~紅龍の夢~

巻の二 THE JEWEL BEARER ─貴石を帯びし者─

7.再会(3)

「──そ、そんな! お師匠様ぁ!」
「危ないぞい、ジル、行ってはいかんっ」
「放してよ、ハロート、マロート!」
「ま、待て、行ってはいかんと言うにっ」
飛び出そうともがくジルを、必死になって小人達が抑えているうち、ようやく煙は消えた。

「……あ、あれ? お師匠様は?」
しかし、そこに倒れているはずのサマエルの姿はなく、少女や小人達は慌てて、きょろきょろ辺りを見回した。
セリンさえもが、驚きに眼をいていた。
「何っ、おらぬだと!? ヤ、ヤツめ、どこに行きおった!?」

「お師匠様!? どこ!?」
必死になって、ジルはサマエルに呼びかける。
「私はここだよ、ジル。
……どこを狙っているのかな、セリン」
懸命に辺りを捜していた皆の遥か頭上から、落ち着き払った答えが降って来たと思うと、傷一つ負っていないサマエルが、ふわりと彼らの前に降り立った。

「お師匠様!」
「おお、さすがはサマエル殿下!」
「やはり魔界の王族は違うのー!」
ジルだけでなく、小人達も歓声を上げて、彼の無事を喜んだ。
「フン、腕を上げたようだな、若造が」
セリンは悔しげに認めた。

「私とて、この長の年月、ただ遊んでいたわけではないからな。
大体、お前の命運は、一万年前にすでに尽きているのだ。
おのれの行いをい改め、地獄の底で永久とわの眠りにつくがいい!
──サンベニートゥ!」
サマエルの杖から、青白い炎がほとばしる。

だが、セリンは、杖で軽々とそれを打ち払った。
「悪魔が、“悔い改めよ”などと笑止な!
我は死なぬ、あと何万年かかろうと、復讐をげ、すべてを手にするまではな!!
──ノージェイト!」
往生際おうじょうぎわが悪いぞ、セリン!」
今度はサマエルが受け流し、大木が後方で爆発、炎上する。

「ムムム……小癪こしゃく小童(こわっぱ)め!」
黒衣の魔法使いは、地団太を踏む。
「今の私は昔の私ではない、そう言ったはずだ」
冷ややかに、サマエルは言い返した。

上級魔法を唱えるために二人は念を集中させ、その強力な意思が、彼ら自身のローブを大きくはためかせて、地面さえも震動させる。
炎は下草を燃やし、やがて、枯れ木に移ってさらに大きくなり、しまいに周囲の樹木の根元から徐々に上へと熱い腕を伸ばし、ついには森全体を包み込んでいく。

踊り狂う火炎を背にした二人の間に流れる、一瞬の静寂。

(勝負は互角……? いいえ、あたしにはわかる、お師匠様の方が上だって!
セリンはもうふらふらなのに、お師匠様はまだ息も乱れてないもの!)
見たことも聞いたことすらない、古代の魔法が飛び交うのを、ジルは興奮気味に見ていた。
サマエルが優勢だということだけでなく、師匠が本気で戦っているのを見るのは、彼女にとっても初めての経験だったのだ。

「──トライユーン!」
「わあ、すごい! 炎と氷と稲妻が、いっぺんに……!」
「ぐわあぁっ!」
三つの属性が、スクリューのようにねじれて交じり合う、三位一体さんみいったいの魔法。
少女が初めて眼にする高等魔法が、ついに邪悪な魔法使いを捉えた。
「やったぁ、お師匠様──!」
「やんや、やんや!」
ジルは飛び上がり、小人達はトンボを切る。

「よくも、よくも! このままでは済まさぬ、済まさぬぞ!
片方の角が根元から折れ、ローブごとあちこち体が切り裂かれて血がしたたり落ち、立っているのもやっとのセリンは、ギリギリと歯を噛み鳴らした。
「かくなる上は──最後の手段!
──ヴェイパー!」
呪文と共に、魔法使いの体から、どす黒い煙のようなものが湧き出て来る。

それを見たサマエルの顔色が、さっと変わった。
「まずい! ジル、息を止めなさい、これを吸ったら死ぬぞ! 小人達もだ!
──ムーヴ!」
彼は、倒れたままでいた猫魔を抱え込むと、弟子の横に移動し、急ぎ結界を張った。

「よし、もう大丈夫だ。息を吸っていいよ」
「はぁ──、苦しかった。……お師匠様、何なのこれ?」
ジルは口をふさいでいた手を外し、大きく息をした。
小人達は声もなく、抱き合って震えている。

「魔界の“瘴気しょうき”……つまり、毒を含んだ空気の強力版とでも言えばいいかな。
これは魔族でも少々きつい。
並みの魔物では呼吸困難を起こして失神、人族ならば……そうだね、一息で即死……いや、生きながら白骨化してしまうかも知れない……そんな厄介な代物だよ」
「わあぁ、すっごい毒ガスなのね、これ!」
ジルは眼を真ん丸くした。

「フフフ、魔界の純粋な空気の味はいかがかな?
サマエルには懐かしいことだろう? 遠慮はいらぬ、心行くまで吸い込むがいい!」
言いながらセリンが近づくにつれて、黒い霧は、渦を巻くように晴れていく。
「どういうつもりだ、セリン!
ジルを殺してしまったら、お前の野望もそこで終わりとなるのだぞ!」
魔界の王子に鋭くとがめられても、魔法使いは悪びれた様子もなく、毒々しい唇を歪めた。
「それゆえ、おぬしが結界を張るに間に合うよう、ゆるりと瘴気を出してやったではないか」

「何っ!?」
「だが、まだまだ瘴気は残っておるぞ!
──見よ!」
セリンが指した方向で、燃え残った森の木々が毒に当てられ、枯れていくのが見える。
茶色く変色した葉がばらばらと落ち、うず高く積もってゆくのだ。

「つまり、おぬしは結界を解くわけには行かぬと言うわけだ。
──さて、どうやって闘う? それとも大人しく小娘を渡すか?
さすれば、命だけは助けてやってもよいぞ。我が身代わりに、この異界に永久に封印してやろうか。
クッククク……」
「……卑怯な……!」
脅える人族の少女と魔族の老人達を後ろにかばい、王子は唇を噛み締めた。

「卑怯とは笑止な。勝つためには手段を選ばぬ、それが闘いだ。
真実の“悪”とは、言葉でののしられた程度で動じたりはせぬのだ。
先ほどの、愚かな小僧も修行が足りぬ。
あのレベルで闇の魔獣を操ろうとは、まことにもって愚か、一万年早いわ。
まあ、並みの人間ごときが、我ほど生きられるわけもないが……クク!」

セリンは再び、真っ青な舌で血の色をした唇をめ回し、獲物を狙う肉食獣の眼差しを彼らに向けた。
手に持つ杖の“黯黒の眸”が、鈍く光る。
「さぁて、どうするかな、魔界の第二王子殿?」

しかし、こんな切羽詰った状況でも、サマエルの表情に変化はない。
「……ふむ。
お前がそういう気だと言うなら、やはりこちらとしても、奥の手を出す外あるまいな」
考え込みながら、彼は言った。
「フン、奥の手だと……言うだけなら何とでも言えるわ」
魔法使いは、軽蔑したようにアゴを突き出す。

「お、お師匠様、何か方法があるの?」
ジルは震えながら聞いた。
「もちろん。私も、伊達だてに二万年も生きてはいないからね」
魔界の王子は微笑んだ。
その笑みは、先ほどの熱い抱擁ほうようを思い出させ、こんな状況だと言うのに、少女はまたもや、頬が熱くなるのを感じた。

「結界の内部から攻撃はできない、それは事実だ。
だがそれでも、絶対安全で確実な方法はある。それは……」
「えっ、それって?」
「それは……、
──逃げることだ!」
言うやいなや、サマエルは、結界を浮き上がらせて逃亡を図った。

「えっ、あっ!?」
「はわあ……!?」
「ひええっ」
ジル達は驚き、あっけに取られたが、きょかれたのは、セリンも同様だった。
「何……!?」
一瞬のことで思考が麻痺したのか、魔法使いは呆然ぼうぜんとして、飛び去る結界球をただ見送る。