~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

7.封印解呪(2)

「おめでとう、リオン。解呪は成功したよ。自分の姿を見てみるかい?」
魔族の王子は、笑顔で子孫を祝福した。
「あ、は、はい、……お願いします」
サマエルが、ぱちりと指を鳴らすと、目の前に、等身大の鏡が現れる。
リオンは息を呑んだ。
「こ、これが、……ぼくの、真実の姿……」

鏡に映し出されたリオンの姿は、全体的には人間に似ていた。
元の姿とはかけ離れた怪物──たとえば龍など──に、変身してしまうのではないかと危惧(きぐ)していた彼は、一応は安堵した。
「へー、なかなか男前じゃん」
フェレスが口をはさむ。
しかし。

「……でも、やっぱり、角とか翼があるんだなぁ。
仕方ないか、魔族だもんね……」
彼の額と背中には、サマエルのものにも似た短い角と、コウモリそっくりの黒い翼が生えていたのだ。
白い角に、そっと触れてみる。それは意外にすべすべしていた。
「眼も、元は茶色だったのにな……」
そして彼の瞳もまた、その色調を変えていた。

「それは朱色、ヴァーミリオンか。
おそらく、お前は生まれたとき、その色の瞳をしていたのだろう。
それでお前の母は、リオンと名付けたのではないかな」
サマエルが言った。
「ああ、それでさっき“朱の龍”って……」

「“龍”というのは、神族が我らにつけた異名(いみょう)だよ。
龍は“悪の化身”だと、ヤツらは思っているらしい。
私達は、何と呼ばれようと別に構わないから、みずからそう名乗ったりもする。
なかなか、いい響きだしね。
私は“紅龍”、そして現在の魔界王、兄タナトスは黔龍(けんりゅう)王と自称している。
これは“黒い龍の王”という意味だよ。
そうだ、右手はどうなっているかな?」

「え……あ……あれ!? 痣が……ない!?」
リオンは、何度も手を裏返してみたが、さっきまで、あれほど鮮明に見えていた龍型の痣は、どこにもなかった。
「これって、封印が解けたから……ですよね?」
サマエルはうなずいた。
「その通りだ。しかし、このままでは、いつなんどき、魔力が暴発しないとも限らない。
先ほどの呪文も、多少(まぶ)しいと感じる程度ですんだからよかったものの、下手をすれば、全員の視神経を焼き切りかねなかったのだよ」

「ええっ!?」
リオンの背中に、じわりと嫌な汗がにじみ出て来る。
「私でさえ、力の制御は難しい。
念のため、お前の力も、もう一度封印しておこう。手を貸して」
「は、はいっ」
彼は急いで右手を差し出す。

「──目覚めし龍の末裔(まつえい)よ、我が血脈を継ぎし者よ、“カオスの貴公子”たる我、ルキフェルが汝に贈る、“紅龍の紋章”を受納せよ。
──ファンズ・エト・オーライゴウ!」
サマエルが唱えると、再び彼の手に、紅い龍の姿が、色鮮やかに浮かび上がって来た。

「あ、また、出て来た!」
「封印したと言っても、普通レベルの魔法は使えるから、心配いらないよ。
これを解呪する呪文は、他人に知られないよう、お前の頭に直接植え込んでおいた。
お前が窮地(きゅうち)に立たされたとき、おのずと思い出すだろう」
「あ……ありがとうございます!」
リオンは深々と頭を下げ、うれしそうに龍の紋章を眺めた。

「ところであなた、本当はいくつなの? この間は、はぐらかされたけど」
フェレスが、またも口を挟む。
リオンの変化は、眼や角だけではなかったのだ。
身長がかなり伸び、顔も大人びて、十五、六歳の外見が、二十五、六歳くらいに見えるようになっていた。

(ついに、この時が来ちゃったな……。
これで、彼女はぼくのこと、もう友達だとも思ってくれないかも知れない……。
でも、言わなくちゃ。これ以上、本当のことを隠してるのは、もう嫌だ)
リオンは覚悟を決め、それでも、直接見ることが出来ずに、鏡に映った王女に話しかけた。

「……あのね、ライラさん……。
あなたに、年を聞かれたとき、ぼくは逆に、いくつに見えるか聞き返したよね……覚えてる?」
「え、ええ……それで、わたしは、十五か六くらいかしら、と答えたわ。
それがどうか?」
ライラは不思議そうな顔をした。

「あなたを(だま)すつもりはなかった……けど、ぼくは、いつも、相手にいくつに見えるか聞いて、言われた年相応に振舞う癖がついてたんだ……。
なぜかっていうと、ぼくは、いつの頃からか、年を取らなくなって……それで、母さんは腕のいい魔法使いだったのに、あんな砂漠の外れにしか住めなくなってしまってたから……。
──だから……ぼくは……ぼくは、十五歳じゃないんだ、ぼくは子供でさえない!
ぼくの本当の年は、百五十歳なんだよ! 母さんが死んだのも、もう百年も前のことなんだ!」

「ええっ!? 百五十歳……? まさか……そんな……」
ライラは顔色を変えた。
彼女は、リオンの外見が変わったときよりも驚いたように見えた。
「……ご免。もっと早く言えばよかったね。
でも、初めて会ったときにそう言っても、信じてくれなかったでしょう……?」 

「そうだったの。それが、昨日言いたかったことなのね?」
「うん……。
それに、百五十年も子供のままだなんて、人間じゃない化け物だって思われてしまいそうで、言えなかった……。
けど……やっぱりぼくは、人間じゃなかったんだな……。
ぼくは……どうして他の皆と違うんだろう……ってずっと……思ってた……」
リオンは天を仰いだ。

「そんな、化け物だなんて思わないわ、前に言ったでしょう? ずっとお友達よって」
「そ、そう……だね」
王女の言葉が落ち込みに拍車をかけ、リオンはうなだれた。
そんな彼に、サマエルが声をかけた。
「お前は成長が早いのだね、リオン」
「えっ!? 成長が早い!?」
驚いたリオンは顔を上げ、先祖を見た。

「そうだ。魔族は通常、五百年以上経たないと、人間の十五歳くらいには見えない。
百五十と言えば、少年の時のダイアデムよりも小さい子供……人間で言えば十歳くらいかな、それぐらいの年齢に当たるのだよ。
知っていると思うが、私は二万年以上生きている。フェレスは私の約三十倍、ケルベロスでさえ、千五百歳ほどだ。
……混血が進み、魔族の血が薄れているからかな。そんなに成長が早いと、寿命も短いのだろうか……」
魔族の王子の視線は、宙に彷徨(さまよ)っていた。
「ええっ、ま、魔族って、そんなに長生きなの……!?」
彼らの年齢を初めて耳にしたライラは、気が遠くなりそうな顔をしていた。

すると、突然、彼らの背後で眩い光が輝き、重々しい声が響いてきた。
『左様なことはあるまい、混沌の貴公子、ルキフェルよ。
()の者の精神の力……成熟を願う強い“意志”が、成長を促したのだと考えるが妥当(だとう)であろう』
紅く燃え上がるたてがみを揺らし、闇の中から、魔界の獅子がゆっくりと歩を進めて来る。

「きゃっ!」
小さな悲鳴を上げて、ライラはリオンにすがりついた。
「ライラさん、大丈夫だよ。ダイアデム……じゃなかった、えっと……シンハだったっけ?
ほら、昨日も会ったでしょ?」
「……あ、そ、そうね、ご免なさい。急だったから、ちょっとびっくりしただけ……」
そう言いつつも、王女は彼にしがみついたまま、離れようとはしなかった。

『動転させてしもうたか。相済まぬ、王女よ。
さりながら、成年に達した魔界王家の者は、(いにしえ)より伝わる儀式を、かくのごとき風姿(ふうし)の我と()り行わねばならぬ。
童子の風采(ふうさい)は、一万二千年前、獲得せし新しきものゆえに』
紅い眼に金の炎を燃え上がらせたライオンは、深みのある声で言った。

「……その姿じゃないと、儀式が出来ないということね?」
御意(ぎょい)
シンハは、炎のたてがみを揺らして同意し、ライラは、そんな魔界の獅子をまじまじと見つめた。
「でも、本当に不思議ね……。
こうして見ていると、魔界の人達って……色々な意味で、わたし達とはまったく違っている、それが実感されるわ……」

彼女の言葉が、リオンの心に重くのしかかる。
悲しい思いが心に満ちていくのを感じながら、彼は先祖に尋ねた。
「その……儀式って、どんなものなんですか? サマエル」

「“忠誠の儀”と呼ばれるものだよ。
本来なら、成人を迎えたとき行う儀式なのだが、お前はもう、受けても構わないだろうし、またこれを受けることで、魔界王家を守護する“焔の眸”は、お前をも守ることになるのだ」
(ああ、シンハとのことがあったから、早目に儀式を受けさせることにしたんだな……)
リオンはそう理解した。

「では、手早く済ませてしまおう。
リオン、こちらへ」
「はい。……一人で大丈夫? ライラさん」
「ええ、平気よ」
彼は、うなずく王女を残し、前へと進み出た。
炎の獅子も、同じようにサマエルの前に出る。
それから、ライオンは向きを変え、リオンと向かい合った。

「まず、シンハのたてがみに手を置くのだ。
……大丈夫、彼が相手を受け入れている時には、たてがみは熱くないよ。
それから、私の後に続いて誓いの言葉を述べれば、儀式は完了する。簡単だろう?」
「は……い」
彼は、恐る恐る手を伸ばし、魔界のライオンのたてがみにかざしてみたが、たしかにめらめらと燃え上がっているにもかかわらず、まったく熱さは感じられなかった。

「──“永遠の忠誠を誓え、『焔の眸』よ……”」
彼が手を置くのを待ち、サマエルは誓詞(せいし)を述べ始めた。
「“……汝は魔界の王位の象徴なり。
永久(とわ)なる忠義を誓うならば、我らは汝を魔界の至宝となし、未来永劫(えいごう)、汝を(もっ)て魔界を治めん。
我は、魔界王家の血を受け継ぐ者なり”」
リオンが、すらすらと続けたので、珍しくサマエルは驚きを(おもて)に現わした。
「なぜそれを……!?」

「母さん……いえ、母が、記憶を植えつけてくれていたようです。
きっと、こんな時が来るのを、予知していたんでしょう。
あなたに会えて、無事封印が解けたら、必要になると……」
「そうか、私が子や孫に教えた誓詞(せいし)を伝えてくれていたのだね」

『永久なる忠節を誓約致そう、“朱の貴公子”プリンス・オヴ・ヴァーミリオンよ。
汝が魔界王となるならば、我が本体である“焔の眸”が埋め込まれた“王の杖”を以て、魔界を治めるがよい』
王権の象徴である“焔の眸”の化身は(おごそ)かに答え、ぶるっと体を震わせた。
燃え盛る紅いたてがみから火の粉が飛び散るものの、それにもやはり熱はない。

数多(あまた)の名を持つ“貴石の王”、魔界における至宝“焔の眸”よ。汝の忠義、嘉納(かのう)せり」
リオンは、記憶に植え付けられた作法通りに答えを返し、ライオンの濡れた鼻面にキスした。

「よし、これで儀式は終わりだ。本来は成人の儀と一緒に行なうので、もう少し物々しいのだがね。
それにしても、お前の意志の力は素晴らしいな。
シンハの言う通り、その大人の体は、お前がこうありたいと願う理想の姿なのだろう」
魔族の王子は満足げに言った。

『しかも、汝は、ルキフェルに瓜二つ。生き写しと申してもよいほどだ』
「え? そんなに似てる?」
リオンは再び、鏡を覗き込んだ。
「誰が見ても血縁だと分かるね、これでは」
サマエルは、彼の隣に立った。

そうして並ぶと、一目見ただけでは区別できないほど、二人の容貌は酷似していた。
違うのは背の高さ……リオンが少し低い……それと眼、髪の色くらいなものだった。
「やっぱりね。最初見た時、サマエル様かと思ったもの」
ライラは幾度もうなずいていた。

『それゆえ王女は、ルキフェルに()せられたのであろうよ』
シンハの口調は、何もかも分かっているといった風だった。
「えっ、それはどういう意味ですか?」
ライラは驚いて聞き返した。

『これは我の憶測に過ぎぬが、汝は当初より、リオンに()かれておったのであろう。
なれど、彼の者の外貌(がいぼう)は、おのれの弟よりも年若き子供……それに引き換え、ルキフェルはすでに成人致しておったがゆえ、恋人としての条件を満たしておった。
つまるところ、汝は、リオンの成長した姿として王子を見、心惹かれていったのだ。
相違なかろう、王女よ?』
爛々(らんらん)と炎の瞳を輝かせ、シンハは言った。

途端にリオンの心臓がドキンと大きく鳴り、ライラは真っ赤になった。
「そ……そうでしょうか……。わたしには、よく分かりません……」
『王女ライラよ。眼を閉じ、心を静めよ。心眼にて物事を見るのだ。
おのれの心が、真実何処(いずこ)にあるかが、それにて判明致すであろう』

魔界の獅子の声は、神託を告げるかのように、厳粛(げんしゅく)な響きを帯びていた。

風姿(ふうし) すがた。容姿。風采。
風采(ふうさい) 外部から見た、人の容姿や身なりなどの様子。
誓詞(せいし) 誓いの言葉。
嘉納(かのう) 献上品などを目上の者が快く受け入れること。
外貌(がいぼう) [1]そとから見たありさま。外見。 [2]顔かたち。顔だち。