~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

6.真実の姿(5)

「ライラさん、あの……」
リオンはライラに、恐る恐る声を掛けた。
「行きましょう、リオン! お食事を作らなくては!」
彼女はくるりと皆に背を向け、怒りに任せて部屋を出てゆく。
「あ、待って……」
リオンは、二人に向かって軽く頭を下げ、王女の後を追った。

キッチンに着くと、彼女は、すでにエプロンを身につけていた。
「ラ……ライラさん、えっと……」
「リオン、皮むきお願いね。今夜は、シチューにしましょう」
「う、うん……」
ジャガイモと包丁を渡され、料理を手伝う彼の心境は、複雑だった。

一人では告白もできない子供だと、サマエル達は思っているのだろう。
だからこそ、先ほどのように手の込んだ芝居をしてまで、彼女が、サマエルを諦めるように仕向けてくれたのだ。
彼らの好意をありがたく思う反面、王女には弟のようにしか思われていないという純然たる事実、さらには、自分がどんな変身を遂げてしまうかも判らない……こんな今の状態では、思いを告げることなど出来るわけもない。
しかも、王女には話していないことがもう一つあり、それを思うと、リオンは一層、気分が沈んだ。

「ライラさん……ご免ね……」
色々考えているうちに、思わず声が出た。料理を作る手を止めて、ライラが振り向く。
「どうしたの、リオン。何か失敗した?」 
「そ、そうじゃなくて、ぼくはまだ、あなたに言ってないことがあるんです……。
でも、封印が解けたら必ず言います。だから、その時は、聞いてもらえますか?」

「どうしたの、改まって。今ではいけないのかしら?」
王女は不思議そうに聞き返してくる。
「いえ……今は……とても言えない……。
ぼくの真の姿……魔族になったぼくって、一体どんなだろう……って思うと。
ぼくは一体、どうなってしまうんだろう、って考えると……怖くて……」
彼は、震える自分の手を凝視した。

「リオン、わたしなら……」
言いかける彼女を、リオンは荒っぽくさえぎった。
「──だってぼくは、魔界王の弟の血を引いてるんだよ!
サマエルも、魔界にいる時は、全然別の──どんな姿か分かんないけど──をしてるはずなんだ!
覚悟してても、ショック受けるはずだよ、ライラさんも!」

まくしたてていた彼の声は、そこで一気にトーンダウンした。
「……ああ、そうか。
もし、人界にいられないような姿なら、魔界に行けばいいんだね……ぼくは人間じゃない……魔物なんだもの……」
「そんな! せっかくお友達になれたのに!
わたし、姿なんか気にしないから、ずっとお友達でいましょう、ね?
リオン!」
彼の心を知らない王女は、無邪気に言ってのける。

その言葉に傷つき、リオンは唇を噛み締めた。
(……“弟”に、“友達”か。やっぱり彼女は、ぼくのことなんか……)
情けないと思いつつも、瞳がうるんでくる。
涙がこぼれないよう、彼は幾度も眼を(しばた)かせなければならなかった。

「そんなに悲しそうな顔をしないで。わたしは平気よ、あなたが魔族になっても」
「……うん、ありがとう……。
さ、早くご飯の支度をしなくちゃ。お腹ぺこぺこだよ、ライラさん」」
落ち込む気持ちを引き立たせようと、リオンは勢いよくジャガイモの皮をむき始めた。

「おい、もーいいだろ? いい加減離れろよ、サマエル。暑苦しい!」
ライラとリオンが出て行った後、まだ抱きしめられていたダイアデムは、サマエルを押しのけようとした。
「そう言わず、せっかくだからもう少し、このままでいてくれないか?」
哀願するような王子に向かい、彼女は邪険に言い放つ。
「嫌だ。さっさと放せ!」

「……明るくなったら冷たいねぇ。昨夜はあんなに……」
言いながらサマエルは、彼女の揺れ動く瞳の炎を覗き込む。
ダイアデムは真っ赤になった。
一言では到底表現出来ない、インキュバスの王子との一夜……を思い出したのだ。
永遠に明けないのではないかと思えるほど長く、そして、濃密な夜だった。
サマエルに触れられていると、どうしても記憶が(よみがえ)って来る。
彼女は、それを振り払うように首を振り、叫んだ。
「──う、うっせえーよ! 夜は夜、昼は昼だ! 
大体、明るいうちはべたべたすんな、って言っただろ!
相手してやんのは、暗くなってからだって!」
「……分かったよ」
サマエルは渋々手を離し、解放された彼女は、大きく伸びをした。

「あーあ、やっぱ愛人の真似事なんざ、ご免だぜ! 
恋仲の連中が、どーしてべたべたくっつきたがんだか、さっぱり分かんねーや!」
「恋人同士がいつも一緒にいたいと思うのは、当然のことだろう?」
未練たっぷりのサマエルには構わず、彼女はそっけなく話題を変えた。
「それよかお前、ホントは、リオンの真の姿を知ってやがんだろ?
──チェッ、左眼の魔力があれば、オレにも見えるはずなのにさ」

けんもほろろな態度に、小さなため息を漏らしつつ、王子は答えた。
「ああ、お前は見えないのか。彼は、無意識レベルで自分を遮蔽(しゃへい)しているからね。
魔力を封印されているというのに、素晴らしいな」
それを聞いて、ますます知りたくなったダイアデムは、甘え声を出した。
「なぁ~、見せてくれよぉ、サマエルぅ」
「女言葉を忘れないで欲しいな」

「あー……っと……わたくしにも、見せて下さいませ、サマエル様。
これでいいんだろ? 早く見せろよぉ!」
勢い込んで彼女は言い、サマエルは気を取り直して、くすくす笑った。
「もう二、三日すれば判明することだろう? 焦らなくとも」
「ケチ! 今、見たいんだってば!」
「……やれやれ、気が短いね」
そう言いながらもさほど嫌がる風もなく、彼はダイアデムの額に二本、軽く指を当て念を送り込む。

「へええ……! なーるほどねぇ、ああ、だからか……ふうん……」
宝石の化身は、送られて来るそのイメージに、思わず感嘆の声を漏らした。
「……こういうわけだから、彼らがうまくいかないはずがない。
そうは思わないか?」
「んー……? わっかんねーなぁ。オレ、恋愛ってヤツは得手じゃねーんだ」
肩をすくめるダイアデムに、サマエルはからかうような視線を向けた。
「ほら、また忘れたね」

「う──っ、もー、恋人ごっこなんてやめよーぜ!
オレに嫉妬するくらいなんだから、ライラもリオンのこと好きなんだしよぉ」
「駄目。彼女が彼を受け入れるまでは、お芝居を続けるという約束だろう?
約束は最後まで守ってほしいな」

そこから急に、サマエルの口調がガラリと変わり、嫌味っぽくなった。
「……それにしても、正直意外だったよ、魔界王になれなかった私などより、若く、将来もあるリオンの方がいいとはねぇ……」
「えっ?」
ダイアデムは眼を見開いた。

「さっき、リオンにそう言っていたろう? 王妃にしてくれとか、何とか」
「え……あ、いや、あれは勢いで言っちまっただけだ、別に、お前よりヤツがいいなんて思ってねーよ!」
顔を紅くして、ダイアデムは弁解する。
「本当に?」
「ホ、ホントだって! 芝居なんだからさ、そんくらい言わねーと効き目ねーって思ってさぁ。
な、分かるだろ? それに、オレに比べりゃお前だって、鼻たれ小僧みたいなもんなんだしよ……」

「おやおや、今度はこの私を、鼻たれ小僧扱いするつもりかい?」
サマエルは、さらに突っ込む。
「だ、だから、その……オ、オレの口の悪さは知ってるだろ、ご免ってば……。
許してくれよぉ、気に障ったんなら、この通り謝るからさぁ……」
「謝るなら、女言葉を使って」

「えっ、またかよぉ。な、なんて言やいーんだ? えっと……。
わ……わたくしの……く、口の悪さは……えと、ご存じでしょう?
ですから……えと……お許し下さい……かな?
──あーもー、めんどくせー! お前って時々、すんごく意地悪だな!」

ダイアデムは、もうしどろもどろだった。
あまり人と接する機会のなかった彼女にとって、女言葉は、知っている表現も少なく、すぐ言葉に詰まってしまう。

「タナトスほどではない、つもりだが?
それに、いくら本当のことでも、ライラに対する態度はよくないな」
「う……ご、ご免」
「それは許そう。けれど、約束はきちんと守ってもらわないとね」
澄ました顔で言って来る、魔族の王子の方が、彼女より一枚も二枚も上手だった。
宝石の化身は、大げさにため息をつき、頭を抱え込んだ。
「はあぁ。オレ、もーダメ。あんな約束するんじゃなかった……!」

「では、気を取り直して練習を再開しよう。今朝よりもかなり上達したよ。
そうだ、忘れるところだった。その姿に、新しい名前を付けてあげようと思っていたのだよ」
サマエルは楽しそうに言った。
「げっ、名前!?」
ダイアデムは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「そう。女性名で呼ばれれば、人格固定に役立つと思って」

「な……なんでわざわざ? こりゃ、今回だけの仮の姿なんだろーが!」
彼女は、自分の胸をバンと叩いた。
「せっかく美しい姿なのだから、すぐ消してしまうのはもったいないよ。
ライラが納得してからも、時には女性になって私の眼を楽しませてくれないかな。
気が向いたときだけでいいから……」

「お前、弱みにはつけ込まねーとか言って、まだ強要すんのか?」
露骨に嫌な顔をする美女に、サマエルはすがるような眼差しを向ける。
「強要などする気はない、気の向いた時に、と頼んでいるだけだよ。
どうせわずかな間だけしか、一緒にいることはできないのだから、これはお願いだ。
ほんの少しの思い出でいいから、残していっておくれ……」

「で、でもよ……」
「それでね、お前の名は“フェレス”と言うのはどうかな……」
ダイアデムの心は揺れたものの、その名前を聞くと思わずカッとなってしまう。
「そりゃ“猫”って意味じゃねーか!
オレは猫じゃねーって、散々言ってンだろーが!」

王子は肩を落とした。
「駄目かい? 色々考えた中でも、一番素敵な響きだと思ったのだが……。
お前が魔界に帰り、淋しい独りの暮らしに戻った後でも、この名を口にすれば、その美しい姿を思い出して、少しは気が晴れるかもしれないとね……。
それに、これは、我ら魔族の古代の種族名……古式ゆかしい名前だよ」

遥かなる太古……魔族達は、神族が侵攻してくる前まで住んでいた地……現在の“天界”を、緑の沃野(よくや)“ウィリディス”と名づけ、自分達のことを“猫”を意味する“フェレス”と呼んでいた。
それは、彼らの共通先祖が猫に近いものであり、明るいところでは瞳の虹彩(こうさい)が、猫そっくりに縦長になるところに由来している。
当時、亜熱帯の気候に居住していたことから、フェレス族の髪は漆黒で、肌も浅黒かった。
しかし、瞳以外はほぼ人間に近く、現在のように爪や牙、翼などを持つ禍々しい外見はしていなかったのだ。

ダイアデムは、サマエルの表情に、かつての……王子として生まれながら、何の力も持つことが出来ず、愛されることに飢えていた孤独な少年の面影を見出して、胸が痛んだ。
(それもこれも、元はと言やぁ、オレらのせいなんだしな……)

そう考えた“焔の眸”の化身は、仕方なく折れた。
「あーもう、勝手にしろ! 好きな名で呼べ、返事してやっからよ!」
「よし、決まりだね。
さて、それではフェレス、さっそく言葉のレッスンを再開するとしよう」
すぐに立ち直った王子に、彼女は唖然とした。
「? ? な、なんだよ、急に元気になりやがって!
あっ、そーか、さっきのありゃあ、得意の演技だったんだなぁ!?
畜生! まぁた騙されたぜ!」

サマエルは、にっこりした。
「別に騙したつもりはないが?
お前が女性らしくなってくれると思ったら、気分が上向きになっただけだよ。
さあ、始めよう」
「うっひゃーっ、マジ!? もう勘弁してくれってば!」

 ブログの方で、紅龍の夢の設定や、人物設定の裏話を書いています。
 あとがきなどとダブることもありますが、興味がおありの方は、覗いてみて下さい。