~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

7.封印解呪(1)

夕食の席に呼ばれたサマエルは、改めて“フェレス”を紹介した。
戸惑うリオンとライラの目前で、彼女は、女性から少年、そしてライオンに変化し、再び美女へと戻って見せた。
そして、“焔の眸”は、魔族の中でも非常に特殊な存在であり、形態ごとに精神と名前が異なるのだと説明されて、二人はどうにか納得した。

そうして、食事が始まってからは、皆一様に押し黙ってしまい、さすがのリオンも食は進まなかった。
夕食が終わる頃、彼は思い切って口を開き、ずっと続いていた、息づまるような沈黙を破った。
「あ、あの……サマエル、お願いがあるんですけど。
出来るなら、明日にでも、封印解いてもらえませんか?
待つのは、もう、耐えられない気分なんです……お願いします!」

サマエルは、隣に座ってお茶を飲んでいたフェレスと眼を合わせた。
“……本人がそう言うんだからいいんじゃねーか、サマエル”
“そうだね”
一瞬のうちに合意に達し、サマエルは答えた。
「私達は構わないが、かなり体力を消耗するのだよ、大丈夫かい?」
「はい。平気です!」

元気な返事を聞いて、王子の唇に笑みが浮かぶ。
「その意気だ。では、明日、()り行うことにしよう。
実のところ、解呪は早い方がいいと思っていたのだが、お前の体調や精神状態が心配だったのでね。
明日が楽しみだな。今夜は早くお休み」
「はい、よろしくお願いします!」
勢いよくリオンは立ち上がり、頭を下げた。

「いよいよね。頑張って、リオン」
ライラが彼に微笑みかける。
「うん。上手くいくように祈っててくれる?」
「ええ。きっと成功するわ」
「ありがとう!」
王女の笑顔に、希望が湧き上がるのを彼は感じた。

次の朝、リオンは、何もかも上手くいきそうな、浮き浮きとした気分で目覚めた。
不安が完全に消えたわけではなかったが、久しぶりにぐっすり眠ったことで、体の疲れはすっかり取れ、心も晴れ晴れとしていた。
ライラの心づくしの朝食をとり、体を清めて漆黒のローブに着替えると、いよいよ準備は整った。
四人は丸くなって手をつなぎ、封印を解くため地下へと向かう。

「……まあ、ここが地下室……?」
「あれ? 昨日のとこと大分違うね」
ライラとリオンは、驚きの声を上げた。
彼らの周囲には、地下にあるとは思えぬほど巨大な空洞が広がっていたのだ。

高い天井からは鐘乳(しょうにゅう)石が無数に垂れ下がり、下からも、竹の子を思わせる石筍(せきじゅん)がにょきにょきと生えている。
その中央の平らな場所に、ほのかに紅い光を発する魔法陣が大きく描かれており、少し離れたテーブルの上には、昨日リオン達が準備した道具類が並べてあった。
サマエルは、その中から、一目で年代物と分かる朱色の革表紙の書物と、陶器で出来た白い小ビンを手に取った。

「ここが一番広くて天井も高いから、封印を解くにはもってこいだ。
地下全体を結界で包み、さらに、魔法陣を描いて二重の結界を張っているし、リオンの力が外に漏れる心配はないと思うのだが」
サマエルの声が、洞窟内に反響する。
彼の手に“焔の眸”の精霊がすがりつき、甘えるように小首をかしげた。
「どうかしらね。あなたよりも、強力な魔力を持ってるかも知れないんでしょ?……」

フェレスの右眼は、リオンが幻惑されたときと同じく妖しく輝き、その動きにつれて、紫がかった紅い髪がさらさらと揺れ、甘い香りが匂い立つ。
ライラは、その姿をちらりと見、すぐ眼をそらした。
リオンは、心臓が口から飛び出しそうになっていて、さすがに今日は、彼女達の鞘当(さやあて)に気を回している余裕はなかった。

「大丈夫、危険なことにはならないよ、フェレス、リオン」
サマエルは優しい口調で言い、芝居が功を奏していることを確認して微笑んだが、その笑みは、理由を知らない者には、リオンを安心させるためものにしか見えなかった。

「始める前に、まず、深呼吸だな、リオン。そんなに緊張しなくても大丈夫だ」
「はい……」
リオンは言われた通りに、二、三度深く呼吸をした。
「これを塗ってから、魔法陣に入るのだよ」
「はい」

フードを後ろにはねのけ、素顔をあらわにしたサマエルは、小ビンの中身をリオンの額と掌につけ、自分にも塗った。
香油の(かぐわ)しい香気が漂う中、二人は魔法陣に入り、王子が本を開いた刹那、紅い瞳に闇の炎が宿る。
同時に、リオンの紅龍の紋章から紅い気が、陽炎(かげろう)のように立ち昇り始めた。
「あ……!」
反射的に、少年は、手の痣を押さえた。

「心配ない、お前の体の準備が整った(しるし)だ。始めるよ」
「は、はい」
「──我が名はサマエル、魔界王家の第二王子にして“紅龍”、“カオスの貴公子”、真の名はルキフェル、“光をもたらす者”なり。
ここなるリオンは、我が血の系譜(けいふ)を継ぐ者、今こそ、みずからの力に()りて封印を解き、真なる風姿を現せ。
目覚めの(とき)は来たり、覚醒せよ、朱の龍よ!
──メンズ セイナ イン コーパリ セイノウ!」

呪文の詠唱を終え、魔族の王子はリオンに向き直る。
すべてを飲み込むブラックホールのような視線が、再び彼を捕えた。
「リオン、私の眼をご覧。恐れずに、私を……魔力を受け入れるのだ。
さあ、手を出して」
「あ、あの、サマエル。朱の龍って……?」
「封印が解ければ、おのずとわかるよ」
「そ……そう……」

(僕の正体って……ひょっとして……)
一瞬ためらい、それから覚悟を決めて、リオンはサマエルの瞳を見つめた。
そしてゆっくりと両手を差し出す。
二人の手が触れあった刹那、以前とは違う、(みどり)の炎がリオンの体を包み込んだ。

 

「──!? うっ、うわあああああああ──────!!」
全身を駆け抜ける熱い衝撃に、思わず彼は叫び声を上げ、体を震わせた。
封印の紋章は輝きを増し、立ち昇る紅い気も、ますます強くなってゆく。
熱さが増していく右手を、リオンは左手でつかもうとしたが、体の自由も利かなくなっていた。

「あつ、熱い……て、手が……!
か、体……体が──燃える──!!」
「頑張れ!」
サマエルの励ましも、リオンの耳には届いていたかどうか。
彼は苦痛に身をよじり、魔族の王子から逃れようとしたが、二人の手は吸いついたように離れず、どうしても振りほどけないのだった。

「い……嫌だ……熱いよ、痛い、手を放して……!」
「今は放せない、耐えるしかないのだ、封印を解くために──封印を解きたいのなら!」
魔法陣が明滅を始め、それが徐々に早くなる。

「だ、駄目だ……! もう……もう耐えられない────っ!!」
叫んだ瞬間、リオンの体から朱色の火柱が吹き上がり、魔法陣の結界を破って、鍾乳洞の高い天井に激突した。
彼の力は、指向性もなく、ただ無闇に暴れ回って天井や壁に突き当たり、そのたび地下全体が不気味な音を立て、揺れる。
パラパラと、小さな岩の欠片が落ちて来始めたと思うと、鋭く尖った鐘乳石が、雨のように降り注ぎ始めた。

「──カウンタアクト!
サマエル! まずい、このままじゃ鍾乳洞が壊れるわ!」
ライラをかばって結界を張りながら、フェレスが叫んだ。
「手を貸してくれ、フェレス!」
「分かってるって!
ライラ、結界くらいは自分で張れるよな? オレはサマエルに加勢してやんなくちゃなんねー。
悪いけど、自分の身は自分で守ってくれ」
フェレスは女言葉を忘れ、いつもの口調で言った。

「ええ、わたしは大丈夫です、早くサマエル様を手伝ってあげて下さい!」
ライラも、これまでの反目は忘れてそう答えた。
「よし!」
フェレスは結界を消し、魔法陣のそばまで走っていき、掌を広げて交差させた。
「──イクスペル!」
紅い光線が、きしむ周囲の壁に向かって放出される。
それは、リオンの体からほとばしる火柱から鍾乳洞を守り、支えた。
フェレスの紫のドレスと髪が、魔力の放出に伴って激しくたなびく。
「……くっ……! な、なんて力だ……つ、強過ぎる……!
たしかにサマエルといい勝負かも……。
──おい、まだかよっ! 今のオレじゃ、あんまり長くはもたねーぞ!」

「もう少しだ、フェレス、踏み留まってくれ……!
リオン、拒んではいけない。魔力とは“想う”力、精神の力だ。
これは、魔族であるお前の一部、いや、すべてと言ってもいい。
お前が、自分自身を認めない限り、魔力はお前のものとはならないのだ……」
サマエルの邪眼の輝きが増すと、青白い炎が体からあふれ出し、彼とリオンを取り巻いて、激しく燃え上がった。

それでも、リオンの力の暴走は変わらず続き、フェレスが支えているにも関わらず、地下は揺れ続ける。
「きゃああっ!」
そのとき突然、ライラの真上の天井に亀裂が入り、巨大な岩の(かたまり)が落下を始めた。
王女の弱い魔力では、これほど巨大な岩を防ぐことは出来そうにない。
「く、くそっ! ライラ!」
フェレスは叫んだが、今、気を抜けば、鍾乳洞全体が崩落する恐れがあった。
「しまった!」
サマエルもリオンを支援するのに精一杯で、大岩の落下を阻止することも、破壊することも出来ない。

「──ライラさーんっ!!」
リオンが絶叫したとき、それまで制御出来ずにいた力が、突如、彼の意思に従い、向きを変えた。
「そうだ、いいぞ、リオン! 彼女を守れ!」
サマエルの励ましに後押しされるように、朱色の火柱は勢いをさらに増し、大岩目がけて突進していく。
ライラを助けたいという一念が、迷うリオンに力を与え、魔力の制御法を会得(えとく)させたのだ。

「行けえ──!」
リオンが拳を振り上げると、ついに、彼の魔力は巨岩に到達し、それを粉々に打ち砕いた。
「やったな」
「そうだね。
──セーブル・ヴェイル」
サマエルはフェレスとうなずき合い、破片を防御する。

「ライラさん!
──カウンタヴェイル!」
リオンは、四方八方、雨あられと降り注ぐ岩の鋭い欠片をもろともせず、衝撃で飛ばされた王女に駆け寄り、結界を張った。

もうもうと砂煙が上がり、しばらくの間、すべての視界をさえぎる。

「……ううん……」
ライラが気づいたとき、魔法陣の紅い輝きは消え、周囲は闇に閉ざされていた。
「わたし……そうだわ、助かったのね……。
ああ、リオン、どこにいるの……? 暗くて何も見えないわ……」
「しっかりして、ライラさん!」
声と同時に、彼女の手は温かいもので包まれた。
「誰? リオンなの? これはあなたの手ね?」

「うん、そうだよ。でも、そんなに暗い? ぼくには、あなたの顔もはっきり見えるけど。
あ、そうか、封印が解けて魔族になったんだね、ぼく。だから、暗いところでも見えるんだ。
じゃあ、もう魔法も使えるはずだな、やってみよう」
声の主は、ついさっき、自分が結界を張ったことには気づいていないようだった。
「ええと、何だっけ……灯りだから……。
──グリッティ!」

その途端、眩しい光が洪水のように、辺りにあふれ返った。
「うわっ!? な、何!?」
慌てるリオンに向けて、フェレスの声が飛ぶ。
「バカ! もちっと弱くしろ!」
「初めは弱く、徐々に強くしていくんだ」
サマエルが手をかざしながら、付け加えた。
「あ、う、うん……ご免、皆。ちょっと眼をつぶってて」
リオンは、まだそれほどうまく、力を制御出来ないでいる様子だった。

「……これ以上弱くすると、消えちゃいそうだ。加減ができないや。
でも、さっきよりはましかな。
もういいよ、皆。ライラさん……も……」
その声に、王女は恐る恐る眼を開けた。
しかし、自分の目の前にひざまずく相手を識別出来ず、幾度も瞬きを繰り返す。
「あ……あなたは誰?……」

「えっ? ぼ、ぼくが分からないの、ライラさん!? リオンだよ!
ぼく、そんなに変わった!? どうなっちゃったんだ……!?」
リオンは面くらい、焦って自分の体を触りまくった。
ライラは息を飲んだ。
「ま、まあ、本当にリオンだわ……でも、……」
サマエルが言った通り、彼の姿は変化していた。