1.“焔の眸”(3)
(……女神? 仙女? それとも妖精……?
ぼく、こんな美しい人を見るのは、初めてだ……。
こんな人を、この眼で見ることができただけで、ぼくは幸せだ……。
生きててよかったって、心から思える……)
リオンは口も利けず、うっとりとライラを見つめ続けた。
彼はもう、彼女の輝くような姿の
それは、ちっともいやらしいところのない、純粋な崇拝の眼差しだった。
ライラは、彼の視線にどぎまぎし、熱くなった頬を両手で隠した。
「あ……あの、でも、本当にいいの?
お、お母様の形見なんでしょう、このドレス……」
「……え……?」
その声に、我に返ったリオンは、ようやく彼女から眼を離して椅子に座り、話題を変えた。
「い、いいんだよ、気にしないで。
ところで、どうして一人で砂漠にいたか、聞いてなかったよね」
ライラは一瞬ためらったものの、すぐに口を開いた。
「……そうね、あなたなら話してもいいわ、とても親切にしてくれたしね。
わたし、賢者サマエル様を訪ねる途中で、砂漠に迷い込んでしまったの。……そうしたら、あの嵐でしょう? 生きてたのが不思議なくらいよ……」
彼は眼を丸くした。
「サマエル? って、あの……千年以上生きてるって言われる、伝説の賢者のこと?」
彼女はうなずいた。
「そうよ。でも、伝説ではないわ。サマエル様は今も生きているのよ。わたしにはもう、彼を頼るしか道が……」
話がまだ途中だったが、リオンは、ぱっと椅子を蹴って立ち上がった。
「──本当に? どこにいるか、キミ知ってるんだね、教えて! ぼくも、ずっと彼を探してたんだ!」
「──えっ?」
意外な彼の言葉に、今度はライラが驚いた。
「母さんが死ぬ間際に言ったんだ、魔法を使えるようになりたかったら、彼を探しなさいって。
母さんは腕のいい魔法使いだったのに、ぼくはヘマばっかり。
いつか母さんのようになりたいと、ずっと思ってて……だけど、ぼく一人じゃ、どうやっても、見つけることが出来なかったんだ。
教えて、ライラさん!」
彼は勢い込んで
「……ごめんなさい、分からないの……」
「意地悪しないでくれよ!」
彼は必死な眼差しになる。
少女は、否定の仕草をした。
「意地悪してるんじゃないの。わたしも、彼がどこにいるかは知らないのよ。
ただ、この地方で最後に姿を見られたのは確かだから、誰か知ってる人がいるんじゃないかと思って。一緒に探さない?」
すると、リオンはがっくりとうなだれ 椅子にへたり込んだ。
「……そんなら、無駄足だったかも……。
言ったろ、ここいら辺の街や村は、ほとんど、何年もかけて聞いて回ったんだ……。
でも、誰も知らなかった、もう死んでるのかも知れない……」
落ち込む彼に向かい、ライラはきっぱりと言った。
「いいえ、サマエル様は、今もちゃんと生きているわ。
砂漠でなくした水晶球があれば、証拠を見せてあげられるんだけど」
「──水晶球! だったら、母さんのを使うといいよ!」
リオンは
「……えっと、たしかここに……あ、あった!」
木の小箱を見つけた彼は大急ぎでふたを開け、ビロード布で包んだ球体を大事そうに取り出して少女に渡した。
「どうぞ」
「ありがとう、ちょっと待っててね」
しばし、水晶球を額に当て、念を集中させていたライラは、やがて顔を上げた。
「……ほら、見て……」
待ち構えていたリオンが覗き込むと、黒いローブを着た人影が、ぼんやりと映し出されていた。
「こ、この人がサマエルなんだね!」
リオンは栗色の眼を輝かせた。
「ええ、そうよ。
……でも、どこにいるのかを知ろうとすると、いつも曇ってしまうの。
多分、強力な結界を張っているのね。
わたしの力では、彼が、生きて人界にいるってことが分かるだけだわ。
……あーあ……伝説の魔法使い、ジルくらいの力がわたしにあればねぇ……。
──あ、でも、もしそうだったら、サマエル様に会う必要もないか……」
ため息混じりに、ライラは言った。
「でもなぜ、彼に会いたいの? やっぱり、魔法を教えてもらうため?」
リオンは、そう尋ねてみた。
ライラは再びためらったが、すぐに彼を真正面から見た。
「リオン、私の顔に見覚えはない?」
「いや、知らないよ」
彼は即座に否定した。
「そうかしら、よく見て」
「……うーん」
重ねて言われ、彼は少女の顔を再び観察した。
唇の色は、たった一度、海に連れて行ってもらったときに拾った巻貝の、滑らかな内側のピンク色と、そっくり同じに見えた。
……こんな印象的な美少女に会ったとしたら、忘れるわけがない。
リオンは首を左右に振った。
「……知らないよ、やっぱり」
「じゃあ、名前は? わたしの名前に聞き覚えはない?」
少女は、じれったそうに再度尋ねた。
「……ライラ……ライラと……あれ?」
腕を組み、懸命に頭をひねっていた彼は、とある事実に気づいて動きを止めた。
「そう言えば、王女様の名前と同じだよね、
──って、ま、まさか?」
「そう、そのまさかよ。
わたしは、ライラ・リデラード・ボウナ・ファイディーズ・リジャイナ十二世。
……このファイディー国の王女です」
ライラはドレスの裾をつまみ、優雅なお辞儀をして見せた。
「ええっ──!? 王女様──!?」
彼は息が止まるほど驚くと同時に、なるほど、だからこんなにも美しいのか……と納得したが、彼女が自分とは別世界の人間なのだという事実を前にして、心はどうしても沈んでいくのだった。
そんな彼の気持ちには気づかず、王女は話し続けた。
「父王が亡くなったのは知っているでしょう?」
「……えっ、し、知ってます、もちろん。お気の毒でしたね、とてもいい王様でした……」
彼は頭を下げた。
半年前に病死した国王の葬儀と新国王就任は、国を挙げての行事だった。
その話は当然、人里離れて住む少年の耳にも入って来ていた。
ライラは淋しげに微笑んだ。
「ええ、ありがとう。お父様はとてもお優しかったし、家臣達からも
亡くなられたときは、とても悲しかった……。
それでね、わたし、即位した弟の摂政となるはずだったの。
少しでも、内気なあの子の手助けができればって思って」
そこまで言うと、王女は顔を曇らせた。
「ところが、優しかったアンドラスは王位に
ちょっとしたことで、小姓や侍女に厳しい罰を与えたり、大臣達の意見も、まったく聞こうとしなくなって……。
初めは、わたしも、王になったばかりだから焦ってるのかしら、と見守っていたのだけれど……」
「……たしかに大変なんでしょうね、王様をやるって……」
よく分からないながらも、リオンは同意した。
ライラは否定の身振りをした。
「でも、そうじゃなかったわ。
弟の言動は、どんどん異常になっていって、ついには、王国に伝わる禁断の古代魔法を使い、近隣の国々に戦争を仕掛けて領土を広げる、と宣言したのよ」
「ええっ、戦争!?
で、でも、せっかく前王様があちこちの国と条約とか結んで、平和になったばっかりじゃないですか!」
リオンの声は思わず上ずる。
王女は、ますます暗い顔になった。
「ええ、それに、周りは大国ばかりでしょう?
いくら古代魔法があっても、周囲の国を一度に全部、敵に回すなんて無謀もいいところだわ。
当然、わたしだけでなく、家臣達もアンドラスをいさめたのだけれど、意見を言った者は皆、投獄されたり、密かに処刑されてしまって……。
わたしも、危ういところを乳母にかくまわれて、やっとの思いで城を抜け出したの。
……大きな街にはもう、わたしの手配書が回っているはずよ」
「ああ、それでさっき、見覚えないかって……」
「ええ」
ライラは大きな眼を伏せた。
ファイディー王国は、大国にはさまれた土地柄から、建国以来、幾度も、周辺諸国からの侵略を受けた。
そのたび存亡の危機に立たされたものの、それを乗り切って来られたのは、代々の王の才覚……外交手腕によるところが大きかったのだ。
「そんな大変なことになってたなんて、全然知りませんでした。
この頃、大きな街には行ってないから……。
でも、優しかったアンドラス様が、なぜ急に……そうなっちゃったんでしょう?」
リオンの問いに、ライラはまた首を横に振った。
「分からないわ。
それと同時に、わたしと同じくらいだった魔力も、なぜかどんどん強くなって……やがてその力を過信し始めたのね、魔法で世界を支配すると言い出したのよ!
すべての人間を、目の前にひざまずかせるのだと。
城を出たわたしは、あちこちの魔法使いや、賢者と呼ばれる人達に助けを求めたのだけれど、日に日に強くなっていく弟の魔力を感じると、皆、
もう、こうなったら、サマエル様に頼るしかないと思って、探しに来たのよ……」
彼女は深く息をついた。
「……なるほど。ぼくのことなんかより、遥かに深刻ですね……。
でも、どうしたらサマエルの居所を探せるんでしょう……」
「そうね。手がかりがないと、どうしようもないし……」
リオンは、困り果てた表情を浮かべるライラの顔を見つめ、自分の無力さを悲しく思った。
(ぼくみたいなヘボじゃ、まともな魔法も使えない……彼女の役には立てないんだ……)
ややあって、王女は気を取り直した。
「仕方ないわ。サマエル様が駄目なら、あと一つだけ、役に立つかもしれないものがあるの」
「それは何? ……い、いえ、それは何でしょうか、ライラ様」
ぶっきらぼうに尋ねてから、リオンは慌てて訂正した。彼はライラの正体を知ってから、何とかていねいな言葉遣いをしようと奮闘していたのだ。
それに気づいた王女は、表情を和らげ、以前彼が言ったセリフをまねて返した。
「無理して敬語を使わなくていいわよ、リオン。なんだかくすぐったいし」
「あ──そう言ってもらえると、助かるなぁ。
ぼく、どうも苦手でさ。すぐボロが出ちゃうし……」
リオンは、ほっとして頭をかいた。そういう仕草は、彼を年よりもかなり幼く見せる。
王女は微笑み、首の後ろに手を回して細い金の鎖を外すと、ドレスの中に隠していたペンダントを引き出して見せた。
「これよ。この宝石を使ってみようと思っているの」
刹那、真紅の貴石が日光を受けて輝きを放ち、内部で激しく黄金色に燃える炎が、見る者の眼を眩しく射ぬく。
リオンは栗色の眼を見張った。
「す、すごい宝石──! それって……ルビー?」
ライラは、かぶりを振った。
「これはルビーじゃないわ。中にこんな黄金の炎を持つ宝石は、たぶん世界でたった一つ……。
この“焔の眸”は、千二百年ほど前、伯爵家の女性が王家に嫁いできたとき、持参したの。
由来はよくわからない。魔界の石だと言う人もいるわ。
……ともかく、今では正当な王位継承者の証とされていて、だから弟は躍起になって、これを持つわたしを探しているわけ。
砂漠で追いかけてきたのも、アンドラスの家来よ」
「ああ、あの男……」
彼はうなずいた。
「そしてね、これにはもう一つ、弟も知らない、王家の女性だけに伝えられる秘密があるの。
本当に困ったとき、この宝石に願を掛ければ“宝石の精霊”が現れて、必ず願いを叶えてくれると言われているのよ」
さっきまでの暗い表情はどこへやら、彼女の瞳は、きらきらと輝き出していた。