~紅龍の夢~

巻の二 THE JEWEL BEARER ─貴石を帯びし者─

1.失踪(2)

弁解はせず、サマエルは話を続けた。
「昨夜私は、かなり大規模なものになると予想された、今回の流星群を水晶球で監視していた。
知っての通り、流星群は彗星の尾にこの人界が突入することで生じるが、その際磁場が乱され、魔力にも変化が起こる場合がある。
それに乗じ、太古に封じられた邪悪な者等が、封印を解き暴れ出す可能性もあるのでね。
古来、彗星が凶兆とされたのも、そのためだろうな」

「そんな下らんことはどうでもいい!
俺が聞きたいのは、ジルのことだ!」
拳を振り上げ、第一王子は思い切り机をたたく。
兄の苛立ちも意に介さず、サマエルは淡々と続けた。
「狙いたがわずというか、やはり凶星が現れた。
しかもそれは、ジルを示す星の光をさえぎり、輝きを奪っていったのだ。
彼女が消えた直後、カードでも急ぎ占ってみたのだが……出た答えがこれだった」

「彼は、机に散らばるカードの中から一枚を取り上げ、兄王子の前に突き出した。
……む? 何も描いてないぞ、このカードは。真っ白ではないか」
「そう、予備のものだからな、これは」
「貴様……。焦って、予備を入れたまま占ったのだろうが」
あきれ果てたと言った口調で、タナトスは言った。

「私もそう思い、もう一度やってみた。……結果はこれだ」
弟王子は別のカードを取り、またも兄の鼻先に突きつけた。
「こっ、これは……!」
タナトスは、手にしたカードを見て絶句した。

「そう、また同じだったのだ。二枚あるのだよ、予備カードは。
今までにもうっかり入れてしまったことはあるのだが、これが出た前例はないし、ましてや、立て続けに二度、というのは……」
「ま、まさか、ジルは……」
普段は血色のいい第一王子の顔が、みるみる青ざめてゆく。

「いや、もしそうなら、星の動きにもそれと出るはずだ。
生死を占ってみると、はっきりと“生存”と出ることでもあるし、最悪の事態は考慮に入れる必要はない」
きっぱりと第二王子は言い切り、その言葉を信じたいものだと思いつつ、タナトスは頭をひねった。
「ならば、そいつは何を意味しているのだ?
白……空白……いないということか。だが、生存している?
この世界にはいないが、生きている、とはどういう意味だ?」

「カードの意味は抽象的だからな。思うに、『人界から連れ出された』、ということではないだろうか」
「連れ出されただと!? もしや懲りずに、天界のヤツらが!?」
身を乗り出すタナトスに、サマエルは否定の仕草をして見せる。
「いや、それはないだろう。あの時、ジルはこれ以上ないほどきっぱり断ったし、私達もついている。
一応、魔界とは現在休戦協定が結ばれていることもあり、いくら独断専行のミカエルと言っても、もはや、無闇には動けまい」

「……どうだかな。あの執念深いエセ天使が、このまま黙っているとは思えん」
タナトスは、疑っている様子を隠そうともしなかった。
「まあ、そのうち、出張って来るに決まっているけれどね。
今回のことに、天界が直接絡んではいないのは明白だよ」
第二王子はきっぱりと言ってのける。
それを聞いた第一王子は、弟に向かって指を振り立てた。
「なぜ、そう言い切れる! 目的のためには手段を選ばん、ロクデナシどもなのだぞ!」

「あれ以来、常時、天界の情勢を見張らせておくことにしたのでね。
その見張りからの報告でも、ジルが連れ込まれた形跡はまったくないよ」
タナトスは思わず動きを止めて、平然と言い切る弟王子を凝視する。
「貴様、そんなことを……? 親父は知っているのか」

サマエルは肩をすくめた。
「なぜ陛下にお知らせする必要がある? これは純粋に私の趣味だ、報告する義務などないね。
だが、もし私が王なら、常に敵の動向を把握しておきたいと思うよ、どうして歴代の魔界王がそうしないで来たのか、知りたいくらいだ」
「ふん、大方、ヤツらの存在を、すっぱり忘れてしまいたかったのだろうさ、平和ボケしてな!」
好戦的な第一王子は、鼻にしわを寄せ、冷ややかに言ってのけた。

サマエルは、考え込むような顔つきになった。
「それはさておき、ちょっと気になることがある。
私はジルの“気”を、彼女が眠っていてさえ追えるはずなのだが、行方不明になって以降、出来なくなってしまった。
そこで、カードで調べた結果も合わせて、彼女は別の次元……すなわち、異空間に拉致された可能性が高いのではないかと考えるに至ったのだが」

「ううむ、別次元……異空間、だと?
む、そうか、“異界”か!」
はっとしたように、タナトスは手を打ち合わせた。
サマエルは大きくうなずく。
「そうだと断言していいだろう。
手を尽くし種々調べてみたが、他の場合の可能性はごく低く、限りなくゼロに近いようだからね」

「むう、異界か……」
今度は、タナトスが考え込む番だった。
「お前がそう言うなら、ジルはそこにいるのだろう……しかし、あの回廊には、何か問題があったように記憶しているが」
「……ああ。まったく、厄介(やっかい)な代物だよ……」
第二王子の返事は、ため息をついているようにも聞こえた。

遥かなる太古、魔族は神族との戦いに敗れ、魔界に封じられることとなった。
真正面から挑んでも勝ち目がないと悟った魔族は、強力な結界を張って神族の侵攻を防ぎつつ、魔界に立てこもり、別次元へとつながる回廊、つまり通路を二つ、作り出すことに成功する。
その一方は人界へ通じ、もう一方が、“異界”と呼ばれる異空間へ通じていた。

しかし、後者の通路は、術者の手違いから、意思を持つ者には通り抜けられないという、特殊な性質を帯びてしまう。
そこで、使い魔の意識を失わせて送り込み、異界を調査していたが、使い勝手が悪い上、人界の方が生存に適していると判明し、異界への通路は忘れ去られてしまっていたのだった。

「ふ~む。しかしだぞ、ジルをさらうこと自体は、比較的簡単にできたかも知れんが……」
口ごもる兄の言葉を、サマエルは引き取る。
「そう。あの回廊を使用するためには、ジルを連れ、いったん魔界へ行かなければならない。
“扉”は魔界にあるのだから。
そして、魔界に行くための唯一のルートは、この屋敷にある魔法陣だが、使われた形跡はない」

タナトスは、首をひねった。
「……ふむう、一体どういう芸当を使ったのだろうな。
そもそも何が目的だ? やはり、ジルの魔力か……」
「当て推量で考えてみても始まらない。やはり、直接行ってみるしかあるまいさ」
「どうやって。
意識喪失状態でなら行けると言っても、敵の待ち伏せにあったりしたら、ひとたまりもなかろう」

するとサマエルは、机の上に置いてあった、一冊の古びた書物を取り上げた。
「いや、そんな危ない橋を渡る必要はない。
今朝方ようやく、覚醒したまま転移できる呪文を見つけたのだ、それで……」
「ならばなぜ、さっさとそれを使わん! いや、寄越せ、やはり俺が……」

「まあ待て、最後まで聞け」
話の途中で本を奪おうとした兄の手を、サマエルは払いのけた。
「この呪文は大量の魔力を消費する。
お前の忠告に従い、時折は女性の精気を頂いたりはしていたが、私一人の魔力ではやはり心許ない。ジルを連れては帰れなくなる恐れがある。
そこで、お前に来てもらったのだ」

するとタナトスは、即座に冷ややかな目つきになった。
「つまり俺の力を借りて“貴様一人で”ジルを助けに行き、そして彼女の感謝と愛を勝ち取る、という寸法か。
ふん。この俺が、貴様ごときの浅知恵に、喜んで乗るとでも思ったのか?」
サマエルは、やれやれと言いたげに首を振った。
「ならば、ジルはどうなるのだ?
考えてみるがいい、彼女は、自分が今どこにいるかさえも知らないはず、自力では、到底戻って来られまい。
つまり、お前が同意しなければ、ジルは永遠に、異界に封じられたままとなるのだぞ」

「うっ、だ、だが、貴様が、俺を異界に転移させることもできるはずだ!
貴様だけが甘い汁を吸うようなことには、何があろうと絶対、同意はせんぞ!」
タナトスはえた。
だが、指を突きつけられたサマエルは、怒るどころか、つややかな唇に妖艶ようえんな笑みを浮かべて兄に流し目を送った。
「そうか、分かった。ならば、お前がその気になるまで、私は休ませてもらうとしよう。
ここで、好きなだけ頭を冷やすがいいさ」

兄の性格を知り尽くしているその態度は、はたから見ればひどく冷淡に見え、当のタナトスさえもが、あっけに取られた。
「き、貴様! ジルを見捨てるつもりか!?」
「その言葉、お前にそっくりお返しするよ。
……ああ、疲れた。ここ数日、調べ物が多くて、休む暇がなくてね……」

肩をさすりながら部屋を出て行く弟を、タナトスは不信に満ちた眼で追った。
「ま、待て、サマエル、貴様一体、どういうつもりだ!?
この冷血漢め、ジルがどんな目に遭っているか知れんというのに、寝るだとぉ!?」
「疲れていては戦ができぬと言うだろう? ……ああ、腹が減っては、だったかな。
では、お休みなさいませ、兄上殿」
サマエルは、うやうやしくお辞儀をした。

「ま、待て、貴様っ!」
吼え立てるその鼻先で、ぴしゃりとドアが閉じられる。
「く、くそっ、何をのんきな!
感情より理性を優先させる、だから俺は貴様が嫌いなのだ、気違いのくせに!」

だが、扉を背にしたサマエルの紅い瞳に、決然とした光が浮かんでいたのを、タナトスは知るよしもなかったのだ。