~紅龍の夢~

巻の二 THE JEWEL BEARER ─貴石を帯びし者─

10.対決(1)

タナトスは、途中でプロケルがついて来ないことに気づいたものの、それには構わず、ジルとサマエルの気配を探った。
「サマエルの“気”は感じる。……だが、ジルは……?
ええい、行けば分かるか!
……む、近いぞ、これは!」
魔族の王子は漆黒の翼で力強く舞い上がり、全速力で飛翔を開始する。

十数分のち、何本もの煙が立ち昇る、無惨に焼け焦げた森が見えて来た。
「お、あそこかっ!」
急降下しながら、彼は最愛の少女の姿を探し求めた。

(? ……妙だな、これほど近づいてもジルの“気”を感じないとは……。
……にしても、サマエルのたわけめが、大分派手にやられているな。
ザコごときに、何をちんたらやっているのだか! 飯もロクに食わんからだ。
魔界の王子ともあろう者が、こんな所でくたばるつもりか、みっともない!)

兄王子が見た通り、弟王子は苦戦を強いられていた。
防戦一方で、自分からは、まったくと言っていいほど攻撃ができない。
セリンは、気が変わったらしく、猫がネズミをいたぶるごとく、故意に戦闘を長引かせて楽しんでいるように見えた。

「なかなか楽しいひとときだったが、そろそろ終わりにするとしよう。
いつまでも、おぬし一人と遊んでいるわけにもいくまい。
おぬしが無様ぶざましかばねをさらし、小娘が我が手に落ちたと知った折、タナトスやベルゼブルが、どのような顔をするやら、楽しみだて……クククク……。
──出でよ、地獄の亡者もうじゃ共! 
汝らが主、“ジュエル・マスター”セリンの名に於て命ずる、我が宿敵を討ち滅ぼせ!
──オービット!」

呪文と共にセリンの闇色の杖が暗く輝き、“黯黒(あんこく)の眸”から、闇をまとった髑髏どくろの大群があふれ出す。
(万事休す、ここまでか……!)
覚悟を決めたサマエルは、次元転移の呪文を唱え始めた。
しゃれこうべの群れは、気味悪い声を上げながら見る間に間隔を詰め、彼に迫って来る。

(……さらばだ、ジル。幸せに……!)
祈りを込めてサマエルが、呪文の最後の言葉を口にしようとした、その刹那。
「──セイブルヴェイル!」
目前で、セリンの魔法がかき消されてしまった。

「ふっ、いいザマだな、サマエル。
一度、貴様がこてんぱんにやられているところを見てみたい、と心から思っていたが、それがこんなところで叶うとはな!」
「タナトス! ……いつの間に!?」
セリンの叫びを無視し、タナトスは、やっとの思いで立っている弟に肩を貸す。

「……なぜ、私を、助けた……? 異境祠は……直った、のか……」
「ああ、祠は修復したぞ。
貴様を助けてやる気など毛頭なかったが、ジルの居場所を知らねばならんからな」
「借り、が、できてしまった、な……。
彼女なら、……そら、そこ、に……」
サマエルの指さす先の岩陰に、栗毛の少女が倒れていた。

「おお、ジル!」
タナトスは、弟を引きずるようにして彼女に走り寄ると、ひざまずいた。
「しっかりしろ、ジル! また力を使い果たしたのか? それともケガを……」
少女に取りすがる兄に向かって、サマエルは言った。
「心配ない……力は、私が分けた、お前は力を、使うな。
セリン、の結界内では、治癒魔法は、さほど効力を持たず、また、何もしなくとも、魔力を徐々に……吸い、取られてしま、う……気を、つけろ」

「何だと! だが見ろ、いくら揺さぶっても、目を覚まさんではないか!
貴様のへろへろ魔法だから効かんのだろう、もう一度俺が……!」
「よせ、タナ、トス」
「うるさい!」

「ううん……」
言い合っているところへ、当のジルが身じろぎをした。
二人は先を争って、少女の顔を覗き込む。
「ジル!」
「ジル、大丈夫か!」
「う~ん……あと、五分寝かせて……」
しかし、切迫した呼びかけに返ってきたのは、何とものんびりした、眠たげな返事だった。

“さんざ大騒ぎしたあげくがこれかよ、さっさと起きやがれ、この寝ぼすけ女! 
魔族の王子と魔界の至宝が、わざわざ助けに来てやったんだぞ!”
あきれ返ったダイアデムに思念でどなりつけられ、ジルはすっきりと目が覚めた。

「あーあ、よく寝た……あれ? お師匠様……タナトスもいる……本物よね、今度は。
……二人共、そんな顔して、どうしたの?」
「覚えて、いないの、かい、ジル」
「え? えーっと? あたしは……どうしたんだっけ……」
彼女は頭を押さえ、必死に記憶をたどった。

「あ、そうだわ、お師匠様! 
あの時あたし、自分でも知らないうちに移動しちゃったのよね!
それで、防御とかも間に合わなくて、やられた! ……って思ったのに、どうなったの!?」

「私も、あせったよ……無鉄砲なコだね……キミは……。
お礼をお言い……あの時は、彼らが、助けて、くれたのだ……」
「えっ、彼らって……?」
尋ねるジルの隣りで、それまで死んだように倒れ伏していた小人達が、もそもそと動き始めた。

「はー、びっくらこいたわい、……あ、こ、腰が……」
「大丈夫か、兄弟。
……ああ、どうやら、皆、無事でなによりぞい」
「キミ達が助けてくれたのね、ハロート、マロート! どうもありがとう!」
緑小人達はかぶりを振った。

「どう持ちまして。あんたらがやられたら、わしらも帰れんじゃろ? 
それで、思わず飛び出したんじゃぞい」
「しかし年には勝てんで、派手に吹っ飛ばされて、このザマじゃわい。
──ん……? 何をこそこそしとるのかな、カッツ。
あんたも、手助けしてくれたのじゃないか」

すると岩の後ろから、おずおずと白い顔が覗いた。
「……申し訳ありません、ジル。
おどされて……恐くて、あなたを……だましてしまった……」
うなだれる猫魔の手を、ジルは優しく握った。
「そうだったの。でも、これでおあいこよ、ありがとね、カッツ」

「三人のお陰で、結界、を、強化するのが、間に、合った、のだよ。
……でなければ、今頃は……」
サマエルは激しく身震いした。
そんな師匠を見るのも、ジルは初めてだった。
「で…でも、ほら、あたしは元気よ! 
皆には、後でもう一度、ちゃんとお礼しなきゃね」

“ンな時に、何、なごんでんだよ、おめーら! 伏せろ!”
突如、ダイアデムの叫びが頭の中に響き、彼らは地面に伏せた。
途端に、セリンの魔法が結界球に触れて爆発し、ビリビリと空気が振動する。

「ククク、感動のご対面とやらは、お済みかな? 
今生こんじょうの別れのあいさつくらいはと、黙って見ていてやったのだから、ありがたく思うがいい。
さて、今度は誰が相手だ? 
サマエル、続きをやるか? タナトス、おぬしか? 
兄弟仲良く一緒というのでも、我は別にかまわぬぞ」
その声に皆が顔を上げると、いつの間にか黒衣の魔法使いが、結界球の真正面まで来ていた。

「あれ……ツノが直ってる……?」
首をかしげる栗毛の少女に、セリンは、ニヤリと嫌な笑いを浮かべて見せる。
「フフフ、ツノだけではないぞ。今まで受けた傷もすべてふさがっておるわ。
“黯黒の眸”が手中にある限り、我は不死身なのだ。
結界内にいる者すべての力を、この貴石が吸い取り、我に注ぎ込んでくれるのだからな。
じわじわと弱っていくか、それとも一撃で倒されるか、いずれにせよ、おぬしらに勝ち目はないのだ。
……ククク……。
“闇の貴公子”タナトスよ、おぬしも飛んで火にいる夏の虫。
わざわざ魔界まで行く手間がはぶけたと言うものだな」

「ち、今日は、ペラペラとよくしゃべるヤツに縁がある日だな。
サマエル、ジルを頼んだぞ、後はまかせておけ! こいつは俺がやってやる!」
タナトスが闘いを宣言した、ちょうどそのときだった。

「タナトス様!」
「ご無事でしたのね!」
魔界公爵が、その場に到着したのだった。
「プロケル、何だ、イナンナを連れて来たのか──まあいい。ジルを頼むぞ!」
「は、お任せ下され! 
ジル様、サマエル様、ご無事で何よりでございました!」
プロケルは、さっそく結界球をサマエルの結界と合体させ、従妹の無事な姿を眼にしたイナンナは、涙ぐんだ。

「……何だ、元気そうじゃない、ジル。心配して損しちゃったわ……!」
「うん、あたしは平気。心配かけてごめんね。
でもあたしのせいで、お師匠様がけがをしちゃったの……ここじゃ治癒魔法も効かなくて……」

「まあ……サマエル様、大丈夫ですか?」
「これはひどい、早く手当をせねば」
「わ、私は、いいから……ジル、をてくれ……。
くっ、プロ、ケル、少し休む……。ここでは、魔力の、制御が、難しい……気を抜くな……。
結界、を……皆を、頼、んだぞ……」
それが限界だった。
サマエルは、岩に体をもたせかけて、意識を失った。

「きゃあ、お師匠様!」
「サマエル様、しっかりして下さい!」
「お静かに。心配はいりませぬ、ほっとしてお気がゆるんだのでしょうな。
このまま、眠らせてさしあげた方がよろしいでしょう」
公爵は言い、マントを脱いで地面に敷き、第二王子をそっと寝かせた。

「ひどいケガだわ……なのに、魔法が効かないなんて……。
あ、それなら、いつもわたしが使っているお薬があるわ!」
イナンナは腰の袋から傷薬のビンを取り出すと、サマエルに薬を塗り始めた。
「これを包帯にするとしましょうかな」
プロケルは、自分のローブの端を小刀で細長く裂き、手ぎわよく包帯を作っていく。

「ごめんね、お師匠様……。あたしのせいで……こんなになっちゃって……」
ジルの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「泣いてないで、ほら、手伝って」
「う、うん……」
ジルは涙をぬぐい、従姉と一緒に師匠の手当を始めた。