~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

3.危険な記憶(2)

客室の回廊に着いたダイアデムは、何事もなかったように元気よく、ドアをノックした。
「──ライラ、おっはよ! 眠れたかぁ!」

ややあって、扉が開き、少々やつれ気味の少女が現れた。
「おはようございます、ダイアデム、お陰様で……。
あの……サマエル様は?」
宝石の化身は、にっと笑い、指で丸を作った。
「大丈夫、封印解いてくれるってさ」

「よかった!」
ライラの顔は、見る間に明るくなった。
「そうだ、新しいドレス出してやるよ。貴族に会うんだし、やっぱ、いいもん着たいだろ?
──カンジュア! ほらよっと」
彼は、大きな衣装箱を彼女に渡す。

王女は、緑の瞳を輝かせた。
「まあ、ありがとうございます。どんなドレスかしら」
「風呂入って、ゆっくり支度しな。
急がなくていいって、サマエルも言ってたし、リオンは起してやっからよ」
「はい、お願いしますね」
ライラは軽く会釈(えしゃく)し、扉を閉めた。

「今度は、ガキんちょ用の服か。
──カンジュア! これでいーだろ。
……さてっと」
ダイアデムは大きく息を吸い、斜め向かいのドアを、力一杯蹴飛ばした。
「いつまで寝てんだ! さっさと起きやがれ、のろまっ!」

だが、しばらくしても、部屋はしんと静まり返っている。
宝石の化身が、しびれを切らし、再度蹴ろうと身構えたとき。
「……ふあーあ。何……ダイアデム?」
寝呆(ねぼ)(まなこ)をこすりながら、ぼさぼさ頭の少年が顔を出した。

「──ボケ! 封印解いてやるってサマエルが言ってんぞ、さっさと着替えやがれ!」
だらしない様子に腹を立てたダイアデムは、手にしていた服を投げつけた。
「──わっぷ!」
受け止める暇もなく、真新しい衣装はすべて床に落ちる。
「もう、乱暴だなあ……!」
リオンは散らばった衣服をかき集めた。

宝石の化身は、少年を睨みつけた。
「脳天気な、めでたいガキめ! 寝坊も今のうちだかんな!」
「また子供扱い……」
言いかける少年をさえぎって、ダイアデムの口調はさらにきつくなる。
「てめー、ここに寝に来たのか!? 封印解けてすぐ魔法使えると思ったら、大間違いだっ!
サマエルにビシビシ仕込まれて、さっさと一人前になれ! ライラの役に立ちたくねーのかよっ!?」

「わ、分かった、すぐ支度するよ」
たじたじとなるリオンにダイアデムは追い討ちをかけ、鼻をつまんで見せる。
「着替える前に風呂入れ、臭うぞ、お前」 
「ええっ!?」
焦って浴室へ駆け込む少年の後ろ姿に、彼はぺろりと舌を出した。

毎日水浴しているのにと思いつつ、念入りに体を洗い、広い浴槽に身を沈めてから、リオンは、かつがれたと気づいた。
「ちぇっ、またかよ……」
忌々しそうに顔をしかめるうちにも、金色のライオンの口から、白濁した熱い湯が、どんどん湧き出て来る。
初めて入る温泉の心地よさに、不快な思いはすぐに消滅してしまった。
さっぱりして浴室を出ると、テーブルにはいつの間にか、豪勢な食事が用意されていた。
「お、うまそう! 頂きます!」

美味な朝食をもりもり平らげ、満足した気分で衣装を広げた彼は、息を呑んだ。
「す、すごい……」
真っ白な下着、オレンジ色をしたシャツ、金ボタンがついた、膝くらいまである深緑の上着、同色のズボン、そのすべてが、さっきまでの服とは段違いに高級品だった。
手触りからして、普段着とはまるで違う。
「……でも、どうやって着るんだ、これ?」
どれも皆、初めて見る品ばかりで戸惑ったものの、リオンは、何とか着替えを終えて、恐る恐る鏡の前に立つ。

その瞬間、彼は思わず声を上げていた。
「──わぁ、まるで王子様みたい!」
今度の衣装は、寸法もデザインもぴたりと合い、彼を、貴族の少年のように見せていた。
「……でもダイアデムの奴、どうして急に、こんな立派な服出したんだ……?
さっきの態度も、何か変だったし……」
彼は首をかしげた。

ともかく、廊下に出てみる。
宝石の少年は、頭の後ろで手を組んで、壁に寄りかかっていた。
「あ、ダイアデム……」
「ふん、馬子にも衣装だな。ライラの支度が終わるまで待ってろ」
精霊は、ちらりと彼を見、言った。
「うん。でも、何でこんないい服、くれたの?」

ダイアデムは肩をすくめた。
「バーカ。昨夜はともかく、正式な挨拶ン時に連れがボロ着てたら、オレの趣味が疑われんだろーが。
これから会うのは、魔族の王子なんだぜ」
「そっか。でも、お前は着替えないんだね」
リオンが紅毛の少年を無遠慮に見ると、相手は眼を伏せた。

「……オレは、自分自身が装飾品なんだぜ。
暑さ寒さも感じねーし、ホントは衣装なんざ、どーでもいいんだ。
礼儀上、着てるだけさ……」
「……え?」
いつもと百八十度違う態度に、彼が面食らったとき、王女の部屋のドアが開いた。

「お待ちどうさま。あら、リオン、その服、とってもいいわ。素敵よ」
ライラの姿を眼にした少年は、思わずぽかんと口を開けた。
彼女も、真新しいドレスをまとっていたのだ。
少ない語彙(ごい)の中から賛辞を探すものの、どうにか出て来たのは、至極(しごく)月並みな()め言葉だった。
「キミ、こそ……き、綺麗だ……」

「まあ、ありがとう」
ライラは艶然(えんぜん)と微笑み、ドレスの裾をつまんで優雅なお辞儀をした。
「当然だろ、オレの趣味は風雅なんだ。美人を引き立てるには、こうでなくっちゃな」
宝石の化身は立ち直り、自慢げに言った。それも無理はなかった。
緑色が美しいグラデーションをなしている、素晴らしいドレスを、彼女は見事に着こなしていた。

まず胸元は、湧き水のようにほとんど透明に近い薄緑をしており、そこから下に向かって、春一番の柔らかな若草色、夏が近づくにつれて次第に濃くなる新緑、初夏の瑞々(みずみず)しい緑、真夏の太陽を盛大に浴びた濃い緑から、夏の終わりを予感させる深緑に至るまで、切れ目なく、ほんの少しずつ色が変わっていく、(きらび)やかなレースを無数に重ねて作られた衣装。
過剰な飾りはなく、そのシンプルさが一層、少女の美しさを引き立てていた。
唯一の装飾品は、首から下げている“瞳”のペンダントで、その透き通った石は、衣装と彼女の眼の緑を映し、エメラルドさながらに輝いている。

ダイアデムは、めかし込んだ二人を引き連れて颯爽(さっそう)と応接間に乗り込んで行き、ドアを開けるなり胸を張った。
「──どうだ、サマエル。いいだろーこのドレス!」
サマエルは微笑んだ。
「さすがに選美眼は一流だね、ダイアデム。(うるわ)しい女性には、過剰な装飾など必要ない。
とてもよく似合っているよ、ライラ。まるで、春の女神のようだ」
「い、いえ、あの……あ……ありがとうございます、サマエル様。
昨夜は、失礼を致しまして……」
ライラは昨晩同様、頬を染め、ドレスの裾を持ち上げて頭を下げた。

リオンは、心の中で舌打ちしていた。
(ちぇっ、ライラさんって、ああいう男が好みなのか。
……けど、それも当然か……サマエルは、魔界の王子様なんだしな……。
魔力だって、人間とは比べものにならないほど強いんだろうし、それに……顔はよく見えないけど、雰囲気が……やっぱり違う。
ぼくなんかより、ずっと大人っぽくて、カッコいい……)

「気にしなくていいよ。遠路はるばるご苦労だったね。
ダイアデムから、話は大体聞いた。
リオン、こちらに。痣を見せてくれないか?」
「………」
リオンは、もう、封印を解いてもらうこと自体、気乗りがしなくなっていた。
しかし、それが目的で来たのだし、ライラを失望させるわけにもいかない。
彼は、仕方なく進み出、渋々右手を差し出した。

漆黒のローブに身を包んだサマエルは、そっと彼の手を取った。
「ふむ……」
(……あ)
昨日と同じく、相手の手に熱はなかったが、やはり、触れられた部分から、何か暖かいものが心の中に流れ込んでくるのを感じ、無意識のうちに、少年は固唾(かたず)を呑んで、サマエルの言葉を待った。
魔族の王子の表情は、深々とかぶった闇色のフードのせいで、外から(うかが)い知ることは出来ない。

しばらく痣を調べていたサマエルは、不意に精霊を振り返った。
「たしかに、これは“封印”だ。しかも……。
ダイアデム、なぜ黙っていた? リオンはまだ、このことを知らないのだろう?」
「ああ。お前が言った方がいいと思ってさ」
宝石の化身は、どうでもよさそうに答えた。
「ならばせめて、昨夜のうちに……」
「いーじゃん、今でも」

「ねえ、一体何の話?」
リオンが不思議に思って口をはさむと、サマエルは深く息をついた。
「やれやれ……何か企んでいると思っていたら、こういうことか……。
リオン、落ち着いて聞いて欲しい。
……実は、お前はね、……私の子孫なのだよ。この“紅い封印”こそが、その(あかし)だ」
魔族の王子は、彼の痣を示した。

「何、それ……」
リオンはきょとんとした。
「ほ、本当なのですか?」
ライラも思わず尋ねていた。
「本当だとも。リオンは、間違いなく私とジルとの子孫だ」
サマエルは、明瞭に言い切った。
「これを解くことができるのは、お前と同じ、魔界王家の血を引く者に限られる。
会えてうれしいよ、リオン。我が子孫よ」
 
リオンは、栗色の眼を見張った。
「そ、そんな、ぼ、ぼくが……魔界王家の血を引く者……?
あなたの、子孫だって!? じょ、冗談でしょう?」
「冗談ではないよ。お前の母の力は素晴らしく、この封印もかなり巧妙に隠してあるが、これが証拠だ」
薄茶色をした痣の上で、サマエルの指が踊るかのごとく複雑な印を切る。
刹那、痣の色はほとばしる鮮血同然に紅くなり、形までもを変えた。
それは、すでに炎ではなく、今にも飛びかかろうと身構える、怪物の姿となっていた。

「何だろ、これ。龍……?」
「“紅龍の紋章”と呼ばれているものだ、私にもある」
サマエルは、ローブの胸元を開いた。
脈打つ心臓の上に、同形、同色の痣があった。
「……でもこの龍、どこかで……あ、そうだ!」
リオンは、急いで母の形見のロケットを引っ張り出した。
中を開けると、母の肖像が、彼に向かって微笑みかける。
そして……蓋の内側に彫り込まれていたのは、痣とそっくり同じ“紅龍の紋章”だった。

「やっぱり……でも母さんは、そんなこと一言も……」
「お前の母も知らなかったか……いや違うな、ここをご覧」
指で示された紅い龍型の痣の下に、文字が数行、浮かび上がっていた。
「“──(いにしえ)よりの申し送りに従い、我は息子の力を封印す。
魔界の王子サマエルよ、かの封印を解き、汝が子孫の力を導き(たま)え──”
……母さん……。でも、なぜ力を封じたの……? ぼく、ずっと魔法を使いたかったのに……」
リオンは唇を噛んだ。

「お前の魔力があまりに強かったゆえに、私の元へ送るのが最良の策と考えたのだね、お前の母は。
だが、私の住処(すみか)も生死さえも不明だった。それゆえ、何も言わずにいたのだろう。
知らずにいれば、私が見つからず魔法が使えずとも、さほど悲しい思いをせずとも済む……そう考えた、親心だったのだよ」

サマエルの口調は優しかったが、なぜか、リオンは無性に腹立たしくなり、栗色の瞳に怒りの色を浮かべ、食ってかかった。
「なぜ、そんなこと分かるんだ!? 母さんのこと、何も知らないくせに!」
「“申し送り”とあるだろう?
“子供の魔力が、制御不能なほど強力なときは封印せよ”、そう定めたのは私なのだ」
魔族の王子の声は、まったく揺るがなかった。
「えっ!?」

「私の子の力は、私をも(しの)ぐほどで、一歩間違えれば、人界を丸ごと破壊してしまう危険性さえあった……。
それでも、ジルが生きているうちは、子供達と一緒にいられ、力の暴発も抑えられたからよかったのだが。
私があまり年をとらないことから、正体を見破り、利用しようとする者が現れた。
それとは別に、ライラ、キミのご先祖からも参謀として求められたが、魔界の者が、人の世に関わることは禁じられている。
それゆえ、私はやむなく、“賢者”として身を隠すことにした……子供達、孫達から離れて……」
サマエルの声は、思い出の中に溶けていき、最後の言葉はささやくようだった。