~紅龍の夢~

巻の二 THE JEWEL BEARER ─貴石を帯びし者─

10.対決(3)

それでも、爆風がやみ、再び立ち上がったとき、黒衣の魔法使いは、笑みを浮かべる余裕さえあった。
「無駄だ、無駄、無駄! こんな傷など速攻で回復してくれる!」
その言葉通り、見る間に傷がふさがってゆく。

「ちっ、キリがないな……!
やはりこうなっては、“あれ”を使うしかないようだ……」
タナトスがつぶやくと、手の中で杖が震え、彼の心に、念波が流れ込んで来た。

“待ってました! なあ、オレにも少し遊ばせてくれよぉ!
『あれ』使うにはさぁ、結構、時間かかるだろぉ、その間、このオレが、ヤツを引きつけといてやるからさぁ~。
なっなっ? いいだろぉ? タナトスぅ──!”

それを聞いたタナトスは、急ぎ考えを巡らせた。
(……たしかに“あれ”は時間がかかる。
かなり念を集中し、気を高めねばならんからな……。
セリンが大人しく待っているわけもなし……仕方ない、こいつは使いたくなかったが……)

「どうした、タナトス。もはや魔力も尽きたか?
フフ、だが、今さら命乞いなどしても遅いぞ!
──マーリス!」
ためらう彼を目がけ、セリンが呪文を唱えた。
意を決した魔族の王子は、飛び上がって闇魔法の攻撃を避け、“王の杖”を投げる。
「行け!」

杖はくるりと回転し、輝きながら再び少年へと姿を変えた。
「ひゃっほう!」
「いいか、絶対に攻撃するなよ! 逃げ回って遊んでいろ!」
「分かってるって! さあセリンちゃん、オレと遊びましょ~~!」

「ふざけるな! 何のつもりか知らぬが、こんなガキ相手とは、我も見くびられたものだ、一撃で消滅させてくれる!」
「おーこわ。オレ、びびっちゃうー。……な~~んてね。
へ~~んだ、のろまなオッサン、できるもんならやってみな~~!」
宝石の化身は、左の親指を鼻に当て、残り四本をひらひらさせた。

「──サンベニートゥ!」
「ヘイ、どこ狙ってんだよ、ヘタ、クソ!」
セリンの杖から放出される、危険な黒い炎を身軽によけて、紅毛の少年は、さらに挑発を続ける。
「ほらほら、オレはこっちだぜ~! 鬼さんこちら~~! お尻ペンペン~っと!」
「ふ、ふざけおって、この……!」
邪悪な魔法使いは、杖を握る手を震わせた。

(ふっ、本当に悪ガキだな。
よし、セリンがあいつに気を取られている間に……)
タナトスはつぶやき、さっそく意識を集中し始めた。
真紅の魔力が放出され、彼のマントをはためかせる。
兄弟とはいえ、サマエルの魔力とは、色も性質もまったく異なっていた。

「……まずいぞ、タナトスは、“あれ”を使うつもりだ……」
その声に、結界の中にいた全員が振り返る。
「お師匠様! よかった、気がついたのね!」
ジルの声が弾んだ。
「お加減はいかがで……あ、ご無理なさっては」
「大丈夫ですか? サマエル様」
「いや、一人で起きられるよ、眠ったお陰でかなり回復したから。心配をかけたね、皆」
手を貸そうとする彼らを制して、魔界の第二王子は、自力で立ち上がり、ローブの乱れを直す。

「ところで、“あれ”と申されますと、まさか……」
「そうだ、プロケル。あいつは、“デス・クリエレイト”を使う気だ……」
それと聞いた魔界公は、さっと顔色を変えた。
「な、何ですと! あの、魔界の究極魔法と言われている、“あれ”をですかな……!?
何をお考えになっておられるのでしょう、タナトス様は!
我らはともかく、人族のジル様方もおられるのを、知っておいででしょうに!」

「あいつの気性はよく知っているだろう、公爵。
こんな折でもなければ、あれを使える機会はないと踏んだのさ。
ともかく、セリンがこちらに気を向けていない今なら、結界球も動かせるはずだ。
ここから、出来るだけ離れた方がいい。
私は、ジルと行く、他の皆を頼んだぞ、プロケル!」

言うなり、ジルの手を引き寄せて、彼は魔界公の結界から出た。
瞬時に自分の結界を張り、離れて行く。
あっけに取られるほどの早業だった。
「サマエル様! そのお体では……!」
プロケルは驚き、叫ぶ。

しかし、イナンナには、王子の気持ちが分かる気がした。
「お待ち下さい、プロケル様。お分かりになりませんの?
サマエル様は、ジルと二人きりになりたいのですわ。
ずっとあなたが見張っていたのでしょう? こんな機会でもなければ……」

(頑張って下さいね、サマエル様……。
ジルはまだお子様だから、大変でしょうけれど……)
彼女は、うらやむ気持ちを押し殺し、二人を応援した。
「あ……さ、左様ですか。……さりながら、う~む……」
離れていくサマエルの結界球を見送り、プロケルは、忠誠心と同情を計りにかけていた。
結局、後者が勝り、一瞬後、彼は、自身の結界球を、第二王子の物とは反対方向へ飛ばしたのだった。

「お師匠様……どうしてみんなと離れちゃったの?
あ……ケガ、痛くない?」
「いや」
ぽつりと答えきり、サマエルは黙り込んだ。
彼の紅い眼は、暗く揺蕩たゆたい、こんな切迫した状況にあるにも関わらず、心は、どこか別のところにあるようだった。

非の打ち所のない横顔を見つめているうち、またも胸が苦しくなってきたジルは、気まずい沈黙を破ろうと、懸命に話題を探した。
「あ、あの、えっ……と、そ、そうだ。
ね、お師匠様、タナトスのデス……何とかって魔法、ホントに強いの? 初めて聞くけど……」

問われた王子は、夢から覚めたように彼女を見た。
「……ああ、すまない。もう一度言ってくれないか。つい、ぼんやりしてしまっていた……」
「あ……あのね、タナトスの……」
「そうか、“デス・クリエイト”のことだね」
打てば響くように、サマエルはすぐに弟子の疑問を察知し、答えた。

「う、うん、初めて聞いたから、強いのかなって……」
「あれは、魔界魔法の奥義おうぎを極めた者だけが扱える“究極魔法”の一つで、長いこと封印されていたのだ、キミが知らないのも無理はない」
「究極の魔法……?」

「そう。時折、その奥義を記した古文書……“禁呪の書”が、人界にも出回ることがあるけれど、大概たいがい贋物にせものだし、首尾よく本物を手に入れたところで、人族が使いこなすのは至難しなんわざなのだよ。
あれらは皆、程度の差こそあれ、すさまじい破壊力を秘めている。
よほどの魔力の持ち主でない限り、相手を倒すどころか、自分が吹き飛んでしまうのが落ちだからね」

師匠のその微笑みも口調も、いつも通りのものだった。
ジルも、つられて笑顔になり、うなずいた。
「強い魔法には、危険が伴うもんね。
……あ、ところで何属性なの、デスクレイトって?」

「“デス・クリエイト”の属性は“石化”……それも最上級のね。
すさまじい光を発し、浴びたものを、すべて石に変えてしまうのだ。
それだけではなく、光が届く範囲を、数千年から数万年もの間、草一本生えない不毛の土地にしてしまうという弊害へいがいまでもがある。
威力だけなら、もっと強力な魔法もあるが、影響力の強さと言う点では、現在、あれの右に出るものはない、と言っていいだろうね」

「す、すご~い!」
ジルは、大きな眼を丸くした。
「でも、そんな危ない魔法、こんなトコで使っても大丈夫かな……」
「いや、タナトスも、その辺は考えていると思うよ。
ここは、セリンが、異界に創り上げた浮き島のようなところだから、被害が他に及ぶことはない……とね。
無茶な話だが、タナトスはずっと使いたがっていたから、いい機会だと思ったのだろうな」
「ふ~ん、ならいいけど。タナトスって、ホント、戦うの好きね」
「司令官自身が、戦いにおもむきたがるようでは困るのだけれどね、本当は」

弟子に答えながら、サマエルは思った。
(そうは言っても、戦にかけては、タナトスも馬鹿ではない。
セリンは、かなり強力な魔法でなければ倒せないし、“王の杖”の発動は、おそらく、陛下に禁止されているだろう。
……となれば、当然、“デス・クリエイト”を使うしかないからな。
我々にとっては、あの光をさえぎること自体はさほど難しいことではない。
それも考慮に入れてのことだろうが、無鉄砲な男だ、相変わらず……)

「でも、そんなにすごい魔法なんて、想像つかないわ……。
あれっ、この波動は……タナトスの? 
すごい、いつもと全然違う。なんて強力なパワー!」
先ほどの場所からずいぶん離れているはずなのに、結界に囲まれていてさえ、ジル達は、タナトスの波動がものすごい勢いで高まっていくのを感じ取っていた。

「うっ……」
そのときだった。
突然、サマエルが胸を押さえてよろめいたのは。
「どうしたの、お師匠様!」
ジルは、慌てて彼に取りすがる。
「傷が痛むのね?」

「い、いや、何ともないよ……ジル……」
首を横に振るその額に汗がにじみ、元々色白な顔から血の気が引いて、さらに蒼白になっていた。
彼女は、師匠が無理をして笑顔を作っていると気づいた。

(お師匠様はやっぱりまだ、弱ってるんだわ。
タナトスの魔力が強いから、それに対抗して結界張るのも大変なのね。
あ、大変。ホータイに、血がにじんできてるじゃない。
このままじゃ、ホントに危ないかも……。
そうだわ!)

「お師匠様、ムリしないで。あたしの魔力をあげるから、それで傷を直して」
「な──何だって!? 駄目だ、キミはまだ回復していない!」
サマエルの声は思わず上ずる。
「大丈夫だってば。
あたしも少し眠ったし、前にお師匠様言ってたじゃない、あたしの魔力はとっても強いって。
さっき、お師匠様の目の前に魔法で移動しちゃったときだって……力なんか残ってないと思ってたのに出来たんだもの。
ホンのちょっと力を分けるくらいなら、全然へっちゃらよ!」

力強く言い切る栗毛の少女を、魔界の第二王子は、しばし凝視ぎょうしした。
(元気に見せようと努めてはいるが、むろん回復し切ってはいない……。
だが……私はともかく、ジルをこんなところで死なせるわけには……くっ、仕方があるまい、背に腹は変えられない!)

「……分かったよ。キミがそう言ってくれるのなら、少し分けてもらうことにしよう」
「うん!」
サマエルが心を決め、ジルが最上の笑みで応えたその頃、高められたタナトスの魔力は、最大値に達しようとしていた。

何の前触れもなく、結界の中が暗くなる。
「なに? どうしたの? お師匠様!」
ジルは驚いて師匠にしがみついた。
「怖がらなくていい。光をさえぎるために、偏光へんこうフィルターをかけただけだよ。
……眼をつぶって。ジル」
「え? どうして?」
「いいから」
「うん……」

眼など閉じなくても、暗くて何も見えないのにと思いつつ、彼女がまぶたを閉じると、サマエルの手がそっと肩にかかる。
「お師匠様? ……」
「口も閉じて。じっとして」
(……なに……?)
師匠がどうする気なのか分からないまま、再びジルの胸は激しく鼓動を打ち始め、眼を開けようとしたが、どうしてか、できない。

サマエルの吐息が近づいて来るのを感じながら、少女は動けないでいた。
そして、唇に、何か温かくて柔らかいものが優しくふれた途端、全身から力が抜けて、ジルは彼の腕の中に倒れ込んだ。
「ジル! ……つっ……」
とっさに受け止めようとしたサマエルは、痛みのために支え切れず、二人はそのまま座り込んでしまう。

(もう時間がない。万が一にも、あの光が、彼女に当たらないようにしなくては……!)
彼がジルを硬く抱きしめ、念には念を入れて、ローブですっぽりと包み込んだ次の瞬間、タナトスが呪文を唱えるのを、彼らは感じた。
二人の力で強化された結界内にいても、その強力さが伝わって来る。

(そ、それでも、一応、手加減、は、しているようだな、進歩だ……!
だが、これでは……プロケルの方も、苦労しているだろう……)
不吉な光と同時に、眼に見えない力が、津波のように次から次へと襲いかかり、結界は、ミシミシと嫌な音を立てて、きしむ。
サマエルのフードの奥の顔は苦痛に歪み、食いしばった唇からは苦しげな声がもれた。
「くっ……!」

「お、お師匠様?」
「……も、もう少しだから……じっとしているのだよ……」
「うん……でも、なんか恐いわ……」
「大丈夫、私がいる……私がキミを、必ずまもるから……」
実際には数分ほどのその時間がひどく長く感じられ、二人は闇の中でひしと抱き合い、お互いのぬくもりを心の支えとした。

激しかった振動がゆるやかになっても、彼らの鼓膜には残響音がこだまし、サマエルは肩で息をしながら、震える少女を護り抱き締めていた。
☆───────────────…‥‥・・・・ ・ ・ ・  ・   ・    ・   ・

数十分の後、完全に結界の鳴動は静まり、耳鳴りも収まった。

「……静かになった、けど……終わったの?」
少女は、おずおずと顔を上げた。
「そう、だね……危険な波動は、消滅した……もう、安心だよ」
「大丈夫? お師匠様」
「ああ、何とか……。キミの方こそ、やはり、無理、したのだね……?」
サマエルの声は、相当疲れ切っているように響いた。

「だって! お師匠様が心配だったの! もし、死んじゃったらどうしようって!」
「ありがとう、ジル……。本当のことを言うとね……かなり、危なかったのだよ。
力を、分けてもらって、助かった……」
「よかった……お師匠様が無事で、ホントによかったぁ……!」

再び涙があふれきて、ジルはサマエルの胸に顔をうずめ、しゃくり上げた。
「泣いていいよ、ジル……。これで、全部終わったのだから……」
サマエルは、少女の栗色の髪を優しくなでた。
しかし、彼は間違っていたのだった……。