1.“焔の眸”(2)
日がとっぷりと暮れた頃、家と呼ぶより小屋と言った方が正確かも知れない粗末な家に、ようやく着いた。
さっそく、リオンは、少女を昔母が使っていたベッドに寝かせた。
「こんなボロ家じゃ恥ずかしいけど、医者のいる街までは三日もかかるし、仕方ないか……」
彼はつぶやき、弱った旅人のために、スープを作り始めた。
やせた土地でやっと採れるしなびた野菜や、近くの街や村で働いて得たわずかな金で買う乏しい材料で、スープを作っている間にも、リオンの眼は、しょっちゅう少女の寝ている部屋の方へ向けられた。
「あんなに綺麗な子、初めて見たや……もう一度、話してみたいな……。
眼も、とっても綺麗なグリーンだった……早く目を覚まさないかな……。
どこから来たんだろう? 近くじゃ見たことがないな、ずっと遠くの街から来たのかも……。
──そうだ、元気になったら、家まで送って行ってあげよう。
きっと大きなお屋敷に住んでて、使用人もたくさんいて……いや普通の家だって、ちっとも構わないさ。
あの子と友達に……いや、おしゃべりが出来るだけでもいいや……。
遊びに来てって言ってもらえたら……そしたら、どんなに遠くったって、張り切って、毎日でも行っちゃうんだけどなぁ……!」
長い独り言だが、長期に渡り、たった一人で暮らして来たこの少年には、いつものことだった。
彼は、この楽しい空想に浸り込み、いつもは淋しい色を
だが、それもほんの束の間、底抜けに明るかった眼の色は、太陽が嵐の前触れの黒雲に隠されてしまうように、唐突に暗く
(でも、そんなのは夢のまた夢……たとえ彼女がそう言ってくれて……何度か遊びに行けたとしても、──いや、行かない方がいい……辛くなるだけ……ぼくは、誰とも仲良しになっちゃいけないんだ。
誰かと一緒の時間が長ければ長いほど、別れが辛くなるだけ……。わかってるはずだろ……)
少年はうるんだ眼で振り返り、美しい少女が眠り続ける部屋の、粗末な木のドアを見つめた。
(おとぎ話のお姫様みたいだ……目覚めたら遠く去っていくんだね、キミは……。
だって、ぼくは王子様じゃないもの……。
いっそのこと、このまま眠っててくれればいいのに……そしたらぼくは、キミの美しい寝顔をずっと、見つめ続けていられるのに……)
スープをかき混ぜる手は止まり、もぎ離すようにドアから視線を逸らしたリオンの眼から、涙がこぼれ落ちる。
彼は、両手で顔を覆った。
しばらくして、ぐつぐつ煮え立っているスープに気づくと、彼はごしごし涙をふいて、またかき混ぜ始めた。
(泣くなよ、バカ、スープが焦げる……。材料は今、これしかないんだぞ!
……それに……昼間のうちは泣かないって……決めただろう……)
リオンは、暗い想いを振り払い、料理に専念することにした。
そういうことがあったにもかかわらず、スープは無事できあがった。
彼は、おずおずと少女の様子を見に行き、額を冷やしてみたりしたが、中々目を覚まさない。
(どうしたんだろう、気がつかないなあ、この子。ケガをしてるようでもないのに……。
そう言えばとっても軽かったし、砂漠に迷い込む前から、あんまり食べてなかったとか?
……う~ん……やっぱり、お医者を呼んだ方がいいのかなぁ。
でも、この子を一人で置いとくわけにもいかないし……第一、お金がない……。
どうしよう、死んじゃったら……!)
せっかく助けた、この美しい少女が死んでしまうかもしれない。
そう考えただけで、心臓を冷たい手で握られたように、ぞっとするリオンだった。
彼は、じっとしていられなくなり、立ち上がって行ったり来たりし始めた。
「どうしよう……ああ、ぼくに魔法が使えたら……回復呪文ですぐに直してあげられるのに……」
「……う…ん……あ……ここは……?」
焦ったリオンが頭をかきむしったとき、その必死な声が届いたのだろうか、ようやく少女が気づいた。
彼は安堵の息をつき、ベッドのそばの椅子に音を立てて座り込んだ。
「……はあぁ……よかったぁ!
やっと目が覚めたね、ずーっと起きないから、すっごく心配してたんだよ!
具合、どう? 水、飲む? スープもあるけど?」
「水を……」
少年に支えられて旅人は起き上がり、水瓶に直接口をつけて、あっという間に全部飲み干してしまった。
口の脇から滴った水をぬぐい、生き返ったと言う感じで息をつく。
その様子を見ながら、リオンはスープの皿を差し出した。
「スープもどうぞ。ぬるくなっちゃったし……野菜しか入ってないけどね」
「ありがとうどざいます……いい匂い……」
少女は、そのとき初めて、どれほど空腹かに気づいたようだった。
震える手で受け取り、こぼさないように慎重にスプーンを使う。
喉の渇きは治まっていたこともあって、水よりは上品に飲むことが出来た。
「どう?」
「……おいしいですわ、とても……」
少女はか弱い声で答えた。
「そう、よかった。飲んだら、また眠るといいよ。ぼくは隣にいるから、用があったら呼んでね」
「あり……がとう……」
「どう致しまして」
リオンはにっこり笑い、立ち上がった。
(よかった……! ホントによかったなぁ……)
部屋を出ていく彼の栗色の眼には、また涙がにじんでいた。
だが、すぐ回復するかと思えた旅人は、それから高い熱を出して、うなされ続けた。
リオンは薬を作って飲ませ、額を冷やす布を何度も取り替え、必死に看病した。
(死なないで……いや、ぼくが死なせない……絶対に死なせはしない……!)
懸命な彼の祈りは天に通じ、三日目に彼女の熱は下がった。
「うん、もう熱はすっかり下がったみたいだね、よかった……」
額に手を当ててみて、リオンは安堵した。
少女は弱々しく微笑んだ。
「申し訳ありません、何度も助けて頂きまして……。
本当にありがとうございました」
リオンは人
「困ったときはお互い様さ。
キミに飲ませたこの薬はね、母さんに作り方を教わったんだけど、すごくよく効くって評判だったんだ。
作り方を忘れてなくてよかった。すっかりよくなるまで、しばらくここにいなよ」
「……でも、そんなに甘えてばかりは……」
起き上がろうする少女を彼は留めた。
「無理しないで。またぶり返しちゃったら大変だよ。大人しく寝てて」
「はい……ごめんなさい……」
「でも、どうして一人で砂漠にいたの?」
リオンは尋ねてみた。
「……それは……」
少女が困ったように口ごもると、彼はあわてて手を振り回した。
「あ、いいよ、いいよ、言いたくないのなら別にいいんだ。気にしないでいて」
「……すみません……」
ライラはまたも、わずかに頭を下げる。
「それより、いつもおんなじメニューで飽きちゃってたでしょ?
でも、今日はちょっと違うんだよ。砂漠ウサギのシチューなんだ、ぼくにとっては久しぶりのご馳走さ。
キミの口に合えばいいんだけど……」
言いながら、リオンは思った。
(女の子がたった一人で旅してるんだから、男のぼくを警戒して当たり前だよね……。
もう少し仲良くなれたら、話してくれるかも。話してくれるまで、自分からは何も聞かないことにしよう……)
それから、一週間ほど経って、ようやくライラは起き上がれるようになった。
リオンは、つばの広い帽子とカゴを手渡した。
「あのね、裏庭に泉がわいてるんだけど、そこで体洗ったらどうかなあ。
……それからこれ、母さんのなんだけど、もしイヤじゃなかったら着替えて。
──あ、覗いたりなんかしないよ、絶対」
カゴの中には、石けんとクシと手鏡にタオル、それにドレスが入っていた。
「まあ、よろしいのですか? お母様の形見を……」
「うん。キミが着てくれれば母さんも喜ぶと思うよ。
けどさ、そのていねいな言葉づかい、何とかならない?
何か、ぼく、聞いててくすぐったくって。
普通に話してくれないかなあ、キミ、ぼくとあんまり年も違わないんでしょ?」
礼儀正しい口調を崩さない少女に、リオンは思い切って頼んでみた。
すると、ライラはにっこりし、あっさりと彼の提案を受け入れた。
「分かったわ。わたしは十九歳よ。あなたは何歳?」
「……いくつに見える?」
彼女の問いに直接は答えず、リオンは訊き返した。
ライラは可愛らしく小首をかしげる。
「ええと……十五か六、くらいかしら……」
「……ま、そんなもんさ。早く洗っておいでよ」
彼は答えを濁し、ドアを指差した。
「そうね、では、お言葉に甘えて」
ドアを開けた刹那、砂漠の熱気とぎらつく陽射しの眩しさに打たれ、外に出たライラは、思わず少しふらついた。
「──暑……! たしかに帽子が必要ね……。泉はどこかしら……?」
帽子をかぶり、家の裏手に回ってみる。
そこには、綺麗な清水が湧き出して、人一人が体を浸せるくらいの小さな池ができていた。
透明な水をすくってみると、外の暑さにもかかわらず、ひんやりとしていて心地よく、よほど深いところから湧き出しているようだった。
「冷たくておいしい……」
リオンの家には、裏に面した窓はない。
ライラはさっそく、汗と砂と汚れにまみれた服を脱ぎ捨て、まずは顔、そして髪、体の順で洗った。
汚れた水は、たちまち乾いた砂に吸い込まれ、入れ替わりに、新しい水が次々湧き出して来るので、いったん濁った泉も、みるみる清浄さを取り戻していく。
汚れが落ちるにつれて、頭の中までもがすっきりしていくようだった。
「体を洗うなんて、何日ぶりになるのかしら……?
ふう、気持ちいいわね……」
体がすっかり綺麗になると、彼女は透明な水に全身を浸し、久方ぶりの水浴を心ゆくまで楽しんだ。
しばらくして、生まれ変わった気分で水から上がり、リオンがくれたドレスを広げてみた彼女は、白鳥のように細い首を優雅にかしげた。
その衣装に、見覚えがあるような気がしたのだ。
「そうだわ、広間にある大きな絵……大昔の貴婦人が着ているドレスに似ているわ。
あら、ちょっときついかしら」
リオンの母親の服は、とても古風な型をしており、さらに、胸のあたりが少し窮屈だった。
それでも、贅沢は言っていられない。
いつもなら、乾くのに時間がかかる長い髪も、ちょっとくしけずっただけで、照りつける太陽が、あっと言う間に乾かしてくれる。
そうやって、すっかり身仕度を整えると、ライラの美しさは際立った。
洗い立ての銀髪が、降り注ぐ月光のように整った顔を縁取り、オアシスに涼しい日陰を作る緑を思い起こさせる深い緑の瞳は意志の強さを内に秘め、朝露に濡れた
そして、ローブに隠れて見えなかった、素晴らしいプロポーションもまた、古めかしいとは言え、仕立てのよいドレスによって、引き立てられていた。
「あ……」
ライラが部屋に足を踏み入れた瞬間、リオンはその美しさに打たれ、言葉を失った。
「……どうしたの、リオン。どこか変? 似合わないかしら、このドレス」
少女は、心配そうに自分の体を見下ろした。
リオンは我に帰り、急いで否定の身振りをした。
「──あ……い、いや、違うよ。まるで月の女神様みたいだなって思って。
何て綺麗な人だろう、って……思わず、見とれちゃったんだ……」
ライラはぽっと頬を染めた。
「まあ、そんな……でも、お世辞でもうれしいわ」