~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

3.危険な記憶(1)

お気楽な感じで、ダイアデムは片手を上げる。
「よっ、久しぶりだな、サマエル。
千二百年ぶりってトコだっけ? 元気そうじゃんか」
サマエルは、穏やかな笑みでそれに応えた。
「お前もね、ダイアデム。お客人を紹介してもらえるかな?」
「おう」
宝石の精霊はうなずき、銀髪の少女を示した。

「このコがライラ、ファイディー国の王女だ。イナンナの子孫なんだぜ、そっくりだろ」
「……そうだね。いや、彼女より、さらに美しいかも知れない」
サマエルが微笑みかけると、銀髪の少女は、ぽっと頬を染めた。
「まあ、そんな……お上手ですこと」

「お世辞ではありませんよ、ライラ殿下。あなたは彼女の、さらに上を行っていらっしゃる。
……ああ、失礼、あまりの美しさに見とれて、ご挨拶が遅れてしまいました。
お初にお目にかかります、サマエルです。どうぞお見知りおきを」
魔界の王子は、胸に手を当て、典雅な礼をした。

「……は、初めまして、サマエル殿下。
ライラ・リデラード・ボウナ・ファイディーズ・リジャイナ十二世と申します。
……ラ、ライラと、お呼び下さいませ……」
震える手でドレスの裾をつまみ、どうにかお辞儀を返したものの、王女の声は上ずり、眼はサマエルから離すことが出来ずにいた。

「では、お言葉に甘えて、よろしく、ライラ。
私のことも、サマエルと呼んで下さい」
サマエルは、優雅に王女の手を取り口づけた。
「は、はい……サマエル様……」
ライラは、耳まで紅くなっていた。

(サマエルなんて、口しか見えないじゃないか。
なのに、何でライラは、真っ赤になってるんだ……?)
密かに、リオンは唇を噛んだ。
住む世界は違うものの、王族である二人が寄り添う様は、まるで恋人同士のようにも見え、彼は心穏やかではいられなかったのだ。

そんな少年の感情を逆なでするように、ダイアデムは薄笑いを浮かべ、紹介を続けた。
「あーあとな、このガキんちょが、リオンって奴。こいつは要するに……ま、オマケだな」
「な、何で、ぼくがオマケなんだよっ!?」
リオンは、思わず彼を怒鳴りつけた。

「よろしく、リオン」
ダイアデムのふざけた紹介などまるで意に介さずに、サマエルは、平然と手を差し出す。
「あ、よろしくお願いしま……あ」
とっさに、それをにぎり返したリオンは、ひんやりした感触に息を呑んだ。
多少大きめではあるものの、白く女性的なサマエルの手から、安らぎにも似たものが流れ込んで来る。
彼は面食らったが、相手の顔はフードの奥で闇に沈み、表情を捉えることはできなかった。

「前もって、私の経歴を話したのだね、ダイアデム」
サマエルの言葉は、質問というよりは確認だったが、紅毛の少年は、少し腰が引けた風に尋ね返した。
「あ、……お前が魔族の王子だってバラしたの、まずかったか?」

王子は、否定の身振りをした。
「いや、構わないよ。
それより、先に客室へ案内した方がいいかな、疲れているのだろう」
宝石の化身は、ほっとしたように同意する。
「そ、そうしよーぜ、特に、ライラは病み上がりだから」

「そう。では、皆さん、こちらへ」
(あやかし)の鬼火を手にした魔界の王子に先導されて、彼らは敷地内へと歩を進めた。
整然と敷石が並べられた小道を少々歩き、大理石で出来た幅広な階段を五段ほど上がって、意匠(いしょう)を凝らした黒檀(こくたん)製の大きな扉の前に着く。
屋敷の主が軽く触れただけで、それは静かに開いた。
「さあ、どうぞ」

三人は、内部へ足を踏み入れた。
「失礼致します。まあ、何て素晴らしいお屋敷……」
ライラは、感激したように指を組み合わせた。
「すっげえ、なかなか趣味いーじゃん! 田舎臭い汎魔殿よか好きだな、オレ!」
宝石の少年も、この屋敷をいたく気に入った様子だった。

「お、お邪魔します……」
リオンも、おずおずとエントランスホールを見回す。
(へえ……これがサマエルの屋敷かぁ……)
天井は高く、不思議なことに、内部を照らす光源は見当たらない。
壁自体が、光を放っているようだった。
目前には、磨き抜かれた大理石の回廊が長く伸びており、主が長の眠りから目覚めたばかりと言うのに、屋敷内の空気は(さわ)やかで、まったく(よど)んではいない。

滑るように進むサマエルの後について行きながら、リオンは、ライラにささやきかけた。
「でも、意外とすっきりしてるね。
……もっと、何て言うか、こう……金とか宝石とかで、ピカピカしてるかと思ってたのに」
「ええ、そうね。でも、内装も飾りも、素材は皆、選び抜かれたものばかりよ。
なのに、派手にならないよう抑えてあるから、とても上品な感じがするわ」
彼女はささやき返した。

「ふーん、そうなのかぁ……」
「ムダだよ、ライラ。貧乏人にゃ、この屋敷の良さは分かんねーのさ」
ダイアデムが口を挟む。
「ちぇっ、なんだよ……」
頬を膨らませながらも、再び周囲に眼をやるうち、リオンにも、華美にならぬよう白を基調とし、繊細な作りで統一されたこの屋敷が、主の洗練された趣味を反映していることが何となく察せられて来た。

背後の会話に気づいているのかどうか、サマエルは、無言で先導し続ける。
数分歩いたところで、彼は立ち止まり、回廊を挟んで左右にずらりと並ぶ扉を示した。
「この回廊の、番号がついている部屋は、全部来客用です。
各階ごとにニ十室ありますが、ここが一番近いので。
全室内装は違っているので、好きなところをお使い下さい」
「番号? ……あ、ホントだ、模様かと思った」
客室の扉には、美しく装飾を施された数字が、それぞれ刻み込まれていたのだった。

「え、えっと、ライラさん、どこがいい?」
「そうねぇ……」
「ここはどうかな……」
とりあえず、一番近くの扉を開けてみたリオンは、思わず歓声を上げた。
「──わあっ、す、すごいや!」

質素といっていいエントランスや回廊に比べ、客室は、眼を見張るほど豪華で、居心地がよさそうだった。
天井には(きらめ)くシャンデリア、足元には柔らかい毛皮が敷かれ、続く寝室の大きなベッドには、天蓋(てんがい)までが備え付けられている。
「こんな立派なお部屋、わたしの城でも、諸外国の賓客(ひんきゃく)用……いえ、もっと素晴らしいわ!」
ライラも眼を見張っていた。

「お食事も用意してありますので、どうぞ、ごゆっくり」
「はい、お休みなさいませ、サマエル様」
ライラは礼をし、リオンも頭を下げた。
「お休みなさい」
「いい夢を」

客の二人が部屋に引き取ると、サマエルは、残る宝石の化身に声をかけた。
「ところで、お前は元気そうだね。さっきは、弱音を吐いていたけれど」
紅毛の少年は、肩をすくめた。
「ああでも言わなきゃ、すぐ起きねーだろ、お前」
サマエルは苦笑した。
「まあいい、私の部屋で話を聞こう。
……こちらへ」
魔族の王子は、先に立って歩き出す。

すべてが白い屋敷の中、足音も立てずに進んでいくローブ姿のサマエルだけが、夜を切り取って作られたように闇の色をしている……そんな風に、ダイアデムには思えた。

「タナトスの許可は、ちゃんととったのだろうね?」
歩きながら、振り向きもせず、サマエルが問いかけて来た。
ダイアデムは、一瞬どきりとしたが、気を静めて答えた。
「あ……ああ。
けど、あのケチと来たら、左眼返さねーんだ。お陰で、お前探すの、すげー苦労したんだぜ」

「それは大変だったね。
ほら、着いたよ」
「へっ……? なーんもないトコだな。……ここが、ホントにお前の部屋?
さっきの超豪華なトコと、えらい違いじゃねーか?」
ダイアデムは、拍子抜けしたように内部を見回し、それから、無遠慮にベッドに座り込んだ。
そこは、広さこそ十分だったものの、小さな机と椅子、ベッドが一つあるだけの殺風景な部屋だった。

サマエルは、気にした風もなく、静かに椅子に座った。
「ここは、あまり使っていないのでね。魔法の研究はもっぱら地下だし。眠るのも。
ところで、お前の用とは? 察するに、あの少年のことかな?」
「……さすが、鋭いなぁ、お前」
そこで、ダイアデムは、ライラとリオンの身の上話を語って聞かせた。

魔族の王子は、少しの間考え、ややあってから答えた。
「ふむ……アンドラスの件に関しては、私も同意見だな。
世界征服……いつの時代にも、愚かな野望を抱く王はいるが、果たされた試しはない……」
「だな。……で、リオンの封印、解いてくれっか?」
彼の問いに、サマエルはうなずいた。
「ああ、もちろん」

「それ聞きゃ、二人も喜ぶさ」
ダイアデムは、にやにや笑い、王子はため息をついた。
「……お前また、何か企んでいるね?」
「さあね?」
宝石の化身はそらとぼけ、それを横目で見ながら、サマエルは続けて言った。
「……まあいいか。
それより、同族と会うのも久方ぶりだ、魔界の様子を聞かせてくれないか」

「ええっ!? ま、まだしゃべんのかよ……」
ダイアデムは、いきなり態度を急変させ、あたふたと腰を浮かせた。
「……お前ときたら、私の前ではいつも、借りてきた猫のようにびくびくするのだね。
別に取って喰いはしないよ、ほんの少し、話を……」
「バカにすんな! オレは猫じゃねーぞ!」
宝石の化身は顔を紅潮させ、淋し気なサマエルの声をさえぎった。

魔族の王子は、眼を伏せた。
「すまない。言葉の綾だよ、猫と言ったのは。
……ただ、ずっと人界にいたから、たまには昔語りでもできたらいいなと思って……」
「お前とする話なんかねーよ!」
ダイアデムは、そっぽを向いた。

サマエルはうつむいた。
「……そう、だね。
あんな、血みどろな姿を見られてしまったら……近くに寄ることさえ、おぞましい、そう思われても……仕方ない、ね……」
彼は、わなわなと震える自分の手を凝視した。
「ち、ありゃお前が悪いんじゃねーだろ。
……ああもー付き合ってやるよ、しょーがねー」
少年は、紅い髪を手荒くかき上げ、渋々ベッドの端に座り直す。

千二百年前、この王子は、陰謀の首謀者を(あぶ)り出すため、やむなく、父王ベルゼブルと兄タナトスを手にかけたのだ。
その死体を、ダイアデムも見た。
たしかに、綺麗な殺し方ではなかった。
日頃の恨み……どちらも第二王子に優しくなかった……も、あったのかも知れない。

しかし、あの時は、他に方法がなかったのだし、その後、二人はちゃんと蘇生されている。
口さがない宮廷スズメどもが、何と噂しようと、計算され尽くしたあの惨劇があったからこそ、謀反人達を一網打尽に出来たのだ。
罪どころか、一番の功労者は、この第二王子だろう。
不機嫌な顔をしつつも、その場を去らなかったのは、宝石の精霊がそう思っていたからだった。

「済まないね……」
第二王子は、淋しそうな笑顔を見せた。
「でもお前、昔から私を避けていたけれど、そんなに私が嫌いなのか?」
「……。よく分かんねー」
ダイアデムは頭を振った。
理由は不明ながら、彼は、惨劇の以前から、この王子が大の苦手だったのだ。

「それよか、何を話しゃいーんだ?」
「ああ、そうだね……では、まず、陛下はお元気だろうか……」
おずおずと、サマエルは尋ねた。
こちらも、どことなくほっとして、宝石の化身はうなずいた。
「ベルゼブルのヤローなら、ものすっごく元気で、タナトスに色々言っちゃあ、ウザがられてるぜ。
『俺のやることに一々文句つけるな、くそ親父!』ってさ」

王子も、安心したように、笑みが深くなる。
「……そうか。眼に浮かぶようだな」
「そりゃそーだろ! お前がいたころから、あいつらよく怒鳴り合ってたもんなー、はっはっは」
「そうだったねぇ、ははは」
二人は思わず、声を揃えて笑った。

初めは腰が引けていたダイアデムも、いざ会話を始めてみると、思ったより話がしやすいことを発見して、少々驚いていた。
もちろん、王子のことは生まれたときから知っており、様々な儀式の際にも同席していたのだ。
人間の子供達を相手にするよりも、話が合うことには何の不思議もなかった。

そこで、ほんの少しのつもりだったのだが、どちらも眠りを必要としない二人は、いつの間にか話に夢中になって、空が白み始めるまで積もる話に花が咲いたのだった。

「ようやっとお前も、私に慣れてくれたようだね。
いつも不思議に思っていたよ。
タナトスとは仲がよさそうに見えるのに、どうして私を恐がるのかな、とね」
太陽が昇り、すっかり明るくなった頃、サマエルが言った。
「そうだな、話してみりゃ、そんなにおっかなくはないんだな、お前。
……どうしてオレ、お前が恐かったんだろう……。今は、あんまり恐くない……。
いや、待てよ……。え~と、う~ん……」
ダイアデムは、腕組みをし、真剣に考えを巡らした。

(……おかしいな、何か忘れているような……あれ? 大体、こいつとこんなに間近で長いこと話すの、初めてなはずだぞ。
なのに、何で、こんなに懐かしい感じがするんだろ……?
オレの記憶は、全部、“焔の眸”の結晶面に刻み込まれて、永遠に保存されちまう……だから、何があったって、絶対覚えてる……“忘れる”なんて不可能だ……。
なのに、いくら思い出そうとしても、こいつと話した記憶はない……。
でも、たしかに……どこかで、同じようなことがあったような気がして、仕方ねーんだ……。
……どこかで……どこだ? ……いつ、何があったんだ……?)

そのときだった。突如、すべての記憶が(よみがえ)って来たのは。
(──ああっ……! そ、そうだった……!
い、いけねぇ……なんてこった!)
怒涛(どとう)のように、危険な記憶が押し寄せて来る。
彼は、真っ青になって口を押さえ、悲鳴を上げそうになるのをどうにかこらえた。

「ンなこと、どーだってい、いいだろ!
そ、それよか、そ……ろそろあいつらを起こした方が、いいんじゃねーか?
昼もとっくに過ぎてるしよ!」
上ずる声で言うと同時に、彼は勢いよく立ち上がり、ドアへ走り寄った。

追われるウサギのような彼の態度に接したサマエルは、不思議そうだった。
「いや、まだ寝かしておいた方がいいだろう。
ねえ、ダイアデム。話したくなければ、無理に理由は聞かないよ。
ちょっと疑問に思っただけだから」
「……いつかは話すときも来るだろう……だけど、今はダメだ……。
ちょっと、あいつらの様子を見てくる」
宝石の精霊は、うなだれ、目線を落としたまま、部屋を後にした。

「……ダイアデムのあんな表情は、初めて見る……。
彼はあれでも、私など及びもつかぬほどの長きに渡って生き続けている魔物、他人には言えないこともあるのだろうが……先ほどの驚きようは、……どうしたのだろう、一体……。
私の“罪”とは関係がなさそうだが……あれ以外に、彼を怯えさせるような理由は、特に思い当たらないのだがな……?」
一人残ったサマエルは、首をひねっていた。