8.黒き月の見る夢(1)
翌日、汎魔殿に激震が走った。
魔界王ベルゼブル並びに第一王子タナトス死去に伴い、第二王子サマエルの戴冠式が行われるとの、触れ書きが回されたのだ。
式の日取りは、わずか一週間後、その一ヵ月後に、二人の葬儀が行われるのだという。
この異常事態は、家臣達の間で非常な物議を
当然のことながら、魔界王の下、魔界を分割統治するデーモン王達は説明を求め、書面に署名していたベルフェゴールの部屋へ押しかけることとなった。
分厚いじゅうたんが敷き詰められ、豪華な家具調度品が並べられた、魔界の大公にふさわしい、広い私室。
だが、王達は、それに眼をやる余裕もない。
「ベルフェゴール殿下! 一体、いかなることか、ご説明頂こう!」
ゆったりとした姿勢でソファに座る大公を見下ろし、長身の西王、パイモンがどんとテーブルに手をついて迫れば、たくましい
「陛下ばかりか、お世継ぎのタナトス殿下までもが亡くなられたなどと、我らを
「左様な
ほっそりしてはいるが怪力の北王、エギュンは、山羊のように白い顎ひげを振り立て、肥満体の南王マンモンも険しい表情だった。
「何ゆえ、お二方は亡くなられたのか、また、現在、ご遺体はどちらにあるか、お答え願おう!」
「今、遺体は清めさせておる。間もなく、棺を大広間に安置させるゆえ、しばし待たれよ。
二人が亡くなった経緯に関しては、サマエルが説明するそうだ」
対するベルフェゴールは、慌てる様子もなく、隣室を顎でしゃくって示すと同時に、念話を送った。
“サマエル、こちらへ参れ。かねて打ち合わせの通り、こやつらをうまく丸め込むのだ”
“はい、ご主人様”
サマエルは答え、ドアを開けた。
「おお、サマエル殿下!」
現れた第二王子目がけて、四人の王は一斉に殺到する。
(大丈夫でしょうか?)
ベルフェゴールの背後に立っていたカルニヴェアンが、そっとささやいた。
ねずみに似ていると形容されるその顔が、
“心配無用だ。サマエルには、我に服従するとき以外は、普段通りに振舞えと命じてある。
心安んじて見ておるがよい、あやつがすべていいように、家臣どもを言いくるめるであろうよ”
大公は表情も変えず、念話で答えた。
当のサマエルは、黒いローブですっぽりと全身を覆い隠しているということもあり、一見したところ、操られているなどとは
「殿下、陛下とタナトス殿下が、お二方とも亡くなられたと言うのは真なのでございますか!?」
鋭い眼光でパイモンが問い詰めると、サマエルはうなずいた。
「本当のことだ」
「それはまた、なぜに」
「兄上は、私が殺した」
淡々とサマエルは答えた。
「な、何ですと!?」
パイモンは度肝を抜かれ、体をのけぞらせた。
エギュンとウリクスも驚愕し、大声を上げる。
「あ、兄君を殺害なさったと!?」
「な、何を仰ります、サマエル殿下!」
興奮が最高潮に達し、王子に詰め寄る彼らを、南のデーモン王マンモンがたしなめた。
「まあまあ、落ち着きなされ、お三方。
何はさて置き、サマエル殿下のお話を伺おうではございませぬか」
その穏やかな声に、三人の王達は我に返った。
「オッホン、わたくしとしたことが、つい……」
パイモンが咳払いをすれば、ウリクスとエギュンもそれぞれうなずく。
「まことに、まずは、詳しくお聞きしてからですな」
「左様……」
「ありがとう、マンモン」
皆の視線を浴びながら、サマエルは礼を述べたが、物静かな口調とは裏腹に、南王もまた他の王達と同じく、ぎらぎらとした瞳で、第二王子を見据えていた。
「……いいえ、ご弁明次第では、あなた様を、大罪人として捕らえねばならぬやも知れませぬ」
「そうはならないさ」
サマエルは軽くマンモンの肩をたたき、話し始めた。
「皆、聞いて欲しい。
……最近、汎魔殿では、魔界全土を揺るがすほどの陰謀が企まれていた。
私は、陛下の命を受け、首謀者を突き止めるため、人界から戻って来たのだ。
だが、昨日のこと、私の力及ばず、陛下は反逆者どもの罠にかかり、
ところが、謀反人達は、事もあろうに、陛下殺害の犯人を私だとして、兄上に
兄上は私の弁明に耳も貸さず、陛下を死に至らしめた凶器を振りかざして襲い掛かって来た。
やむを得ず、私も応戦したが……結局、兄上もまた、命を落とされることとなった……。
……どうしようもなかったのだ……」
その
誣告とは、故意に事実を偽って告げること。
パイモンもまた沈痛な面持ちになり、その首は横に振られた。
「……陛下は策謀家達の手にかかり、あなた様は陥れられて、兄君を……そう
「その通りだ」
サマエルは、間髪入れずに肯定する。
それは完全なる事実だったから、おそらく第二王子が本来の彼であったとしても、そう釈明するしかなかっただろう。
「し、証拠はあるのでございましょうね!」
「それより、謀反人というのは何奴なのですか!?」
ウリクスとマンモンが、同時に声を上げた。
「見るがいい、こやつらだ」
ベルフェゴールは、ぱんと手をたたいた。
次の瞬間、重たげな音を立てて、二つの
それは、上等な服に身を包んだ中年男と、ライオンの頭部をもつ少年の、冷たくこわばった死体だった。
「こ、これは!?」
ウリクスは眼を見開いた。
「グーシオン公爵とご子息のヴァピュラ!?」
マンモンが叫ぶ。
「……何としたこと……」
エギュンは嘆き、額に手を当てた。
「賢明公が!? ま、まさか貴殿が……かような陰謀を……!?」
パイモンは血の気が引いた唇を震わせ、その後は重苦しい沈黙が、その場を支配した。
しばしの後、サマエルが口を開いた。
「……そう、彼らが、魔界王家の
だが、迷惑なことだ。……お陰で私は、欲しくもなかった王位に就かねばならなくなった……のだから……」
その語調は、ため息そっくりだった。
「で、ですが……」
ウリクスは、まだ自分の眼が信じられない様子だった。
エギュンもまた同様だった。
「左様、信じられませんぞ、あのグーシオン殿が陛下に楯突くなど……」
「かようなことをして、一体何の益になると言うのやら……」
マンモンが、太い首を左右に振る。
そうこうしているうち、パイモンが最初に衝撃から覚め、片膝をつくと、死体を念入りに
血は使い魔によって清められていたが、傷跡は死体にはっきりと残っている。
グーシオンは左上から斜め下に
いずれも、たった一太刀で。
パイモンは第二王子を見上げた。
「……見事な
サマエル殿下が、この二人を?」
「ああ。私が兄上を殺すところを見て、ほくそえんでいたのでね」
彼がうなずくのを眼にした西の王は、皮肉な笑みを浮かべた。
「死人に口なし……ですか」
「何が言いたい?」
問われたパイモンは立ち上がり、王子の前に立った。
長身の西王だったが、サマエルの方が拳一つ分、高かった。
「死人に罪を着せるのは、簡単ですからな」
サマエルは、眉一つ動かさなかった。
「なぜ、そんなことをしなければならない?
彼らは汎魔殿の中で、唯一と言ってもいいくらい、数少ない私の味方だったと言うのに。
それに……私の無実を証明出来る者なら、他にもいる」
「ど、どなたですか、それは?」
ウリクスが震え声で尋ねた。
「いでよ、“焔の眸”」
彼は、さっと手を振った。
即座に、紅毛の少年、ダイアデムが現れる。
さすがに鳥籠からは出されて、拷問の痕も消えていたものの、体は小刻みに震え、眼は落ち着きなく周囲を見回し、彼はどう見ても怯え切っていた。
「ダイアデム閣下!」
「一体これはどういうことなのですか!?」
「サマエル殿下のお話は、まことなのですかな!?」
「お話し下され、陛下とタナトス殿下は!?」
「──ひえっ」
いきなり四人に取り囲まれた宝石の精霊は、反射的に空中へと逃れた。
「な、何だよ、寄って来んな、あっち行け!」
「降りておいで、ダイアデム。皆がお前の話を聞きたいのだそうだ」
サマエルが手招きしても、少年は嫌々と首を振り、浮き上がったままでいた。
「ダイアデム」
王子の声にほんのわずか、厳しいものが混じる。
「あわわ」
すぐに“焔の眸”の化身は着地した。
それを待ち構えていたパイモンが、他の貴族達を身振りで抑えて、訊いた。
「ダイアデム閣下、サマエル殿下のお話は、まことなのですかな」
「……んー」
紅毛の少年は、ちらりとサマエルを見、それから肯定の身振りをする。
「あ……ああ、そうだ。こいつはハメられただけだ。
オレは、タナトスの死体を見たし、だから……その」
再び、ダイアデムは言葉を切り、第二王子に視線を走らせた。
「だから、次の魔界王は私……ということになるわけだね、ダイアデム。
そう言いたいのだろう?」
「……そ、そういうことだ、うん」
サマエルに促された少年は、またもうなずいたが、相変わらずその眼はきょときょとせわしなく動き、その奥にある炎もまた、動揺を隠せない。
こめかみから汗が流れ、彼はそれを手の甲でごしごしとふいた。
「というわけだ。もし私が罪人ならば、彼は私を王にふさわしいとは認めず、魔界王には選ばないだろう。
……これで、間接的にだが、私の潔白が証明されるのではないかな」
第二王子は胸を張り、言ってのけた。
操られているお陰か、その仕草からは、普段の彼には見られない、自分の正しさを確信している様子が見て取れる。
マンモンは、ひどいしかめ面をした。
「されど……お言葉を返すようですが、あなた様は、一時は王位継承権を剥奪されたお身でございますぞ」
「左様、左様。他の方がよいとわたくしも思いますぞ。
他にも、王位継承権をもつお方がおられましょうに、王にふさわしきお方でなくば、魔界が滅びます」
不服そうなエギュンも、ここぞとばかり力説した。
「はん、王にふさわしい奴って、他に誰がいんだよ……このデブか?」
少し元気を取り戻したダイアデムが口を挟み、ベルフェゴールを指差す。
「──げ、まさか、
不意を突かれたエギュンが反射的に首を横に振ってしまい、大公の面目は丸つぶれの形となる。
王兄は、不快極まりないといった顔をした。
その表情に
「……んじゃあ……っと、あとはリリスだよなぁ。あいつがいいのか?」
「そ、それこそ、ご免こうむりますぞ。
あの娘が女王では、王兄殿下より一層始末が悪……いや、オッホン、失礼」
慌てて、ウリクスは咳払いでごまかす。
ベルフェゴールは、ますます渋い顔になり、宝石の化身のにやにやは強まった。
「おう、忘れておった。イシュタル殿下がおられるではないか」
その時エギュンが、はたと膝を打ち、マンモンもうなずいた。
「左様、左様。あのお方ならば聡明で皆にも慕われておるし、申し分ない」
すると宝石の化身は、大げさにため息をついた。
「はーあ。馬鹿か、お前ら。世継ぎはどうすんだよ」
その言葉に、皆が凍りついたように動きを止めた。
「イシュタルは、子供産めないんだってこと、もう忘れたのか?
一万年前、ベルゼブルの子を身ごもったのはいいけど、結局流産してさ、
だから、王妃にしてやるって何度言われても、あいつは辞退してるんじゃねーかよ」
開き直ったのか、ダイアデムの話は先ほどまでとは違い、よどみがなかった。
「……こんなときにあの秘法、“
パイモンは天を仰いだ。
“反魂”は、“
「え……っ」
紅毛の少年はぎくりとした。紅い瞳の奥の炎が、激しく揺れ動く。
「いや、その呪文は、オレら……」
ダイアデムが、思わず秘密を漏らしてしまいそうになったとき。
「何を寝ぼけたことを。左様なことができるのならば、誰も苦労などせぬわ!」
ベルフェゴールが、さも軽蔑した口調でさえぎり、彼を睨むとサマエルへ向けてあごをしゃくった。
第二王子の方を見るまでもなく、宝石の化身は唇を噛んで黙り込むしかなく、“眸”達が術を使いこなせることを知らないパイモンは、がっくりと肩を落とした。
「……単に、希望を述べたのみ、忘れて下され」
「もういいよ、ダイアデム。皆も納得したと思うし」
サマエルが話に割り込み、促す。
「さ、大きな声で宣言してくれないかな。次の王は、誰か?」
「ああ、言ってやるよ。
──サ、サマエルが次の魔界王だ!」
やけくそのように、宝石の化身は声を張り上げた。
こうなると、誰も異議を挟むことは出来ない。“焔の眸”の宣言は絶対だった。
「これで、私が次期魔界王に決定したな。
王座の空位を敵に悟られるわけにはいかぬゆえ、先に戴冠式を済ませることとしたのだ。
期日は、書面で通達した通り一週間後。陛下と兄上の葬儀は、その一ヵ月後だ。
これは、魔界王としての正式な命令だ、私に従え、家臣達よ」
サマエルは、よく通る声で宣した。
「──
四人のデーモン王達は、次期魔界王の威光に打たれて片膝をつく。
その瞬間、