~紅龍の夢~

巻の二 THE JEWEL BEARER ─貴石を帯びし者─

-エピローグ- 魔界の星座(2)

「もう食べられない……」
「ごちそうさま……」
料理人達がここぞとばかり腕を振るい、城の食材が尽きかけた頃、ようやく全員が満腹となり、外にはジル達が初めて見る、魔界の夜空が広がっていった。
その頃を見計らって、ダイアデムが部屋に入って来た。

彼は、宝石の精霊だけあって、食事を()る必要はない。
他人の食事風景を、ただ見ているのもバカらしいと思い、宝物庫で今まで昼寝を決め込んでいたのだ。
探すまでもなく、想い人は、タナトスのそばにいた。

「よお! イナンナ、おヒサ!」
澄んだボーイソプラノの声に、美少女は振り返り、緑の眼を見開いた。
「あら、あなたは……えっと……」
「“ダイアデム”だってば! もー忘れちまったのかよ、冷たいねぇ……」
彼は大きなため息をつき、天を仰いだ。

「大げさなコね、たった一度しか会ってないんだから、仕方ないでしょう」
「くそ、オレは子供じゃないぞ! 
それにオレは偉いんだ、オレなしじゃタナトスだって、魔界王にはなれねーんだからな──!」
「はいはい、そうなんですってね」
イナンナの返事はそっけなく、眼はタナトスから離れない。

「あ、本気にしてないな?
大体、タナトスなんかより、オレのが三十倍近くは生きてるんだぜ、ガキなのは、ヤツの方だ!」
「ええっ? あなた……六十万歳近いってことなの!?
どう見ても、わたしより年下にしか、見えないのに……」
彼女は、再会して初めて、まともに紅毛の少年を見た。

「宝石は、長い年月をかけて地中で創られる。
それを、生きていると呼ぶのなら、そういうことになるだろうな、イナンナ。
こいつは、元々、王冠にはめ込まれていた宝石だったのだが、強大な魔力を帯びていることが分かってからは、杖にはめ直され“王の杖”として、代々受け継がれて来たのだ。
もっとも、こいつが人型に変身できる能力を身につけたのは、一万年前くらいだが。
だから、子供の姿をしてるんだろう」
タナトスが説明すると、宝石の化身は、不服そうに頬を膨らませた。

「ぶー、違うぞ! オレのこの姿は、ちゃんと人間からもらったもんだ!」
「ほう、初耳だな。それで、そいつの性格のままに、悪ガキだとでも言うのか?
だが、やり過ぎだぞ。貴様は魔界の王権の象徴なのだからな、もう少し上品に振舞え!」
「うっせーな! 誰が何と言おうと、オレはオレだ! 
まぁだ魔界王になってもいねーくせに、いばんじゃねーよ!」

「まあ、何を言うの、ダイアデム。タナトス様の仰る通りだわ。
あなたが、人間のことを、よく知らないのは仕方がないけれど、言葉遣いや態度は、もう少し何とかならないのかしら」
主人格のタナトスには食ってかかったダイアデムも、気になる少女にそう(さと)されると、しゅんとなった。
「だってよ……オレ、ずうっと、形式ばった儀式とかばっか見てきたじゃん? 
でも、そんなのって、なーんにもなんねー、何の意味もねーもんに思えて仕方ねーんだもん。
それでも、ちゃんとやれって言うんなら、誰か手本になるヤツがいねーとな……」

「──だ、そうだ。イナンナ、こいつの教師になって、いい手本を見せてやってくれ。
俺は、少し外の風に当たって来る」
いいチャンスとばかりに、そう言い置くと、タナトスは長いマントをひるがえし、ドアに向かって歩き出してしまった。

「あっ、タナトス様!
もう、どうしてくれるの! あんたのせいで、タナトス様が行っちゃったじゃない!
「そんなに、オレのこと嫌い?」
「えっ?」
イナンナは、すっかり腹を立てていたものの、その哀れっぽい口調に、思わず少年の顔を見直した。

(……長生きはしているかも知れないけど、何もかも、まるっきり子供ね。
ジルの方がましなくらいよ。
『下品な人は、好きになれない』……なんて言えないじゃない、こんな泣きそうな顔されちゃ……)

「……しょうがないわねぇ……。
じゃあ、ホンのちょっとでいいなら、教えてあげてもいいけれど……」
「うん!」
ダイアデムは紅い眼を輝かせ、それにつれて、瞳の炎もキラキラと美しく光を反射し、彼女はその輝きが気に入った。
「返事は、『うん』じゃなくて、『はい』よ」
「──はい!」
「いいわ、その調子」

(ふっ、なかなかいいコンビじゃないか、あの二人)
微笑ましく思いながら、タナトスはドアを開け、廊下へと出ていく。
異界ではイナンナを取られるのが嫌だったことなど、とうに忘れていた。

(……にしても、あいつらはどこへ行ったのだ?)
先ほど用事が出来て、ちょっと席を外し、戻ってみると、ジルがいなくなっていたのだ。
弟までもが姿を消していた。
捜しに行こうとしたところでイナンナに捕まってしまい、せっかくのパーティなのだし、あまり邪険にも出来ず、困っていたところへダイアデムが来て、彼は、ようやく解放されたのだった。

(この広い城だ、ジル一人ではどこへも行けるはずがない。
サマエルのヤツが、連れ出したに決まっている……!)
二人の姿を捜し求め、中庭に出る。
空には星が(きらめ)き、庭に咲く花のお陰だろう、(かぐわ)しい風も吹いていた。
しかし、タナトスは、そんなロマンチックな雰囲気には、まったく気づきもしなかった。

(──いた!)
“闇の貴公子”の称号を持つ第一王子の視力は、魔族の中でも群を抜いている。
とっさに、彼は、形よく刈り込まれた庭木の陰に隠れた。
耳を澄ますと、かなり距離があるにもかかわらず、ジルの声が明瞭に聞こえて来る。

「……お師匠様。あたし、タナトスには、あんな風に言ったけど……お師匠様が保護者として、あたしを抱きしめたりしたんじゃないってことは……分かってたの……。
でも、でも、あたしは……うまく言えないけど、今はまだ……」

(な、何ぃ!? だ、抱きしめただとぉ──!?)
思わず、タナトスは叫びそうになり、大慌てで口を押さえた。

「そうだね……タナトスの手前、ああ言ったのだということは、私にも分かったよ……。
それに、私も、キミを……こんな風に、困らすつもりはなかった……。
言いわけになってしまうが、異界は、様々なバランスを狂わせてしまうところだったのだな。
魔力だけではなく、感情のコントロールも難しい場所だった……。
だから、あそこで私が言ったことは、忘れてくれていいよ」
サマエルは優しく言った。

「うん、でも……」
ジルの声は困惑しているようだった。
「今さら、忘れろと言うのも無理かな。今まで通りで構わないのだけれど……。
だったら、今は……私を、候補者のリストに載せてくれるだけで、いいよ……」
「候補者? 何の?」
「“恋人候補のリスト”……だよ」

(あ、あの野郎、キザなことをほざきおって!
俺の城の中で、女を口説くとは! しかも、ジルを……!
くうっ、許せん! 今日と言う今日は、足腰立たぬよう、ギタギタにしてくれる!)

タナトスが、飛び出そうとした、まさにその瞬間だった。
「それでだね、出来たら、タナトスも一緒にリストに載せてもらえれば、ありがたいのだけれど」
意外な言葉を耳にして、彼は、植え込みの裏であんぐりと口を開けた。(なん、だと!? 俺を──?)

ジルの栗色の眼も、真ん丸になった。
「えっ、あの……タナトスを!?
ど、どーして? ライバル……ってことになるんでしょ?」

「そう、あいつは、たしかに短気で自己中心的、しかも冷酷で、他人の気持ちなど、今までまったく考えたこともなかっただろう。
しかし、キミに会ってから、少し変わったのだよ。
他人に優しく接することを覚え、我がままも、多少は抑えられるようになった──キミに気に入れられようとして、あいつなりに努力した結果ね。
昔はそうではなかった、キミが異界で見た“夢”の通りに。
それに、キミを愛する心は本物だとも思う。
まあ、しつこさも少し度を越しかけていて、ちょっと困りものだけれど」

弟の声は笑いを含んでおり、ムッとしたタナトスは、ジルの次の言葉で救われた。
「うん、分かる気がするわ。タナトスなりに、真剣に頑張ってるんだって」
「私はと言えば、色々あって、もう、女性に交際を申し込む資格さえないと思っていたのだ……。
女神マトゥタのように、私に関わったせいで、命を落とすようなことにでもなったら、とね……。
でも、キミが姿を消し、タナトスに発破(はっぱ)をかけられて、このまま何もしないで諦めてしまったら、一生、悔いが残ると、思った……」
「お師匠様……」

「結論を急ぐ必要はないよ。
成人した時に、私か、タナトスか、もしくは別の誰かを選ぶのか、それはキミの自由だ。
強制する気はないし、恋人として付き合ってからも、うまくいきそうもないと思ったら、その時は、遠慮なく言って欲しい。
だが、リストには、あいつも加えてくれないかな。身内びいきと、笑われるかも知れないが」

「…………」
ジルは考え込んだ。

(彼女は、どう答えるのだろう……)
ガラにもないと思いながら、タナトスは、胸の高鳴りを静められない。
魔界の王子が、胸に手を当て祈る姿など、死んでも他人には見られたくないものだった。

永遠に続くようにも思えた沈黙の後、彼女は口を開いた。
「……うん、そう、いいわよ。
リストにタナトスも乗っけてあげる……(“サマエル”がそう言うのならね)。」
タナトスは、とりあえずジルが同意してくれたことで、思い切り安堵して気が抜けてしまい、彼女が弟の耳元でささやいた最後の一言は、幸いなことに、いつもは鋭敏な聴覚を誇る彼の耳には届かなかった。

「じゃ、あたし、先に戻ってるから」
ジルが城内に入っていくのを見届け、タナトスも、静かにその場を離れようとした。
「これで借りは返したぞ、タナトス」
その刹那、いきなり弟の声が響いて来て、彼は反射的に立ち上がった。

「ちいっ、貴様、気づいていたのか。いつから」
「最初からさ。お前は、ブツブツ独り言を言いながら歩いていたからな」
やはり耳ざといサマエルは、答えた。
「ふん、だが、借りとは何だ? ……ああ、異界でのことか?」

「そうだ。あの時は、我ながら不覚だったが……」
「俺に、いつまでも借りなど作っておきたくはない、というわけか。
そんなことでもなければ、貴様が俺の城になど、来るわけがなかったな。
だが、貴様、何を企んでいるのだ? 俺は実力で、ジルを手に入れてみせるぞ!」
緋色の眼を冷たく光らせる兄に対し、サマエルの眼は終始穏やかだった。
「まあ、そう言うな。同じスタートラインから、フェアに行くとしよう」
「フェアだと……?」
「そうさ。それに、“恋は、障害が多いほど燃え上がる”とか言うではないか?」
その言葉に、タナトスはキッと弟を睨みつけ、サマエルは兄の視線を、たじろがずに受け止めた。
二人の間に張りつめた空気が流れ、眼に見えない火花が飛び散る。

しかし、それはすぐに崩れて、タナトスは高笑いを始めた。
「あっはっはっはっは!
よかろう、貴様もたまにはいいことを言う。だが、何があろうと俺が勝つ! 
ジルは絶対、この俺が、妃にしてみせるからな!」
「……お互いに頑張るとしましょう、兄上」
最愛の少女を追い、城中へと取って返す兄王子の後ろ姿を、そう言って弟王子は見送った。

人界では、決して見ることのできない星座が、ゆっくりと魔界の空を移動していき、時おり風に乗って、城内の明るい笑い声や話し声が、中庭まで届く。
黔龍城の夜は、にぎやかにふけていった。

人々の輪から外れ、魔界の深く暗い夜陰に溶け込み、たった一人でたたずむサマエルは、──何を思っているのか──唇だけでふっ、と笑っていた。

The End.