~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

6.真実の姿(2)

見覚えのある癖に気づいたライラは、思わず叫んでいた。
「ま、まさか……ダイアデム!? あなた、ダイアデムね!」
「大正解ー! その通りですわ、ライラ」
ダイアデムは、ドレスの裾を軽くつまんで、お辞儀をした。
その仕草は、少年だった頃の荒っぽい動きとは正反対に軽やかで、踊りの名手のように優美でさえあった。

「えっ……ええええ────っっ!?」
リオンは思わず声を上げ、それから眼をごしごしこすり、また開いてみる。
そうやって確認しても、目の前にいる女性は、たしかにダイアデムだった。

その背はライラより少し高くなり、無造作に束ねられていたぼさぼさの紅い髪は、今は少し紫を帯びて滑らかに背中へと流れ、仕草だけでなく顔つきも、すっかり大人びていた。
頬のそばかすも消えて肌は透き通り、形のいい唇は(つや)やかさを増し、そこに口づけたなら、熟れた(いちご)のような甘い味がするのではないかと思わせた。
そして、ことさら胸元が大きく開いたドレスを着ているため、陶器のように白く滑らかな胸の谷間が、嫌でも眼に飛び込んで来る。

「し、信じられない……けど、ホントに……ダイアデム…だよね……?」
リオンは再度、まじまじと女性の顔を見、ようやく、正体に気づかなかった理由に思い当たった。
女性らしい、豊かな胸になっていることもあったが、特徴あるダイアデムの眼が、昨日までのやんちゃでいたずらっ子めいた輝きを完全に失ってしまっていた、そのために、分からなかったのだ。
彼女の眼は、髪同様、紫を帯びて以前より少し暗く(かげ)り、それが瞳の炎をさらに妖しく引き立てて、どこか(なまめ)かしい風情を(かも)し出していた。

(へええ、ダイアデムって、何にでも変身出来るんだなあ。
それに……悔しいから言ってやらないけど……うん、すごい美人だ。
こいつ、元々、綺麗な顔をしてるから……)
“焔の眸”の人格変換を知らないリオンは、驚くと同時にすっかり感心して、ダイアデムの女性化した姿を見つめ、再び頬を赤らめた。

(あ、いけない)
それから、急いで朝食を再開する。
食事はとっくに冷めてしまっていたが、宝石の化身に釘付けになっている彼は、それに気づきもしなかった。

一方、ライラが声を出せるようになったのも、かなり時間が経ってからだった。
「あ……ダ、ダイアデム、あなた……は女性だったのですね……」
「男か女かなんて、どうだっていいじゃない、宝石には性別なんてないもの。
わたくしは、性別も年齢も自由自在……お望みなら、人間以外の姿も簡単よ。
この体、どうかしら? いいでしょう? これ、サマエルの趣味なのよ……うふふ」
口もろくに利けない王女の様子を満足気に見ながら、宝石の化身は意味深に笑い、悩ましげな仕草で髪をかき上げた。
そのとき、生まれて初めて装飾品を身につけた彼女は、首に当たる鎖をくすぐったく感じ、無意識に胸元のペンダントをいじった。

妖しい紅の中に星の輝きを封じ込めた、スタールビーによく似た煌き……みずからが持つ“瞳”よりも一回り小さい、その貴石に、王女の眼は吸いつけられた。
「あの、それ、その宝石……ひょっとして……」
「ええそう、前にあなたにもあげたわね。これは、昨夜こぼした、わたくしの涙よ。
だってぇサマエルが、無理矢理わたくしを泣かしたんですもの、ベッドの上で」

「ええっ!?」
「ぶっ! げほっ、げほっ!」
その意味ありげな言葉に、ライラは息が止まりそうになり、リオンは飲みかけのスープにむせた。

サマエルは、思わず額に手を当てた。
「おいおい……ダイアデム、わざわざそんなことまで言わなくとも……」
「だってぇ、本当のことじゃないのぉ」 
言いながら、ダイアデムは、つとサマエルに近づき、その胸にすがりつくと、彼を見上げた。
「あなたって、とっても強引なんですもの……。ま、そこがまた、イイんだけれど……」

(多分、これってお芝居、だよね……?
昨日、ぼくとライラをくっつけるとか何とか、言ってたもの。
でも、まさか、ホントに……)
リオンは戸惑いつつも、黙って成り行きを見守るしかなかった。

“お前と来たら……もう少し、言い方があるだろうに。
大体、子供に聞かせるような話ではないだろう……?”
心の声でやんわりと苦情を申し立てたサマエルに、ダイアデムは噛みつくように言った。
“ふん、なに言ってやがる、じゃあ、この手は何だよっ!
お前、ちゃっかりオレの背中に、手ぇ回してるじゃねーか!
べたべたされんの嫌だって、言っただろ!”

“我慢してくれ、演出だよ、演出。この方が自然に見えると思ってね”
“チェッ。──ったく、よく言うぜ。
オレが男でいるときと態度が違い過ぎんだよ、お前。
ホント、やんなるよな! もうやめよーぜ、こんなサル芝居!”
“駄目だよ、まだ始めたばかりではないか”

ダイアデムの抗議にもめげず、サマエルは笑顔で芝居を続けた。
「同じものを、私も持っているよ。
久しぶりの再会を祝して、ペアで作ってみたのだ、美しいだろう?」
彼は、胸元から、ダイアデムとお揃いのペンダントを取り出し、それにキスして見せた。
その宝石は、ダイアデムのとは逆に、透明な中に紅い星の輝きを秘めている。

昨夜の二人を思い出したのだろう、みるみるライラは蒼白となり、居たたまれなくなったように立ち上がった。
「わ、わたし、疲れが残っているようですわ、部屋で休んで参ります」「それはいけない、リオン、彼女を部屋まで送ってあげなさい」
「い、いえ、一人で行けますわ……」 
ライラは弱々しい声で首を振り、ふらふらとドアから出ていった。

「ライラさん! やっぱりぼく、ついて行きます!」
リオンはライラの後を追った。
(病み上がりの姫君には、ちょっときつすぎたかな……)
サマエルは、口の中でつぶやく。
少し後悔しているような彼の様子に、ダイアデムはカチンときた。

「おい、サマエル! いい加減この手離して、さっさとメシを食えよ!」「しっ! ライラに聞こえるよ。
それに、その姿でいるときはやはり、女言葉を使うべきだな、ダイアデム。
美人が台無しだよ」

“チッ、なぁ~にが『美人が台無し』だよっ!
けっ、女と見りゃあ、いっつもそー言って口説いてやがんだろ!?
ふん、生憎オレは、女じゃねーんだぜ! ま、男でもねーけどよ。
……あーあ、やっぱ、女の姿なんか創るんじゃなかったな。
お前の口車に乗せられるなんて、オレもヤキが回ったもんだ!” 

ダイアデムが心の声でブツブツこぼしても、サマエルは取り合わなかった。 
“しばらくは、その姿でいてくれる、という約束だろう?
私は、どうあっても、彼女に好かれるわけにはいかないのだから”
“ふん! 女みたく振舞やいいんだろ!
ちくしょう、何でオレが、ンなコトしなくちゃなんねーんだよ、──ったく……!”
「そう言わず、頼むよ。お前だけが頼りなのだ。へそを曲げないでおくれ」
魔族の王子のすがるような眼差しに、ダイアデムは、とりあえず女言葉は使ってやることにした。
「あー、もー、分かったわよ!
その代わり、わたくしの望みも忘れないでちょうだい、絶対叶えてよね!」
サマエルは表情を曇らせた。
「それは……もちろん忘れてなどいないが……万が一、それが現実となるようなことがあれば、お前は……。
今からでも遅くはない、他の望みでは駄目なのか……?」

悲しげに、紫の髪の美女は、かぶりを振った。
「ないよ、何もない。オレ……じゃなかった、わたくしには、欲しいものなんかないもの。
だって自分が飾り物なんだし、食べもしないし、寝なくったっていい……この姿を維持するために必要なのは、生き物の体から、死に際にあふれ出す血液だけ……。
金、富、名声……ンなもん、どーしてお前らが……いや、あなた方が欲しがるんだか分かんねーぜ。
いいじゃねーか、わたくしがいいって言ってんだから。
それが……自分の罪を自覚したときから胸に抱いてた、たった一つの希望、なんだから……」
言い回しこそ、男言葉と女言葉が混じったおかしなものだったが、彼女の表情は真剣そのものだった。

「……気が進まないね……。
そんな約束など、本当はしたくないのだが、お前がそこまで言うのなら……。
ここに至ってもまだ不安なのだね? それで、あんな望みを……?」
「…………」
問われて美女は、(うれ)いを帯びた顔で眼を伏せ、黙り込んだ。
その姿にサマエルは魅せられ、どうしようもなく視線が吸い寄せられていく。
(まるで、雨に打たれてしっとりと濡れた、可憐な薄紫の花のようだな……。
自分で創り出しておいて言うのも何だが、美しい……。
だが、口に出せば、ダイアデムはひどく怒るに違いない……黙って見ているだけにしよう……)
魔界の王子は、ひっそりと答えを待った。
ほどなく、宝石の化身は口を開いた。

『……長き年月に渡り、抱き続けし不安と申すものは、一朝一夕にては解消できぬものなのだ……。
“混沌の力”に見出されし王子よ』
その声はシンハとして出現したときの、あの重々しい響きの声だった。
サマエルは、背中に回したままだった腕を外した。
「そうか……。ならば、もう何も言わないよ、約束は守るからね」
「うん、ありがと」
安心して微笑む美女を、自分の向かいにエスコートして座らせ、サマエルはようやく、遅い朝食をとり始めた。