12.天界の使者再来(3)
しかし。
「貴様に答える義理も義務もない!」
何の
「そう仰ると思っておりましたよ、タナトス殿。
……それでは、あなたはいかがでしょうか? サマエル殿」
天使は、最初から第一王子のことは諦めていたとみえて、すぐに第二王子に視線を移した。
「そんな質問は問題外だ、過去のことを思い出してみるがいい、とミカエルになら言ってやるところだが、
それでは、お前の立場がないか。
……ならば……そうだな、その答えは……この二人を実際に見たお前になら、分かるのではないか?」
サマエルは穏やかに言ったものの、天使の問いに直接には答えなかった。
「それがあなたの答え……ですか」
「これ以上は言えないね」
「……でしょうね」
特に気落ちした様子も見せずにセラフィはうなずき、考えた。
(“過去”とは、
……そう、当時、すべての罪を独りでかぶって王位継承権を放棄し、追放にも等しい処分に甘んじたこのお人が、愚行を重ねるわけもない。
タナトスにしても、その気があるのなら、とっくの昔に実行に移していることだろう。
まったく、ミカエルにも困ったものだ。
あまりに手ひどく扱うと、大人しい羊でも時には噛みつくと言うことが、あやつにはまるで分かっていない。
……それはさて置き、これからどうするかだな。
こんな答えでは、ミカエルが満足するわけもなし……さりとて、辛い思い出を、皆の前でほじくり返すのも悪趣味だ……)
天使が思いあぐねていると、サマエルと眼が合った。
普段は漆黒のローブに隠されている、紅い魔眼。
何もかも見通すようなその眼に身震いすると同時に、セラフィは、彼の言いたいことに気づいた。
(……ああ、そうか。あなたは、ミカエルが納得するような理由を、自分で考え出せ、と言いたいのだな?
まあ、こちらの立場を考えてというよりも、今のこの状態で全面戦争に突入するのは、どう考えても、魔界に不利だからだろうが。
……そう、たしかにそれがベストだ。
彼らの面子も立ち、我らにとっても都合のいい解決法と言えば、今の場合それしかあるまい。
さすがは魔界屈指の策士と
……だが、天使長が気に入るような
しばらく経ってから、ようやく天使は口を開いた。
「分かりました。このお二人のことは、しばらく見守ることと致しましょう。
その代わり、あなた方も彼女達には手を出さないでください。
それから、“デス・クリエイト”の無断使用に関しましては、セリンとエレアとの件で
「ふん、貴様らごときの下知など受けんでも、初めから俺達は、ジルとイナンナを大事に扱っているぞ!
大体、魔界との取り決めを、熾天使ごときが独断で決められるのか?
あのたわけミカエルのことだ、貴様が勝手に決めて来たことだとゴネおって、誓約など
タナトスの無慈悲な瞳の光は、まったく信用していないことを
だが、天界の使者は、動じる気配もなかった。
「そのご心配は無用です。この件に関してわたくしは、天帝ゼデキア陛下より全権を委任されて参りました。
今回、我らは、事を荒立てるつもりはまったくないのですから。
それは、ミカエル様がこの場におられないことを見ても、お分かり頂けるかと存じます。
何しろ、あの方がいらしたら最後、収まるものも収まらなくなるのは
……ここだけの話、ケンカっぱやい天使と言うのも困りもので……。
まあ、魔界との全面戦争などという事態にでもなれば、ミカエル様ほど頼りになるお方もおりませんが……」
「本当に、しばらくは彼女達に手を出さないのだな?」
セラフィは
「天使は
お二方はいまだ幼く、また、天界で暮らすには相当の覚悟が入り用です。
あなた方に会えないのはもちろん、二度と人界へも帰れないのですから。
そこで、わたくしは、少なくとも肉体が成人に達するまでは、今のまま人界で暮らす方が、彼女達のためだと判断致しました」
天界の使者の見解は、以前、サマエルが、ジルに関して下した結論と同じものだった。
「天帝陛下、並びに天使長様には、適当に報告しておきますよ。
『今は微妙な時期で、無理をさせれば少女の能力は、つぼみのまま枯れてしまうかも知れない、魔物達も、それを知っているので、彼女の資質が開花するまで手を出さずにいる。
従姉をそばに置くのは、警戒心を起こさせないためであると同時に、一人で逃げ出さぬよう、人質の意味も兼ねているようだ』……とか何とか。
ですから、あなた方もお控え下さるよう、重ねてお願い致します。
……このお二方のためにも、ね」
熾天使は、ジルとイナンナに微笑みかけた。
それは、心の内側から暖めてくれるような優しい微笑で、少女達も釣られて笑顔になる。
そんな二人の様子に、タナトスは腹立ちが余計に
「よし、これで全部済んだな、さっさと帰れ! 目障りだ!!」
「おやおや、嫌われたものですねぇ。
あと一つだけ片づければ、帰りますよ、タナトス殿」
「貴様! まだ何かあるというのか!?」
「ええ、ちょっとこちらの方にもね。
お初にお目にかかります、“焔の眸”殿」
唐突に頭を下げられて、ダイアデムはびくりとした。
「げ、なんだよ。オレに何の用だってんだ」
その彼に、セラフィは賛美の視線を向けた。
「噂に
わたくしが、あなたにお会いしたと知れば、天界の者達は皆、
「……はん、何、きしょいコト言ってやがる。
なんで、神どもが、羨ましがらなきゃなんねーんだ?」
「おや、ご存じなかったのですが? 天界人の間でも、あなたのお美しさは評判なのですよ。
皆、一目見てみたいと噂して……」
「貴様、ジルを諦めたと思ったら、今度は魔界の至宝を狙っているのか!」
タナトスは、またも天使に詰め寄ろうとする。
天使は、なだめるように首を振った。
「いえいえ、決してそのような」
「落ち着け、タナトス。セラフィ、お前も脱線し過ぎだよ。早く話を進めてくれないかな」
サマエルは間に入り、双方に釘を刺す。
「申し訳ありません、つい。あなた方と話していると、楽しくてね」
熾天使は笑顔のまま、ダイアデムに向き合った。
「さて、用件とは、天帝陛下のご伝言をあなたに伝えることです。
『“王の杖”よ、今回は、大人しくしていたようで、何より。
お前が暴れると、天界、人界、双方に迷惑がかかる、今後も慎むように』、とのことです」
ダイアデムは、ぽかんと口を開けた。
「何だぁ、そりゃ? あのジジイ、ボケてんじゃねーのか?
オレは魔族だぜ。天界のくたばり損ないに指図されるいわれなんざ、ねーぞ」
「あなたの仰る通りですよ、ダイアデム殿。
偉大なる天界の支配者も、寄る年波には勝てず、とうとう焼きが回り始めた、といったところでしょうかね、……くく」
天使はふくみ笑いを漏らし、紅毛の少年は眼を丸くした。
「……おいおい、お前、天使だろ。ンなコト言って大丈夫なんか?」
「ええ。この異界は、天界とは
ですが、この辺でやめておきましょう、わたしも命は惜しいですからね。
では、天帝陛下のご伝言、しかとお伝え致しましたよ」
「ああ、分かった。おめーも、バカな主人持って大変だなぁ。同情するぜ」
「お気
ところで、ダイアデム殿、こんな言い伝えをご存知ですか?
“──白き闇を
彼らの力は光と闇、聖なるものと邪悪なるもの、どちらが欠けても道は開けぬ──”」
「そりゃあ魔界の言い伝えじゃねーか。何でそれを、お前が知ってるんだ!?」
宝石の化身は、またも眼を見開き、瞳の炎が激しく揺らいだ。
それには答えずに、熾天使は続ける。
「ところで、最近、天界にて発見された石碑にも、似たような言葉が彫り込まれておりましてね。
“──光と闇は双子、車の両輪。光なくして闇はなく、闇の深さが光を強める。
白き
さて、サマエル殿は、どうお考えになりますか?」
セラフィは、今度は魔界の第二王子に目線を向けた。
「……ずいぶん
天界では、どう受け取られているのかな?」
どうでもよさそうに答えたものの、サマエルの眼は、興味深げな光を帯びていた。
「古代の
ことにミカエル様などは、頭から馬鹿にして、意味のない
(……とは言え、一応、外へ漏らすことは禁じられているのだが。
サマエル、これはあなたへの、ちょっとしたお礼というわけさ。
我々も、魔界との本格的な戦闘は、出来るなら先伸ばししたい、と言うのが本音だし。
……あの
「なるほどね」
そんなセラフィの考えを読んだように、弟王子の魔眼が妖しく光る。
「でもよー、うまいことやったよなぁ、セリンのヤツ~」
ダイアデムは、不服そうに口を尖らせた。
「ええ、魔界の方々には、かなり不満の残る裁定だと存じます。
ですが、
彼は、なかなか
女性を天界に連れていく場合、通例として女神の地位を与えるのですが、彼女はそうではない……つまり、エレアは実質的には、人質に等しいのではないか……とね」
「ええ?」
思わず見上げる宝石の精霊に微笑んで見せ、天界の使者は、皆に向き直った。
「さて、これで、わたくしの役目はすべて終わりました。これにて失礼致します。
ジルさん、イナンナさん、お二人の未来が光に満ちあふれていますように。
では皆様、またお目にかかる時まで」
熾天使は優雅にお辞儀をし、来たときと同様、空からの光に吸い込まれて見えなくなった。
「……どういう意味だよ、セリンは美形だから、うらやましくねーとか、エレアが人質、って?
それによ、あいつ、あの言い伝えのこと、何で知ってたんだろ。
しかも、似たようなのが天界にもあるなんて、わざわざ教えて……」
ダイアデムが小首をかしげると、タナトスがつぶやいた。
「貴様は、ダシに使われただけだ。……天使流の、礼のつもりなのだろうさ」
先ほど、セラフィとサマエルの間に、声に出さないやりとりがあったのに気づいていたのは、彼だけだった。
「へ? 何だって? どーゆー意味だ? それ……」
訊き返すダイアデムにはもう取り合わず、タナトスは弟に言った。
「おい、サマエル。ヤツら、本当にジルを諦めたと思うか」
「我らにならともかく、天使が人間に嘘をついたなどということになったら、信用にかかわるだろう。
ヤツらは、名目上とはいえ、人族の守護を
……にしても、天使が皆、彼のように物分かりがいいと、話が早くて助かるのだが。そう思わないか?」
「ふん! 神族など、どいつもこいつも信用できるか!」
「それはともかく、もうここには用はない、人界に戻った方がよさそうだね」
「まったくだな、長居は無用だ!」
「「──ムーヴ!」」
合図でもしたかのように、魔族の兄弟は同時に全員を結界で包み、一瞬で祠に移動させた。
「それがしが、回廊の安全を確認して参ります、タナトス様」
「ああ」
老公爵が魔法陣に乗り込み、消えたと見るや、直後、その姿は再び現れた。
「特に異常はございませぬ、お乗り下さいませ」
「よし、皆の者。帰るぞ!
さ、ジル、イナンナ、行こう」
タナトスの号令一下、彼を筆頭に少女達とダイアデムが乗り込み、続いて残りの魔族達も円陣の中に入っていく。
「お師匠様、早く乗って!」
「念のため、もう一度見て来る、先に行っていてくれ」
そう言い置いて、サマエルは独り、祠を出た。
目の前には、天界の使者に呼び出された緑が、どこまでも広がっている。
気の早い若木が、大きく枝を伸ばし始めているところもあった。
サマエルは意識を集中させ、邪悪な気配がないか探った。
だが、聞こえて来るのは、植物が葉を広げ茎を伸ばす、密やかな音だけだった。