7.血の版図 (3)
「グ……グーシオン、これは一体、どういうことだ……!?」
サマエルは信じられない思いで、公爵と兄王子を見比べていた。
「ち、父上、これは!? なぜ、タナトス殿下がここに……?」
ヴァピュラも同様だった。
「も、申し訳もございませぬ、サマエル殿下……!」
いきなり、公爵は両手をつき、頭を床にすりつけた。
全身がわなわなと震え、額からは滝のように汗が滴り落ちている。
「わ……わたくしも散々迷いましたが、父親であり……しかも現在、魔界の君主であられるお方を……
それを聞いたヴァピュラは、公爵のそばにへたり込んだ。
「そんな、父上、あれは正当防衛なんですよ!
陛下が先に、サマエル様に斬りつけたんだって、さっき、伝えたじゃないですか!」
「父親を責めるな、ヴァピュラ。
……正当防衛だと? そう見せかけているだけだ。こいつはな、ずっと親父を憎んでいたのだ。
今回、親父は、邪魔者を始末出来るいい機会だと思っていたようだが、それはこいつも同じだったと言うことだ」
タナトスがサマエルを指差すと、少年はぱっと立ち上がり、ライオンの頭を激しく振った。
「ち、違います、そんなことありません!
タナトス殿下は、ご覧になってないから……それに、サマエル様は、父君の死を、とてもとても、悲しんでおられたんですよ!」
「まあ、殺してから、多少、気がとがめたと言うところだろうさ。
どちらにしろ、気の狂った父親殺しの男に、魔界を任せられるわけなどなかろう!
そら、見ろ、これを」
タナトスが、すらりと抜き放ったのは、ついさっきサマエルの部屋で、遺体と共に結界に封じて来たはずの、魔界王の血を吸った妖剣だった。
「そ、それは陛下の剣では……!?」
「タナトス殿下、どうしてそれを!?」
サマエルとヴァピュラが、同時に叫ぶ。
タナトスは、無造作に、剣を二度三度と振った。
「誰の使い魔か知らんが、俺のところに運んで来たのだ、『この剣でサマエルが親父を殺した、死体は奴の部屋にある』、
というメッセージと共にな。
半信半疑で行ってみると、たしかに、死体が転がっている。
さすがに驚いているところへ、グーシオンから、貴様が領地に逃げて来るという連絡が入った。
そこで、こうして、わざわざ俺みずからが、出向いて来てやったというわけだ……
「ヴァ……ヴァピュラ、やはりお前は……!」
サマエルは低く、うなるような声を出した。
「し、知りません、ぼく、そんなことしてません、本当です!」
懸命に否定する少年を見る彼の瞳は、不信感で塗りつぶされている。
「……そういうことか、親子ぐるみでこの陰謀に加担していたのだな……。
グーシオンなら、子供時代の私のことや母上、陛下のこともよく知っている……道理で、尻尾をつかめずにいたわけだ……」
握り締めた彼の拳が、小刻みに震えていた。
「さあ、観念しろ、サマエル! 逃げ場はないぞ!」
タナトスは剣を手に、動揺を隠せぬ彼目がけてじりじりと近づいて来る。
とっさに手の打ちようがないまま、仕方なく後ろに下がりながら、サマエルは兄に語りかけた。
「考えてみろ、タナトス。私を捕まえるより、この者達を捕らえ、陰謀の主を吐かせる方が先ではないのか」
第一王子は、軽く肩をすくめた。
「今さら、誰が首謀者かなど、もうどうでもいい。俺が魔界王の位に就くことが出来ればな。
安心しろ、貴様は生かしておいてやる。
どうせ、あんな老いぼれなど、俺や貴様が手を下さんでも、もうじきくたばっただろうが。
これで、もう、くそ親父のうだうだ話を聞かんですむかと思うと、礼を言いたいくらいだぞ」
ついに、背中が反対側の壁についた。
サマエルは、
「で、では、見逃してくれる、と言うのか……?」
「たわけ、そこまで甘くはないわ!」
突如、魔界の第一王子は吼えた。
「いくら貴様が”カオスの貴公子”だろうと、家臣どもの手前もある、貴様は牢獄行きだ!
日も差さん地下牢に封じ込め、二千年後の儀式のときまで、たっぷり可愛がってやる!」
「……それは、ごめんこうむる。ジルが待っているのだ、私は人界に戻らなければならない」
懸命に答えるサマエルに向かって、タナトスは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ふん、貴様が権利を放棄したのだから、俺の勝ちだろうが!
これで、ジルは俺のものだな!」
その台詞に、サマエルは珍しく顔を紅潮させた。
「わ、私は、権利を放棄してなどいない! それに、彼女は、私を選ぶと言ってくれたのだぞ!」
「たわけめが、父親殺しの大罪人が何を言っている!
血にまみれた今の貴様を、あの純粋な少女がどう思うか、考えてみろ!」
タナトスは、父親の血がこびりついた刃先を弟に突きつけた。
「──!!」
サマエルはぎくりとした。
これまでの自分の身に起きたことなら、こちらが被害者だと言うことで、彼女も同情してくれるかも知れない。
だが、今回は……正当防衛とは言え、肉親を手にかけ、亡き者にしてしまっているのだ。
それを知ったとき、彼女は……一体、どういう眼で自分を見るのだろう……。
彼の心に、激烈な絶望があふれた。
それを見透かすように、兄王子は皮肉な笑みを唇に刻む。
「ま、諦めろ、サマエル。
このまま、大人しく捕まるなら、俺の戴冠式と婚姻の儀を、牢屋の中で見られるよう特別に計らってやる、ありがたく思え!」
言いながら、ずかずかと歩み寄り、タナトスは彼のあごに手を当て、ぐいと顔を上げさせた。
「ふ、最愛の女と最高の玩具を、一時に手に入れられるとは喜ばしい限りだ。
貴様が俺のものになるなら、悪いようにはせん。時々は、ジルと会わせてやってもいいぞ。
……ま、貴様の魔力を厳重に封じ、さらに彼女の心から、貴様に関する記憶を綺麗さっぱり消してからの話だがな!」
「く……っ!
お前に──お前ごときに、ジルは渡さない、決して渡すものか!」
サマエルは歯噛みし、眼を燃え上がらせたが、優越感に浸り切っている兄王子は、嫌な笑いを浮かべた。
「そうだ、ついでに貴様を素裸に
魔界の君主に逆らった見せしめとしてな。
……くく、いい考えだろう?」
「……今までと、大して変わらないように思うが? せいぜい、服を着ているかどうかの差だな」
冷ややかに彼が答えても、タナトスはめげなかった。
「ならば、これでどうだ。貴様を魔法で女にしてやるというのは?
俺の子を産んでみるか、サマエル」
「……何っ!?」
さすがに、サマエルは顔をこわばらせた。
最近はほとんどないが、過去、魔界人の数が極端に少なかった時代には、そうしたこともよく試みられていたという。
だが、男として生まれた以上、女になるのは絶対に嫌だった。
ましてや、兄の子を産むなど、とんでもない。
(……いや、駄目だ、タナトスの挑発に乗るな、落ち着け……)
心身共に追い詰められていたものの、彼は必死に平常心を保とうと努めた。
「……実の兄妹間で子供を作ると、奇形児の出生率が高くなるのではないか?」
やや皮肉っぽくはあったが、何とか穏やかな声が出た。
第一王子は、ほんの少し眉を上げただけだった。
「ふん、血のつながりか?
……そんなもの、半分だけかも知れんぞ。貴様の父親が、本当にあのくそ親父とは限らんからな」
「……!」
思わずサマエルは顔色を変える。
弟の動揺を楽しむかのように、さらに第一王子は続けた。
「くっくく、その親父もくたばったことだし、どの道、俺が魔界王になれば、貴様と言う犯罪者の処遇は、俺の裁定に委ねられるのだ。
これからは、何だろうと、こぶ付きでなく自由にできる。その点では礼を言うぞ、サマエル!
あーはっはははは!」
とうとうタナトスは、顔をのけぞらせ、大声で笑い出した。
(今だ!)
サマエルは、その隙を見逃さなかった。
あごに当てられた兄の手を振り払い、剣を奪い取ったのだ。
「貴様、──うわっ!」
次の瞬間、血がしぶき、黄金の輝きが見事に兄王子の心臓を貫く。
伸ばした手が虚空をつかみ、タナトスは胸に剣を突き立てたまま、仰向けに倒れた。
第一王子が純粋な人間だったなら、この一撃であえなく事切れていただろう。
魔族が再生能力に優れていることを熟知していたサマエルは、兄に馬乗りになった。
「タナトス、覚悟!」
「うあっ、や、やめろ……っ!」
もがく体から剣を引き抜くと、サマエルは再び同じ場所を狙う。
「ぐわあっ! やめろっ! があっ……!」
二度、三度と突き刺し、それでも足りないとばかりに剣を振りかぶる。
「──とどめだ、死ね!」
「ぐふっ!」
彼は、深々と刺さった剣を力一杯、ひねった。
「サ、マエル……き、貴様……!」
タナトスの口から胸から大量の血があふれ出し、一瞬体がのけぞったかと思うと、力が抜ける。
魔族の第一王子の、壮絶な最期だった。
サマエルは、
「……兄様、お別れですね……。
冥界で、陛下や母上と一緒に暮らせるあなたが、心底うらやましい……。
私には、そんな資格はない……。
たとえ、今すぐ、この身を切り裂いたとしても、カオスの闇に飲み込まれ……
『自業自得だ』、そう言って……あなたは笑うのでしょうね……」
朱に染まった兄の唇に口づけると、涙の味がした。
「サ、サマエル殿下……」
その声に、サマエルはゆらりと立ち上がって、グーシオン公爵を見据える。
紅かった眼には、今や闇の炎が激しく燃え盛り、白い髪は、無数の蛇も同然にのたうっていた。
「……お前も死ぬがいい、公爵。ヴァピュラもだ。私は……私を裏切った者を生かしてはおかない……!」
魔界の第二王子は、血にぬめる剣を構え直した。
その姿からは、激しい怒りと深い憎しみ、そして狂気のオーラが立ち昇り、見る者を震え上がらせた。
「お、お待ち下さい、殿下! ヴァピュラは、どうかお許しを!
妻と末息子を人質に取られ、仕方なく加担していたのです、しかし、裏切り者はわたくしだけです、ヴァピュラは何も知りません、本当でございます!
わたくしの命は差し上げます、ですから、どうぞ、お慈悲を! サマエル様!」
悲痛な叫びを上げながら、グーシオン公爵は息子をかばい、サマエルの前に立ちふさがった。
「ええっ、父上、
ヴァピュラは驚愕し、父親の後ろから顔を出して叫んだ。
「お、おやめ下さい、サマエル様!
ぼくは、本当に何もしてませんし、父上だって……父上をお許し下さい、サマエル様、どうか!」
「……問答無用!」
「ぎゃあっ!」
必死の懇願も耳に入れず、サマエルは、一刀のもとに公爵を斬り殺し、返す刀で息子を斬った。
「サ、マエル……様……」
血だまりに倒れた少年から、