~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

8.忍び寄る影(1)

次の日から、リオンは、魔法の練習に明け暮れた。
サマエルは、優秀な教師でもあったので、彼は、めきめきと腕を上げていった。
だが、ライラの弟アンドラスもまた力を増し、姉を探す手も(ゆる)めてはいなかったのだった。

数日後、首都アロンにそびえ立つファイディー王国の宮殿にて。
玉座に腰を下ろし、苛々と足を踏み鳴らしていたアンドラス王は、叫んだ。
「──もはや二月以上も経つではないか! まだ、姉上は見つからぬのか!」

「申し訳もございません、アンドラス三世陛下。
捜索の者達も、鋭意努力致しておりますのですが……」
彼とそう年が離れているとは思えない、若年の大臣がうやうやしく答えた。
アンドラスは、父王の代から仕えてきた重臣達のほとんどを牢につなぎ、ひどい場合は処刑していた。
それに代わって、有能な若者を、大臣に抜擢(ばってき)していたのだ。

「……よりによって、“焔の瞳”を持ち去られるとは……!
あれがなければ、余は、王としては認められぬと言うのに!」
ライラ王女とそっくりな緑の眼を、怒りに鋭く光らせて、アンドラスは言った。
顔立ちもどことなく彼女に似て、高貴な面差しをしてはいたが、その眉はいつもきつく寄せられ、いかにも気の短そうな若者に見える。
そして、髪も、月の雫のように輝く姉とは違い、父親譲りの褐色だった。
略式の王冠が、王の苛立たしげな動きに連れて、きらきらと輝きを放つ。

「お言葉を返すようではございますが、陛下。
あのような物に頼られずとも……」
言いかける大臣を、年若い王は不機嫌にさえぎった。
「それだけではない! あれは強力な魔力を秘めた石なのだ!
“焔の瞳”を自在に扱うことさえできれば、兵士など、一人もいらぬくらいなのだぞ!」
「ですが、陛下、国を守る兵士がまったくおらぬと言うのも……」

アンドラスは大臣を睨みつけた。
「その方のごたくなど聞きとうない! ()く姉上を見つけ、“焔の瞳”を取り戻せ!」
叫ぶと同時に王の背後から魔力が、黒い翼のように勢いよくほとばしり出て若い大臣を覆い、高々と持ち上げた。

「うわああっ!」
大臣は悲鳴を上げ、空中で足をばたつかせた。
「……く、苦しい……お、お静まり下さい、陛下……! 
お許しを……た、ただ今すぐに……!」
その様子を、しばらく冷ややかに見ていたアンドラスは、やがて気がすんだと見え、無造作に手を振る。
ようやく、大臣は解放され、音を立てて床に落ちた。

「ええい、下がれ! 役に立たぬのなら、お前も処刑してやる!!
さっさと行って姉上を見つけて来い、このぐずめが!」
「お、仰せのままに、陛下」
大臣は慌てて起き上がり、礼もそこそこに立ち去った。

直後、アンドラスの背後から黒い影が煙のように立ち昇り、ゆらゆらと揺れながら集まり始め、同時に禍々しい声が響く。
「落ち着き()され、陛下。“焔の瞳”は、強い魔力の輝きでおのれの存在を知らしめます。
それを追えば、造作(ぞうさ)なく見つけられましょうぞ」

王は、さらに眉を寄せた。
「……それほど簡単にいくものなのか? 早くしないと、これからの計画にも狂いが生じよう。
隣国は資金も潤沢(じゅんたく)で兵力も多い。“焔の瞳”なくしては従わせるのは難しいぞ。
せっかくの豊かな地を、戦で荒廃させる愚行は避けたい」

「ならば、()せ物当ての得意な使い魔に、宝石と王女の居場所を調べさせましょうぞ。
姉君を捕え、処刑してしまえさえすれば、女王として担ごうとする愚者共も観念致しましょうからな。
くっくくく……」
嫌な笑い方をしながら、黒い影は徐々に実体を(そな)えていった。

それは一見、人の姿によく似ていた。
肌は黒檀(こくたん)のように黒く、髪は白銀、長身で、骨と皮ばかりにやせている。
しかし、人間と決定的に違うのは、頭に二本の長い角、背中にもコウモリ状の黒い翼が生えていることだった。
さらには、紅く爛々(らんらん)と燃え上がる両眼もまた、人間のものとはとても思えない。

「姉上は、余と違って人望があるからな。実の姉ゆえ、出来れば生かしておきたかったが……」
そこまで言うと、王は顔をしかめた。
「魔物が人間と違うのは当然かも知れぬが、お前は老人か、それとも若者なのか?
髪は白く、話し方も年寄りめいているが、顔は若々しい……混乱する」

「眼や髪色など、瑣末(さまつ)なこと。いかようにもなります。
なれど、この姿にも、いい加減、慣れてもらわねば困りますな。
かの至宝、“焔の瞳”もまた、魔界の石でございますゆえ、わたくしめでなくば使いこなせぬのですぞ。
大船に乗った気でおいで下さい、わたくしがあなた様を、人界のすべてを統治する、偉大なる君主にして差し上げましょう!」
魔物は、自信たっぷりに胸をたたいた。

「ふむ、頼もしいぞ」
王はうなずく。
「だが、いつになったら、名を教えてくれるのだ? いつまでも名なしでは、不便でならぬ」
「お好きな名でお呼び下さい、今はまだ、それを告げることは叶いませぬ。
陛下が“焔の瞳”を入手なされた暁に、わたくしの真実の名を明かすことが出来るのでございます」
魔物は気味悪くにやりと笑い、アンドラスは思わずたじたじとなる。
「……そ、そうか、ならば、もはや聞くまい」

「では、“魔法陣の間”に参ると致しましょうか。
──ヴァロータ!」
うやうやしくお辞儀をし、魔物は呪文を唱える。
直後、王の間に掛かっている大きなタペストリーの陰に扉が現れ、二人はごく最近作られた、“魔法陣の間”と呼ばれる秘密の部屋に入っていった。

床に巨大な魔法陣が描き込まれたその部屋は、壁一面に摩訶(まか)不思議な模様が彫られ、むせ返るような香の匂いが立ち込めていた。
揺らめく灯りに映し出された魔物の恐ろしげな様子に、アンドラスは不意に身震いする。
生き物のように伸び縮みする影が、一層気味の悪さを(あお)っていた。
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、魔物はまたも不気味な笑みを浮かべ、呪文を唱えた。

「──魔界の暗き深淵より、我が(もと)()せ参ぜよ、魔界の掠奪侯(りゃくだつこう)シャックス!
疾く現れ出で、貴石の在り処(あ か)を主たる我に示すがよい!
──ダイアボライズ!」

直後、魔法陣が明るく輝き始め、やがて一羽の大鳥が現れた。
「……オ呼ビデスカ、主ヨ。オ元気デ何ヨリデゴザイマス……」
コウノトリは、しわがれた聞き取りにくい声で、人語を話した。
体の巨大さと、全体から発散するどす黒い気のせいもあり、普通の鳥とはまったく異なる存在であることが一目で分かる。
湧き出す邪悪な気のために、魔法陣の向こうの壁が揺らいで見えた。

「おぬしもな。されど、今は社交儀礼にかまけている暇はない。
“焔の瞳”の行方を探せ、シャックス。
ただし、嘘偽りは厳禁ぞ、今回は常とは異なるのだ。
誠直(せいちょく)に申さねば、いかなる事態に陥るか分かっておろうな!
このまま、永遠に使い魔としてこき使われたくはあるまい?」

「ソコマデ申サレズトモ、分カッテオリマスル。
“焔ノ瞳”デゴザイマスナ、シバシオ待チヲ。
──えくすくれいと!」
呪文を唱えたコウノトリは翼を閉じ、眼をつぶった。

初めこそ黙って黒い鳥を見ていたアンドラスも、しばらくすると苛々した様子で行ったり来たりし始め、やがて、待ち切れなくなって魔物に声を掛けた。
「おい、大丈夫なんだろうな……?
こんな鳥に、本当に探し出せるのか?」
「ご静粛に! 今しばらくのご辛抱です、お待ち下さいませ、陛下」
魔物は苛立たしげに王を黙らせた。

直後、王の言葉がきっかけとなったように、シャックスが話し始めた。
「……面妖(メンヨウ)ナコトニ、我ニハ見エマセヌ……何ユエカ、何処(イズコ)ニモ、アノ石ヲ感ジラレマセヌガ……」
それを聞いた魔物は、顔を紅潮(こうちょう)させた。
「見えぬだと? この虚言(きょげん)者めが!」
「イイエ、我ハ、誓ッテ偽リナド申シテハオリマセヌ、主ヨ。
タダ、石ノアッタ場所ニ残ッテオル気……、コノ気配ノ持チ主ハ、人間デハゴザイマセヌ。
……オオ、一ツ忘レテオリマシタ。
主ヨ、“焔ノ獅子”ガ、人界ニ参ッテオルコトヲ、ゴ存知デショウカ?」

「──何とっ、シンハが参っておるとな!?
あやつは、『魔界を出ること(あた)わず』と定められておるはず……!
よ、よもや、タナトスまでが……?」
魔物は眼を()くものの、コウノトリは首を横に振った。
「イエ、黔龍(ケンリュウ)王ハ、参ッテハオリマセヌ。
見ツカラヌモ道理、“焔ノ瞳”ハ、彼ノ許ニ戻ッタノデアリマショウ。
……ソシテ、気配ガ消エタ辺リニ、強大ナ結界ガアリマス……。
人界ニテ、カヨウナ強イ魔力ヲ持ツ者ハ、タダ一人ノミ……」

「ええい、我にも見せよ!」
たまらず、魔物は身を乗り出してコウノトリに顔を近づけ、禍々しいその眼を覗き込んだ。
「むっ……こ、これは……!
まずいぞ、この結界は、サマエルのものだ!
むむ、うかつであった、あやつは人界に封じられておったのだったな……!」

「サマエル? 千年余りも生きているとかいう、伝説の賢者のことか?」
アンドラスが、けげんそうに口をはさむと、魔物は顔をしかめた。
「人界にて、いかように呼ばれておるのかは存じませぬが、おそらくは。
有体(ありてい)に申せば、サマエルは、魔界王タナトスの実弟……のみならず、その力は、魔界王を軽く凌駕(りょうが)致しておるのです」
王は顔色を変えた。
「何っ! そんな者が人界にいたら、我々の計画は……」

「陛下、恐れることはございません。
わたくしが表立って動かぬ限り、奴もまた行動は起こせませぬ。
人界の事柄に、魔界の者は手出し出来ぬ決まりなのです。
ゆえに、わたくしは密かに力をお貸し致しております。名乗れぬのも、そのため」
魔物は、何とかなだめようとするものの、年若い王は、なおも質問をぶつけて来る。
「それに“焔の瞳”はどうなったのだ? 今の話では、見つけられなかったようだが?」

「人界にて“焔の眸”と称す石は、実のところ、“焔の獅子”とも呼ばれる、シンハと申す魔物の眼なのでございます。
かの者が、何ゆえか人界に参り、石を取り戻しました……これではもはや、わたくしが魔力の源とすることは出来かねます。諦めるしかございませんようで」
「何だと? それでは約束が違う!
あの宝石があればこそ、簡単に隣国も侵略ができると言う話だったではないか!
どうするつもりだ、魔物よ!」

「案ずることはございません。あれなどなくとも、わたくしの力を以ってすれば、()のみ労せずとも隣国が手に入ることは請け合い。
ただ、“焔の瞳”があれば、一層たやすく奪取できると申し上げたまでのこと。
お分かり頂けましょうか、陛下」
「しかし……」
「心配はご無用だと申しておりましょうが!」

思わず大声を上げた魔物は、アンドラス王の眼に浮かんだ不信の色を見て考えた。
(こやつも、()のみ暗愚(あんぐ)とは申せぬ。そろそろ気づいても良い頃合いではあるな。
もっとも、真に利発な者ならば、かようなうまい話には裏があると見抜き、初めから乗って参りは済まいが……。
ふん、潮時か? なれど今少し、時間を稼ぎたいところよ)

瑣末(さまつ) 重要でない、小さなことであるさま。些細(ささい)。
誠直(せいちょく) 偽りのないこと。誠実で正直なこと。また、そのさま。
能(あた)わず ~することができない。
凌駕(りょうが) 他をしのいでその上に出ること。
然(さ)のみ それほど。たいして。
暗愚(あんぐ) 道理がわからず賢さに欠ける・こと(さま)。おろか。