5.黒き予知夢(4)
気まずい沈黙が広がってゆく。
それを破るために、ダイアデムは、最初に頭に浮かんだことを口に出してみた。
「……えー、あの、さ。
芝居と言やぁ、ライラは、あんくらいで諦めるかなあ、お前のこと。
だって、イナンナんは、結構しつこく、タナトスのヤツを追いかけ回してただろ?
……なあ、サマエル、ホントのトコどうなんだよ。お前、ライラのこと嫌いなのか?」
「いや……好き嫌いがどうのと言うより、子孫に恨まれるのは嫌だからね……。
それに、これ以上、天界とゴタゴタするのも面倒だし、やはりダメ押しが必要なのだろうな……」
サマエルは、額に手を当て、心底気が重そうな表情をした。
それを見ていたダイアデムは、不意に両手を打ち合わせた。
「──分かった! リオンとライラをくっつけたいから、手伝えって言いたいんだな!
そんならそーと、早く言えよ。協力してやるぜ、喜んで。
でねーと、いつまで経っても、封印が解けやしないもんな!」
「さすがに察しがいいね、その通りだよ。
さっき、私がライラの美しさを褒めて、彼女が赤くなったときのリオンの表情を見ただろう?
あんな調子では、彼は私に触れさせてはくれないだろうし、本人がその気にならなければ、あの種の封印は、完全には解くことが出来ないから、そのことでも困っているのだ。
ライラの弟、アンドラスの魔力も、日に日に強くなっている。
ここのように、強力な結界を張っている場所は、いずれ遠からず、怪しまれてしまうだろう」
ダイアデムは、その情景を思い出し、肩をすくめた。
「ホント、すげー顔して睨んでたよなぁ、お前のこと。ガキにも困ったもんだ。
あれじゃライラが、もう一人の弟みたいにしか考えらんねーのも、無理ねーけどよぉ」
「それは、リオンが目覚め、魔力を自分のものとしたとき、変わるだろう。
彼の秘められた力は、タナトスをも
あの力を感じ取れる者は、すべて、彼に惹きつけられずにはいられなくなるはずだ」
「すっげー自信……!」
あきれ顔をするダイアデムに、サマエルはきっぱりと言い切った。
「リオンは、この私、“カオスの貴公子”の
魔界の王子と、女神にも匹敵するほどの魔力を持った女性──私とジルの血を継ぐ者、私を飛び越えて第一王位継承権を持ち、やがて魔界王となる者なのだから」
王権の象徴である宝石の化身は、眼を見張った。
「えっ? だって、タナトスのヤツが妃をもらったら、その子供が……」
「あいつは、ジルの生まれ変わりにでも出会わぬ限り、妃を
リオンが私とジルの子孫だと知れば、後継者として認める可能性は高い。
私自身のことは、気に食わないとしてもね」
「はあ。そうゆーもんかねえ……。普段はものすごーく仲悪いくせにさ。オレにゃ、お前ら兄弟のことって、よく分かんねーよ……」
ダイアデムは大げさにため息をつく。
「……ああ、つい大きな口をたたいてしまったが、お前は、すでに予知しているのだろう?
タナトスが誰を娶るかとか、リオンが魔界王になれるかどうか、などといったことは?」
王子の問いに、少年は首を左右に振った。
「いーや、今のところは
どう転ぶか、まだ分かんねーな……オレにだって、すべてが視えるわけじゃねーんだ」
「そうか。ならば、未来よりも今のことを考えなくてはね。
彼女が私を諦めて、リオンを好きになるような、うまい手が何かないかな……」
サマエルはあっさりと引き下がり、話題を元へ戻した。
「オレに出来ることなら、何でもするけどよ……あ、でも、今日みたいなのはご免だぜ、もっと別なやり方、考えろよな」
「先ほどの芝居は、とっさの思いつきだったからね。
今度はちゃんと考えるから、ちょっと待っていておくれ」
「ああ」
サマエルが考えを巡らす間、ダイアデムは、自分の紅い髪を、くるくると指に巻き付けたり
やがて魔界の王子は顔を上げ、うなずいた。
「……ふむ、よし、これでいこう。今度は、もっといい方法を思いついたよ。
ダイアデム、──────────てくれ」
最後の部分で、急にサマエルは声を低めた。
そのため、開いたままだったドアの外側に、息を殺して立っていたリオンの耳には、彼の言葉は届かなかった。
「──な、なにぃ──!? このオレに、ンなコトさせる気か、サマエル!!
それのどこが一体、さっきよりマシだってゆーんだよ、バッキャローッ!!」
続いて上がったダイアデムの大声に、リオンは、思わずびくりと体を退いてしまった。
その気配で、ダイアデムは、扉の処にいる部外者の存在を察知したものの、半ばやけくそになっていて、構うもんかとばかり続けた。
「サマエル、お前、なに考えてんだよ!
寝過ぎて、頭、どーにかなっちまったんじゃねーのか、ええ!?」
サマエルは微笑を浮かべ、ダイアデムをなだめにかかる。
「まあまあ、落ち着いて。お礼はすると言ったろう? 我慢してやってくれないかな。
それとも、お礼はいらないか? 欲がないね、お前は」
「いらないなんて、誰が言ったんだよ!?
さっきの芝居──ううっ、ぺっぺっ! 今思い出しても震えが来ちまう──の分も、合わせてもらわなきゃ、割りが合わねーぜ!
いいか、耳の穴かっぽじいてよーく聞け、オレの望みは……」
「──ちょっと待って」
勢いにまかせて言ってしまおうとした彼を、サマエルは制し、気勢を削がれたダイアデムは、顔をしかめた。
「な、何だよ、いきなり。気が変わったなんてのは、ナシだぜ」
「そうではないよ。ライラが戻ってくるといけないから、ドアを閉めておこうと思っただけさ」
サマエルは、手をひと振りし、魔力で扉を完全に閉じた。
「これでよし。もう、立ち聞きされる心配はないよ」
紅毛の少年は唇を尖らせた。
「……やれやれ、今度はリオンかよー。あいつ、いつからいたんだ?」
「ライラと入れ違いに帰って来たようだな。部屋が分からずに、まごついていたんだろう」
「オレは、今まで気づかなかったけど……。
……ん? じゃあ、今までの話も全部聞かれちまったってことか?」
「そういうことだな」
「ちいぃっ!! 何で教えてくれなかったんだよ、サマエル!
──畜生、リオンのヤツ! 人の話、盗み聞きしやがって!」
ダイアデムはかなりむっとして叫んだが、サマエルの唇には、相変わらず微笑みが浮かんでいた。
「リオンが、我々のことをよく知る、いい機会だと思ったのでね」
「なにぃ──!?」
「……というよりも、お前達の相手をするのが精一杯で、リオンのことは今まで忘れていた、というのが本当のところだよ。
前触れもなく、シンハが出てきて、怒りに任せて噛みついて来るのだものね。
だから、私に免じてリオンを許してやってくれないか」
「分かったよ、あいこだってんだろぉ」
ダイアデムは、膨れっ面で同意する。
「それはそうと、彼はやはりすごいね。お前にさえ気づかれないほど、完璧に気配を消すなんて、魔界の貴族でさえ、そう簡単には出来ない。
ふむ、彼の封印を解くのが、ますます楽しみになって来たな……!」
浮き浮きしたサマエルの口調に、ダイアデムは天を仰いだ。
「ちぇっ、そーいうのも親バカの一種ってもんだぜ。
あ──あ……お前にゃ、生まれたばっかの赤ん坊の頃から、
ふん、どーせ悪いのはオレさ、罪滅ぼしにやれってんだろ!
もーこうなりゃヤケだ、何でもやってやらぁ!
それでいいんだろ!?」
「礼を言うよ、ダイアデム」
サマエルの笑みが一段と深くなった。
(いけない。立ち聞きするつもりはなかったんだけど……)
鼻先で、いきなり閉じられたドアを前にして、リオンはつぶやいていた。
屋敷を飛び出したときには迷わなかったのに、戻ったときには完全に迷子になってしまい、散々屋敷内をさ迷ったあげく、ようやく灯りが漏れている部屋を見つけたのだ。
ノックをしようとした刹那、シンハが現れ、その後次々繰り広げられる出来事に半ば呆然として、彼は今し方まで扉の外で立ち尽くしてしまっていたのだった。
しかし、そのお陰で、有意義な話が聞けたと彼は思った。
(ぼくはずっと、魔族のことを、心を持たない化け物だとばかり思っていた。
そして、ぼく自身がそんな連中の血を引く者と知って、すごくショックだった……。
だけど、魔力を持ち、ものすごく長生きだって他は……そう、人間とあんまり変わんないんだな。
だって、サマエルは千年も経つのに、まだジルを愛してるって言ってたし。
そういや、ダイアデムも。
それに、サマエルがいなければ、ぼくも母さんも生まれなかったんだし。
彼は、ぼくを王にしたいみたいだけど。魔界の……王様? このぼくが?
全然ピンとこないな。王様になりたいなんて、思ったこともないし。
母さんが生きてたら、きっとすごくびっくりして、そして……喜んでくれるかなぁ……?)
彼は、くるりと扉に背を向け、どこへともなく歩き始めた。
(でも、びっくりした。ダイアデムって、あんなでっかいライオンになれるんだな。
話し方も声もいつもと全然違ってたし、ああいうの見ると、たしかにぼくよりずっと年上で、ちゃんと偉いって感じがする……。
あいつが、サマエルを恐がってたのは、あんなわけがあったのか……。
サマエルが、噛みつかれたときは、思わず飛び出そうになったけど、ぼくの出番なんかなかったな。
魔族って、あっと言う間にひどいケガも治るんだ。ぼくも、あんな風になるのか?
……けど、サマエルが、子供の頃魔法を封印されてたなんて、なんか、ぼくとよく似てる……)
「……ん? あれ? ここ、どこだ?」
深く考え込みながら歩いていたリオンが、ふと顔を上げると、まったく見慣れぬ場所に来てしまっていた。
「しまった。どうしよう、また迷子になっちゃった……」
来た道を戻ろうか、とも考えたが、ぼんやり歩いて来たので道順はうろ覚え、その上、サマエル達は、もう邪魔はされたくない様子だった。
「……はぁ。疲れちゃったな。
もう夜中だし、どこでもいいから、もぐり込んで寝ちゃおうか。怒られたら、そのときはそのときだ。
……この部屋はどうかな?」
彼は、目の前の大扉を開けてみた。
広い室内には、大きなシャンデリアが明るく輝き、白いクロスのかかったテーブルと椅子が、整然と並んでいる。
「レストランみたい……そうか、ここは食堂か。たくさんお客が来たとき使うんだな。
よし、ここにしよう、横になれそうな椅子もあるし。
でも、ちょっと寒いかな……」
つぶやくと同時に、部屋の奥、壁に備え付けられていた
「あれ? 火が点いたぞ。
……ふーん、ぼくが寒いって言ったからかな? 魔法の暖炉なんだ、便利だなぁ」
彼は、寝心地のよさそうな長椅子を、暖炉の前に引きずって来て、敷いてあった毛皮を掛けて横になった。
「──これでよし。でも
言った途端にシャンデリアが消え、赤々と燃える暖炉が唯一の光源となった。
眠るには、ほどよい明るさだった。
「うん、ホント、便利だ。
封印解けば、ぼくも、こんなふうに魔法を使えるようになる、んだよな、多分……」
砂漠同様、山頂も夜は冷える。
魔法の火は、熱くなり過ぎることも消えてしまうこともなく、とろとろと一晩中部屋を暖めてくれ、その火を見つめながら様々な思いを巡らしているうちに、彼は眠りに落ちていったのだった。