱ格が違うのさ。
魔界の位だと、オレは上から五番目。
でもリオンは、サマエルやタナトスと並んで最高位だろーからな。多分。
けど、それも、リオンがうまく魔法を使えるようになってればの話。
だからこそ、実戦訓練が必要なんだよ」

「ええ……」
それでも、まだどことなく不安げな彼女をしりめに、ダイアデムはリオンに向き直った。
「──さあ、どっからでもかかって来いよ! 
最初は、オレの方が強いはずだ。お前は、相手の力に応じて力を引き出す。
オレが力を出せば出すほど、お前の力も強まるって寸法さ。
今のうちに、少し痛めつけといてやるよ。
そうでもしないと、オレにゃ、勝ち目なんか全ー然ねーんだからな!」

「う、うん……」
リオンはうなずいたものの、その構えはどこか危うく、覚束(おぼつか)ない。
「行くぞ!
──グレアリング!」
ダイアデムは呪文を唱えた。
紅い光線が、指の先からほとばしる。
「うわっ!」
慌ててよけるリオンの頬をかすめ、それは後方の岩に当たり、ものの見事に真っ二つにした。

「すごい! やっぱり、ケルベロスとは段違いだ……」
「感心してる場合かよ!
──ブリムストーン・ファイア!」
次に、ダイアデムは口から真紅の炎の渦を吐き出したが、それもやはり、魔狼のものより遥かに高温だった。

「あちちっ!」
飛びすさって手をかざし、炎から身を守りながらリオンは考えた。
(ケルベロスもそうだったけど、彼の攻撃は、“火”が主体なんだな。
よーし、まずは小手調べだ)

「──ロックラッシュ!」
呪文に呼応し、転がっていた岩が空高く持ち上がり、ダイアデム目掛けて降り注ぐ。
もうもうと立ち上る砂煙の中、紅毛の少年は見えなくなった。
「……やったか?」
リオンがつぶやいたとき、頭上から声が降って来た。
「へん、残念でしたー。オレの火を岩で消すなんて、できっこねーぜ、お返しだ!
──シェルファイアー!」

「う、わ、くそ……っ!」
空中に浮いたダイアデムの体から、紅い小さな火の玉がいくつも飛び出して、一斉にリオンに襲いかかる。
それぞれの衝撃はさほどのものではなくとも、こう次々来られては、避けようもない。
リオンは、うずくまったままその攻撃に耐えた。

「危ない、リオン!」
思わず飛び出そうとする王女を、サマエルが腕を取り引き止めた。
「大丈夫だよ、ライラ。リオンは、あれしきのことでやられはしない。ほら、ご覧」
「……ふう……ああ、痛かった」
その言葉通り、リオンは、平然と服のほこりを払いながら立ち上がった。
けがをしている様子は、一切ない。

ダイアデムは、ぷうっと頬をふくらませた。
「ちぇっ、ちーっともこたえてねーなぁ!」
「ダイアデムが加減してくれたのね……」
ライラが安堵すると、サマエルは肩をすくめた。

「いや、ダイアデムは全力を出しているよ、ライラ。
ダメージがないのは、リオンの力が遙かに上回っているからなのだ。
リオンの方が手加減しているのだよ。
強い魔法を使って、彼を壊してしまわないようにと、恐る恐る攻撃している。
よく考えてご覧、本来なら火炎魔法に対するには水魔法……しかし、リオンは岩を使ったろう?」
「あ、そう言えば……」

「リオンは我が子孫……おそらく、たったの一撃で、“焔の眸”を跡形もなく消し去ることも出来ると思う」
その台詞は静かに言われたことで、さらに迫力を増してライラの耳に届いた。
彼女は思わずサマエルと、自分の恋人の、自信なさげな姿を見比べた。
「彼は、それほど強い……のですか……」

魔族の王子はうなずいた。
「オーラの色だけで分かる。歴然としているよ、彼らのレベルの差は。
特に、今のダイアデムは片目だし、彼は戦闘向きでもないからね。
──ああ、そうだ。この機会に、キミにだけ話したいことがあるのだが」
「はい、何でしょう?」
「その前に、少々話を合わせて欲しい」
「え?」

サマエルは、上空で闘う少年に声をかけた。
「リオン! ライラは気分が悪いようだ、少し休ませて来るから、続けていてくれ」
「え? 大丈夫かい? ライラ」
すぐに闘いを止め、彼は地上に降りる。
「えっ……ええ、少し休めば治まると思うわ。心配しないで、リオン」
急いで彼女は、サマエルと話を合わせた。

ダイアデムは、心細そうな表情をした。
「仕方ねーな。けど、ヤバくなったらすぐ来てくれよ……」
「ああ、すぐ戻って来るよ。
ライラ、あちらの木の下に、横になれそうな場所があるから、連れて行ってあげよう」
「きゃ……!」
魔族の王子は、手馴れた仕草で軽々と王女を抱き上げ、運んで行く。