~紅龍の夢~

巻の三 THE PHANTASMAL LABYRINTH ─幻夢の迷宮─

1.陰謀への招待(4)

『……()の計画はその後、いかが致した? うまくいっておるのであろうな、ベータ?』
『一応の進展は見ておりまするぞ、アルファ殿。
それゆえ、報告を兼ねて、今ここに、我らが(つど)っておるのでありましょうが』

一条の光さえも差さぬ真の暗闇の中、いんいんと声だけが響く。
タナトス達四人が、魔界王の書斎で談笑していたその同時刻、魔力によって創り出された亜空間にて、密談が取り交わされていた。

『もはや、同様の失敗は許されませぬぞ、我らには時間がございませぬ。
幾たびにも渡り、しくじりが打ち続いておりますゆえ……』
姿は見えず、真剣な響きを帯びた声だけが、亜空間に流れてゆく。

『分かっておるわ、ガンマ。
さればこそ、あの者を、こたびの計画に引き入れたのだ。
我らの行動は、否応なく制約されておるゆえな』
ベータが、くぐもった声で答えた、その時。
不意に、ぐにゃりと空間が引き(ゆが)み、さらに濃い闇の(かたまり)が、新たに現れたのだ。

『ふっふふふ……大層、お困りのようだな? 
それほどに急ぐのであれば、当然、値段の方も、ちと張ることになるが……』
直後、ふくみ笑いが響き、闇中の三人はぎくっと身を固めた。
『だっ、誰だっ!?』
『何奴!?』
『どうしてここが!?』

『落ち着け。騒ぐな。分からないのか、俺だ、デルタだ』
聞き覚えのある声が耳に届くと、陰謀家達は、揃って総身(そうみ)の力を抜いた。
(おど)かさないで欲しいものだな、デルタ……』
ガンマが眉をしかめる。
『あ、悪趣味な。寿命が縮まったわ!』
『……まったく。心臓に悪い……』
アルファは、震える手で額の汗をぬぐい、ベータはゆるゆると胸を押さえた。

『何をびくついていることやら。
ここに入って来られるのは、この空間の座標を知っており、かつまた、特定の精神波を持つ者のみと承知しているだろうに』
誰にも見えはしなかったが、デルタと呼ばれた魔族の唇には、冷ややかな笑みが浮かんでいた。

『そこまで申さずともよいではないか』
『左様、慎重に過ぎると言うことはあるまい』
ガンマとベータの不満げな声に加勢して、アルファも口を出す。
『いかほどの犠牲を払おうと構わぬ、我らは時期を待ち過ぎた。
もはや、誰にも不自然さを感じさせずにという訳にもいくまい。
ある程度、行動を気取られるのもやむを得ぬ。
されど、真実、そなたを信用してよいものやら。腕の方もさることながら、我には……』
その口調は、不信感にあふれていた。

『俺は、個人の恨みを晴らす手助けをするのを生業(なりわい)とする者、信用して頂きたいものだな。
まあ、先ほどの言葉は撤回しよう。報酬(ほうしゅう)は先に決めた事柄でよいぞ。
ふふ、特別大サービス、というわけだ……俺も前々から、魔界王家の支配には飽き飽きしていたからな、腕試しにはよい機会よ』
答えるデルタの声は、舌なめずりをしているような雰囲気を(かも)し出していた。

アルファは憤怒(ふんぬ)の表情を浮かべた。
『“大サービス”に、“腕試し”じゃと……? このたわけめが、遊んでおる暇なぞ、ないのじゃぞ!
計画の発覚や失敗は、すなわち、我々のみならず、そなたの破滅でもあるのじゃ、分かっておるのか!?』
腹立ちのあまり、彼は、相手がいると思われる方向に指を突きつける。

『……まあ、俺を信用するしないは、そちらの勝手だが、ここまで深入りさせてておいて、今さら抜けろと言うのもどうかと思うぞ……?』
対するデルタの口調は、軽く肩をすくめているのが見えるような感じだった。
暗がりの中、アルファの顔は赤から青へと色を変えた。
『き、貴様っ! 密告する気じゃな!?』

『落ち着いて下され、お二方。内輪もめしている場合ではありませぬぞ』
そのとき、ガンマが、争う彼らの間に割って入った。
『わたしは、彼を信用致します。
左様でなくては事が進展致さぬゆえ、彼を引き込んだのを、よもやお忘れですか、ベ……いやいや、アルファ殿?』

『くうっ……!』
そこまで言われて、歯がみしながらも黙ったものの、少しでも怪しい素振りを見せればすぐに始末をつけてやろうと、アルファは固く心に決めた。
『たしかに、内輪もめなど、何の益にもならないな。ことに、魔界王家の者相手では』
それを察したデルタも、冷たく言ってのけた。

『もうよい。ともかく、本題に入ると致そう』
『左様、左様。空間の歪みを長時間創り出しておくのも、不審に思われる元ゆえ』
しかし、話を進めようと苦心しているガンマとベータを無視して、アルファは、いかにも悔しげな声で言い募る。
『……あの時に、成功さえしていれば……我も、こんなところでくすぶってはおらず、すでに陽の当たるところを、堂々と歩いていられたものを……!』

『笑止な。過ぎ去ったことを愚痴(ぐち)るのは、人間にでも任せておけばいい。
どうでもよいことで言い合うよりも、早急に計画を煮詰めにかかる方が、よほど有用なのではないか?』
(あざけ)るような声で、デルタがまたも言い、アルファの神経を逆なでする。
『何じゃと……!』

『いい加減にして頂きたいものですな、アルファ殿。デルタも挑発はよせ、話が進まぬ』
またも言い合いになりかけたところで、ガンマが冷静に二人を抑える。
それから、彼は、殺し屋に話しかけた。
『それよりも、デルタよ。かねてよりの疑問があるのだが、この際だ、答えてはもらえぬだろうか?』
『何なりと答えよう、ガンマ。あんたとは話がしやすくていい』
さすがは殺し屋、感情を抑えることに慣れているのだろう、気の短いアルファとは違い、デルタの声は低く、そして落ち着いていた。

()の計画の成否は、サマエルを捕え、完全に洗脳して操れるか(いな)かにかかっている。
されど、魔界王家の者どもの魔力は群を抜いて強力だ、いかに対抗する気なのだ?
永く人界にいたために、サマエルの魔力は多少落ちているやも知れぬが、ヤツは“魔界の参謀”の異名(いみょう)を取る、用意周到な男。
あれを(わな)にかけること自体、出来そうもないことのように、わたしには思われるのだが』

『我も問いたい』
釣られて、ベータも疑問をぶつける。
『さらに、“予言の獅子(しし)”たるシンハの予知能力は(あなど)れぬ上、サマエルには、“魔眼”という厄介(やっかい)なものもある。
これら二つの力を、いかようにして出し抜く心積りか?
……見よ、顔合わせ一つとっても、細心の注意を払い、かような状況にて行わねばならぬ。
その上で、万が一、盗聴されたとしても正体が分からぬようにと、アルファだのベータなどと、暗号名で呼び合ってもおるほどなのだぞ……』

『そうじゃ、そうじゃ』
ようやく頭が冷えたアルファも、話に割って入って来る。
『あのおぞましき力を有した“紅龍”を罠にかけて捕らえ、さらに自在に操るなど……まこと、おぬしに出来ると申すのか?
大風呂敷を広げておいて、肝心のときに出来ぬなどと抜かしおったら、ただでは済まぬぞ』

『案ずるな、取っておきの手があるのだ。すべて俺に任せて、あんたらは大船に乗った気でいるがいい』
眼には映らぬとは知りつつも、デルタは胸をたたいて見せる。
自信に満ちた彼の答えは、残る三人を色めき立たせた。
『取っておきとは!?』
『まことか! 一体何なのじゃ、それは?』
『もったいぶらずに、()く聞かせよ!』

鼻をつままれても分からぬ暗然たる闇の中、三つの黒い(かたまり)が、自分の周りで影法師めいて(うごめ)くのが、辛うじて見て取れ、デルタは歪んだ笑みを浮かべた。
『落ち着け、今話してやる。これなら絶対確実という方法を、俺は、ついに考えついたのだからな』

すると、おのれの言葉に反応し、陰謀家達の影法師が詰め寄ってくるのが、デルタには分かった。
『絶対確実とは、これまた』
ベータの影は、芝居がかって大げさに。
『一体いかなる手立てか、教えてもらいたいものだ』
ガンマの影は、動きまでもが平静に。
『……はったりなぞではなかろうな?』
疑いを伴う、ねちっこい声を出す影は、アルファだった。

『いいや、はったりなどではない。まず、この計画で一番肝心なのは、(おとり)なのだ』
『囮じゃと……?』
『そうだ。“操り”が得意と自惚(うぬぼ)れている者ほど、おのれが操られておることには気づかぬもの。
あやつを使えば完璧だ』
常闇に溶け込んだ殺し屋は、胸を張った。

『……ふん、何じゃ、左様な程度のことならば、誰でも容易に考えつくわ。
絶対確実だなどと、下らぬ駄法螺(だぼら)を吹きおって!』
アルファは鼻を鳴らした。
『左様、もはや、二度も失敗しておるではないか!』
『しかも、ヤツは我らにとっても危険、まったくの自殺行為だぞ!』
ベータのみならず、今度はデルタも失望を隠そうとしなかった。

『そんな危惧(きぐ)は不要だと言っているだろう。
“あれ”を使えば、たとえしくじったとしても、我らが陰にいることには気づかれまいよ』
陰謀仲間にどう言われようと、殺し屋を名乗るデルタの信念は、揺るぎなかった。

『なれどのぉ……』
『左様、二度の失敗の後じゃ。
もはやヤツの、サマエルに対する影響力は、かなり落ちてしまっておるのではないのか……?』
『あやつの口から、わたし達のことも知れてしまうのでは?』

『いいや、そんなことはない!』
半信半疑の三人を前に、殺し屋は堂々と言い切る。
『ヤツをダミーとして表に出し、その間に、我らが裏で密かに計画を実行に移す。
そうすればすべて上手くゆくのだ!』

『……自信満々に述べるからには、よほどの裏付けがあるのじゃろうな』
『無論だ。これから詳しく話す。一度切りしか言わんぞ、よく聞くんだな。
まずは第一段階として……』

話が終わり、しばし、無言のときが続いた後、アルファはにたりと笑った。
『ふむう、そなたも悪よのぉ』
『うむ、うむ……!』
『うまくいくやも知れぬな』
残る二人も次々うなずき、深い深い闇の中で、謀反(むほん)人達の密談は続いていった。