8.王の杖(3)
「何用だ、マンモン」
タナトスは
「差し出口をお許し下さい、ですが……」
「だから、何だ?」
「陛下……」
王子に睨まれた赤毛の男は、助けを求めるように主君に視線を移した。
「何じゃ、マンモン。ここには我らしかおらぬ、気兼ねせず申してみよ」
「……は」
男は頭を下げた。
マンモンは、魔界王の下、魔界を四つに分割統治するデーモン王の一人だった。
彼は昔から、第一王子の型破りな行動に散々悩まされていて、今もタナトスを心からは信用できないでいたのだ。
そしてタナトスの方も、でっぷりと太り、
「それでは、申し上げます……」
デーモン王はおずおずと切り出した。
「その……でございますな、陛下。
あの杖をタナトス殿下にお持たせするのは、いささか問題があるのではございませぬか……?
万が一、また何かございましては……魔界の至宝が、二つとも失われることにもなりかねませんぞ」
「何だとぉ……!?」
ただでさえ、タナトスは
そんな中、投げかけられた疑り深い家臣の一言は、ついに彼を憤激させた。
「──黙れ、
──ハアッ!」
「う、うわあああ──!」
腕を一振りしただけで、すさまじいタナトスの気が、見えない圧力となって大臣に襲いかかる。
防御するいとまもなく、マンモンは、遥か広間の反対側まで吹き飛ばされてしまっていた。
「よさぬか、タナトス!
マンモンは心配しておるだけなのじゃぞ、それも一万年前に、あの杖を使ってそなたが仕出かしたことを思えば、至極当然じゃ。
それにじゃ、あれを使ったりしたら、ジルとやらまで、巻き込んでしまうやもしれぬぞ。
今度の件では、決して、王の杖を発動させてはならぬ!
──これ以上のもめ事はたくさんじゃ、分かったな!?」
魔界王は、短気な息子に念を押した。
「ふん! マンモンが心配なのは、宝物庫の安ぴか物がまた減ることだろう!
王の杖を使うなだと、ふざけるな!
あれを使わずにどうやって、“貴石を帯びし者”を倒せというのだ、……ん? そうか」
激しく言い立てていたタナトスは、何を思いついたのか、
「ああ、分かった。王の杖は使わん、それだけ守ればいいのだな?
──ムーヴ!」
「あっ、待て、タナトス、何を……!?」
父王に言わせも果てず、タナトスは姿を消してしまっていた。
「まったく……。大事無いか、マンモン?」
「……は。
それに致しましても、まことにタナトス殿下は、陛下のお若い頃に
「それを申すな。
あの折、余は、魔界の王になろうとも、またなれるとも思っておらなんだのじゃ、当然、兄上がなられるものと思っておったゆえな」
家臣に嫌みを言われるまでもなく、ベルゼブルは心中ひそかに、ため息をついていた。
(……仕様のない愚か者めが。
この時期となっても、いまだ魔界王としての自覚の
せめてあやつに、サマエルの冷静沈着さの半分……いや、三分の一でもあればな……。
やはり、無理であったか? タナトスには、荷が勝ちすぎるのであろうか……?)
一方、父親の思いなど露ほども知らないタナトスは、とある建造物の前に
汎魔殿に隣接したその建物は、宝物庫と言うより、小規模な城と呼んだ方がふさわしく感じられるほど、本殿に負けず劣らず華麗に造り上げられていた。
「──目覚めよ、キュクロプスども!」
呼ばわると、宝物庫の扉を守る二人の巨人が同時に眼を覚ました。
顔の中央にある大きな一つ眼が、無表情に魔界の王子を見つめる。
タナトスは恐れ気もなくキュクロプス達を見上げ、告げた。
「俺は、魔界王家の第一王子タナトス。
“王の杖”をもらい受けに来た、親父……魔界王ベルゼブルの許可は取ってある」
「……確認はなされた。中に入り、望みの物を取られるがよい」
一瞬の後、辺りに響く重々しい声で巨人達は答え、左右から宝物庫の扉に手を掛けた。
重々しい地響きを立てながら、巨大な岩の扉が開いていく。
戸の開放を待つタナトスの胸に、その時不意に、ある疑念が湧いて来た。
(改めて考えれば、セリンのヤツは、どうやって、ここから“黯黒の眸”を盗み出したのだろうな。
独立した結界に守られたこの宝物庫には、特別な許可を得た者しか入れんはずだ。
俺や親父以外には……そうだな、デーモン王達くらいなもの……あのドケチのマンモンもそうだが……。
いや、まさか。あいつは虫が好かんが、そんな大それたことを仕出かす度胸はない。
それに、入る前には必ず、巨人どもが親父に確認を取っているし、無理に押し入ろうとすれば、大騒ぎになるだろう。
……むう、どうも分からんな)
考え込みながら内部に足を踏み入れると、巨大な部屋は、
数え切れない金貨の袋や金の延べ棒、王侯貴族が身に付ける高級な装飾品……宝冠や首飾り、腕輪、足輪等が、人の背丈の二、三倍はある天井近くまで積み上げられている。
その中でも、ひときわ人目を
ダイアモンド、アレキサンドライト、ルビー、サファイア、エメラルド、アクアマリン、アメジスト、パール、オパール、シトリン、アマゾナイト、ムーンストーン、キャッツアイ、タイガーズアイ、ガーネット、トパーズ、ターコイズ、ラピスラズリ、マラカイト、トルマリン、ペリドット、ジェット、サードニクス、オニキス、ジャスパー等々……。
それらはほとんど、きちんとガラスの箱に収めてあったが、所々にはなぜか、研磨された宝石が
タナトスは、それらには眼もくれずに歩を進め、突き当たりにある大理石の扉を開ける。
巨大な大理石を彫りぬいて造られた、十畳ほどもある部屋。
そこには、一段と等級の高い宝石群が、これでもかとばかり盛大にまき散らされ、星の海も同然に輝いていた。
瞬時に彼は、床上十センチほどの高さに浮き上がり、そのまま滑るように空中を移動して、さらに奥へと進んだ。
突き当たりは祭壇状になっており、細長い黄金の箱と銀の小箱とが、黒ビロード布上に並んで置かれている。
小箱は空だったが、黄金の箱は固く閉ざされて、その
“──
──我を取り、我を
──我を手にする者のみが、魔界の王なり──”
(……やはり、どこか妙だ。
“黯黒の眸”は、この銀の箱にしまわれていたのだよな。
だが、素人目にも、隣りにある金の箱の方が立派だし、普通ならこれを開けて……いや、箱ごと“王の杖”を盗んでいくのではないか?
特にヤツが初めから、魔界をも支配下に置くつもりでいたのなら、尚更のことだ。
この杖がなければ、親父ですら“魔界王”とは認められんのだからな。
……うーむ……どこか
だがまあ、今はそんなことを
タナトスは気を取り直し、黄金造りの箱に手をかける。
蓋を取り去ると、彼は
「──ほう! いつ見ても見事だ……!」
濃紺のビロードが敷きつめられた箱の中には、玉座と同じ貴金属で作られた、美しい芸術品が眠っていた。
杖全体に、魔界王家の紋章である、炎を噴く伝説の四頭龍が
“
覗き込むと、黄金に
──自分のものにしたい、どうあっても自分だけのものとしたい……と──。
さすがに多少緊張した面持ちで、ずしりと重い杖を取り上げた途端、彼の力に呼応した宝石は、生き物のように脈動し始め、小部屋は妖しい光で満たされる。
おのれを巡って流される幾多の血を浴びるたび、力を増してきたと伝えられる妖石……それが放つ、かくも