11.貴石を帯びし者の最期(3)
しかし、そのタナトスは、魔法を唱えられる状態ではなくなっていた。
彼の魔力は残り少なくなっており、今はもう、忌まわしい粘液の
(くそっ、“黯黒の眸”さえ取り返せれば、セリンごときに遅れを取る俺ではないのだが……!)
追いつめられた彼は、ぎりりと歯噛みする。
そんな折、“焔の眸”の化身が、思念で話しかけて来た。
“おい、タナトス。オレ、いいもん見っけたぜー!”
ダイアデムは、まだまだ元気はつらつで、自分だけでなく、王子の身も軽々と守ってやっていた。
“……いいもの? 何を見つけたのだ?”
タナトスの問いに、少年は歌うような思念を返してきた。
“へへへっ~、『黯黒の眸』の隠し場所だよ~ん~!”
“な、何っ、貴様、あれの本体を見つけたのか、どこにある、早く言え!”
“けっけけ、知りたいか~い?”
“あ、当たり前だろう、どこだ、どこにある!”
“ん~ん~んん~教えよっか~やめよっか、どっしよっかなぁ~~~?”
“ふ、ふざけるな──!”
こんな切迫した状態で、宝石の化身は、あきれたことに相手を焦らすことを楽しんでいた。
“~世界中で~オレだけが~知ってるって思うと~~なんか~すっげー~い~い気分~!”
“き、貴様ぁ──! いい加減に……!”
話に気を取られた瞬間だった。
タナトスの足が、ずるりと滑ったのは。
「うわっ!」
こらえ切れず片ひざをつくその頭上から、灰緑色の粘液が、魔族の王子を飲み込もうと、津波のように押し寄せて来る。
「く──くそ!」
しかし、粘液が彼の体に触れる前に、紅い光がそのすべてを焼きつくしていた。
“……ったく世話が焼けるぜ、話に気ぃ取られて、こけるヤツがいるかよ、バ~カ!”
“な、何がバカだ、貴様が、早くしゃべらんからだろうが!”
「ほう……さすがは“王の杖”。
一万年前に、我が支配した“三つの大陸”を魔物どもが破壊できたのも、おぬしの力あればこそだったな。
だが、その恨みもここで晴らせるわけだ。
死人どもを動かしている魔法生物は、いくらでも再生が可能。
まさしく無限に増殖していく、我の可愛いペットだ。
さて、いつまでもつか、気長に見物させてもらうとするか!」
セリンはそう言い、たった一つ残っていた大岩の上に座り込んだ。
“貴様に二度も助けられるとはな……!
忌々しいが、とりあえず、ちゃんと礼は言っておこう……感謝する、助かったぞ。
それより本当なんだろうな、『黯黒の眸』を見つけたのは!”
やっとの思いで立ち上がった王子から送られてきた思念に、ダイアデムは口をとがらせた。
“んなに信用できないのかよぉ、オレのこと……?”
“ち。信用してやるから、早く言え!”
“それじゃあ、交換条件といこう”
“何っ、貴様、この上条件までつける気か!?”
“いやー、なぁに、難しいこっちゃねーよ。
ほら、あの……、べっぴんのねーちゃんのことなんだけどさ……。
その……つまり……、これが全部片づいちまったら、オレはまた、魔界の宝物庫でヒマ持て余すことになるだろ、だからさ……。
たまに……たまにでいいんだ、彼女をさ、魔界に連れてきてくんないかなあ、なんちゃって……”
つっかえつっかえ、頬を紅くして話す少年の顔を、一瞬だったがタナトスは、あきれて見つめた。
“……貴様が言っているのは、イナンナのことか?
さっきは散々、消してしまえとかほざいていたくせに……”
“そりゃ、ちっと頭に来てたから……けど、オレ、女に泣かれるの苦手でさ……。
きれいな眼に、いっぱい涙ためてオレをにらんでるのを見たら、何っつーか……胸が、こう、何かヘンになっちまって……。
だから、ちゃんと謝りたいんだけどさぁ……”
体の方は忙しく動かしながらも、ダイアデムは真剣に反省している様子だった。
“ふん、女の扱いなら、後でサマエルにでも習え。
そんなことより、早く石の隠し場所を……”
“バーカ、女のことはお前が習え。修行が足りねーから、モテねーんだろが”
“何だとぉ!?”
“オレが、モテまくり過ぎて困ってるってのは、お前だって知ってんだろーがよ。
言い寄って来るヤツは、女に限らず、星の数だかんな。
……それよかオレ、サマエル苦手。
お前よか、あいつのが百倍おっかねーに決まってんだもん。
にーっこり笑ったまんま、バッサリやられそうで、近づきたくもねーし。
ま、いーや。教えてやる代わり、イナンナのことは約束したからな!”
“……まったくもって……親父が、貴様に勝てんわけだな……”
勝手に約束を取り付けたことにしてしまった宝石の化身に、さすがのタナトスも、苦笑するほかなかった。
“もういい、分かった。イナンナは、俺が遊びに来いと言えば、必ず来るはずだ。
だから、いい加減に教えろ!!”
こうして、密かに二人が思念を交わしている間にも、白骨達は無言のまま、少しずつではあったが確実に、包囲を狭めて来ていた。
そんな中、黙りこくって戦う二人は、はためには話もできないほど追いつめられているようにしか見えず、会話をセリンに邪魔されることもなかった。
“っしゃ……じゃ、教えてやるとするか。
なあ、あのセリンが座ってる岩、妙だと思わねーか?”
“む、まさか、あの岩の中に!?”
“ああ。あの岩だ、間違いねーよ。
オレと『黯黒の眸』は長~いつき合いだから、どんなに慎重に隠しても、必死こいて探せば、『気』を
ま、ここじゃ勝手が違って、ちっと苦労したけどな。
大体、考えてもみろ、もっと大きい岩も、ぜ~んぶ壊れてんのに、爆心地近くのあれだけがピンピンしてるなんざ、超おかしいだろーが!”
“ふ……ん、言われてみればその通りだな。
よし、俺がヤツを引きつける。合図をしたら、あの岩を破壊しろ!”
“おっけぇー。やっと本番だな──っと”
話がまとまると、タナトスは声を張り上げた。
「──セリン! 一つ聞きたいことがある!」
「何をだ。“黯黒の眸”の隠し場所など、教えんぞ」
「たわけ、聞くだけ無駄だろう、そんなことは。俺が知りたいのは、まったく別のことだ」
彼の問いに、邪悪な魔法使いは哀れむような笑みを浮かべた。
「申してみよ。事と次第によっては、冥土の土産に教えてやってもよいぞ」
(くそったれめ!)
相手の
「では聞くぞ。貴様は、どうやって“黯黒の眸”を盗み出したのだ?
あれほど厳重に見張られている、汎魔殿の宝物庫から。
それがずっと気になって、仕方がなかったのだ」
すると顔から笑みを消し、黒衣の男は
「──
我は人界を
“黯黒の眸”みずからが、我が
「何っ、“黯黒の眸”が、自分でだと……!? まさか、そんなことが……」
「フッ、信じられぬか?
そこな輝く貴石ばかりでなく、闇に沈む宝玉のことをも、少しは気に掛けて
あやつは申しておった。退屈な長の年月が過ぎる中、憎悪と絶望と闇に満ちた我が心に、次元を超えて
心に
どうだ、得心したか、魔物の王子よ?」
言いながら、セリンは立ち上がり、タナトス達のすぐそばへと降り立った。
「……ふん。つまりは、すべてがヤツの差し金だったというわけか、下らん。
今だ、やれ、ダイアデム!」
「──ブリムストーン・ファイア!」
すかさず、ダイアデムは指先から、
熱く燃え上がる
「ぐわあっ……!」
倒れ込む、魔物めいた男に、岩の破片が雨のごとくに降り注ぐ。
「──セイブル・ヴェイル!」
ダイアデムが結界を張り、自分とタナトスを守った時、もうもうと上がる爆煙の中から、妙に耳慣れた、規則正しい音が聞こえてきた。
「……あれ? この音って……」
「ああ。しかしなぜ、こんな音が……?」
眼を
「……む、何だ、これは。黄金の……
「いーや、よく見ろよ、そんなご大層なもんじゃねーよ、こいつは」
「む、こいつは、心臓か!」
壺のように見えたものは、人間の心臓だった。
しかも、たった今、体内から取り出されたばかりのように脈打ち、そのたび
「“黯黒の眸”は、こん中さ!」
「なるほど。こいつは契約により、魔物と魂を入れ替えたのだったな!
これが、セリン本人の心臓、魂の器というわけだ!」
言うが早いか、タナトスは心臓をつかみ取り、力任せに握った。
「うっ、くっ、苦しい! やめろ──!」
セリンが胸を押さえて身をよじると同時に、プロケルの結界に張りついていたヘドロが流れ落ち、白骨は動きを止めて地面に崩れた。
空の暗雲も、見る間に散り散りになり、辺りはぐんぐん明るくなっていく。
「これで本当に最期だな。
覚悟を決めろ、セリン!
これを引き裂き、“黯黒の眸”を取り出せば……貴様もようやく、死という名の永遠の安息を得られるのだぞ……!」
タナトスが満足気に言い、心臓に鋭い爪を突き立てようとした、まさにそのときだった。
『お待ち下さい!』
耳慣れぬ女の声が響いて来たのだ。