TEKKEN SHORT STORIES
風間 仁が幻想入り(2)
一人の女性が、ほろ酔い気分で、竹林にある自分の家に向かって歩いていた。
大きな満月が煌々と下界を照らし、灯りもいらないほどだった。
彼女……
地面につきそうなほど長く白い髪を、赤い縁取りの白いリボンで結い上げ、眼は赤い。
純白の長袖ブラウス、赤いアームバンド、
その色は彼女の気質……炎を象徴しているのだった。
この幻想郷には、外の世界では想像の産物とされる様々な種族が住んでいる。
妖精、妖怪、鬼、悪魔に吸血鬼に宇宙人、果ては神々までもが、眼に見える存在として……。
そんな中、彼女を強いて分類すれば、“
遥かな昔、不老不死の禁薬、“蓬莱の薬”を飲んだ彼女は、たとえ燃えて灰となっても、不死鳥のように
また、幻想郷には、ごく普通の人々が住む、人里もある。
妹紅の住む竹林は迷いやすいため、病気になったりケガをした里人に頼まれて、竹林の奥、永遠亭まで道案内をすることがよくあった。
実は、永遠亭には、彼女と敵対関係にある蓬莱山
そのため、本当はあまり足を向けたくはない場所なのだが、病人やけが人を放ってもおけない。
“月の頭脳”と呼ばれ、“あらゆる薬を作る程度の能力”を持つ、輝夜の配下、
今日の病人も、永琳が調合した薬のお陰で、帰る頃にはすっかり元気になっていた。
送って行った先の家で、ぜひお礼にともてなされ、酒までごちそうになって、こんな時間になってしまったのだった。
泊まって行くように誘われたが、さすがにそこまではと辞退して、彼女は家路に着いた。
不老不死、さらには、幻想郷だけで通用する特殊な呪文が書かれた“スペルカード”のお陰もあって、夜、この辺りにたむろする並みの妖怪が、太刀打ちできないほど彼女は強い。
だから真夜中に、女性一人で出歩いたとしても怖いものなどないのだった。
ほろ酔い加減で歩くうち、頭上の月の色がすっかり変わっていることに、彼女は気づいた。
つい先ほどまで、あれほど白く
顔を上げると同時に、どこからともなく霧が湧き出てきて、妹紅を包み込んだ。
「う、何、この霧……ごほ、ごほっ」
彼女は喉を押さえ、咳き込んだ。
──苦しい。呼吸ができない。
それよりも、あの
つい魔が差して蓬莱の薬を奪い、口にしたあの日……。
たしかあの晩も、こんな色の月が、天上にかかっていなかっただろうか……?
あの後、幾度も夢に見た。
どうしてあんなことをしてしまったのだろうと、後悔しながら。
『──飲んじゃ、駄目っ!』
蓬莱の薬を口にする瞬間の夢を見、そう叫びながら目覚めた朝も、数え切れないほどだった。
永遠の命を得たがために、同じ所に住み続けることができなくなった妹紅は、孤独感にさいなまれつつ、
そうして、いつしか幻想郷までたどり着いた彼女は、ここでの暮らしにも徐々に慣れ、ようやく心の平安を見出し始めていたのだったが。
「……ふう、はぁ、はぁ、はぁ……」
ようやく息ができるようになり、ほっとしたのも束の間、彼女は再びぎくりとした。
少し離れたところで、霧がもやもやと集まって、何かの形を成していく。
見る間に、霧の
「な、何だ、お前は! 何かの幻術か、どこかの式神か、それとも……!」
彼女は警戒し、後ずさる。
不思議な声が彼女の頭の中に響いたのは、そのときだった。
『……助ケ、テ……』
「まさか!? 霧が口を利いた……!?」
面食らう妹紅には構わず、霧の塊はさらに彼女を手招いた。
『……助ケガ、必要……コチラニ……来テ、クレ』
「お、お前が何者か、目的も何も分からないのに、のこのこと付いて行けるか!」
妹紅は叫び、いつでも取り出せるように、スペルカードに手を伸ばす。
不老不死の彼女を罠にかけても、得る物があるとも思えなかったが、宿敵、輝夜の差し
月人の輝夜もその従者達も、彼女と同じように蓬莱の薬を飲んでいるため、殺し合っても死なないのだったが。
『……助ケテ……死ヌ、死ンデ、シマウ……』
彼女の疑いを知ってか知らずか、霧はそう繰り返す。
「だから、お前の目的は何だ、というか、誰が死ぬと言うんだ!?」
またも言い返したとき、妹紅は、はっとした。
霧でできた人型の眼の部分、そこだけが黒く抜け落ちたようになっている場所から、涙が流れているように見えたのだ。
『死……モウ、誰モ……死ナセタク、ナイ……助、ケテ……!』
霧は手を合わせ、心底切羽詰っているようだった。
妹紅は考えた。
あの引きこもりの女……輝夜が、こんな手の込んだことをするだろうか?
「何だか知らないけど。どうして私なわけ?」
警戒を解かないままで、彼女は尋ねた。
『強イ、力ヲ、持ツ、者……他ニ……起キテ、イナイ……』
たどたどしく霧は答えた。
たしかに、今は真夜中である。
妖怪退治と異変解決を役目とする
特に酒盛りなどした後なら、ちょっとやそっとでは起きない。
さらに、彼女達は異変でもない限り、力を貸してはくれそうにない。
彼女はため息をつき、髪を後ろに振りやって額に手を当てた。
「……分かったわ。行けばいいんでしょ、何だか知らないけど」
行って、さっさと済ませて帰って寝よう、そう妹紅は考えた。
この霧からは、悪意も害意もまったく感じられない。
千年以上も生きて来て、そういうことには勘が働くようになっていた。
それに、誰かは分からないが、自分が見捨てたせいで死んでしまったとしたら、さすがに寝覚めが悪い、そうも思った。
彼女自身は、すでに忘却の彼方へ押しやってしまった“死”だが、普通の人間達や、長生きだけれども
不死ではない妖怪達にとっては、深刻な問題だということは、彼女も忘れてはいなかったのだ。
『コチラ、ヘ……』
手招く霧の後をついて、彼女は歩き出す。
少女移動中...
どれくらい歩いたのだろう。
「ちょっと、まだなの? 場所を教えてくれれば、私一人で飛んでくんだけど。
その方が、速いんじゃない? 誰か知らないけど、死にそうなんでしょ?」
のろのろとした霧の歩みに苛立ち、妹紅が声をかけたそのとき。
『着イタ。……間ニ合ッタ……』
ため息をつくような口調で霧はつぶやき、空中に拡散し始めた。
「えっ、着いたの? どこよ、死に掛けてるって……あ、待って!」
彼女は叫ぶが、霧は、ある方向を指差すと、溶けるように消えてしまった。
「……まったく。案内だけして、自分はいなくなるなんて……勝手もいいとこだわ」
ぷりぷりしながら腕を組んだ妹紅は、はっとした。
「えーん、助けてぇ、誰かぁ……」
示された方角から、声が聞こえて来たのだ。
「──子供か! そんならそうとなぜもっと早く……!」
反射的に彼女は、声のした方に突進していった。
ヤブをかき分けると、突如、目の前に空間が開けた。
そこにいたのは、悪魔そっくりの男に抱きかかえられ、半ば気を失いかけた妖怪の少女だった。
「なぁんだ、ルーミア、あんただったの」
「あっ、妹紅さん、助けてぇ!」
はっと我に返ったルーミアは、泣きながら手足をばたつかせた。
(……来るんじゃなかった……!)
妹紅は拍子抜けし、同時に後悔した。
何度か見かけたことはあるが、直接言葉を交わしたことはない。
ただ、人食いの闇妖怪の噂は、彼女もよく聞いていた。
しかし、誰だろうと何かを食べなければ生きていけないのだし、ルーミアは無闇に人間を襲うことはなかった。
どちらかというと、言うことを聞かない子供への
『遅くまで外で遊んでいると、宵闇の妖怪に食べられてしまうよ』、と。
「……どう? 自分が食べられそうになる気分は?」
意地悪く、妹紅は訊いた。
幼女を抱えた男は、邪悪そのものといった表情を浮かべ、どう見てもルーミアを食料にしようとしているようにしか見えない。
「わぁん、助けて、助けてぇ……!」
幼女は泣き叫んだ。
強い方が勝ち、弱い者を食料にする……弱肉強食。それをとやかく言う権利は、妹紅にはない。
このまま
おそらくさっきの霧の塊は、ルーミアの能力なのだろう。
せっかく、必死の思いで助け手を呼び寄せたのに、目の前で帰られてしまったら……。
その絶望を思うとルーミアが気の毒になり、妹紅は助けてやることにした。
「ちょっと、あんた。悪いんだけど、ケガしたくなかったら、その子置いて、帰ってもらえる?」
腰に手を当て、彼女は見慣れぬ男に声をかける。
『何ゆえ、我が帰らねばならぬ? 貴様、こやつの何だ?』
暴れるルーミアをしっかりと捕らえたまま、男は、奇妙に響く声で尋ねて来た。
妹紅は肩をすくめた。
「……ちょっとした知り合いよ。助けてくれって呼ばれちゃってね。
見殺しにするのもなんだし。
その子を置いてってくれるんなら、一つ借りにしとくわ」
すると男は、瞳に異様な輝きを宿らせ、言い返した。
『──断る。欲しければ奪ってみせよ』
「……力ずくで来い、か。しょうがないわねぇ……」
妹紅はつぶやき、構えた。
To be continued...

