3.拉 致(3)
『……天空を満たすエーテルの流れが乱れし折、深き淵より、漆黒の
少ししてから口を開いたダイアデムの眼差しは、
『……
四つの、影法師が、
……
──むう……黒き霧が天空を覆い始めた、何も視えぬ……』
そこで、一旦、ダイアデムは言葉を切った。
急かすのは逆効果と知っていたイシュタルとタナトスは、息を殺し、耳をそばだてて待った。
やがて、紅毛の少年は再び語り出した。
『……光……。闇中に、真白き、清浄なる光が見える……。
されど、
──おお、娘……強大な力を持つ娘が……
そこまで言うと、宝石の化身はガクリとうなだれ、眼を閉じた。
しばらく待ち、
「……何だ、もう終わりか? 大したことは分からんではないか」
「何を言うの、誰かが陰謀を企んでいることが分かっただけでも、ありがたいじゃない」
「ふん、陰謀など、この汎魔殿では日常茶飯事だろうが」
イシュタルにたしなめられても、彼の表情は不満げだった。
「いいえ、“焔の眸”が予知した以上、かなりの重大事だわね、やっぱり。
この陰謀が成功してしまえば、異母兄上や、おそらくはお前も殺され、結果として魔族は滅ぶ……これが重大でないのなら、何をそう呼ぶの?」
「むう、たしかにな」
それは第一王子も認めざるを得なかった。
「でも、希望がないわけじゃないわね。
“光”……すなわち、“強大な力を持つ娘”の力を借りれば、この陰謀は防げるようだし……」
「ふむ……」
叔母の言葉を、タナトスはしばし
「“力を持つ娘”とは、当然、ジルのことだろうな。
おい、どうなんだ、ダイアデム」
予知がもたらす陶酔から、完全には抜け切れていない様子のダイアデムは、ぼんやりと首を横に振った。
「分かんねーな……。オレだって、全部視えるわけじゃねーから……。
多分、そうじゃねーかな……っては思うけど……」
「ち、使えんな」
忌々しげにタナトスが見据えた時、少年が声を上げた。
「あ、やった! ネビロスの居場所を、マルショシアスが突き止めたぜ」
「何っ、もう見つけたのか、早いな! よし、行くぞ!
──ムーヴ!」
「イシュタル、お前、この予言、ベルゼブルに伝えといてくれよ。オレ達急いでるからさ。
──ムーヴ!」
「あ、お待ちなさい、二人とも!」
イシュタルの制止も聞かず、王子と宝石の化身は相次いで呪文を唱え、マルショシアスの元へ向かった。
「どこにいるのだ、イナンナは! 言え!」
「うわ、く、苦しい!」
タナトスの部屋にいた三つ首の番犬は、突如首輪をつかまれ、吊るし上げられて面くらい、必死に足をばたつかせてもがいた。
「離せよ、タナトス! 殺す気か!?」
慌ててダイアデムが取りすがる。
「……ああ、済まん」
すぐにタナトスは我に返り、魔犬を下ろた。
「ゲ、ゲホッ…! ゲボッ、グフッ、グフウウ……」
マルショシアスは、苦しげにのた打ち回り、息を整える。
「おい、大丈夫かよ、マルショシアス」
「は、はい、何とか。
タ、タナトス殿下……それにしても乱暴な……」
ダイアデムに背中をさすってもらい、ようやく呼吸が落ち着いた魔犬は、自分を締め上げた相手に、恨めしげな視線を送った。
だが、魔族の王子は表情一つ変えず、
「だから、済まんと謝っただろう。
それで、イナンナはどうした、どこにいるのだ!」
「無慈悲な次期の魔界王……か」
聞こえよがしにつぶやき、魔犬は、諦めのため息を一つついてから答えた。
「それは、まだ。わたしが見つけましたのは、ネビロスと申し上げましたが」
「ち、そうだったな。……で、ヤツは今どこに?」
「それが……」
「何だよ、マルショシアス、早く言え。よっぽどヤバいトコなんか?」
すると、ようやく、番犬は、中央の首で否定の身振りをした。
「いえ、その反対で。あいつは自分の部屋におります、何事もなかったように。
……今はおりませんが、リリスも、しばらくいたようです」
タナトスは、カッと眼を見開いた。
「何ぃ、平然と自分の部屋にいるだと!?
どういうことだ! マルショシアス!」
三つの首を、大犬は一斉に横に振った。
「わたしには分かりかねますよ、あんなカラスの考えることなど」
「……ふ~ん。つまり、よっぽどバレねー自信があるか……じゃなきゃ、バレても構わねーって思ってるか、どっちかってこったな」
「すぐ露見しても構わんと思っている……それは、やはり、俺への嫌がらせだからか?」
王子の問いに、宝石の化身はうなずいてみせる。
「ああ。ほんのちょいと、困らせてやろーって思っただけなんだろ。
あんま、やり過ぎちまったら、お前にホントーに嫌われちまうもんなー」
タナトスは鼻にしわを寄せた。
「……ふん。あの女が、真実、俺のことを好いているかどうかも怪しいものだがな」
「そーだよなー、女王の座が欲しいだけだろ、あのがめつい女は。
ンなコトより、さっさとネビロスに吐かせて、早く彼女を助けに行こーぜ!」
「よし、──ムーヴ!」

「お待ち致しておりました、タナトス殿下、並びに“焔の眸”閣下」
マルショシアスは無視されたが、身分上、当然のことと、誰も気にしなかった。
「待っていただと! やはり、イナンナをさらったのは、俺がリリスにかまいつけん当てつけか!」
タナトスは、眼を怒らせて、声高にネビロスをどやしつけた。
「……
魔界の総統は、再びていねいに頭を下げる。
「ちぃ! だが、理由などどうでもいい、イナンナはどこだ!?」
「その前に、殿下、リリス殿からのことづてがございます。一つだけお願いがございますそうで」
「願いだと!? ふざけるな、リリスの望みとはすなわち、俺の妃の座だろう!
人質を取って王妃の座を得ようなどと、不届きな!
俺がそんなことで気を変えるとでも思ったら、大間違いだぞ、それにだ……」
「いえいえ、お待ち下さい、殿下。そうではございませんよ」
なおも言い募ろうとする魔界の王子を、ネビロスはやんわりとさえぎった。
「実は、わたくしがここに残り、お二方をお待ちしておりましたのは、リリス殿の書簡を、お渡しするためなのでございまして」
彼は指を鳴らした。
刹那、丸く巻かれ紐で結ばれた羊皮紙が空中に出現し、ふわふわと王子の前まで漂ってゆく。
「それに眼を通して頂けさえすれば、すぐさま、あの娘さんのいる場所をお教え致します」
黒衣の男は、またも深々と礼をする。
タナトスは、聞く耳も持たなかった。
「下らん、燃やしてしまえ、眼の
激しい身ぶりで叫び、総統目掛けて突進する。
「おっと……!」
それも予想していたのだろう、ネビロスは、瞬時に大カラスに変身し、羽ばたき一つでシャンデリアの上へと逃れた。
「逃げるな、卑怯者!
待っていろ、今そこへ行って、八つ裂きにしてやる!」
「待てって、タナトス」
そのとき、宝石の化身が、今しも飛び上がろうとする王子のマントをつかんで引き止めた。
「邪魔をするな!」
「落ち着けよ。
ぐずぐず言わずに、さっさとこいつに眼ぇ通した方が、追っかけやるより早そーだぜ」
ダイアデムはそう言いながら、手紙を指差す。
「くそ!」
一言叫ぶなり、魔族の王子は、浮かんでいる巻物をひったくった。
ばっと広げ、どんどん読み進めていく。
読み終えたと見えた次の瞬間、タナトスはそれを真っ二つに破って床にたたきつけ、足で踏みにじった。
紅毛の少年は、軽く肩をすくめ、魔犬は六つの眼を丸くする。
それと見るや、大カラスはシャンデリアから飛び立ち、王子のそばまで下降してきた。
「おそらくそうなさるだろうと、彼女は申しておりましたよ。
後学のため、お聞きしてもよろしいですか? 何ゆえ、あなた様は、そこまでリリス殿を毛嫌いなさるので?」
タナトスは、つかみかかりたい衝動を抑えつつ、カラスを睨みつけた。
「ふん! 俺は、当て馬にされるのは真っ平だからな!」
「当て馬? ……あなた様が本命ではない、と?」
「ネビロス、貴様も、いい加減目を覚ましたらどうだ、いいように使われているだけだろう、バカめ!」
家臣に指を突きつけた魔族の王子は、返事も待たずに続けた。
「あの女に言っておけ!
生まれ損ないの生っちろい蛇男に未練があるなら、さっさと人界へ行け、魔法陣を使うのを許可してやると!」
「……御意」
魔族の総統は、飛びながら器用にお辞儀をする。
「あのリリスが、本気で、てめーを相手にしてねーことくらいは分かってんだろ、ネビロス。
さあ、とっととイナンナの居場所、吐けよ!」
「……は」
ダイアデムに急かされたネビロスは一呼吸置き、それから声高らかに宣言した。
「彼女は地下におります。“
一瞬の沈黙が下りたあと、二人と一匹は口々に叫んだ。
「要石の間だとぉ!?」
「よくもあんなトコに!」
「また厄介なところに!」
彼らの反応に、家臣が密かにほくそえんだことを感じ取ったタナトスは、大カラスに掌を向けた。
「それさえ聞けば、もはや、貴様に用はない」
「タ、タナトス殿下! 陛下のご裁定も待たず、いきなり処刑とはご無体な!
わ、わたくしとて、魔族の総統、き、貴族の端くれなのでございますよ!」
「待てって、タナトス。そいつにゃ、まだ、リリスの居場所を吐かせなきゃ!」
「問答無用! ──アトローシャス!」
ダイアデムの制止も聞かず、魔界の王子は容赦なく、うろたえ飛び回るネビロス目掛けて呪文を唱える。
「ぎゃっ!」
タナトスの強い魔力は、家臣の防御呪文など軽くねじ伏せ、壁にたたきつけられたカラスは一声上げて悶絶し、男の姿に戻った。
今の騒ぎで、黒い羽毛が大量に飛散し、息も出来ない状態になる。
手でそれを払いのけながら、ダイアデムが苦情を述べた。
「……うっぷ、ぺっぺ。
おい、タナトス、殺すなって言ったろーが!」
「安心しろ、逃がさんよう、意識を失わせただけだ」
その答えに、ダイアデムは紅い眼を見開いた。
瞳の奥の金色をした炎が、ぱっと燃え上がる。
「へええ! ……何か、この頃、進歩してんじゃん、お前」
「ふん、余計な世話だ。
マルショシアス、こいつを見張っていろ、逃がしたら、命はないものと思え」
タナトスは命令し、魔犬は床に平伏した。
「は!」
「よし、行くぞ、ダイアデム!」
その勢いで、王子が呪文を唱えようとすると、紅毛の少年は首を横に振った。
「いや、お前一人で十分だろ。
オレが、こいつを牢にブチ込んでやるよ、その後、マルショシアスを連れて会議に乗り込まなきゃ」
タナトスは、あっけにとられて宝石の化身を見つめた。
「……何だと? 貴様、あれほど、彼女のことを心配していたではないか」
すると、少年は、またも否定の身振りをした。
「わあってねーな、心細い思いをしながら彼女が待ってんのは、お前だ。オレじゃねーよ。
早く行ってやんな、すっげー喜ぶぜ」
「それは、そうかも知れんが……」
「……オレが、彼女のこと好きになったのは……オレのこと、絶対、振り向いてくれっこない、って……分かってたから、かもな」
眼を伏せ、つぶやく“焔の眸”の化身の姿を見た魔族の王子は、ますます面食らった。
「貴様、最初から諦めてどうする。
いや、それ以前の問題だな、一体なぜ、そんな風に考えるのだ?」
「他人の立場でものを考えられねーガキにゃ、分かりっこねーさ」
「何ぃ、俺は!」
叫びかけるタナトスを、暗い口調で少年は抑えた。
「そうとんがんなよ、わあってるって、お前が、もーすぐオレの新しい主人になるってコトは。
そんなに知りたきゃ、後で話してやる、早く行ってやれよ、イナンナはお前を待ってんだから」
「だから、俺と一緒に行けばいいだろう、遠慮など不要だ」
「……バーカ。彼女に合わせる顔がねーんだよ。オレのミスで、
さ、もう行けよ、お前から謝っといてくれ」
「あ、ああ。
──ムーヴ!」
うなずいたタナトスは、釈然としない思いを胸に、要石の間へと向かった。