~紅龍の夢~

巻の三 THE PHANTASMAL LABYRINTH ─幻夢の迷宮─

1.陰謀への招待(3)

「お帰りなさいませ、タナトス様! ご用事はもうお済みなのですか?」
タナトスが部屋に戻ると、ソファに座り、ダイアデムと楽しげに話し込んでいたイナンナが、顔を輝かせ、走り寄って来た。
「ああ、それがな。親父に、キミがジルの従姉だと話したら、会ってみたいと言うのだ。
構わないか?」
「えっ、お父上様が、わたしに?」
少女は緑の眼を見開いた。

(“ジルの”従姉、ね……。
タナトス様の友人、とは紹介して頂けないのね……。
でも、いいわ、タナトス様のお父様にお会い出来るんなら)

一瞬躊躇(ちゅうちょ)したのち、彼女は同意した。
「……ええ、それは構いませんが」
「オレも行くぞ」
宝石の化身も立ち上がり、そばに寄って来た。
「ああ。許可は得て来てやった」

「あ、ですが……こんななりで、御前に出るなんて……」
イナンナは自分の服を見下ろした。
タナトスに招待されたと言うので、かなりいい衣装を選んで来たつもりの彼女も、魔界の王に会うとなれば、やはり、正装をするべきなのではないかと思った。
大体、こんな少年のような姿で、恋しい人の父親には会いたくはない。
「そ、そんなことねーよ。あんたは、何を着てても美しいぜ!」
宝石の少年は叫ぶ。
タナトスは首をかしげた。
「正式な謁見のような、堅苦しいものではないのだぞ、イナンナ。
親父は気にせんだろうさ、キミが何を着ていても」
「そ、そうです……わね……」
「何だ、不服か?」
最愛の人の眉間(みけん)に稲妻が走るのを見たイナンナは、慌てて首を横に振った。
「い、いえ、不服だなんて、そんな……」

すると、ダイアデムが口を挟んだ。
「バッカだなぁ、タナトス。
女心ってもんを、まぁったく分かってねーんだからよぉ、だっから女にモねーんだぞ!」
「なんだと、貴様!」
「たとえ、相手が王様じゃなくったって、初めての相手に会うのに、女のコが悪いイメージ持たれたくねーって思うの当然だろ!
少しは察してやれよ、ニブチン!」

「い、いいのよ、ダイアデム。
タナトス様が、これでいいと仰るんだから……」
彼女の言葉に、紅毛の少年は頬をぷうっと(ふく)らませた。
「チェッ。オレは、キミのためを思って言ってやってるのにさ!」

すると、タナトスは面倒くさそうに手を振った。
「分かった、分かった。
ドレスでも宝石でも何でもいい、好きな物を出してやれ、ダイアデム。
俺には、女物の衣装は分からん」
「オッケー、そーこなくっちゃあ!
待ってろよ、イナンナ。今、う~~んとステキなヤツ、出してやるからな!
──カンジュア!
ほいっと、これでどうだ?」

ダイアデムが唱えると同時に、大きな鏡が現れ、その中でイナンナの姿が、いきなり変化した。
「きゃ、っ……」
次の瞬間、彼女は鏡に目が釘づけになってしまった。
「まあ……これは……一体、誰……?」

鏡の中には、アクアマリン色のドレスを身にまとった絶世の美女がいたのだ。
彼女のすばらしいプロポーションを引き立てるため、ウエストをうんと絞り、胸元を大きく開けたドレスのスカート部分は、透ける素材のチュールレースが重ねられ、涼しげな感じを強調している。

簡単に後ろで結ばれていただけの髪は複雑な形に結い上げられ、その髪にもドレスにも色取り取りの宝石がちりばめられて、彼女の動きに連れてきらきらと輝いている。
ほとんど化粧っ気のなかった顔も、唇にはさらに色鮮やかなルージュ、頬には頬紅、目蓋には二色のラメ入りシャドウ……といった具合で、ダイアデムは女性を美しく見せるために最大限の努力をし、見事に成功を納めていた。

実は、彼はこの日のために、魔界の女性……主に女官達に、流行りのドレスや化粧法などを色々と聞きかじったり、図書室に入り浸って文献を(あさ)ったりして、その方面の研究に余念がなかったのだ。
最初の衝撃が収まると、彼女には、そのドレスが、祖母の形見であるエメラルドの首飾りに合わせてデザインされたものだと分かった。

「まあ、ありがとう、ダイアデム。
この首飾りに合わせて作ってくれたのね」
「その通りさ!
でも、ほれぼれしちまうぜ……やっぱ美人ってのは、いつ見ても心が洗われるよなぁ……。
キレイにしがいがあるってもんだ。
ほらぁ、何か言ってやれよぉ、タナトス」

「……そうだな、たしかに美しいようだ」
出来映えに心酔し切っているダイアデムとは裏腹に、魔族の王子の態度はそっけない。
もちろん、彼とて夢魔、その美しさに魅了されないわけはなかったが、味見をしたくとも、彼女はジルの従姉なのだし、宝石の化身もそばにいるしで、我慢することが嫌いなタナトスは少し苛ついていたのだ。

その冷淡な態度に、イナンナの中で、幸福感が急速にしぼんでいった。
(仕方がないわ……いつも剣など振り回しているガサツな女が、急にドレスなんか着たところで……滑稽(こっけい)なだけよね……)

「さあ、もう行かないとな。親父のことだ、またかんしゃくを起こしかねん」
そう言うと、タナトスはドアを開けた。
静かにイナンナもついて行く。
「ふん、似た者親子だよなぁ、カンシャク持ちでさ!
あ、待てよ。タナトス、イナンナ! オレを置いてく気かー!?」
あわててダイアデムも後を追う。

「イナンナ、こっちだ」
先程往復した回廊を通り、魔族の王子は人族の少女を案内していく。
「俺の城よりは趣味が悪いが、大昔からある建物だし、仕方がない。
それでも、なかなか荘厳(そうごん)な雰囲気はあるだろう?」
「ええ。たしかに素晴らしい宮殿ですわ……ですが、わたしも、タナトス様のお城の方が好きです」

「ほう、そうか。キミも、なかなか目が高いな」
イナンナの()め言葉に、タナトスは満足げにうなずき、少女は頬を染めた。
「まあ、そんな」
「……はん。オレは、こっちの方が好きだけどなー」
お邪魔虫の、紅毛の少年が無理矢理、話に割り込む。
「貴様には聞いておらん」
「何だよ、オレも会話に加えろよぉ」

そんなたわいもない話をしているうちに、三人は魔界王の書斎に着いた。
彼らが控えの間に入ると小姓は立ち上がり、うやうやしく礼をしてからドアをノックし、今度こそ取り次ぎの仕事をした。

「失礼致します、陛下。
タナトス殿下、ダイアデム閣下、並びにお客人がお着きになられました」
「通せ」
「……は」
大きく息を吸い込む少女の前で、魔界王家の紋章が彫り込まれた重厚な扉が、ゆっくりと開かれていく。

彼女の眼に映ったのは、雪のように白い髪とひげをたくわえ、何もかも見通す鋭い眼差しと、威厳ある物腰をした、王と呼ぶにふさわしい、遥かに年()りた英知を感じさせる人物だった。
部屋は狭くはなかったものの、莫大(ばくだい)な魔法書に囲まれているため威圧感があり、落ち着こうと思いつつも、彼女の緊張は、(いや)が上にも高まっていく。

(……でも、やっぱり、親子ね。目元が、よく似てらっしゃるわ……)
激しく心臓は鼓動していると言うのに、どこか冷静な心の一部分でそう思いながら、ドレスのすそを軽く持ち上げて、彼女はしとやかに淑女(しゅくじょ)の礼をした。

(うるわ)しきご尊顔(そんがん)を拝し、恐悦至極(きょうえつしごく)に存じ上げます、魔界王陛下。
イナンナと申します、どうぞ、お見知りおき下さいませ」
彼女とて、祖母が駆け落ちなどしなければ、初めから貴族の娘として、今も何不自由なく暮らしていたはずだったのだ。
曽祖母に引き取られた後、数年習っただけとは言え、礼儀作法は完璧に身に付いていた。

魔界王は、眼を細めた。
「ほう。なかなか礼儀正しい娘じゃな。それに、美しい」
「あ、ありがとうございます、陛下」
「余がタナトスの父親、魔界王ベルゼブルじゃ……なれど、今日のところは、左様に堅苦しくする必要はないゆえ、ゆるりと致せ」
「……はい。それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
イナンナは、ようやく顔を上げる。

ベルゼブルは重々しくうなずいた。
「よしよし。
ところでじゃ、そなた、サマエルのことは見知っておるのかな?」
「はい。お聞き及びでしょうが、わたしとジルは従姉妹(いとこ)同士でございまして、そう言うご縁で、サマエル様のことも、よく存じ上げております」

「……左様か。
魔界を出てから、サマエルは色々とやっておったようじゃが。
人界にては、賢者などと呼ばれておるそうじゃな。
さればじゃ、ぶしつけに聞いて相済まぬが、その……そなたの従妹であるジルとは、如何(いかが)な娘なのじゃ? 
息子どもの口より、始終、その話を聞くのでな」

イナンナは、返答に迷った。
たしかに、従妹の魔力はとても強かったが、その他のことはどう言えばいいものか、彼女には分からなかったのだ。

「魔力は人並みはずれてあるケド、天然ボケで顔は十人並み、おまけに、胸はぺったんこ。
あの女のどこに、お前ら夢魔がこだわる理由があんだか、オレにゃすわっぱりわっかんねーな!」
その時、ダイアデムが、例によって何の遠慮もなく放言した。

「黙れ! この悪ガキっ」
タナトスは、青筋を立て、彼を叱りつけた。
「だあーってよぉ、そのとーりじゃん、なあイナンナ?」
怒鳴りつけられるのもどこ吹く風、しれっとしたままダイアデムは、イナンナに話を振った。
「えっ、そ、それは、そうかも知れないけれど……」
彼女が再び返答に(きゅう)すると、魔界王がみずから助け船を出した。
「まあ、よい。恋敵(こいがたき)のことをほめる気にはならぬが、人前で悪口など申したくはないのじゃろう、イナンナ?」
「あ、あの、恋敵だなんて……わたし……」

イナンナは一層困惑し、タナトスは険しい表情になった。
「分かっているのなら、なぜわざわざ聞くのだ、性格が悪いな、親父も」
「はっ、性格が悪いだってぇ? 
ンなコト、こいつにだけは言われたかねーよなぁ、ベルゼブル?」
第一王子を指差して、宝石の化身がまたも言い放つ。

少年の横柄(おうへい)な態度に眼を丸くしたイナンナは、タナトスが言い返すより早く、彼をたしなめていた。
「ちょっと、あなた、何て失礼なことを!
ベルゼブル陛下は国王様だし、タナトス様は王子様でしょう!
なのに、何なの、その態度は!」

「よいよい、イナンナ。
“焔の眸”は、いつもこの調子でな、この憎まれ口が聞けないと淋しいくらいじゃ、もはや、諦めておるでな、そなたも気にするでない」
魔界王は、苦笑しながら彼女をなだめた。

しかし、ダイアデムは大人しくなるどころか、下唇を思い切り突き出して、鼻息も荒く、ことさら生意気な口をたたいた。
「だぁーって、こん中じゃ、オレが一番偉いんだぜ、イナンナ!
オレなしじゃ、ベルゼブルだって魔界王じゃいられねーんだし、そのうちタナトスが王位に()くとしても、戴冠式にオレが王冠かぶせてやんなきゃ、王にゃなれないってワケなんだからよ!」

タナトスは、そんな宝石の化身を睨みつけた。
「ふん! そんな下らん(おきて)など、俺の代で変えてやる!
王がみずから頭に冠を乗せるようにすればいいのだ、そうすれば、貴様などお払い箱だ。
黯黒(あんこく)(ひとみ)”と共に汎魔殿の最下層に永遠に封印してやる、口の減らないこわっぱめが!
そのときに後悔しても遅いぞ、泣いてもわめいても、絶対出してやらんからな!」

すると、ダイアデムは、明らかにわざとらしく魔界王に体をすり寄せ、泣きつく振りをした。
「ベルゼブル、助けてくれよぉ、こいつ、こーやって、いっつもオレをいじめるんだぁ~~!」
「ふん、都合のいいときだけ、ガキの振りか? 親父も、こいつを甘やかすから付け上がるのだ!
大体、この中で一番年を食っているのは、貴様だろうが!」
タナトスに指を突きつけられても、紅毛の少年は()りもせず、再度言い返す。
「だーかーら、年寄りをいたわれ、ってお前、習わなかったのかよぉ!」

その時、ついにたまりかねた魔界の王が、息子と家臣を一喝(いっかつ)した。
「いい加減にせぬか! その方達!
長年続いて来た魔界王家の由緒ある伝統を、そなたらの代で途切れさすつもりか!
……見よ、イナンナもあきれ果てておるわい。
二人ともまるきり童子(どうじ)(=子供)じゃ、少しは大人になれぬのか?」

「だって、このバカが!」
「こいつが生意気な口を利くからだ!」
ダイアデムとタナトスは同時に叫び、処置なしといった格好で、ベルゼブルは人族の少女に眼をやった。
「……まったく、頭が痛いわい……見苦しいところを見せて相済まぬな、イナンナ」
「いいえ」
銀髪の少女は、微笑みながら首を振った。

(そう仰ってても、何だか楽しそう。
陛下もタナトス様も、結構ダイアデムのこと気に入ってらっしゃるみたいね……)
魔界の貴族達の表情豊かな顔を代わる代わる見ながら、イナンナは、そんな風に思っていた。