~紅龍の夢~

巻の二 THE JEWEL BEARER ─貴石を帯びし者─

6.ジュエル・ベアラー(2)

「……もう、一万年以上も前のことになるか。
魔界において至宝しほうとされる貴石、“黯黒あんこくひとみ”が、何者かによって盗み出されたのだ。
これがすべての発端ほったんだった。
この貴石は、先祖達も手を焼かされてきたものでな。恨みや憎しみなどの邪気……つまり“負の感情”を集める性質があり、悪用などされたが最後、とてつもなく面倒なことになるのは眼に見えていたのだ。
そこで、俺達は懸命になって捜したのだが、そのありかはどうしても分からなかった。
一方その頃、人界では三つの国がを競っていた。
そして貴石が盗まれるとほぼ同時期に、ある魔法使いが三国を統合し、“トリニタス”という巨大な王国を築いたのだ」

「その魔法使いが、“ジュエル・ベアラー”と言うわけですのね、タナトス様」
口をはさんだ人族の少女に、魔族の王子はうなずきかけた。

「その通りだ、イナンナ。
俺達も、こいつが臭いとにらんだものの、忌々いまいましいことに、サマエルの魔眼でさえヤツの結界を見通すことは出来ず、忍び込ませた使い魔達が、ことごとく失敗すると、親父はしばらく静観していることにした。
いくら高度な文明と魔力を誇るとは言え、人間のやることなど、たかが知れていると思ってな。
ところがヤツは、“黯黒の眸”を使いこなせるほどの力を持つことを誇示し、“ジュエル・ベアラー”……つまり“貴石を帯びし者”と名乗って、魔界に対し宣戦布告して来たのだ。
ふん、愚かなヤツだ、まったく。人界だけで大人しく王様をやっておればよかったものをな……!」

冷ややかにタナトスは言い、一息ついて続けた。
「ところが──だ。
人族との戦を手っ取り早く終わらせ、ヤツを捕まえた後も、“黯黒の眸”は見つからなかったのだ。
そこで親父は怒りのあまり、“三つの大陸”すべてを海の底に沈めてしまい──」

「よく仰いますなぁ、タナトス様。
そのうちのお一つは、あなた様が破壊なされたのでございましょうに……」
思わずと言った感じで、プロケルが口を挟む。
「くくっ、そうだったな。まあ、若気わかげいたり、と言うところだ」
タナトスは、“闇の貴公子”の名に恥じぬ冷酷な笑みを浮かべ、氷のように冷たい声でそう言い放った。
唇の端から、ちらりと鋭い牙がのぞく。

(人界を破壊なさったのですか、あなたは……。
その気になったら、また……今、すぐにでも……?)
彼女やジルにはめったに見せない、タナトスの魔族としての顔に、正直イナンナはショックを隠せなかった。

少女の表情に気づいた魔界公爵は、優しく肩に触れ、安心させようとした。
「ご心配は無用ですぞ、イナンナ殿。
タナトス様はもはや、左様な無茶なことは、されたりはなさいませぬよ──そうでございましょうな?」
「ふん、当たり前だ。ジルがいるというのに、そんなたわけたことなど、するわけがなかろう!」
タナトスはそっけなく言い、話を続けた。

「そこでだ。親父はヤツが口を割るまで、“異界”に封じておくことにしたのだ。
むろん、死なん程度に魔力を奪い取ってな。
初めのうちこそ、親父自身が口を割らせに出向いていたが、この頃は完全に忘れ去っていると見える……ここ何百年も、話題にすら上ったことがない。
ま、一万年も前のことだし、無理もないが……俺やサマエルでさえ、失念していたくらいだからな。
だが、プロケルの話を聞いて、やっと気づいたのだ、あいつの仕業だと。
何らかの理由で異境祠の封印が解け、昔の復讐ふくしゅうを始めおったのだろう」

それと聞いた公爵は首をかしげた。
「されど……お言葉を返すようで恐縮きょうしゅくではございますが、本当にヤツなのですかな?
人族の者が、一万年も生き長らえることなぞ……」
「そのカラクリは分かる。あいつはおそらく、“血の契約”を逆手に取り、魔物と自分の魂を移し変えたのだ。

もしそうなら、一万年程度では死なんだろう、魔物並にな。
……まったく、野望達成のためなら、手段を選ばんヤツだ」

“血の契約”とは、文字通り、人間が魔物に血を与えて結ぶ契約のことで、人界では禁じ手とされている。
契約を結んだ魔物は、一時的にはどんな望みもかなえてくれるが、それも長くは続かない。
徐々に人間は意思を乗っ取られ、操り人形と化したあげく、精気を吸われ尽して死んでしまうのが常だったのだ。
それを逆に、人間の方が主導権を握って、魔物を意のままに操っていたのだとしたら、まったく驚くべき魔力と意志の強さと言ってよかった。

「何と、あれを逆手さかてに取るとは……セリンという男、たしかに一筋縄ではゆきませぬな……」
魔界公はつぶやいた。
「ちっ、だから、一万年前に、さっさと始末しておけばよかったものを!
俺があれほど言ったのに、くそ親父め、耳を貸さなかったのだ。
……そのツケが、今頃……」
家臣のつぶやきなど耳に入った風もなく、魔族の王子は拳を固く握り締める。
それを眼にしたイナンナは、どういうわけか、少し切ない気分になった。
(……どうしたのかしら、わたし。この頃少し変だわ。
タナトス様が……ジルのことを気にかけていらっしゃるのを見るたび……胸が……こんなふうに……)

「──お、ここだプロケル」
生々しい地滑りのあとを、タナトスは指し示した。
「この下に祠があるはず、俺が戻って来るまでに掘り起こしておいてくれ。
俺は魔界に戻り、親父に、転移装置の封印の解き方を聞いてくる」
「は。かしこまりました、お気をつけて」

「うむ。いくらサマエルでも、単独ではヤツには勝てまい……ジルもまもらねばならんとしたら、尚更なおさらだ。
──よし、今度こそ、決着をつけてやる!
なにが“ジュエル・ベアラー”だ、コソドロのペテン師めが!!
──ムーヴ!」
言うが早いか魔族の王子の姿は虚空こくうに消え、氷剣公は、手早く崩れた土砂を除去する作業に取り掛かる。
我に返ったイナンナも、すぐさまプロケルに手を貸した。