~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

2.賢者サマエル(2)

「……寒くなって来たな、寝袋に入れ」
ダイアデムは、二人に声をかけた。
「お前達には想像もつかないだろうな。
……魔界。瘴気(しょうき)が渦巻く過酷な世界……それでも、魔族にとっては故郷(ふるさと)……」

宝石の化身は、語り始めた。
薄墨色をした魔界の夜空に広がる星座の輝きを、風に揺れる木々がさやぐ様を、ざわめく人々の声を。
そして、魔界王の宮殿である豪華絢爛(けんらん)汎魔殿(はんまでん)にて、夜毎(もよお)される舞踏会のにぎわいを。
流れるがごとく、(うた)うがごとく、ささやくがごとくに話は続いていき、吟遊詩人のような語り口、生来の美声と相まって、魔力は一切使っていないにもかかわらず、あたかも魔術をかけられたかのように、人族の少年と少女とは魅了され、いつしか睡魔に襲われて、深い眠りへと落ちていく。

「……やれやれ、やっと寝たか。ガキのお守りも疲れるぜ」
リュックから取り出した薄手で保温性の高い布を、安らかな寝息を立てる少年達にそっとかけてやりながら、ダイアデムはつぶやいた。
“焔の眸”自身は夢魔ではなかったが、長く夢魔の(おさ)たる魔界王に仕えていたこともあって、相手を眠りに(いざな)うのは得手とするところだったのだ。

しばらくして、ふとリオンは目覚め、眼をこすりながら起き上がった。
辺りはまだ、真っ暗だった。
「あれ、いつの間に寝ちゃったんだろう……あ」
すぐ隣で、ライラが眠入っていることに気づいた彼は、声を潜めた。
「なんだ、小便か?」
そう声をかけて来た、焚き火の向こうのダイアデムは、休んだ様子はなかった。

「ううん、違うよ。……お前は寝ないの?」
尋ねると、宝石の精霊は、薪をくべながら答えを返してきた。
「誰かが火の番してねーと、また、獣が出るかもしんねーだろ。
オレは夜行性だし、封印されてるとき以外は、眠る必要もねーからな。
も一回寝ろ。睡眠不足だと、明日きついぞ」

「……うん……」
うなずいたものの、リオンはそのまま、少しの間、ぱちぱちとはぜる炎を見つめていた。
それから、幼い子供に戻ったような気分で、彼はダイアデムに話しかけた。
「……ねえ、ダイアデム……ぼくの封印、ホントに解けるかなあ……。
ちゃんと魔法使えるようになるのかなあ……?
魔法使えるようになったら、何しようか……。
お前は、どんな魔法が使えるの……? 魔法使えるって、やっぱり楽しいよね……?」

複雑な表情を浮かべて、夢見るような少年の顔を見ていた精霊は、突如苛立ちをはっきりと(おもて)に出し、冷ややかな返事をした。
「うっせえな、オレの知ったことか!
──さっさと寝ちまえ、くそガキ!」
リオンの眠気は、いっぺんに吹っ飛んだ。
「……な、何だよ、また子供扱いして!
どんだけ長生きしてんだか知らないけど、お前の精神年齢は、ぼくと大して変わらないじゃないか!」

「当ったり前だろ、魔物の成長ってのはな、人間よりずーっと遅ぇんだ。
……特に妖精とか精霊の(たぐい)は、姿そのもんが年を表わすんだし」
ダイアデムはそっけなく言った。
「……どういうこと?」
リオンは首をかしげた。

宝石の化身は、じろりと彼を見た。
「……前にオレのこと、十二歳くらいに見えるって言ってたよな?」
リオンは同意した。
「う、うん、それくらいに見えるけど……もっと年食ってるんだろ?」
「ああ。けどな、あと何万、何十万年経ったって、オレの見た目はこのまんまなんだぜ」
紅毛の少年は、自分の胸をぽんとたたいた。
「え? 魔族って、年取らないの?」
リオンは眼を丸くした。

ダイアデムは眉をしかめた。
「誰がンなこと言ったんだよ、バカ。
いいか、よく聞け。魔族だって年は取る。人間よりかはゆっくりだし、寿命は十万年くらいだ。ああ、もっと長生きするヤローもいるけどな。
……で、オレみたいな精霊ってのは、普通の魔族とは、ちょっくら違ってて、体も心も成長しねー。
ガキの姿で生まれたら、死ぬまでガキんちょのまんま。ジジイで生まれりゃ、生まれた瞬間からジジ臭いってわけさ。
ま、元々生き物じゃねーんだし。姿や年なんざ、どーでもいいようなもんだろ?」
「……へえ……そうなんだ……」
リオンはそう言うなり黙り込んで、ひざを抱え、じっと考え込んだ。

(魔族の寿命は、十万年……)
ダイアデムの言葉が彼の脳内を駆け巡り、焚火がぱちぱちはぜる音だけが、静かな夜の山に響く。
──ホウ、ホウ。
どこかでふくろうが鳴いた。

そんな少年のようすを、じっと見ていた宝石の精霊は、突如口を開いた。
「そう言うお前こそ、何歳なんだよ」
リオンは、ぎくんとした。
ダイアデムの紅い瞳と眼が合うと、彼の狼狽はさらに増す。
「ぼ、ぼくは……」

「う~ん……」
その時ライラが寝返りを打ち、緊張が破れた。
リオンは、さっと寝袋に潜り込み、反対側を向いた。
「お休み……」
「ふん、うまく逃げやがったな」
ダイアデムはつぶやき、また木の枝を焚火にくべる。
火のお陰か、その夜は、もう、彼らの眠りを妨げるものは何もなかった。

「──おい、起きろ、ライラ、リオン!
さっさと出発しないと、食料は二日分しかないんだぞ!
食い物なんざなくたって、オレは構わねーけど、お前らがひもじい思いをするんだからな!」
薄暗い空に、うっすらと爪痕のような三日月が残る朝まだき、深閑(しんかん)とした山の中に、少年の澄んだ声が響く。
「……あ、おはようございます。
素敵なお話だったのに、いつの間にか眠ってしまったんですわね、すみません」
ライラはすぐに目を覚まし、そそくさと身支度を整える。

「いいって。疲れてたんだろ、無理すんなよ。
早く起きろって、リオン!」
宝石の化身は、乱暴に栗毛の少年を揺さぶった。
「……も、もう起きてるよぉ」
頭がはっきりしないまま、リオンはもごもごと返事をする。

「嘘つけ、寝ぼすけめ。声が寝てるぞ」
「そんなことないよ。あーあ……あ?」
伸びをした瞬間、リオンは昨夜の会話を思い出し、とっさにダイアデムの顔色を(うかが)った。
だが、相手は、ささいなことと思ってか、すっかり忘れてしまっているようで、彼は安堵した。

そうして、朝食を手早く済ませ、三人は出発した。
先はまだ長い。ライラの体調に合わせて、三人は休み休み登り続けた。
幸い、天気はよかった。
リオンには、もうケンカをするだけの気力はなく、ダイアデムもちょっかいをかけて来ることはなかったので、午前中の三人は、黙々と行程をこなした。

「よーし、止まれ」
太陽が真上に来た頃、ダイアデムが不意に立ち止まり、王女を振り返った。
「疲れたか? ライラ」
「いえ、大丈夫ですわ」
「顔色よくねーぞ。そろそろ昼だし、ちょっくら長く休み取るか」

「でも、また遅れてしまいます……」
王女は首を横に振った。
「ぼく、お腹すいた。お昼食べようよ、ライラさん」
リオンがすかさず口をはさむ。

「そ、そう……そうね」
「よっしゃ、決まり。あ、あっちら辺が少し開けてるぞ、あそこにしよーぜ」
ダイアデムが指差す。
そこで、彼らはもう少し登り、まばらな木々の間に荷物を置いた。

簡素な昼食を終えた後、リオンは宝石の化身に尋ねてみた。
「ねぇ、ダイアデム。サマエルって、一体、どんな人なんだい?」
「……んー? そーだな……タナトスは見たろ。
あいつとの違いは、髪が銀色で、角が一本だけで、それも頭じゃなくて、額に生えてるってこと……くらいかなぁ」
紅い髪をくるくると指に巻き付けながら、面倒くさそうにダイアデムは答えを返した。
よくそうしているので、癖なのだろうとリオンは思った。

「ふうん……顔は似てるんだね?
性格は? やっぱりあんな感じ? 怒りっぽいの? だったらヤだな、そんなことないよね?」
リオンは、立て続けに問いを発した。
サマエルに会うことになってからずっと、心の中にたくさんの疑問が渦を巻いていたのだ。

ダイアデムは、眉を寄せた。
「顔は、双子のようにそっくりって言うヤツもいるけど、オレは全然そう思わねーな。
……けどお前、サマエルにゃ、ンな風に根掘り葉掘りしつこく訊かねー方がいいぞ」
「どうしてさ?」

「前にも言ったろ、怒らせたらすっげー恐いんだ、サマエルは。
タナトスだけじゃなく、親父のベルゼブルまで、あいつにぶっ殺されかけたことあんだぜ。
……あんときゃホント、ヤバかったなー。一面血の海でさー。
オレ、マジに、ちびりそーになったもんな」
ダイアデムは、さも恐ろしげに、肩をすぼませて見せた。

「ええっ! ほ、本当ですか!?」
「ぼく、そんなおっかない人に、封印、解いてもらわなくちゃならないのか……」
ライラは驚き、リオンは不安になって、無意識のうちに右手の痣をさすっていた。
それを見たダイアデムは、畳みかけるように、いかにも恐しそうな口調で続けた。
「だーかーらぁ、言っただろぉ~?
ものすっご──くおっかないんだぜぇ……あいつわ……」

「でも、わたしの知っている賢者とは、だいぶイメージが違いますわね……。
彼は、とても温厚なお人柄だと聞いていましたのに……」
ライラが首をかしげた途端、こらえ切れなくなったダイアデムは、つい、吹き出してしまった。
「ぷぷっ……くっふふふっ……」

その態度にピンと来たリオンは、ばっと立ち上がり、紅毛の少年に指を突きつけた。
「こ、こいつめ、からかったな!? ホントは違うんだろ!
サマエルは、そんな怖い人じゃないんだな!?」

「──あっはははは! ホントだよ、おっかないのは。
親父や兄貴を()りかけたってのも嘘じゃねーってば。
けど、よっぽどのことがない限り、簡単にキレるようなヤツじゃねーよ、サマエルは。
性格は、タナトスと正反対で、いつもはすっげー優しいし。
あ──ははははは──! 見たかぁ? ライラ。
こいつのビビった間抜け面──!」
ダイアデムは、とうとう地面にひっくり返って腹を抱え、足をバタバタさせて大笑いを始めた。

「こ、このヤロ──!」
「──おおっと!」
真っ赤になって飛びかかるリオンを、バネ仕掛けの人形のように跳ね起きて、ダイアデムは素早くかわす。

ついで、鼻に親指を当て残りの四本指をヒラヒラさせる、彼お得意の、相手をとことん愚弄するポーズを取った。
「へへん、オレとヤろうなんざ、一万年早いよ──だ!
ここまでおいで、オニさんこちら──アッカンベロベロバア──!」
その上であかんべーをして、速攻で逃げ出す。

「ち──ちっくしょう! 待てっ! この悪ガキめっ!
今度こそ、一発殴ってやる!」
怒り心頭に発したリオンは、宝石の少年を追いかけた。
「……どうしようもないわね、あの二人は。……勝手におやりなさい」
ライラは、とうとうあきれ果て、止めに入るのはやめにした。

「やーいやーい、臆病(おくびょう)もん! のろまのガキんちょー!」
「待て──!」
初めは、ただ相手に翻弄(ほんろう)されていたリオンだったが、ここでは魔法が使えず、その上、休憩した空き地がさほど広くなかったお陰で、口の悪いいたずら精霊を、ついに大木の根元に追い詰めた。

「お、おい、もう……やめようぜ……オレ、もう、疲れた……」
息を弾ませながら、ダイアデムは提案したものの、腹の虫が治まらないリオンは、それを蹴った。
「──うるさい! お前が始めたんじゃないか! もう許さないからなっ!
絶対取っ捕まえて、とっちめてやる!」

「待って、二人とも……」
その時、ライラが声を掛けた。
「止めないでよ、ライラさん! 一度こいつ、ガツンとやってやらなきゃ……!」
「違うの、あれを見て……!」
いつもと違うその声に、リオンが彼女が指差す方を見ると、そこにいたのは……。

青みがかった銀色の美しい毛並みと、傷だらけの体、食いちぎられた片耳を持ち、そして、不思議と知性を感じさせる、闇を(はら)んだ瞳を光らせた獣……それは、昨日三人を取り囲んだ狼の群れのリーダーだった。