4.黄金の獣(4)
散々思い悩んだ末、ダイアデムは拳を固く握りしめ、重い息を吐いた。
「……はぁ……」
(もうダメだ……もうこれ以上、時間稼ぎなんて出来やしない……。
──ええい、仕方ねー。こーなったら、バラしちまうしかねーよな。
憐れみなんかいらねーや!
可哀想なヤツだ、なんて同情されるくらいなら、いっそ憎まれて、こいつの手にかかって、消される方がマシってもんだ)
そう決心はしても、やはり、彼は悲しかった。
彼とて、好きこのんで宝石の精霊に生まれてきたわけではない。
普通の魔族か、人間か、ともかく、初めから肉体を持った存在として生まれていたなら、もう少し、自由な生き方が出来たのかも知れなかった。
ましてや、当時、“ダイアデム”という人格は、まだ誕生してはいない。
自分がやったことでもないのに、連帯責任を取らされるなんて
それはさて置き、目の前で
彼は、ひりつく喉にごくりと唾を飲み込み、やっとの思いで声を絞り出した。
「わ、分かった、分かったよ、サマエル。言う、言うよ。
その代わり、一つ……や、約束を、してくんないか……?」
「何をだ? 言ってみるがいい」
固い表情を崩さぬまま、サマエルは訊き返した。
「これ聞いたら、きっと……いや、絶対、お前は、オレを憎むに決まってるんだ。
それどころか、八つ裂きにしたくなるかもしんない……。
でも、それは後にしてくんねーか?
虫のいい話……だよな? けど、知ってるだろ。
召喚されたら、必ず子孫を助けに行くって、オレはイナンナと約束したんだ。
だ、だから、ライラの件が片づくまで、お前の怒りは取って置いてくれ……!
そ、その後でなら、どんなことされたって構わない!
本体の“焔の眸”をぶっ壊されても仕方ねーから!
──お願いだ、サマエルっ! ライラのことだけが心残りで……オレは……」
ダイアデムは眼を
そんな紅毛の少年を、かすかに眉を上げ、不思議そうに見ていた魔族の王子は、やがてうなずいた。
「プライドの高いお前が、そこまで言うとはね……。
分かった、約束しよう。
だが一体、何をしたのだね? 私にはまったく心当たりはないが」
ダイアデムは、うつむき、小さな声で話し始めた。
「そりゃそうだよ、お前が生まれたばっかの頃だもん……。
オレ……いや、正確にはシンハだけど、もう面倒だから、オレって言うよ。
どうせ、オレもシンハも、“焔の眸”の一部なんだしな。
ともかく、あの頃、オレは、お前の命を狙ってた。お前を殺すチャンスを、ずっと
「……赤ん坊の頃から? どうして、そんなことをする必要があった?
生まれたばかりの私を殺して、お前に何の得があると言うのだ?
今度のこともそうだ。私は王位継承権も捨てた身、もはや、魔界とは何の関係もないというのに」
サマエルの不審そうな表情も無理はなかった。
魔界では性別に関係なく、優秀な者が王になる。
王に子が二人いたなら、どちらが王位に
「…………」
問われた宝石の少年は、再びためらい、唇を噛み締めた。
これでもう、一巻の終わり、自分の命運は尽きた。
この王子の怒りに触れて、自分は消えなくてはならない。イナンナとの約束も守れずに。
そう思うと、涙が出そうだったのだ。
「……そんだけ……じゃねーんだよ。
なあ、サマエル……お前、ガキの頃、魔法が使えなかっただろ……?」
魔界の王子は、紅い眼を見開いた。
「ま、まさか……!?」
「そうだ。お前の魔力を封じたのも、このオレだ……」
心を決め、か細い震え声でそれでも一息に、ダイアデムは言った。
その瞬間、闇の炎が、サマエルの瞳に燃え上がった。
「──な、なに……何だって!? それはどういうことだ!?
お前は、一体なぜ──そんなことをしたのだ!?」
滅多に物に動じない王子が、驚きと怒りの入り混じった声で、ダイアデムに詰め寄る。
「そ、それは……」
サマエルの体から、怒りとともにあふれ出す青白い魔力が、激しく銀の髪を揺らし、浮き上がらせる。
彼は、普段の物静かな態度からは想像もつかない荒々しさで宝石の化身につかみかかり、首に手をかけ激しく揺さぶった。
「──言え、なぜだ! 魔法を使えない魔界の王子がどんなに
理由を言え、ダイアデム! ──事と次第によっては──!!」
「く、苦し……い、痛……」
絞め殺しかねない勢いで、少年の小柄な体を振り回していたサマエルは、相手の切ない声に、我に返って手を離した。
歯を食いしばり、苦痛に耐えてなすがままにされていたダイアデムは、その間隙を突いて行動を起こした。
ベッドから飛び降り、床に体を投げ出して土下座をしたのだ。
「ホントにご免! 何度謝っても、許してもらえないのは分かってる、だから、許してくれなんて言わない!
でも、今は我慢してくれっ! 殴りたいなら、思いきりブン殴っていい、けど消すのは待って欲しいんだ、頼むっ! ライラのことが終わるまではっ!
こ、この
か、覚悟はもう、出来てるから……!
長い長い間、お前達に仕えて来たんだ……せ、せめて──最期……の願いくらいは……」
そこまで言ったとき、懸命にこらえていた涙が、
白くなるほど固く握りしめた拳を伝い、涙は床に流れ落ちる。
その瞬間、彼の涙は宝石に変わった。
深紅と透明な二粒の貴石は、彼の悲しみと苦悩とを内に秘めて、美しく輝いていた。
「ダイアデム、お前……?」
そんな彼に注がれるサマエルの眼差しには、もはや怒りというより、戸惑いの色の方が濃かった。
ほどなく、王子は頭を振り、大きく息をついた。
滅多に見られぬ宝玉の輝きに視線が止まった刹那、瞳を支配していた闇の輝きが薄れ、彼本来の穏やかな光を取り戻していく。
「……“ダクリュオン”は、魔界にも二粒しかないと聞く……。
誇り高い“焔の眸”よ、お前は、よほどのことがなければ、涙など流さないのだろう?
それに、“忠誠の儀式”を終えた魔界王家の者に対しては、口答えするようなことはあっても、本気で逆らったり、ましてや命を狙うなどという暴挙に出たことは、かつて一度たりともなかったはず。
一体なぜ……何があったというのだ?」
魔族の王子の尋ねる声は低かった。
「…………」
紅毛の少年は、床に伏したまま、ただ黙って頭を振る。
サマエルは、ダイアデムのそばに片ひざをつくと、二つの宝珠を拾い上げた。
「美しいな。それに珍しくもある……紅い“マニ・ダクリュオン”でさえあまり眼にする機会がないのに、透明なものとは……。
“クレネ・ダクリュオン”とでも名づけようか」
宝石の化身は、それにも答えず、震えながら、彼の裁定を待っていた。
通常なら、両目共紅いダイアデムの眼からは、紅い石の中に白い星きを秘めた、スタールビーのような宝玉が生まれ、それを“
ただし、現在、失明状態の左眼からは、以前ライラに贈ったと同じ、スターサファイアに似た汲みたての泉の水にも似た透き通る中に、こちらは紅い輝きを封じ込めた貴石が生まれるようになっていた。
しばらくの間、
「怒りに任せ、お前を破壊すること自体はたやすいが、怒りは後に取って置く、という約束だったね。
それに、私にも好奇心がある。
なぜ、王権の象徴である“王の杖”にして魔界王家の守護精霊たるお前が、この私に危害を加えようとしたのか、理由を知りたい。
その後で、お前をどうするかを、考えることにしよう。
──さあ、顔を上げて、ダイアデム。話してくれないか、すべてを。
辛いことかも知れないが、黙っていても罪は消えないよ」
「ご、ご免よ……オレ……オレは……」
言われた通り頭を上げたものの、ダイアデムは、サマエルの顔を見ることが出来なかった。
「王権を守護する“焔の眸”よ。
ひょっとして、生まれた直後から、私は……魔界王を継ぐにはふさわしくないと、お前にすら思われていたのか……?」
サマエルが悲しげにつぶやくと、宝石の少年は激しく首を振った。
「──そ、それは違う! これだけは、はっきり言っとくぞ、サマエル!
お前とタナトスは、生まれた年こそ違うけど、誕生日はまったく同じ……占星術で言うアストロ・ツイン……“運命を分け合う者”なんだ……!
だから、王位継承権を、お前自身が放棄してしまうまでは、どっちにも平等に魔界王になるチャンスはあった、ザコどもが何と言おうとな!
オレには、それがちゃんと
「そうか……」
「ンな理由じゃねーよ……。
オレがあんなことをしでかしたのは、夢……のせいなんだ」
「──夢? 予知夢か?」
「……う、うん。お前の言う通り、思い出すのは、ちっと辛い……。
けど、シンハが、お前にしちまったこと、考えりゃ……辛かろうが、何だろが、言わなくちゃなんないよな、お前にゃ、聞く権利、あんだから。
ぜ、全部、話すよ……けど、ちょっくら待っててくれ……気ぃ静めて、順番に話すから……」
宝石の化身は、たどたどしく言った。
「分かった。急かすつもりはない、落ち着いて、ゆっくり話すがいい」
第二王子の穏和な声に、ダイアデムは、ごくわずか救われた気がした。
涙をぬぐうと、汗と涙で顔に張り付く髪をかき上げ、すすり泣くように小さな息をついて、心を静める。
「オレ、昔は、杖のまんま、封印されてることが多かったのは知ってるだろ……。
そうやって、ずっと眠ってたオレを、お前の父親、ベルゼブルが目覚めさせたのは……二万千二百三十五年前のあの日……お前が生まれる前の日だった……。
その頃、オレはまだ、
……これも、もちろん知ってるよな……」
サマエルは、かすかにうなずく。
話し始めた宝石の化身の紅い瞳は暗く
クレネ 泉。ギリシア語。
摩尼(まに)
[1] 玉。神秘的な力をもつ玉。摩尼珠。摩尼宝珠(まにほうじゅ)。
[2] 竜王あるいは摩竭魚(まかつぎょ)の脳中にあるとも、仏の骨の変化したものともいわれる玉。
これを得ればどんな願いもかなうという。如意(にょい)宝珠。
宝珠 宝玉。頭部がとがり、その左右両側から火炎が燃え上がっている状態にかたどった玉。如意宝珠を表したもの