~紅龍の夢~

巻の四 THE RED DRAGON'S SEAL ─紅龍の封印─

1.“焔の眸”(5)

「わっ!? (まぶ)しいっ!」
「来るわ……!」
ややあって、(まばゆ)い光が消え、リオンとライラが眼を開けると、淡い輝きに包まれた人影が、魔法陣の中に浮かび上がっていた。

両手で自分の肩を抱き、うつむき加減でまぶたを閉じている。
燃えるような深紅の髪を無造作に背で束ね、背中に羽こそ生えていないものの、その整った顔と、ほっそりとした体格、伸びやかな手足は、いたずら好きな小妖精を連想させた。

「ほ、ほんとに来た……!」
リオンが思わず声を上げると、精霊は眼を明けぬまま、紅い唇を動かした。
「……ようやく着いたか。……で、オレを召喚したのは、どいつだ?」
その声は、少女のような、澄んだボーイソプラノだった。
ライラは首をかしげた。
「あら? 先ほどのお声とは、ずいぶん感じが違いますのね。
もっと低音で……そして……何というか、とても奇妙な響きでしたけれど……」

深紅色の髪を持つ少年は、軽く肩をすくめた。
「さっきは、キミの頭ん中に話しかけてたからな。“念”と生声とじゃ、感じが違うんだろ」
「まあ、それで……」
王女は納得したようにうなずく。

(へえ、こいつ、男か……可愛い顔してんのに)
やっと現れた精霊を、最初少女だと思ったリオンも戸惑っていた。
しかし、よくよく観察すれば、そばかすだらけの顔に浮かぶ、きかん気そうな表情は、ライラとのやり取りを聞くまでもなく、完全に少年のものだった。

「ンなコトより、何の用だ?」
精霊は苛立たしげに髪をかき上げ、我に返ったライラは話し始めた。
「あ……す、すみません、あの、お願いが……」
「その前に、オレの瞳を返せ。見えねーと色々不便なんだよ」
話をさえぎり、宝石の化身は手を突き出す。
「え、これ、あなたの眼なのですか……?」
王女は、面食らいながらも首の後ろに手を回し、ペンダントを外した。

「待って、ライラさん」
紅く輝く宝石を差し出そうとした彼女を、リオンは止めた。
「どうしたの、リオン?」
「ホントに、この少年が精霊なの?
だって、声も違うって言うし、それに、どう見たってぼくよりも二、三歳も小さい、十二かそこらの子供にしか見えないよ?」

すると、宝石の精霊は、まだしっかりと眼を閉じたまま、答えた。
「……オレを疑ってんのか? 
ま、たしかに外見はガキだが、オレは、お前らが想像も出来ないほど年取ってんだぞ。
魔族は、人族とは違うんだからな。
──さあ、早く眼を寄越せよ。そしたら証拠、見せてやっから」

「ダメだよ、これはとっても大切なものなんだ、お前が本物だっていう証拠を……」
「大丈夫よ、リオン、心配いらないわ」
なかなか首を縦に振らないリオンを、今度はライラが制した。
「え、でも……」

「言い伝えにはこうあるのよ。
『心を込めて彼を呼べ、願いが届けば、紅毛の少年が現れる。
いかに年若く見えようとも、彼は遙かに(よわい)を重ね、魔力も人間の比ではない。
誠実に願えば、“彼”は必ず叶えてくれるだろう』、って。
さあ、どうぞ」

「……ありがとな。イナンナが、ンなコトを言ってくれてたなんて……」
少年は、照れくさそうに微笑み、王女の差し出すペンダントを受け取った。
「たしかに、これはオレの眼だ……」
宝石の精霊、ダイアデムは、そこで初めて眼を開けた。

「あっ……!?」
「まあ……!」
二人は驚きに声を上げた。
少年の双眸(そうぼう)には、瞳……つまり黒目の部分がなかったのだ。
水晶球のように完全に透明な、何も宿さぬ両眼は、一種異様な迫力ある美しさで、見る者の背筋をぞくりとさせた。

「見てろよ、これが……オレの瞳だって証拠だ。
──ラディアス!」
少年はペンダントを右眼に持っていき、呪文を唱えた。
刹那、宝石は明滅を開始し、紅い輝きがおびただしい光の粒へと変わる。
そうして、精霊の瞳へと吸い込まれ始めた。

(光が眼に入ってく……一体、どうなってるんだ?)
その摩訶(まか)不思議な情景を、リオンは驚きに打たれて見つめていた。
隣にいるライラもまた、身動き一つできないでいる様子だった。

紅い光はそのまま、どんどん瞳に吸収されていき、やがて宝石の紅い色は、すっかり消えてしまった。
沈黙の中、おもむろに眼を閉じた精霊は、腕組みをし、しばらく不動の姿勢を取る。

そして、再び少年が目蓋を上げた時には、色のない眼は、血のように紅く染め上げられており、その中央には、虹彩の代わりに、燃え立つ黄金の炎が宿っていた。
「……ふう。久しぶりだぜ、この眼を使って見んのは。
へえ……血は争えないな、キミはイナンナによく似てるよ。
そら、返すぞ。もう、こいつには用がない」
まじまじとライラを見てから、宝石の化身はペンダントを返す。

「あ、はい……」
ライラは、透明になってしまった宝石と精霊を、驚いたように見比べた。
「“魔”だ……! ライラさんは平気なの……!?
こいつはホントに魔物だよ!」
リオンは叫んで後ずさった。

元々、彼は、魔界や魔物などの存在に関しては、極めて懐疑的だった。
サマエルのことも、千年以上も生きているなどとははったりで、本当のところは、他人よりは多少長生きの……せいぜい、百歳かそこらの老人なのだろうと思っていたのだ。
初めて眼にする魔界の者の異質さに、彼はパニックを起こしかけていた。
それに、少年の左眼はまだ透明なままで、それを見ているだけで、なぜか、彼は逃げ出してしまいたくなるのだった。

王女は、彼の肩に手を置き、優しく押しとどめた。
「落ち着いて、リオン。わたしには、彼が邪悪だとは思えないわ。
……ですが、左眼はどうして元のままなのですか? ダイアデム様」
宝石の化身は、思い切り不快な顔をした。
「──ちっ、だから、人間なんて嫌なんだ。来なきゃ良かった」
「そんなこと仰らないで下さい、ダイアデム様。
お気を悪くされたのなら謝りますから、お話を聞いて下さいませ……」
「はーあ」
美女に懇願され、ダイアデムは、諦めたようにため息をついた。
「……分かった分かった。ライラ、オレに“様”なんかつけなくていーぜ。
イナンナと約束したんだ。困ったとき助けに行くから、子孫にもそう伝えといてくれって。
用件を言いな……と、その前に」
突如、精霊は紅い髪をばさりと引き下ろし、透明な眼を覆い隠してしまった。
それを見たリオンは、気分が落ち着くのを感じた。

「落ち着いたか、ガキ? まったく世話が焼けっぜ」
宝石の少年は、空中に浮いたまま魔法陣から出て来て、暖炉前の床にあぐらをかいた。
「お前らも座れよ。どうせ、長い話になるんだろ?」
「はい……」
そこで、ライラはダイアデムのそばに座り、リオンは少し離れて腰を下ろして、今までのいきさつを、ようやく話すことが出来たのだった。

「……ですから、弟を止めなくてはなりません。
地上をすべて自分の物とするなんて、出来るわけがありませんし、また、望んでもいけないことだと、わたしは考えています」

話が終わると、ダイアデムは、カリカリと耳の後ろをかいた。
「……ふん、ンなヤローは、放っといても自滅して終わりだと思うけどよ。
でもま、イナンナの子孫の、たっての望みだし、手ぇ貸さなきゃなんねーだろうな。
──要するにだ、死なない程度にたたきのめしてやって、目を覚まさせりゃいいんだろ?」

「乱暴なことを言うね……!」
リオンはあきれた。
「……端的に言えば、そういうことなのですが、弟の魔力は、今もどんどん増大しているようです。
こんな辺境の地にいても、弟の力を感じるときがあります、(あなど)れませんわ」
ライラの言葉に、宝石の化身は同意の身振りをした。

「それは、オレも感じているさ、着いたときからな。
……んーでもよ、手を貸してやりたいのは山々なんだけどー、人界の争いに、魔族は直接介入できねー決まりになってんだ。
だからオレは、キミの弟を、直にぶん殴ってやるわけにはいかねーんだよ、弱ったな」
「そうなのですか。……では、どうしたら……」
「ふ~む……」
彼女のがっかりした顔を見たダイアデムは、じっと考え込んだ。

しばらくして、彼は口を開いた。
「やっぱ、強力な魔法使いを味方にして戦わせるのが一番だけど、全部断られたって言ってたよなー? 
キミも魔法は使えるようだけど、正直言って大したことねーし……。
でもま、イナンナが、全然、魔法使えなかったことを考えれば、かなりの進歩だけど」
「──どうして、見もしないのに、大したことがない、なんて分かるんだよ?」
つい、リオンはむきになって、ライラをかばった。

ダイアデムは、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「へー……お前……。はん、生意気にも彼女に気があるんだな」
「! そ、そんなんじゃないよ! ぼ、ぼくは……ただ……!」
彼が真っ赤になって叫ぶと、ライラは真面目な顔で言った。
「からかわないでください、ダイアデム。
たしかに、リオンは助けてもらった恩人ですけれど、年から言っても、新しい弟が出来たような感じなのですもの」

(えっ……お、弟……!?)
リオンは、唇を噛み締め、うつむいた。
「はははっ! 冗談だよ。
けど、オレは見なくても、相手の魔力の強さくらいは分かるぞ。
お前なんか、さらにまったくダメ……ん? 待てよ……。
ちょいと、その手、見せてみろ」

鼻先で笑っていたダイアデムは、視線がリオンの右手に止まった途端に笑みを消して、むんずと彼の手をつかみ、無理矢理引き寄せた。
「な、何だよ、いきなり! 放せ、痛いじゃないか!」
リオンの手の甲には、紅い、不思議な形の(あざ)があったのだ。

抗議に耳も貸さず、細い体に似合わない強い力で彼の手を捕まえたまま、じっと痣を凝視していた宝石の化身は、やがて大きく息をついた。
「……これは、生まれつきのもんじゃねーな」
「え? そう……なのかな? 物心ついた頃には、もうあったけど……」
あやふやに答えるリオンを解放したダイアデムは、そばかすだらけの顔で、にやっと笑った。
「ライラ、意外なところで、強力な助っ人が見つかったぞ。
こりゃ痣じゃねー、れっきとした”封印”だ。解いたら、こいつ、魔法を使えるようになるぜ」
「ええっ! そ、それ、本当なのか!?」
意外な話に、リオンは思わず大声を出していた。

宝石の化身は、自信ありげにうなずく。
「ホントさ、お前の魔力は封印されてたから、ちゃんと使えなかったんだ。
……けどよ、これ解くにゃ、よっぽど強力な魔力を持つ者が必要だぜ。
かつてのジルか、それとも、魔界王になってるタナトス、あるいはサマエルくらいの。
片眼の状態の、今のオレには無理な相談だな……」

「これが……この痣が“封印”だって……!?
ああ、だから母さんは、サマエルに会えって言ったのか……?」
今まで特別とは思わなかった自分の痣を、リオンは食い入るように凝視した。
「まあ、そうだったのね……」
彼と一緒に痣を覗き込んでいたライラは、ふと気づいたように精霊を振り返った。
「ところで、あなたは、賢者サマエル様をご存じなの?」

「あいつが“賢者”だって? ……へへえ、今はそう呼ばれてるのか。
……ま、知んないのも無理はねーけど……サマエルは人間じゃない。魔界の王子なのさ。
いちおーオレの主人ってことになってる、魔界王タナトスの弟なんだぜ」
紅い髪を無造作にかき上げながらダイアデムは答えた。左眼はつぶったままで。
ライラは緑の眼を丸くした。
「えっ、初めて聞きましたわ。
サマエル様は、魔界の……王子様だったのですか……」

「そーゆーこと。でも今、人界のどこにいるかはオレも知んねーけどな。
……それよか、どうやって封印解くかだけど……。
お前なんかを魔界に連れてったら、オレが大目玉食らっちまうだろーし……。
やっぱ、タナトスに連絡取って、封印解いてもらうしかねーな」
ダイアデムは立ち上がり、魔法陣を振り返った。

「……けど、こいつでまた戻んのも、面倒だな……。
これは仮の通路だから、安定してなくて、通り抜けるのが大変なんだ。
そうだ、この壁使っていいか?
なに、ちっと線を描くだけだ。ここに画像を映してヤツと話をするのさ。
書くもん、何かないか?」

「それならここに。さっき、わたしが魔法陣を描いたものですけど」
「ちゃんと消すんなら構わないけど……ホントにそんなこと出来るの?」
「まあ見てなって」
疑い深そうな眼差しを注ぐリオンを尻目に、精霊は、王女が差し出すチョークを受け取って、壁板に線を引き始めた。

手本もないというのに、宝石の化身は、すらすらと複雑な形状を描いていく。
時と共に精妙さを増す図柄は、人間の眼には意味あるものとは映らなかったが、作業が進むに連れて、単なる白墨の線なのに、まるで生き物のようにうねうねと、うごめいているように見えて来た。

「……動いてる……? そんな馬鹿な」
「あなたにもそう見える? リオン。でも、まさか……」
二人は思わず眼をこすった。

「これでよし。んじゃ、始めるぞ」
ついに模様を完成させた紅毛の少年は、パンパンと手をたたいて粉を払い、呪文を唱えた。
「──クローヴェン・フーフ!
──我の呼びかけに応えよ、魔界の王、黔龍(けんりゅう)王タナトス!」
すると、図形が激しく動き始めた。

今度は、眼の錯覚などではなかった。
白一色のはずのチョークの線が様々な色、形を成し、目まぐるしく変化してゆく。
リオンとライラは、この日何度目かの驚きに打たれて、言葉を失い、その動きにただ見入っていた。