~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

6.真実の姿(3)

ダイアデムは無言で頬杖をつき、サマエルの食事の様子を見ていた。
その右瞳が時折、濡れたように輝くのは、山に住む獣達が行う狩りによって大地に流されていく血を吸収しているからだった。

やがて観察にも飽きて、自分の髪をもてあそんでいたダイアデムは、ふと自分の胸に手を当てた。
「なあ、“これ”……で、ライラが諦めてくれるといいな」
「……そうだねぇ。
ともかく、彼女が諦めたのが分かるまでは、もう少し女性でいておくれ。冗談抜きでね」
「分かってる。
ライラも可愛そうだけど、これ以上問題が起きてしまうと、今度こそただじゃ済まないものね、サマエル、あなたが」
ダイアデムの表情は、いつになく真剣だった。

「もしかして、心配してくれているのかな? ダイアデム」
サマエルは微笑み、美女の紅い眼を覗き込んだ。
ダイアデムは頬を赤らめ、テーブルをたたいて立ち上がった。
「あーそーだよ! 悪いのか、オレが心配しちゃ!」

「また女言葉を忘れているね。
でも、ありがとう、うれしいよ。孤独な長の年月の後で、砂漠に慈雨(じう)をもたらす女神よ。
私を気遣ってくれるお前の心が、砂漠に緑をもたらす恵みの雨も同然に、私の胸に()み入って来る……」

「……ったく、よーくとっさに、んな歯の浮くセリフを考えつくよ!
だから、女は、お前みたいなヤローに引っかかるんだな!」
口をへの字にしたダイアデムが、音を立てて椅子に座り込んだ時、部屋の隅から声がした。
「ただじゃ済まないって、どうなるの?」
「お前、いつの間にっ!?」
ダイアデムは、心底驚いた顔で振り返った。

声を掛けて来たのは、リオンだった。
少し前に部屋に入って来ていた彼は、話の邪魔になってはいけないと、今まで大人しくしていたのだった。
「ご、ご免、おどかすつもりじゃなかったんだけど。
ぼくが入って来たの、気づかなかった?」
相手の意外な反応に、彼もまた驚いていた。

「……たく、猫みたく忍び込みやがって!」
ダイアデムは眉間(みけん)にしわを寄せ、ますます(けわ)しい顔つきになる。
「これこれ、美女が台無しだよ」
取り成すサマエルにも、彼女は噛みついた。
「うっせーな、オレは女じゃねーって言ってんだろ!」

「あなたは気づいてたんですか? ぼくが来たこと」
まったく動揺を見せずにいる先祖に、リオンは尋ねた。
「ああ、分かっていたとも。
だが、“焔の眸”が感知できないほど完全に、気配を絶つ術を心得ているとは、正直驚いたよ。
資質としては、かなり優秀だな」

「気配を絶つって……?」
「昨夜も、それをやっていたろう?」
取り立てて(とが)める風でもなく、サマエルは言った。

リオンは耳まで真っ赤になった。
「す、すみません。昨夜も、立ち聞きするつもりじゃ、なかったんですけど。
迷ってたら、ドアが開いてて……だから、つい……」
「謝らなくてもいいよ。聞かれて困ることもなかったしね」
常と変わらず、サマエルは穏やかに答える。

しかし、驚かされたダイアデムの方は、かなりむかっ腹を立てていた。
「まっ、盗み聞きが優秀な資質なわけ!? あきれたもんだわ!
いいわ、教えてあげる、ただじゃ済まないってのはね──」
「ダイアデム」
そのとき、静かな中にも威厳を感じさせる声で、魔族の王子が口をはさんだ。

宝石の化身は一瞬ひるんだものの、紅い瞳の強烈な輝きは静まらなかった。
「言わせなさいよ!
いつかは必ず知ることになるんだし、どっかのバカから聞かされるよりか、先に教えておいた方が絶っ対、いいはずでしょ!?」

美女に睨みつけられたことで、王子の笑みはかえって深くなった。
「その瞳は、感情の揺らぎに応じて輝きを増すのだな……。
怒っているお前も、なかなか美しいね、ダイアデム。私の炎の女神よ。
そうだな。私の口から告げるより、お前から言う方がいいかも知れないね」

ダイアデムの頬は、さらに紅さを増した。
「もー、バカ! それ以上減らず口をたたく気なら、引っぱたいてやるわ、まったくもう!
女神、女神って、そんな風に天界の女神も口説いたんでしょ!?」
「えっ、天界の女神?」
意外な話の成り行きに、リオンは眼をぱちくりさせた。

「──そうよ!
サマエルはね、女神と恋仲になったせいで、王位継承権を放棄する羽目になったのよ!
何千年も前の話で、ジルと出会う前のことだけど、あん時の大騒ぎは、魔界で今も語り草になってるわよ」
「そう。若気の至り、というところでね」
サマエルは、済んだことだと言いたげに、軽く肩をすくめた。

ダイアデムは、そんな彼にちらりと視線を送り、少し気を静めて話を続けた。
「よく聞きなさい、リオン。遥か昔から、天界と魔界は互いを敵視し、争って来てたのよ。
ま、元はといえば、神族が、元々魔族が住んでたウィリディス……今の天界にいきなり侵攻してきて、魔族を虐殺したことに始まるんだけど」
少年は悲しい眼をした。
「うん、その戦いのことは、ケルベロスにも少し聞いたよ。
でも、どうして、神族は、そんなひどいことしたの?」

「さあね。どっちにしろ、あれは戦いなんてものじゃなかった、一方的な殺戮(さつりく)よ。
初代の紅龍、モトが命を賭けてくれたお陰で、どうにか今の魔界に逃げ込み、魔族は絶滅から救われたんだけど。
でも、一万二千年前に、人界と魔界の戦いが起こると、ヤツらはまたも仕掛けて来たわ。
こっちは、もう余力がなかったし、仕方なく話し合いに持ち込んだら、天界は、“人界及び人間への干渉を禁ず”“破る者は処刑、もしくは天界に封じる”って掟を押しつけて来たの。
なのに、サマエルは、ジル……人間の娘と恋に落ちてしまった。
しかも、彼女は、天界が女神にしようと目星をつけてたコだったから、ヤツらは、もうカンカンになってさ……」

「目星をつけてた? でも、どうやって人間を女神にするの?」
リオンが口をはさんだ。
「簡単よ、天界に連れてって、女神の地位を与えるだけだもん。
神族ってさ、生殖能力が落ちて来てるらしくって。新しい血を入れようと必死こいてんのよ。
ホントのトコは、子供産ませるために、連れてこうとしてたんじゃない?
ねぇ、サマエル?」

魔界の王子はうなずき、賛意を表した。
「しかし、人族と神族とでは遺伝子的にうまくいかないようだ。
それに対して、魔族と人族の相性はいい。
これは、私達が人界を発見した後、近親婚を避けるため、人間との混血を積極的に進めて来た結果でもあるのだが。
表向きは禁止でも、密かに人族と魔族の間で婚姻する例は、私の他にもあるのだよ」
「……へー、そうなんだ」
リオンは思わず、自分とサマエルを見比べた。

ダイアデムは話を続けた。
「……で、神族は頭に来てはいたけど、さすがに、強大な魔力を持ってる二人を、力尽くで引き離すことは出来なかったの。
なんたって、ジル一人で、敵の将軍、ミカエルをぶっ飛ばしてたくらいだしね。
そこで、面倒な話し合いの末、元々追放処分に近い形でいたサマエルを、“今度こそ完全に人界に封じる”ってことで、話がまとまったわけ。
だから、もし、また掟に逆らってしまったら……どうなるか分かる? リオン」

彼は首をひねった。
「えーと……分かんないな、どうなるの?」
「そうね、タナトスは、サマエルの魔力を奪って汎魔殿……つまり魔界の宮殿の地下牢に押し込めて、毎日拷問して楽しむでしょうね」
「えっ、拷問!? なんで!? お兄さんなんでしょ、タナトスって!」
リオンは面食らって叫んだ。

「ああ、言ってなかったっけ、すっごく仲の悪い兄弟なのよ、こいつら。
でも、その方が、まだましかもしんないわね……。
もっとひどいのは、天界に連れていかれて、“光の檻”に入れられてしまうこと……。
魔界の住人は、闇なしには生きられない。でもサマエルは、人族との混血だし、混沌の貴公子でもあるし、強力な光の中にいても死ぬことはないわ……。
光の牢獄の中で、死ぬこともできず、永久にさらし者になるなんて……」
そこまで言うとダイアデムは身震いし、押し黙ってしまう。

サマエルが後を引き取って続けた。
「そういうわけで、我々は、お前達に直接手を貸すことは出来ない。
私にできるのは、封印を解き、力の制御法を教えることくらいだ。
ライラを守り、戦うことが出来るのは、お前だけなのだよ、リオン」
「はい」
リオンは真剣に答えた。

人間よりも遙かに長い寿命、そして強大な魔力……うらやましいとさえ思える、人間を超えた力……。
そして、魔界と天界との確執(かくしつ)
詳しく知れば知るほど、リオンは、サマエルや魔界のことを、さらに知りたいと思うようになっていた。
魔界王になるかどうかは、そうした知識を得た後でいいと思ったが、自分の力はどれほどのものなのか、彼にはあまり自信はない。

すると、彼の心を読んだように、サマエルが言った。
「初めは、多少、力を持て余すかもしれないが、制御出来るようになりさえすれば、何も問題はないよ。
……それと、解呪の場に、ライラは、いない方がいいかも知れないな」
リオンは眼を丸くした。
「えっ、なぜ、いてはいけないんですか?」
「封印解呪──それはお前が、魔族として生まれ変わることを意味する。
つまり、お前の“真実の姿”が現れることになるのだ。
変化し立ての姿を見て、彼女が、ショックを受けなければいいのだが」

「そ、そんなに変わってしまうんですか……?」
思わず心細くなった彼に、魔族の王子は首を振って見せた。
「解いてみなければ、何とも言えない。
とりあえず、ライラに話してみるといい。その場にいるかどうかは、彼女次第だ」
「……わ、分かりました、そうします……」

「いるって言うに決まってるけどね。
自分のために、皆が力を貸してくれるってときに、知らん顔するようなコじゃないし。
律儀なトコも、イナンナに似てる……」
ダイアデムは、椅子から浮き上がり、ふわふわと空中を漂い始めた。
「なあ、ライラがいないトコじゃ、男に戻ってもいーだろ?
こいつにゃ、芝居バレちまってんだしよぉ」

「もう少しの辛抱だよ、ダイアデム。それに、お前は、女言葉をもっと覚えた方がいいね」
サマエルが指を鳴らすと、ダイアデムの体は勢いよく床に落ちた。
「痛ってぇ! 何すんだよぉ、サマエル!」
「ちゃんと女性らしくしない気なら、約束は守らないよ」
「わ、分かりました、ちゃんとやりますからぁ、お願いー」
ダイアデムは慌てて態度を変えた。

「約束って何?」
「それはヒ・ミ・ツ。お前なんかに、教えてあげないわよぉだ!」
焦らすようにリオンに答えるダイアデムの眼は、つい昨日までの、いたずらっ子めいた少年の輝きを束の間、取り戻した。

「ちぇっ、ケチ」
「へへん……あ、いけね」
だがそれも、一瞬のことだった。
下を向いた彼女が、次に顔を上げたとき、その瞳は暗く沈み、夕暮れの紫の輝きを抱く宝石へと再び変化していた。

「ンなコトよか、準備始めた方がいいんじゃない?」
サマエルはうなずいた。
「そうだね。ライラの弟に気づかれないようにするためにも、結界の強化は必要だし、他にも準備がいる。
リオンにも手伝ってもらおう、勉強にもなるだろうしね。
さ、私と手をつないで」

言われるまま、二人は差し伸べられた手を握る。
前と同様、ひやりとした感触とは裏腹に、心の中には、何か暖かいものが流れ込んで来た。
(手が冷たい人は心が温かいって聞くけど、サマエルもそうなのかな……?)
「──ムーヴ!」
リオンが思う間もなく、三人は地下室に着いていた。

そこは、建物の中とはとても思えなかった。
魔法の燭台が、部屋のごく一部をぼんやりと照らし出しているだけで、壁も天井も深い漆黒の闇に沈み、見えない。

「く、暗いね……それに、すごく広いみたい……」
「ここは、山の地下全体に広がる鍾乳洞なのだよ。独りで遠くへ行かないようにね、迷子になるから」
その声も、木霊(こだま)がかかって不気味に響き渡り、たしかに、大きな空洞の中にいることを感じさせた。

「静かでいいわね。道理で、上の部屋が殺風景だと思った。こっちに住めばいいのに」
ダイアデムは、この闇の静けさが気に入っているようだった。
宝石である彼女は、こういう地下で、永い時を過ごしてきたのだろう。

サマエルの表情は複雑だった。
「上の家を造ったときにはまだ、時々お客も来ていたのだよ。
以前は、ここに部屋もあったのだが、壊してしまった。
こんな私でも、やはり、明るい日の光の中で目を覚ましたいのでね」
「ふうん……」

「さあ、始めよう。私の杖が案内するから、このリストのものを集めて来てくれ。
私は結界を強化して来る。
では、頼んだよ。
──ムーヴ!」
サマエルは、ダイアデムにメモを渡して姿を消し、入れ替わりに、宿木(やどりぎ)で出来た古い魔法の杖が現れた。