6.真実の姿(1)
窓から差し込む陽射しの
「……あ、あれ? ここ、どこだ……?」
とっさに、今自分がいる場所が分からずに、きょとんとした彼も、辺りを見回しているうち、ようやく昨晩の出来事を思い出した。
(そうだ、サマエルの屋敷に着いたんだっけ。
でも、すっかり寝坊したみたいなのに、他の人達もまだ寝てるのかな?)
大きく伸びをした彼の
「あ、なんだろ、いい匂いだ。どこから……?」
それは、隣の部屋から漂って来ていた。
ドアにそっと手をかけ、細目に開けてみる。
ふわっと湯気が立ち上った瞬間、リオンは息が止まりそうになった。
(か、母さん……!?)
「あら、おはよう、リオン。よく眠れた?
昨夜ここで、サマエル様に夕食を作って頂いたのよ。
だから、お礼も兼ねて、今日は、わたしが朝食をと思って」
そこには、レースのエプロンを身につけたライラがいて、彼に向かって微笑んでいた。
「あ、ライラさん。お、はよう……」
(バカだな、母さんはずいぶん前に死んだんじゃないか……。
あっ、そうか。彼女、母さんの服を着てるから、間違えたんだ)
「さっき、そらちを覗いたら、リオンが寝ているんですもの、ちょっとびっくりしたわ。
でも、あまり気持ちよさそうに寝ているから、出来てから起こそうと思っていたのよ。
もうすぐだから、お顔を洗いなさいな。タオルはここよ」
「うん」
リオンが顔を洗い、さっぱりしたところへ、食事は完成した。
「さ、頂きましょう」
「あ、せっかくだから、あっちで食べない?」
「そうね」
ライラは同意し、二人は出来立ての朝食を食堂へ運んだ。
椅子に向かい合って座ると、彼は、改めてライラに謝った。
「あの……昨夜は、ご免なさい。いきなり飛び出しちゃったりして……」
「いいのよ、びっくりしたんでしょう?
でも、サマエル様には、ちゃんと謝った方がいいわね」
「うん、そうするよ。
そういえば、サマエルはまだ寝てるのかな? ダイアデムもいないね。
あ、あいつは食べなくていいんだっけ」
「お二人とも、まだお目覚めじゃないみたいね……」
「じゃあ、ぼく、起こして来ようか。たしか、二人一緒にいたよ、昨夜。
えっと、サマエルの部屋は……」
立ち上がろうとした彼を、ライラは慌てたように止めた。
「ま、待って、リオン。
昨夜遅かったのかも知れないし、お邪魔しては悪い……と思うわ。
お先に頂きましょう。冷めてしまわないうちに」
「そうだね。もう昼近いし、お腹ぺこぺこだ。じゃ、頂きまーす」
座り直して一口、彼女の料理を口にした途端、リオンは、天にも登る心地になった。
「うっわぁー、おいしい! ライラさんて、料理すっごく上手なんだね!」
賞賛の言葉に、ライラはにっこりした。
「ありがとう。母は家庭的な人だったから、時々自分でお料理を作ったりもしたのよ。
だから、母が生きていた頃は色々教わったわ。その後もお城の料理長に習って、腕を磨いていたの」
「へえーすごい。だからこんなに上手なのか。
お姫様って、自分じゃ、料理なんて作れないと思ってた……あ、ごめんなさい……」
「いいのよ。普通王族の人は、自分で作ったりはしないものだと思うわ。
まだ半人前だから、それほど上手でもないし……」
「は、半人前だなんて! ぼく、こんな美味しい料理、初めて食べたよ!
お店開いたら、きっと繁盛すると思うな!
……あ、でも、あなたは、そんなことしなくていいんだよね……」
「それは分からないわよ。これから先、どうなるか……」
先行きに不安を感じているらしいライラの声に、リオンは口に運びかけていたフォークを下ろし、うつむいた。
「ご免……ぼくじゃ、頼りないもんね……」
「あ、そ、そんなつもりで言ったんじゃないのよ、ご免なさい。
でもわたし、初めて普通の人の暮らしを間近で見て、こうやって生きるのも悪くないかな、って思い始めたところなの」
ライラが弁解すると、リオンは少し顔をしかめた。
「……普通の暮らしがいいって……?
でも、働かないと食べていけないんだよ、趣味で料理を作るのとはわけが違うんだ。
疲れても、具合悪くても、働かなきゃお金にはならない……。
ぼくが、キミをお医者に見せられなかったみたいに、お金がなければ死んじゃうことだってあるのに……」
「ほんのちょっと見ただけで何が分かるんだ、って思っているのでしょう? リオン。
子供なのに、ちゃんと独りで生きて来たあなたから見れば、たしかにわたしの考えは甘いのかもしれないけれど」
「いや、えっと、そういうわけじゃ……」
「城を逃げ出すまで、お金なんて、使ったことはおろか、見たこともなかったわ……。
空腹や喉の渇きで、死にそうになったのも、初めてだったし。
以前は、黙っていても、食べ物や飲み物が出て来たし、何もかも、人にやってもらっていたから」
「でも、王女様なんだし、それが当たり前でしょ?」
「……ええ、まあね。
けれどわたし、本当は、自分でできることは自分でやりたかったのよ、人にやってもらうのではなく。
それで、お料理を始めたのだけれど、習うまでが大変だったの。
母上は、すぐ許して下さったけれど、父上や大臣、女官長にまで毎日散々頼み込んで、花嫁修業にもなるからと、やっとのことで許可が出た時はもう、わたし、くたびれ切っていたわ」
リオンは眼を丸くした。
「へー、大変だったんだねー」
「ええ。習い事一つとっても、こうなんですもの。
あれしてはダメ、仕草はこう、作法は破ってはいけません、もっとお上品に、あなたはファイディー国の王女、国の女性の
まるで、わたしは着せ替え人形……王女のそれが義務、仕方ないと分かっていても、正直言って、うんざりすることもあった……。
ああ、わたし、自由に恋もできないのね……って、ため息出ちゃったりね……」
「ふーん、王族って意外と不自由なんだね。好きになるのも自由に出来ないのかぁ」
リオンは感慨深げに相槌を打つ。
「ええ。そして母上が亡くなってからは、さらにひどくなっていったわ……。
弟は、もっと大変だったから、あの子を手伝うのは、別に嫌ではなかったけれど。
そして、とうとう父上が亡くなり、アンドラスが王になった……。
弟があんな風になってしまったのも、ひょっとして、私と同じような気持ちだったからかも知れない……。
あの子は世継ぎの王子、小さい頃から厳しく育てられて……でも、大人しい子だったから、わたしみたいに言い返したり、嫌とも言えずに……皆の期待に応えようとかなり無理していたの。
可哀想なアンドラス……。
でも、それが分かっていたのは、亡くなった母と、わたしだけだったみたい……」
当初は病気のため、その後は警戒して身分を隠していたせいで、ライラが王宮での生活を詳しく語ったのは、これが最初だった。
というより、彼女にとっては、王族としての生活の辛さを他人に打ち明けること自体、初めての経験と言ってよかった。
王妃であった母には、ほんの少し、不満を漏らすこともあったりしたのだが。
リオンの方も、華やかな王族の生活の裏に、そんな影の部分があることなど、想像もしていなかった。
立場によって、それぞれ苦労があるのだなと、彼は思わずにはいられなかった。
「そうだったのかぁ……。
ぼくは、王族に生まれれば、毎日何もしなくても美味しい物が食べられるし、
綺麗な服は着られるし、たくさんの人がいつもそばにいて、淋しくなくてイイんだろうな、って思ってた……。
だけど、王族っていうのも結構大変なんだねぇ、人界でも魔界でも。
……あれ、どうしたの? 深刻な話したから、食欲なくなっちゃった……?」
リオンは話しながらも、もりもり食べていたが、ライラはあまり食が進んでいなかった。
「昨夜よく眠れなかったものだから、そのせいかしら。食欲がないの……」
「大丈夫? やっぱり無理したせい? まだ、すっかりよくなってないのかな?」
食べかけの手を止めて心配そうに見つめるリオンに、彼女は微笑みかけた。
「気にしないで食べて。
あなたが美味しそうに食べてるのを見てると、わたしも元気が出そうだわ」
「うん、でも……」
言いかけたとき、ノックの音と共に廊下に通じるドアが開いて、黒いローブ姿のサマエルが、音もなく入室して来た。
「おはようと言うには、もうかなり遅くなってしまったね、リオン、ライラ」
「あ、おはよう……ございます……」
ライラは、彼を真っ直ぐに見られないようで下を向き、消え入るような声であいさつをする。
対照的に、リオンは勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げた。
「おはようございます、サマエル。昨夜は、どうもすみませんでした!
ぼく、びっくりしちゃって。でも、もう平気です。封印を解いて下さい。
──お願いします!」
漆黒のフードから覗くサマエルの唇が、ほころんだのは言うまでもない。
「私こそ悪かったね。だが、焦ることはない。
昨夜は、よく眠っていないのだろう? そんな顔をしている。
旅の疲れも残っているようだし、ここ数日はよく休んで、それから取りかかることにしよう、いいね?」
「はい。よろしくお願いします!」
リオンが再び
「おはようございます、皆様。
お食事をお持ちしましたわ、サマエル」
大きく開かれた扉の向こうにいたのは、朝食を乗せたカートを押した一人の女性だった。
紫がかった紅い髪によく似合う、薄紫のドレスをまとい、顔を服と揃いのベールで覆っている。
サマエルは、取り立てて驚いた様子もなかった。
「ここに置いてくれないか」
「はい」
「ライラ、私の分まで作ってくれて申し訳ない。ありがたく頂くよ」
「あ……は、はい、ど、どうぞ。お口に合いますかどうか……」
答えながらも、ライラの眼は、たった今現れた、謎の女性に釘付けだった。
運ばれて来たのは、先ほどライラが作った料理にいくつか付け加えられたもので、すべてが作り立てのように、盛んに湯気を立てていた。
流れるように優美な動きで、それらをテーブルに並べていく彼女の、細い手首にはめられた何本もの金の輪が、時折触れ合っては、リーンと澄んだ音を立てる。
サラサラの髪からは、ほのかに甘い香りが漂い、リオンとライラの鼻をくすぐった。
並べ終わった女性が、優雅に一礼をして、部屋を出ていこうとした、その時。
「ま、待って。キミ、誰……?
たしか、サマエルは、一人暮しだと聞いたんだけど……」
それまで、ただぽかんと見とれていたリオンが、我に返って問いかけた。
女性は足を止め、くるりと振り返った。
「まあ……わたくしが、お分かりになりませんの? リオン」
どこか聞き覚えのある澄んだ声と共に、踊るような足取りで女性は近づき、ゆっくりとベールを外す。
(うわ……す、すごい綺麗な人だ……)
リオンは、頬を赤らめながらも、その美しい顔立ちを懸命に記憶と照らし合わせたが、合致する人物はいない。
「うーん、どこかで会ったような……気はするんだけど……」
「ま……」
女性は、鮮烈な紅い唇に手を当てくすりと笑い、