11.貴石を帯びし者の最期(2)
「タナトス様──!」
「タナトス様! ダイアデム様! ご無事でしたか!」
その声に、魔界の王族達が顔を上げると、プロケルの結界球が降りて来るところだった。
地面に着くのももどかしく、魔界公は結界を解き、第一王子の前にひざまずいた。
「さすがは“闇の貴公子”タナトス様! お見事でございます!」
イナンナ達も、次々彼に駆け寄った。
「タナトス様! さすがでございますわ!」
「タナトス殿下、万歳!」
「ほんにありがたや、これで帰れますわい」
ハロートは両手を上げ、マロートは手を合わせた。
「タナトス殿下、ありがとうございました」
深々と礼をした猫魔に、タナトスは見覚えがあった。
「む? 貴様はたしか……」
「はい、わたしは……」
「これはカッツ、それがしの孫でございます。先ほど会ったときには、驚きましたが……。
一月ほど前に、小さな村の一族が丸ごと消えましてな、たまたま遊びに行っていたこれも、一緒に行方不明になっておったのです」
似ていたのも道理、プロケルはカッツの祖父だったのだ。
「ふん……そうか、よかったな」
どうでもよさそうに、タナトスは答える。
「は、ありがとうございます!」
二人の猫魔は深く頭を下げた。
そうした周囲の歓喜をよそに、当のタナトスは、上機嫌とはほど遠い顔つきをしており、それに眼を止めた“焔の眸”の化身は、可愛らしく小首をかしげた。
「どうした? あんまうれしそうじゃねーな、タナトス。
まさかお前、“黯黒の眸”を取り戻せなかったこと、まだ気にしてるわけ?」
第一王子は眉間にしわを寄せたまま、彼を睨みつけた。
「当然だろう! くそ親父に文句を言われるのは、俺なのだからな!
……ち、また、あのうだうだ話を聞かされるかと思うと、うんざりだ」
「はん、済んじまったことにいつまでもクヨクヨすんなよ、オレがベルゼブルに取りなしてやっからさー。
まー、元々“黯黒の眸”も、とっくに消えてなくなったと思われてたんだしぃ、オレが証人になりゃー、絶対だいじょーぶ、お仕置もされねーって!」
つい先ほどまでの暗い顔はどこへやら、お気楽なカンジで少年は
魔族の王子は、
「……貴様に取りなしを頼むほど落ちぶれてはいないぞ、俺は。
だが……たしかに、済んだことは仕方あるまいな。親父への言い訳は後で考えるか。
む? ところで、ジルはどこだ? サマエルも見えんが……」
その瞬間、空気が凍りつき、痛いような沈黙が辺りを覆い尽くした。
「……ん? どうしたのだ、皆」
「タ、タナトス様、あー、おほん、えー、……お、お二人はですな……」
「ちょっと待て、プロケル、こっちのが先だ」
勇気を奮い起こして話し出した魔界公を、唐突に、紅毛の少年がさえぎった。
「おい、タナトス。変だぞ。セリンの結界が、まだ解けてない!」
「何だと?」
「術者が死ねば、結界も消滅するだろ、フツー。
けど……小娘とサマエルがどこで何してんのか、オレにゃ、全っ然見えねーんだよ。
──ってーことは……!」
「まさか、ヤツはまだ……!」
「フフフ……その通りだ!」
その声に振り返った彼らが見たのは、驚くべき光景だった。
死んだはずの邪悪な魔法使いが、ゆらりと立ち上がったのだ。
「ピュ──ッ」
ダイアデムは、思わず口笛を吹いていた。
「ホントーに、しぶといオッサンだな……! 感心しちまうぜ!」
「お
セリンは、紅毛の少年に向かってわざとらしくていねいにお
「ほめてんじゃねーぞ、早くくたばれ!」
「……なぜだ! あれほどのダメージを食った上、“黯黒の眸”も壊れたのだぞ!
貴様が生きていられるはずはない!」
タナトスが指を突きつけると、あざけるような笑いが、セリンの毒々しいほど紅い唇をかすめた。
「フッ、まだ分からぬのか? 先ほど破壊した貴石は
そんなことにも気づかぬとは、魔界の王子とやらも大したことはないな。
我はおぬしと同じことをしたまで。時間稼ぎをな!」
「くそっ、俺としたことが、してやられたわ!」
「ほ~らみろ。だからあん時、オレにとどめ刺させりゃよかったんだ」
眼を怒らせ、
「けどまぁ、よかったじゃねーか。これで、ベルゼブルに文句言われなくて済むぜ」
「何をのんきな……!」
「──呪いの暗黒星よ、大気を覆え!
──エボカブル!」
途端に、空が黒雲に覆われ始め、墨を流したように視界が暗くなっていく。
不吉な予感が周囲にみなぎり、ぴんと空気が張りつめる中、濡れた物を引きずるような音と共に、吐き気をもよおす臭気が漂ってきた。
「あ、あれは何?」
イナンナが指さす先に、全員の視線が集中する。
彼女にははっきりと見えなかったが、何かが近づいて来ていた……それも、一つや二つではなく。
夜目が利く魔族の貴族達は、瞬時に対象を捉え、顔をしかめた。
「くそっ、こいつは……!」
「むむ、これは少々面倒ですぞ、タナトス様」
「うげ、マズそ……」
「……ち、プロケル、皆を連れて避難しろ。
俺達は、どうあっても、もう一戦交えねばならんらしい。
本物の“黯黒の眸”も、取り返さねばならんしな!」
「は! おまかせください!
さあ、皆、早く!」
プロケルは、孫を筆頭に四人を手早く集め、結界を張って飛び上がろうとした。
しかし、その場を離れることはできなかった。
「そうはさせぬ、見世物には見物人が不可欠だからな、
──ポリュート!」
「な、何だ、これは!? 申し訳ございませぬ、タナトス様、飛び立てませぬ……!」
邪悪な魔法使いに呼び出された粘液状の物体により、結界球は、地面に貼り付けられてしまっていた。
「……ククク……。無駄だということがまだ分からぬらしいな、魔界の者よ……!」
闇の中から、いんいんと、邪悪な魔法使いの声が響いてくる。
「ち、どこにいる、セリン!
──グリッティ!」
タナトスに呼び出された光、その輝きの中に浮かび上がったのは──。
「もうダメじゃあ!」
抱き合う小人達の声は、悲鳴に近かった。
彼らに迫って来ていたのは、大量の
様々な大きさや形状の骸骨が歩を進めるたび、ぐちゃりぐちゃりと嫌な音がし、どろりとした液が滴って、窒息しそうな臭いまでが漂う。
もの言わぬ死者の群れ。
それは、セリンに精気を吸われ尽くして死んでいった者達の、なれの果てだった。
「──
──メメントゥ・モリ……!」
それを合図に、白骨を包んでいたヘドロが小刻みに震えながら高く伸び上がり、千切れて無数の粘着性の球体となって、タナトス達に降り注いで来た!
「──イグニス!」
タナトスは身をひるがえし、呪文を唱えた。
熱い炎に焼かれた灰緑のヘドロは、すさまじい臭気を発して消滅する。
横では、ダイアデムが、指先から紅い光線を放出し、同様に焼いていた。
「げ~~、うええ~~っ、鼻が曲がりそうだぁ──!
キリがないぜ、まったくぅ、何とかなんねーのかよぉ、タナトス!
わっ、ヤだ、来るな、この──!!」
「出来るものなら、とっくにやっている!!」
タナトスは叫び返し、呪文を唱え続けた。
のろのろと、だが着実に、骨達は魔界の貴族達を取り囲み、二人は徐々に逃げ場を失っていく。
彼らの足元は、消しそこなった粘液状のもので非常に滑りやすくなっていて、転んだが最後、この忌まわしい物体に飲み込まれてしまうのは目に見えていた。
「フフフ……ハ──ッハハハハハ────ッ!」
その様子を上空から満足げに見ていたセリンが、毒々しい笑い声を上げる。
「今度こそ最期といこうか、魔物の王子よ!
疲れを知らぬ死人どもと、どれだけ長く戦えるであろうなぁ?
我が魔法生物に覆い尽くされ、魔力をすべて吸われたあげく、窒息してしまうがいい。
それとも、骸骨どもに体中の骨をバラバラに砕かれ、腹を裂かれて
どちらにせよ、魔法や剣で倒されるより数段
「ああ……タナトス様──!」
イナンナは悲痛な声を上げ、結界球から出ようと、見えない壁をたたく。
相手が魔法使いでは、初めから勝負はついているかも知れなかったが、このまま黙ってタナトスがやられるのを見ていることはできない。
「落ち着きなされ、イナンナ殿。
タナトス様は魔界の王子殿下、しかも次期魔界王となられるお方ですぞ。
これしきのことで、やられるわけがありませぬ!」
揺さぶられ、魔界公爵の冷静な瞳に見据えられると、少女のパニックはすぐさま収まった。
「あ……そ、そうですわね、プロケル様。すみません、わたしとしたことが……」
「信じましょう、あのお方を」
「はい……」
彼女は素直にうなずき、祈るように胸の前で手を組み合わせた。