~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

2.賢者サマエル(1)

翌日。
「よく眠れたって顔じゃねーな、お前ら」
昼近くになってやっと起きた二人にそう言ったダイアデム自身にも、疲労の色が濃かった。
「ええ、何だか、あまりよく眠れなくて。
あなたもお疲れのようですわね、ダイアデム。サマエル様は見つかりまして?」
ライラは眠そうに尋ねた。
リオンは大きなあくびをした。
「ぼくも寝つけなくて……。やっと眠れたと思ったら、夢ばっかり見て……ふぁああ……」

宝石の少年は舌打ちした。
「──ち、のんきにあくびなんかしやがって。
ああ、一晩中かったけど、よーやく見っけたぜ、サマエルを」
「えっ、やったぁ!」
「まあ、寝てらっしゃらないの?」
単純なリオンは、ただ喜んだが、ライラは彼を気遣った。

「あー、しんどかったぁ」
ダイアデムはわざとらしく両手を天に突き上げ、伸びをした。
「お疲れ様でした」
王女は軽く会釈する。

「けど、疲れてんのは、起きてたせいじゃねーよ、ライラ。
片眼だと魔力足りなくて、探すのが大変でさー。
しかも、やっとこさ、あいつの波動捕まえたと思ったら、今度は、いくら呼んでも返事がねーし。
あいつ、退屈しすぎて寝てるんだと思うぜ。
めんどーでも直接、会いに行かなきゃなんねーな……」
そこまで言うと精霊は、急に大げさな溜め息をつき、頭を抱えた。
「……はぁあぁ……超気ぃ進まねーよ、寝てるサマエルをたたき起こすなんてー。
お前らは知んねーだろーけど、タナトスなんかより、あいつの方がずーっとおっかないんだぜ、くわばら、くわばら……!
……オレ、マジ苦手なんだよぉ……」

「そんなこと、(おっしゃ)らないでください……。わたしにはもう、他に頼る方もいないのですから……」
緑の瞳を(うる)ませて哀願するライラに、リオンも加勢した。
「そうだよ、あんたは、道案内をしてくれるだけでいいんだから!
──な、頼むよ!」
「……チェッ、分かったよ、連れてきゃいいんだろ」
必死に頼み込む二人の気迫に押され、ダイアデムは渋々同意した。
「……まぁ、その封印一目見りゃ、力貸してくれるとは思うんだけどよ……」

「えっ、これを? なぜさ?」
リオンは痣と、宝石の精霊の顔を交互に見た。
「そいつは、すっげー特別なもんなんだ。奴に会えば分かるさ。
──さあ、とっととメシを食えよな。またうまいもん、出してやるからよ」
彼は、そう言ったきり、二人がいくら尋ねても、理由は教えなかった。

自分が出した朝食を二人がとり終わるやいなや、意気揚々とダイアデムは宣言した。
「──さーて、出発するぞ! 
サマエルの住処(すみか)は、ここから歩くと一週間ぐらいかかる山ん中だ」
「ま、待てよ、ダメだ。こんな真昼に砂漠を歩くなんて、自殺行為だぞ!」
リオンは驚き、やめさせようと叫んだ。

ダイアデムは、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ふん、だーれが、のんびり砂漠を旅するなんて言った?
魔法で連れてってやるんだよ、オレにとっちゃあ朝メシ前さ。
……あ、もうメシはすんじまったんだっけ」
ライラが、慌てて口を挟む。
「待って下さい、あまり強い魔法を使うと、弟に気づかれてしまいます。
以前、追いつめられそうになったことがあるのです」

宝石の化身は肩をすくめた。
「強いのは使わねーよ、心配すんな。ただの移動呪文なら平気だろ?
それに、どうせ、最後の一日かそこらは歩きになるしよ。
奴のテリトリー近くで魔法使うと、結界が自動的に強化されるだけじゃなく、下手すりゃ攻撃されるかもんしんねーんだ。
──ムーヴ!」
二人が何か言うより早く、突如ダイアデムは移動呪文を唱えた。

「──わあっ! ち、ちょっと……!」
「きゃっ!」
浮き上がるような移動感が全員を捕え、それが収まったとき、三人は見たこともない景色の中にいた。
「まあ、ここは……?」
「……まったくもう、いきなりすぎるんだよ、ダイアデム!
ぼくらにだって、心の準備ってものが……!」
リオンは、ぶつぶつこぼしたものの、ライラは感慨深げに言った。
「ご覧なさいな、リオン。ここは、砂漠とは別世界よ」

「え……?」
リオンは周囲を見回した。
鬱蒼(うっそう)と茂る黒い林が視界をさえぎり、あまり遠くは見通せないものの、角張った大岩があちこちに転がり、砂漠の熱く乾燥した空気とは正反対の、ひんやりと湿り気を帯びた空気が彼らを包み込んでいた。

「さ、寒い……」
不意にライラは自分の肩を抱き、ぶるっと体を震わせた。彼女の服は薄手で、しかも半袖だったのだ。
「あ、悪りぃ悪りぃ、美人の柔肌(やわはだ)にゃきついよな。
──カンジュア!」
ダイアデムの呪文に応え、ふんわりしたケープと歩きやすい靴が、彼女を優しく包み込む。

「──はっくしょん!」
「……ちっ、何だよ、お前もか?
──スペルバインド!」
くしゃみをしたリオンには、動きやすい上下と靴が、一瞬のうちに元の服と交代していた。
「ありがとうございます。とても暖かで素敵ですわ、このケープ」
笑顔のライラに対し、リオンは膨れ面だった。
その服は、色もデザインもまったく彼に似合っていない、ひどいものだったのだから。
「何だよ、これ! 滅茶苦茶変じゃないか!」

彼の抗議を柳に風と聞き流し、ダイアデムはにやついていた。
贅沢(ぜいたく)言うんじゃねーよ、リオン。
こっからは歩きになる。山道だから、ライラにはちょっときついかもな。ゆっくり行こうぜ。
おっと、今のうちに食料と水、それから寝袋を用意してっと……二日分あればいいよな。
……そら、持てよ。こっちは持ってやる」
「ちぇっ……」
ダイアデムが魔法で出したリュックの一つを、渋々リオンは背負う。

それから、三人は、ダイアデム、ライラ、彼の順に登り始めた。

しかし、いくら登っても、まったく人の手が入ったことがなさそうな傾斜が、ひたすら続くだけだった。
リオンは不安になり、尋ねた。
「道もないじゃないか。本当にここでいいのか、ダイアデム……」
「このオレに、間違いなんかあるわけねーだろ。
サマエルは絶対ここにいる、頂上に近づけば、鈍いお前にも感じられるさ」
宝石の精霊の答えは、傲慢なほど自信たっぷりだった。

「何だよ、鈍くて悪かったな!」
彼はむっとして叫んだ。
「また始まったわね、ケンカはおよしなさいな」
ライラがまた、間に入る。
「……はい、ライラさん……」
リオンは大人しく従ったものの、宝石の化身の方は王女の小言など気にも止めず、さらに少年をからかう。
「やーい、やーい、怒られてやんの! ガキ!」
「なにぃ、どっちがガキだ!」
「──およしなさいってば!」

それから三人は、黙って山を登った。
岩だらけの獣道を、やぶをかき分けながら進まなければならない。
病み上がりの王女を気遣い、また、登山に慣れていないせいもあって、彼らの歩みは、はかどらなかった。
出発したのが昼を回っていたせいで、気づくと、太陽は山の向こうに沈み、夜行性の動物達が活動を始める頃合となって来ていた。

「……き、気味の悪い声が聞こえない? 何かしら……」
ライラは震える声で言い、辺りを見回した。
「あ、狼だよ、ライラさん」
風に乗って、狼達の遠吠えが聞こえてくる。
それは淋しい山の中で聞くと、命の危険を感じさせる声だった。
ダイアデムは、一応足を止めたが、平気な顔をしていた。
「……ああ、狼どもの狩りの合図だな」

「ま、まさか、わたし達が標的……!?」
ライラは青くなった。
「そうみてーだなぁ」
「そ、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろ!」
リオンが大声を上げても、宝石の化身の表情は変わらない。
「静かにしろって。オレがいりゃあ、大丈夫だからよ」
ダイアデムが安請け合いしている間にも、遠吠えは徐々に近づいてくる。

「──きゃあ! リオン、今、そこに!」
王女が悲鳴を上げた。
「えっ、どこ!? ……あ!」
気づくと、下生えの間から、ちらちらとたくさんの禍々しい眼が覗き、荒い息遣いが彼らを取り囲んでいた。
「ど、どうしましょう、リオン……!」
「ダイアデム、火、火を出して!」
「いや、ンなモン必要ねーよ」
怯える二人とは対照的に、ダイアデムは完璧に落ち着き払っている。

狼達はついに堂々と姿を現し、飛びかかるすきを(うかが)って、ぐるぐると三人の周囲を巡り始めた。
「な……何考えてるんだよ、ダイアデム!
武器も魔法もなしで、こんなにたくさんの狼……どうすんのさ!」
ライラだけは死んでも守り通すつもりでいるリオンも、つい、泣きそうな声を出してしまう。

そのときだった。
突然、群れがさっと左右に分かれ、一回り大きな狼が、悠然とした歩みで彼らの前に現れたのだ。
「ライラ、下がって!」
リオンは、とっさに王女を後ろにかばった。

他の狼が暗い灰色なのに対して、その狼は、青みがかった銀色の美しい毛並みをしている。
その体は、数々の挑戦者をしりぞけて長年ボスの座に君臨してきた証に、あちこち傷だらけだった。
特に片方の耳は、食いちぎられてほとんど残っていない。
狼達のリーダーは、値踏みをするように三人をじっと見つめた。
その黒い瞳は、ただの狼とは思えないほど、理知的な輝きを放っている。

「お前がこの群れの(おさ)か、片耳の狼」
ダイアデムは静かに、狼に話しかけた。
「──ワウ」
まるで言葉が分かってでもいるかのように、狼は小さく()える。
それを合図に、数匹の狼が飛びかかって来ようとしたが、長は短く唸り、仲間の行動を制した。

ダイアデムは一歩前に出た。
「てめーら、食料は他で調達しろ。
どうしても()りてーってんなら相手してやっけど、このオレに刃向かうヤローにゃ、容赦しねー。
全部、噛み殺してやる」
そして腕組みし、獣達を睨みつける。

冷ややかな声と“紅い瞳の輝きに(おびや)かされ、狼の長はびくりとたじろいだが、それでもなお、しばらくの間三人を見つめていた。
黒い瞳が、思慮深げな光を帯びて(きらめ)く。

「どうすんだ、え? オレは気が短い。早くしろ」 
「──ウワオーン……!」
急かされた狼は、意を決したように一言遠吠えをした。
見る間に統率の取れた群れは、撤収を開始する。
数頭が未練がましく三人の周りをうろついていたものの、リーダーにたしなめられると、渋々群れに戻っていった。

徐々に、足音と遠吠えが遠くなってゆき、やがて、静けさが戻ってくる。
ダイアデムは、何事もなかったように伸びをした。
「よーし。今日はここらで休もーぜ。
リオン、(たきぎ)集めて来いよ。火を()きゃ獣達ももう、オレらにゃ構わねーだろ」
「……はあぁ……どうなることかと思ったよ、まだ震えてる……」
リオンは、我ながら情けないと思いつつ、その場にうずくまったまま動けなかった。

「ふん、情けない男だな! 働かなきゃ、食わせねーぞ!」
宝石の少年は、冷たく言ってのける。
対照的に、王女に向ける表情は優しかった。
「大丈夫かい? ライラ。何か食えよ、そうすりゃ元気になるさ」
「ええ、そうね……」
血の気のない顔をしたライラは、リュックを降ろし、ぎこちなく食料を取り出す。
リオンも、どうにか立ち上がり、そこここに落ちている木の枝を拾い始めた。

魔法が使えないため、火打ち石で薪に火をつけ、簡素ではあるが温かい食事をとる。
そうして、人間の少年と少女とはようやく人心地がつき、談笑する気力も出て来た。
「……はあ、ンな調子じゃ明日の夜、着ければ早い方か……」
ひじを枕に寝転んで、二人の食事風景を見ていたダイアデムは、眼にかぶさってくる紅い髪を、うるさそうにかき上げた。
「すみません、わたしが足手まといで……」

肩身の狭そうなライラに、彼は首を振って見せた。
「ンなこたねーさ、魔法使えればすぐなのにって思うと、じれってーだけだよ。
……しっかし(ひま)だな。退屈しのぎに、魔界の話でもしてやるか?」
「ええ、お願いします!」
「うん、ぼくも聞きたい!」
「んじゃあ、えっと……何から話そうか…な……」
二人が身を乗り出すと、ダイアデムはゆっくりと起き上がり、燃え上がる炎を見つめた。

焚火の灯りがちらちらと、彼の紅い瞳と髪に照り映え、それは息をのむほど美しい眺めだった。
ライラもリオンも、思わず、うっとりとその姿に見入り、彼が話し始めるのを待った。