2.タナトスの婚約者(4)
「今度は、あなたの番よ。タナトス様のお話を聞かせて」
「そうね……何から話そうかしら……うーんと……」
イナンナに促されたリリスは、視線を宙に
「うん、そう、タナトス様は、お小さい頃は本当にやんちゃで……って、今もあんまりお変わりになってないかしらね。
ふふ」
「そうなの? 想像がつくような気もするけれど、そこがいいというか……」
「でしょ、でしょ? そこが、お可愛らしいトコなのよ、ね~~!」
白い髪の少女は、身を乗り出した。
その様子は年相応に微笑ましくて、ダイアデムが言うような、危険人物には到底見えない。
「ほんと、そうね」
答えたイナンナの警戒心も自然と緩み、ごく普通の少女と話しているときのように、顔がほころんで来ていた。
「でも、ご自分の失敗を、何でもサマエル様のせいになさったりされるトコは、頂けないけど。
たとえば、ご自分のおねしょを、サマエル様がしたことになさったり……」
「えっ、そんなことを?」
銀髪の少女は眼を丸くした。
「そうよ。魔法でこっそり、シーツやマットをサマエル様のと取り替えたみたいなの。
でも、あっけなくバレて、イシュタル様に大目玉食らってらしたわ……お尻ぺんぺん、って……くくっ」
「ま……」
小鳩のような笑いを魔族の少女は漏らし、釣られて人族の少女もくすくす笑う。
「……ああ、あとね、タナトス様とサマエル様は、五百歳年が離れておいでなんだけど、誕生日はご一緒なのよ、
知ってた?」
「いいえ、知らなかったわ」
イナンナが首を振ると、リリスは得意げな顔つきになった。
「あら、そう。じゃあ、これも知らないわね。
生まれ年が違うのに誕生日が同じっていう兄弟は、“アストロツイン”って呼ばれるのよ」
「“アストロツイン”……?」
イナンナは、白鳥のように細い首をかしげた。
結い上げた銀髪、うなじの
それをちらりと見やり、リリスはわずかに唇を噛んだ。
「……? どうかしたの?」
「い、いいえ、何でもないわ。
リリスは首を振り、話を続けた。
「……ええとね、そういう兄弟は“運命を分け合う”ことになるんですって。
お顔が双子のようにそっくりなのに、性格がまるっきり真逆なのも、光と影のようにお互いを補う存在だから……ってことらしいわ。
ずっと前に、イシュタル様が仰ってたのを聞いたんだけど」
「そうなの。たしかに、タナトス様とサマエル様の性格は……いえ、何もかもが正反対ね。
──あら」
そのとき、机に置かれていたタナトスの写真に、後頭部で銀髪をちょこんと結んだ少年が出現した。
白と黒、雪と炭、氷と炎……様々に比較される対照的な魔界の王子達は、並んでじっとこちらを見つめ、彼女達の会話に耳を傾けているようにも見える。
魔族の少女は、それを手に取り、まじまじと写真内の二人を見比べた。
「ホーント、こんなに両極端な兄弟も珍しいわよねー。
ダイアデムの言った通り、あたしは、最初はサマエル様がイイな~って思ってたの、ほら、あの方は、誰にでもお優しいでしょ。
……でも、サマエル様は……魔界の女には、全~然興味がないのよね……それどころか、敵なのに、神族の女と恋に落ちちゃうなんて……」
リリスは瑠璃色の眼を伏せたが、すぐに顔を上げ、写真を元に戻した。
「ともかく、あの方は、裏切り者扱いされちゃって、魔界にはお帰りになれないし、その上、あんたの従妹をお嫁さんにする気満々なんだったら……もう、諦めるしかないじゃないの!
ダイアデムが、何て言おうと!」
「……サマエル様とジルには、上手くいって欲しいけど」
どう答えていいか分からず、イナンナは当り障りのない会話に逃げた。
「そりゃそうよ、その子と、タナトス様が上手くいったら困るし」
「別にそんな意味じゃ……」
「あー、もういいわ、そんな話」
自分から言い出した癖に、リリスは苛々と手を振った。
「あ、そうだ、お誕生日の話、してたんだったわよね。
一万五千歳(人間の15~16歳くらい)までは、毎年、お二人のお誕生会が開かれてたんだけど、もらったプレゼントは、いつも、タナトス様がサマエル様の分も全~部、独り占めしちゃってたの。
サマエル様は、何も言わないんだけど、イシュタル様は目ざとく気づいて、当然、タナトス様はお仕置きされちゃうわけ。
それでも懲りずに、あの方は、毎年それを繰り返してらしたわ……こうなるともう、恒例行事みたいなものよねー、ふふ」
再びリリスは笑ったが、イナンナは笑う気にはなれなかった。
「タナトス様、お淋しかったんじゃないかしら……」
ぽつりと彼女がつぶやくと、今度はリリスが眼を見開いた。
「……え? お淋しい?」
「ええ。お母様が亡くなられて、誰かに甘えたくても、お父様はお忙しいし、イシュタル様も、お小さいサマエル様にかかり切り。
きっと、誰かに、自分を見て欲しかったのだと思うわ。“自分だけ”を」
「…………」
白い髪の少女は、不思議なものを見るような眼差しで、銀髪の少女を見つめた。
「……あ、ごめんなさい、話の腰を折ってしまって。他のお話も聞かせて下さる?」
「え、ええ、そうね……」
リリスは、気を取り直し、口を開いた。
「ふうん。じゃあ、あんたも、タナトス様のこと好きなのね?」
リリスに訊かれたイナンナは、淋しげにうなずいた。
「ええ……でも、わたしには魔力がないんですもの、全然見込みがないわ……。
時たま、気まぐれで、あんな風にお相手して下さるくらいで……」
「だけど、相手してもらえるだけでもいいわよ。
あたしなんか、さっきみたいに、そばに寄っただけで、イヤ~な顔されてしまうんだから!
さて、そろそろいいわね。聞きたいことは、大体聞いてしまったし!」
突然、リリスは唇に指を当て、鋭く口笛を吹いた。
それを合図に、黒い影が、煙のようにむくむくと部屋の中央に湧き出て来る。
ただならぬ気配に、イナンナは、そばに立てかけておいた剣を手に取り、身構えた。
「リリス、これは何のつもり?」
「女同士だからって気を許した、甘いおバカさん」
今までの友好的な態度はすでに消え失せ、態度を豹変させた白い髪の少女は、瑠璃色の眼を暗く輝かせて、血の気の失せた唇を歪めた。
「あんたがジルじゃないのが残念だけど、タナトス様を、ほんのちょっとだけ困らせるには、ちょうどいいかもね。
……分からない? いつもいつも、あたしに冷たく当たるタナトス様に、今日こそ、仕返ししてやるのよ!」
思わず、イナンナは、隣室に視線を走らせる。
「無駄よ。さっきこっそり結界を張ったわ。ここで起きてる物音は、隣にはまったく聞こえない。
ダイアデムは、あたしのこと嫌ってるから、覗かれる心配もないと言うわけ。
お分かり? 哀れなウサギちゃん。あんたは、あたしの狩りの獲物なのよ」
リリスの口調は、先ほどまでとは別人のように冷たく、その眼は飢えた獣も同然だった。
「ウサギですって! わたしを見くびると、痛い目に遭うわよ!」
人族の少女が叫ぶと、魔族の少女は顔をのけぞらせ、勝ち誇ったように笑った。
「あーははははは! バカじゃないの、あんた。
魔法対剣なら、絶対、魔法の勝ちに決まってるじゃない、魔力のない人間なんかに、一体何が出来るって言うの?
さあ、やっておしまい、ネビロス!
殺さない程度に痛めつけて、捕まえるのよ!」
リリスの合図と共に、黒い影は、イナンナ目がけて飛びかかっていった。
しかし。
「やあっ!」
鋭い気合いと共に発する剣圧に押され、面食らったように、影は後ずさる。
「何やってるのよ、たかが、人間の女に!」
リリスが叫ぶと、いったん散り散りになった影は、じわじわと集まってゆき、黒いローブをまとい、
冷たい美貌の持ち主は、闇を秘めた灰褐色の眼で、値踏みするように、美少女剣士を上から下まで眺め回す。
「ふ~ん、美しいだけじゃなく、剣の腕もなかなか立つじゃないか、このお嬢さんは。
この頃の人間は、女性でもこんなに強いのかい?」
「えい、えい、えい、とおっ!」
「──カウンタ・アクト!」
ネビロスは手をかざし、呪文で剣の攻撃に対抗したものの、吸収し切れない強い衝撃に、思わず漆黒の翼を広げた。
カラスの羽が辺りにまき散らされ、視界が黒くふさがれる。
「ほおお……すごい、鋭い突きだ。防御呪文が、もう少しで破られるところだったよ。
これは手加減できんぞ、リリス。こちらも本気にならなければ……。
だが、惜しいかな、キミには魔力がないんだって?
……残念だなぁ。ほんの少しの力でもあれば、わたしの妻に欲しいところなんだがねぇ……!」
「何を、バカなことを……!」
かっとなってイナンナが叫ぶと同時に、リリスもネビロスを怒鳴りつけた。
「こんな状況でナンパしてんじゃないわよっ、この軽薄男!
……まったく、女と見れば、見境なく
さっさと決めておしまい!」
ネビロスは肩をすくめた。
「リリス、キミだって、毎日男を
「何ですって!?」
「い、いや、何でもない。
……やれやれ。イナンナ、キミには何の恨みもないが、仕方がない。
それでは、本気を出すことにしましょうかね」
魔族の男が言った刹那、イナンナの腕に痛みが走った。
「痛っ……!」
腕組みをしたまま、ネビロスは指一本動かしてもいないのに、何かが少女の皮膚を切り裂き、真紅の液体が一筋、白い肌を伝い落ちている。
(な……何なの!?)
彼女は緑の眼を見開いた。
「く!」
「う…っ!」
その後も、風切り音がするたび、イナンナの体には、無数の傷が出来ていく。
「どうやって、攻撃しているのだろうと思っているね? お嬢さん。
実は私は、どんな相手にでも、自由に傷を負わせることが出来るのだよ」
カラス男は大して自慢気な様子でもなく、彼女に教えた。
「魔法を使っているのね!?」
「ご名答。キミがどうあがこうと、無駄な努力と言うわけだ。
キミの、そのなめらかな肌に傷をつけるのは忍びないのだが、これも浮き世の義理、と言うヤツでねぇ。
世の中は、とかく思い通りにはならないものだ。
……そう思わないかね?」
「その通りよ、イナンナ、諦めるのね。
じたばたすればするほど、痛い目に遭うわよ。それとも、もっと痛くして欲しいのかしら?
ご希望なら、いくらでも痛めつけて差し上げてよ……ふふふ」
魔族の少女は眼を細めて獲物を見つめ、舌なめずりした。
唇の端がめくれ、短くはあるが鋭い牙が
「嫌よ、諦めてたまるもんですか!
──とおっ!」
イナンナは叫び、剣を振るった。
しかし、それは空を切るばかり。
魔法使いではない彼女には、魔力による攻撃を防ぐ術はないのだった。
「さあ、もう終わりにしてあげようね。
その芸術的な
くくく……そら!」
ネビロスは喉の奥で低く笑い、最後の攻撃を仕掛けた。
(もう、ダメだわ……タナトス様……!)
後頭部に強烈な衝撃を感じると同時に、イナンナの意識は遠のいていった。