~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

6.真実の姿(4)

杖が、ひょこひょこ踊るように進むその後を、ダイアデムは、何の躊躇(ためら)いもなくついて行く。
慌てて、リオンも後を追ったが、ものの一分と歩かないうちに、辺りは完全に闇に閉ざされ、つまずいて転んでしまった。
「痛てっ!
待ってくれよ、ダイアデム、何も見えないよぉ」

「あ、お前、まだ“闇の眼”を持ってないんだっけな。
……ったく」
ダイアデムは、忌々しげに歩みを止めた。
闇の中に、紅い眼が浮かび上がり、彼女の居場所を知らせる。
「ま、封印が解けりゃ、真の闇も従えられっけどな。
あ、そうだ、こいつ使お。
──混沌の貴公子、サマエルに仕えるミスルトゥワンドよ、貴石の王、“焔の眸”が汝に命ずる。
暗闇の(とばり)を開き、我らを導け。
──グリッティ!」

サマエルの杖は、命ぜられるままに淡い光を発し、彼らを照らす。
少年に戻っているだろうというリオンの予想は外れ、光に浮かび上がったダイアデムは、女性の姿をしたままで、彼を見つめていた。

紫の瞳が、光を反射して虹色に輝き、金色(こんじき)の炎が、その中で妖しく揺らめく。
今は片眼だけとはいえ、そのあまりの美しさに、リオンは思わず息をのんだ。
魔界の至宝の美しさは、やはり、闇の中でこそ際立つ。

(うわ、さすが、魔界の至宝と呼ばれるだけのことはあるなあ……!
焚火の灯りが、眼に映ってる時もすごかったけど、なんて綺麗なんだろう!
両眼そろっているところも見てみたいなぁ……)

彼の視線は、どうしようもなく彼女に吸い寄せられ、以前、その輝きを、禍々しいと嫌ったことも忘れ、炎の瞳を凝視し続けた。
同族の魔力に触れたことで少しずつ、彼の中で魔族の血が目覚め始めていたのだ。
ダイアデムは、昔から熱っぽい眼差しを注がれることには慣れていると見えて、わざと瞳の輝きを見せつけるように黙っていた。

ややあって、見られることに飽きたように彼女は言った。
「そろそろ行こうぜ。さっさと済ましちまおう。
まだ遠いのかよ? 杖」
その声にリオンははっと我に返り、杖は同意するように跳ねた。

ダイアデムは足取りも軽く、リオンは恐る恐る後を追い、書物数冊とローソク、小ビンや小さめの壺など、様々な魔法道具を持ち帰ったときには、かなりの時間が経過していた。

燭台の下で、魔法書を読んでいたサマエルは、二人に気づくと本を置いた。
「ご苦労様。そろそろ上に戻ろう。お腹が空いたのではないかな、リオン」
「いえ、ぼくはまだ……」
言った途端に、彼の腹はぐうと鳴った。

「ぷっ、くくく、腹の虫は正直ねー、あっはっはっは……!」
「そ、そんなに笑うことないじゃないか……!」
大声で笑うダイアデムを、リオンは恨めしげに見る。
彼女は、サマエルのいるところでだけ、女言葉を使うことにしたようだった。

彼らが食堂に戻ると、人待ち顔のライラが、長いすに座っていた。
「きゃっ……!」
三人が突然現れたことに驚き、王女は小さく悲鳴を上げる。
「あ、ご免、ぼくだよ、ライラさん」
彼女は、サマエルとダイアデムをちらりと見て躊躇(ちゅうちょ)し、結局、リオンに話しかけた。
「……でもリオン、一体どこへ行っていたの?」

「地下にいて、封印を解くための準備をしてたんだよ。気分はどう?」
「そうね、いいみたい。少し眠れたから」
「あ、そうだ。
あの、あのね……実は封印を解くとき、ライラさんはいない方がいいんじゃないかって、サマエルが……」

「ええっ、それはどういことなの?
サマエル様、わたしは仲間外れということ……ですか?」
王女に悲しげな視線を向けられても、王子は、眼を合わせようとはしなかった。
「ち、違うよ、えっと、その……」
言葉に詰まり、リオンもサマエルを見たが、彼は助け船は出さなかったし、ダイアデムも無言で、指に髪を巻き付けたりほどいたりしているだけだった。

「そ、そうじゃなくて、封印を解くと、ぼく、完全に魔族になっちゃうんだ。
どんな姿になるか分かんない……。ライラさん、ショックを受けちゃうかも……」
「まあ……」
ライラは一瞬、緑の眼を見開いたものの、すぐに言った。

「大丈夫よ。いくら外見が変わっても、リオンはリオン、そうでしょう?
それにわたし、この数日間で、何年分か分からないほどの驚きを体験してしまったから、ちょっとやそっとのことでは、もう驚かないわ」
「……ホントに……?」
不安げに尋ねるリオンの顔を真正面から見、ライラは言い切った。
「ええ、絶対平気よ」

「これで決まりね。ほら、言った通りでしょう?
でも、ライラ、覚悟しておいた方がいいわよ。
魔界の住人って、人界にいるときだけ、人間に近いカッコしてんだからさ」
「ダイアデム、余計なことは言わなくていい」
「ふーんだ」

サマエルにたしなめられ、ダイアデムが膨れっ面をすると、その顔には再び少年の面影が復活する。
しかし、すぐに(しと)やかな女性に戻ってリオンの手を取り、自分の頬に押し当てた。
「あなたの真実の姿が早く見たいわ、リオン。
どんな姿をしてようと、あなたはわたくし達の仲間よ。一緒に魔界に還りましょ」
「あ……ちょ、ちょっと、放して……」

真っ赤になり振りほどこうとする、純情な少年の反応を楽しむように、ダイアデムは彼の手を解放しようとはしなかった。
「ホント、ウブねぇ、かわいいこと。
……あら? ライラ、恐い顔して。どうしたの」

「その手をお放しなさい、ダイアデム。リオンは嫌がってるわ。
彼は、あなたとは違うのよ!」
ライラはその美しい緑の瞳を、怒りか、それとも、もっと別の感情で激しく燃え立たせ、彼女を睨んでいた。

ダイアデムは、サマエルに念話を送った。
“美人に睨まれんのも、たまには悪かねーな。
おっと、見とれている場合じゃねーんだった”
初めは渋々やっていたが、元々人をからかうのが大好きなダイアデムのこと、今はもう役者にでもなったような気分で、芝居を完全に楽しんでいた。

「どう違うって言うの? わたくしが、男になったり女になったりするから?
でも、彼だって、どんな姿になるか分からないのよ。
けれど、それが、彼の真実の姿……。
ま、魔界人のわたくし達なら、彼がどんな姿になったって構わないけどね。
あなたは、どうなのかしら、ライラ?」
「あ、あなたにはサマエル様がいるでしょう!? ゆ、昨夜だって……!」

「あーら、昨夜がどうかして?」
「えっ、そ、その……」
意地悪く聞き返され、ライラは頬を紅くして口ごもったが、
「キ……キスしていたじゃないの、あなた達! ベッドで抱き合って……!」
ついにそう言ってしまった。

「えっ? ええっ!? キス──!? ベ、ベッドで、抱き合ってえ──!?
って……ホ、ホントに見たの? 嘘でしょう、ライラ!」
そこは見ていなかったリオンは爆弾発言に驚愕し、彼女に“さん”をつけることさえ忘れた。
王女は、輝かしい頭を振り、つぶやくように答えた。
「嘘なんかじゃないわ……」

「で、でも……まさか、そんな……」
リオンの驚きにもめげず、ダイアデムは平然とした顔で彼を見返し、けだるそうに髪をかき上げた。
「あぁら、わたくしが、どうして、サマエルとキスしちゃいけないの? リオン。
どう思おうと勝手だけれど、わたくし達は、魔界にいた頃、五十年ばかり、一緒に暮らしていたこともあるのよ、うふふ」

「ご、五十年も……? やはり、あなた方は……」
「でもライラ、どうして昨夜のことを知ってるの?
あなた、ひょっとして、覗き見してたのかしら?
まあ、やぁだ。王女ともあろう者が、覗きだなんてぇ……!」
宝石の化身は大げさに肩をすくめる。
「ダイアデム、そんな言い方ないだろう、ひどいよ」
リオンが彼女をかばうと、うつむいてしまった王女のことが気の毒になり、ダイアデムは口調を和らげた。

「……そうね、偶然見ちゃったってこともあるわよね。
あの時はどうしようもなかったのよ。無理矢理サマエルが、力尽くでベッドに押さえ込むんですもの……。
彼は魔族の王子、何をされようと、逆らえる相手じゃないのよ。
だからと言っては何だけど、ホントは若いコの方がいいな、わたくし。
それに、リオンなら、サマエルがなれなかった魔界王になれるかも知れないんですもの。
ねえリオン、わたくしを王妃にして下さる? それがダメなら、……」

そのときだった、鋭い音が部屋に響いたのは。
「痛っ! 何するのよ、ライラ!」
王女が、いきなりダイアデムの頬を張ったのだ。
「ラ、ライラ……さん?」
リオンは眼を丸くした。

「いい加減にしてちょうだい!
リオンは嫌がってるって言ったでしょう!
そんな不潔な手で、彼に触らないで!」
「ふ、不潔だってぇ!? オレの手のどこが!」
痛みに思わずダイアデムは女言葉を忘れた。

「もうよしなさい、二人共」
サマエルが止めに入ると、ダイアデムは、わざとらしく彼に抱きついた。
「──あーん! ひどいのよ、サマエル! ライラがぶったのぉ!」
「自業自得だよ、ダイアデム。悪乗りのしすぎだ。
それにしても、人聞きの悪いことばかり言うのだね、お前は」

「──ふんだ! 何よ、文句あるの!?
全部ホントのことじゃない! 嫌だって泣いたのに、強引にあんなことしてっ!
こっちはダンナ持ちなのよ、マジに責任取ってよね!」
ダイアデムは、魔族の王子を睨みつけた。
サマエルは、ため息をついた。

「たしかに無理強いしたのは悪かった、謝るよ。
久しぶりに会えたうれしさで、つい我を忘れてしまったのだ。だから、もう許してくれないかな?
魔界にいた頃は、いつも夜を共にしていた、お前と私の仲だろう?
今さら、わざわざ断る必要もないだろうと思ってしまったのだよ。
だが、こうしていると思い出すね、あの二人だけで過ごした日々を……。
どんな夜でも、お前は美しかった……」

サマエルは、再び優しくダイアデムの背中に手を回し、彼女もすぐに機嫌を直した。
いたずらっぽく微笑んで王子を見上げ、芝居を続ける。
「分かったわ。許してあ・げ・る。
ふふ、そうね、懐かしいわ……。一体いくつの夜を、あなたと共に超えたのかしら……」

そんな二人を見つめるライラの瞳は、抑えようもなく震え、誰にぶつけていいか分からない苛立ちで、一杯になっているように見える。

さらに彼女に当てつけようと、ダイアデムはサマエルの胸に頬をすり寄せ、そうしながら、思念で話しかけた。
“見ろよ、どう見ても彼女、オレに焼きもち妬いてるぜ。
やっぱリオンが好きなんじゃねーか、心配する必要、なかったじゃん。
……あ、痛ってて。しっかし、彼女のビンタは効くぅ。
昔イナンナに、思いっきし引っぱたかれたのを思い出しちまったぜ……”

すると、王子は優しく彼女の頬に手を当てた。
「痛むかい?」
「ううん、もう平気」
「よかった」

“まあ、彼女は、自分の気持ちにまだ気づいていないようだが。
それも、封印を解けば気づくだろう、リオンの真の姿を見れば。
……やれやれ、これで一安心だな”
“めでたし、めでたしってトコか”

抱き合った格好のまま、密かに芝居が成功したことを喜んでいるサマエルとダイアデムの仲むつまじい様子は、本当の恋人同士のようだった。