~紅龍の夢~

巻の二 THE JEWEL BEARER ─貴石を帯びし者─

-エピローグ- 魔界の星座(1)

ジルが救出されて、数週間が経った。
ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、助けられた礼にと、緑小人のハロートとマロート、そして、猫魔カッツをお茶に招待していた。
イナンナとプロケルも加わり、にぎやかなティータイムが宴たけなわとなった頃、ようやくタナトスが到着した。

「遅れてすまん、ジル。親父がまた、くどくど説教を始めおってな」
「また何か、大事な会議とかがあったんじゃないの、タナトス」
「──いいや、キミに会う以上に、重要な用事などない」
タナトスは、きっぱりと言い切り、それから、魔物達に向かって言った。
「ハロートにマロート、そしてカッツ、ジルが世話になったな。
改めて、俺からも礼を言わせてもらおう。
今度、俺の城のディナーに招待してやりたいが、どうだ」

「ええっ、でも、わたしの方が先ですわ!」
思わず口走ってしまってから、しまったと後悔したイナンナの、嫌な予感は的中した。
「え、イナンナも招待されてるの? あたしも行ってみたいな。
あ、どうせなら、みんなで行ってみない?」
そう、従妹が言ったのだ。

すかさず、タナトスは答えた。
「ああ、構わんぞ。未来の妻に、俺の城を見せてやるのもいいだろう」
「その話はナシ」
「ジル、いい加減に俺の……」
「じゃ、タナトスのお城で、お祝いのパーティを開くことに決まりね!
ねえ、タナトス。お妃がどうのって話は、今回は、なしにしてちょうだい」
「う……わ、分かったよ、ジル」

(ち。だがまあ、時間はある。
俺の城を見れば、ジルの気が変わるかも知れんしな。
……む?)
心の中で舌打ちしたタナトスは、暗い顔をしている銀髪の少女に気づいた。

「あ……っとイナンナ、キミは……そうだ、また別の機会に、一人で遊びに来ればよかろう」
その言葉に、銀髪の少女の顔が、ぱあっと明るくなる。
「タナトス様、本当によろしいのですか!?」
「無論だ。どうせ俺も、魔界とは頻繁ひんぱんに行き来せねばならんしな」
彼は無造作にうなずいた。
(……ああ、素敵……! 今日は、何ていい日なのかしら!)
相手が、とある約束を守るためだけにそう言ったとは露知らず、イナンナは天にも昇る心地になっていた。

「あ、もちろん、お師匠様も行くでしょ?」
「いや、私は……。追放されたも同然だし、いまさら帰るのも、ね」
弟子に問われたサマエルは、気乗りしないことを如実にょじつに声に表わしたが、ジルにしては珍しく、自分の主張を曲げなかった。
「ダメよ、一緒に行かなくちゃ! 
だって、お師匠様、魔界にず~っと帰ってなかったんでしょう?」

「それは、そうだが、しかし……」
「あたし、行ってみたいなってずっと思ってたの。
お師匠様が生まれた魔界って、どんなとこか、知りたかったから。
──ね? 一緒に行って、お願い」
「……キミがそう言うなら……」
しぶしぶサマエルは答え、兄王子はそんな弟をちらりと一瞥いちべつしたものの、口は出さなかった。

そして、パーティの当日はやって来た。
サマエルの家から、魔法陣でタナトスの城へと移動した彼らが、最初に見たのは、広々とした中庭だった。
様々な彫刻で飾られた中央の噴水を挟んで、左右に、直径二十メートルほどの魔法陣が描いてある。
右は、今、彼らが利用して来たもので、左は、汎魔殿……魔界の宮殿へとつながるものだった。

「綺麗なお庭ですわね、タナトス様。
……あら? ジル、どうしたの?」
イナンナは、必死の形相ぎょうそうで口を押さえている従妹を見つめた。
「ああ、ジル。
この城の敷地は、すべて結界で囲んであるから、瘴気しょうきの心配はしなくていいのだよ」
微笑ましく思いながら、サマエルは、弟子の少女にそう教えた。

ジルは、大きく息を吐き出した。
「……はぁ、なーんだ、そうなの」
「さ、入り口はこっちだぞ」
青々とした芝を踏んで中庭を通り抜け、タナトスは彼らを城の中へと案内した。

「まあ、何て素敵なお城……!」
「ホントね、すごいわ……!」
うっとりしているイナンナに、ジルもまったく異論はなかった。
「そうだろう。明日、城の中を案内してやろうな」
タナトスは、胸を張り、皆を先導していく。

たしかに、自慢できる城ではあった。
タナトス城は別名、黔龍けんりゅう城、つまり、“黒い龍の城”とも呼ばれ、面積こそ汎魔殿の半分ほどだったが、それを知らないジル達の眼には、十分に大きい城と映った。

外観だけでなく、内部の装飾も洗練されていて美しく、清潔な感じもして、とても“悪魔の城”とは見えない。
大理石の廊下は広く、敷きつめられている絨毯(じゅうたん)も最高級のものだったし、壁には複雑で美しい模様が彫り込まれ、額縁に入った大きな絵が、随所に飾られている。
灯りはロウソクではなく、洗練された形のシャンデリアが、高い天井から、隅々に明るく光を投げかけていた。

「あ、いい匂い……!」
「ホント、甘い香りがするわね」
「ん? ああ、あれの匂いだな」
タナトスが指さしたのは、あちこちに置かれた巨大な花瓶に生けられている、色鮮やかな魔界の花だった。
「わ、おっきいお花がいっぱい──!」
「帰るとき、少し持っていくといい、ジル」
「うん!」

そうやって、ぜいらした城の中をどんどん進み、一枚板で作られた立派なドアの前で、彼は歩みを止めた。
「さ、着いたぞ、ジル。
広過ぎても落ち着かんだろうと思って、小さめの部屋を用意したのだが、気に入ってくれるかな」
「どんなところかな、楽しみ~!」
少女の笑みに釣られて、魔界の王子も顔をほころばせ、ドアを開ける。

内部の明るさに、一瞬彼らは眼がくらんだものの、眼が慣れると、そこには豪華な部屋が広がっていた。
「わ──っ!」
「広──い!」
小さいといっても、五十畳くらいの広さはゆうにある。
足首まで埋もれるほど毛脚の長い絨毯が敷きつめられ、高い天井からは、廊下にあるものよりもさらに手が込んだシャンデリアが、きらびやかに部屋を照らし出していた。
部屋の中央には、純白のテーブルクロスがかかった大きな丸テーブルがいくつも置かれ、並べられたたくさんの料理から、よだれが垂れそうな匂いが漂ってくる。

「気取らない食事会をと言われたから、立食形式にしたぞ。
さて、一応、乾杯でもするか?
おい、ハロート、マロート、出番だ」
タナトスは上機嫌で言い、ぱちんと指を鳴らす。
刹那、めいめいの手の中にグラスが現れた。

「それではー僭越せんえつながらー、わしら、ハロートとマロートめがー、音頭おんどをとらせて頂きますじゃー。
──ではー、ジル様と、わしら全員の、無事帰還を祝って──!」
ハロートがうんと背伸びをし、できる限りグラスを高く差し上げ、
「カンパイじゃい!」
マロートが、大声で続けた。

「さあ、あとは、好きなだけ食っていいぞ!」
タナトスが宣言すると、皆、我先にとテーブルに突進した。
「頂きまーす!!」
なくなるそばから、次々に食事は現れ、彼らがいくら食べても、テーブルの上は、常に料理であふれていた。

これらのごちそうは、魔法で作り出されたものではなく、すべて、最高級の食材を使い、黔龍城の料理人が腕を振るったものだった。
魔界では、魔法で誰でも簡単に、食事を出すことができる。
それゆえ、専門の料理人に作らせるというのは逆に、最高の贅沢ぜいたくなのだった。

「ジル、どうだ、俺の城の料理は」
タナトスの問いかけに、人間の少女は、にっこりした。
「うん。初めて食べるものばっかりだけど、とってもおいしいわ。
タナトスって、いつもこんなおいしいもの、食べてるの?」
「いや、俺も、料理人に直接作らせることは滅多にないが、気に入ったのなら、毎日作らせるぞ。
だから、俺の妃に……」

ジルは眉をしかめた。
「しつこいわね、またその話? あたしはそんな気ない、って言ってるでしょ。
毎日、こんなの食べたら太りそうだし、遠慮しとくわ。
たま~に食べるから、イイんじゃない」
「ならば、もう少し経ってから、またここでパーティを開くというのはどうだ」
「ん……それだったらまあ、いいかも……」

とまあ、こんな風にそっけなくされても、魔族の王子はめげず、熱心に話しかけ続けていたが、対するジルは、彼の話など上の空で。
忙しくテーブルを回っては、珍しい魔界の料理を皿に乗せ、夢中でぱくぱく食べていた。

見かけの割に緑小人達の食欲も旺盛で、こんな機会はもう二度とあるまいとばかり、あるだけ口に運んでいた。
魔界の貴族であるプロケルは、高級料理も食べ慣れてはいた。
しかし、ここのところ人界で暮らして来て、久しぶりに食す魔界の、しかも最高級の料理とあっては話が別だった。

そんな祖父に促され、好物の巨大魚料理に、おずおずと手を出してみたカッツの瞳孔は、一瞬で広がり、食べ盛りの彼は、遠慮も忘れて魚に挑みかかった。
イナンナはと言えば、タナトスを見つめるのに忙しくて、せっかくの素晴らしい食事もあまりのどを通っていない様子だった。

サマエルもまた、食事にはほとんど手をつけず、数百年ぶりの魔界のワインの豊かな香りと味を、心ゆくまで堪能たんのうしていた。
(これは、五十年物のワインだな。
……私の領地で作ったものより、多少酸味が強いが、なかなかいい出来だ……。
後で私の城に寄って、ワイン蔵をちょっと覗いてみようか。
まだ、いくらかは残っていたはずだ)
そんなことを考えながら、彼は、にこやかに皆の食べっぷりを見ていた。