TEKKEN SHORT STORIES
風間 仁が幻想入り(1)
注)
これは、鉄拳6で風間仁がアザゼルと対決し、相打ちとなった直後のお話です。
二つの強大な力のぶつかり合いにより、次元に歪みができ、幻想郷と呼ばれる別の世界へ飛ばされてしまった……という設定です。
幻想郷は、普通の人間には入ることはおろか、見ることさえもできません。
でも、忘れられた存在になってしまった者や、偶然できた次元の裂け目に落ちた者などが、迷い込むことはよくあるようです。
“幻想郷”を知らない人でも分かるように書いてみました。
「……ここは、どこだ。俺は……うっ」
地面に仰向けに倒れた状態で、風間 仁は周囲を見回した。
体中が痛み、動くことができない。
今まで何をしていたのか思い出せず、彼はぼんやりと、空を見上げていた。
澄んだ青い空は高く、雲が切れ切れに流れていく。
「……静かだな」
彼はつぶやいた。
木の葉のさやぎと共に、小鳥のさえずりが聞こえて来る。
こんなに心安らぐ時を過ごしたのは、何年振りだろうか。
静寂に身を任せているうちに、陽は徐々に翳かげっていき、夕闇が辺りを覆い始めた。
一番星が現れると、冷たい風が木々を渡って、上半身裸だった仁は身震いし、我に返った。
「俺は……」
今まで何をしていたのか。何をしようとしていたのか。
やはり思い出すことができない。
そこで彼は、大きく息を吸い、痛みをこらえて腕を動かしてみた。
どうやら折れてはいないようだと、ほっとしたのも束の間、仁は眼を見開いた。
自分の手は血にまみれ、傷だらけだったのだ。
「あああっ、そうだ、俺は……!」
怒涛のごとく記憶が蘇って来て、彼が頭を抱えた、そのとき。
「人間みーっけ。
ねぇ、おにーさん。あんた、食べていい人間?」
幼い子供の声が聞こえた。
そちらに顔を向けると、紅い瞳と眼が合った。
目の前にいたのは、可愛らしく小首をかしげた女の子だった。
短く切り揃えられた金髪は紅いリボンで飾られ、黒いワンピースを着ている。
仁は、心を焼き尽くされそうな忌まわしい記憶を一瞬忘れ、思わず尋ねていた。
「キミは……?」
「あたし、ルーミア。ねぇ、あんた、食べていい人類なの?」
少女は彼を指差し、同じ質問を繰り返す。
──食べていい人類?
……どういう意味なんだろう?
仁は少女を見つめ、そして息を呑んだ。
この子は、宙に浮いている。
「キミは、一体何だ!?」
仁の口調が思わず厳しくなる。
「だから、ルーミアだってば。
あんた、食べていいよね?
だって、霊夢が言ってたよ、夜にふらふら出歩いてるお馬鹿な人類は、とって食べてもいいんだって」
言うなり少女は、彼に手を伸ばして来た。
その紅い眼が、闇の中に妖しく輝く。
「よ、よせっ!」
反射的に仁は飛び起き、小さな手を払いのけていた。
「お馬鹿な人類の癖に、あたしに食べられたくないの?」
少女は、ぷうっと頬を膨らませた。
「あ、当たり前だろう、誰が食べられたいんだよ!」
痛みも忘れ、仁は抗議の声をあげる。
「そーなのかー。でも、逃げられないよ、闇で、おにーさんを捕まえちゃうからね」
その言葉が終わらないうちに、暗闇が周囲を覆い尽くした。
夜空で輝いていた星も視界から消え、真の闇の只中に、仁は投げ出された。
「な、何!? 眼が……!?」
慌てて彼は目蓋まぶたに手を当てた。
「おにーさんの眼が見えなくなったんじゃないよ。あたしは闇を作り出せるの。
そして、誰にも邪魔されずにお食事するんだよ」
真っ暗闇の中、舌足らずな幼い声が、すぐ近くで聞こえた。
「くっ!」
仁は、力を振り絞って立ち上がった。
「逃げても無駄だよ、おにーさん。大人しくあたしに食べられてよ」
耳元で、再び少女の声がした。
「うわあっ」
パニックになった仁は、何も見えないまま走り出してしまった。
闇雲に全力で走る彼は、木々にぶつかり、しまいに、岩か何かに足を取られて転んでしまう。
「うあっ!」
その背中に、少女の手がかかるような気がして、仁は身を縮め、両手を振り回した。
「く、来るなあっ!」
「待ってよー、おにーさん」
しかし、少女の声はあちこち彷徨って、一向に近づいては来ない。
それどころか、少し離れたところで、何かにぶつかるような音が聞こえた。
「痛ったー、もう、あんまり逃げないでよー! 怪我してるくせに、逃げ足速過ぎー」
さらに、べそをかいているような声までもが聞こえて来る。
仁は気づいた。
もしかしたら、あのルーミアとか言う少女も自分同様、見えていないのではないだろうか?
それなら、静かにこの場を去れば、逃げ切れるかも知れない……。
正体不明とはいえ、あんな幼女に、できれば手荒な真似はしたくなかった。
仁は呼吸を整えると起き上がり、聞こえて来る声とは反対方向へ、足音を忍ばせ移動を始めた。
何も見えない中を、音を立てずに進むのはかなり難しい。
それでも彼は、足元を探りつつ、前に向かって両手を突き出し、木から木へ手探りで歩いていった。
「おにーさん、どこー?」
声が段々小さくなっていく。
進んでも辺りは暗いままだったが、まだ少女の力が及んでいるからなのか、それとも単に夜だから、なのかまでは分からない。
ともかく、彼はひたすら歩き続け、完全に声が聞こえないところまで来て、ひとまず息をついた。
「ふう……何だったんだ、あの子は。
俺を食べるって……宙に浮いていた……人間じゃないのか?
──うっ」
ほっとした途端、激しい痛みが戻って来て、仁はわき腹を押さえた。
ぬるりとした感触、鼻を突く血の臭い……傷から酷く出血しているようだった。
「うう……」
歯を食いしばり、膝をついた、そのとき。
ひやりと冷たい手が、彼の首にかかった。
「もぉ、おにーさんってば。そんなんで、あたしから逃げられると思ってるの?
そんな美味しそうな血の臭い、ぷんぷんさせてさ」
「うわあっ!」
仁は、のけぞらんばかりに驚いた。
「じゃ、いっただきまーす」
無邪気な声と同時に、鋭い痛みが首筋に走る。
「や、やめろっ!」
仁は必死に少女の手を振りほどこうとするが、ルーミアは外見に似合わない、すさまじい力で
彼を捕らえていた。
すでにかなり出血していた仁の意識は、徐々に遠のき始める。
「ま、まずい……今、気を失ったら……」
食われるのが嫌なのは当然だが、彼にはもう一つ、意識を失っては都合が悪い理由があった。
「に、逃げろ……ルー、ミア」
息も絶え絶えに、仁は声を絞り出す。
「……は? おにーさん、何言ってんの?
こんな美味しそうなお肉を目の前にして、どっか行けるわけないじゃない」
ルーミアは、彼に噛りつきながら答えた。
「だ……駄目、だ……も、もう、遅い……」
ついに仁は、どさりと地面に倒れこんだ。
「やっと静かになったー。じゃ、遠慮なく」
闇の中で、くちゃくちゃと何かを噛む音が続く……。
幼女食事中...
そのとき突如、鳥の羽ばたきのような音と共に、猛烈な風が吹き荒れた。
ルーミアはその風に飛ばされ、地面に勢いよく尻餅をつく。
「きゃっ!」
その顔や体に、ぱしぱしと何かが当たり、少女は慌てて顔をかばった。
「痛たたたっ!」
次の瞬間、狂気を孕はらんだ哄笑こうしょうが、闇を切り裂いた。
危険を察知したルーミアは反射的に飛びき、身構えたが、何も襲いかかってくる様子はない。
それでも彼女は、体の震えを止められなかった。
「な、何これ……この感じ……!?」
暗くて見えないが、何か得体の知れない危険なものが、自分のテリトリーの中にいる。
それだけは分かる。
『我を食らうだと? 一万年早いわ!』
その声は、洞窟の中で発せられてでもいるかのような奇妙な響きを帯びており、ルーミアをさらに怯おびえさせた。
「あ、あんた、誰……!? さっきのおにーさんじゃない、よね?」
『人間ごときと、我を一緒にするな。我はデビル、至高の存在』
謎の相手は、尊大な口調で答える。
「デビル……悪魔? で、でも、今までそんな気配なんか……」
『黙れ、低級妖怪ごときが、我が器を食らうのを看過かんかできようか。
さあ、妖怪。真の恐怖を教えてやろう!』
そう言うと、デビルは再び、正気の者の口から出ているとはとても思えない、気違いじみた笑い声を上げた。
「な、何、何なの……!?」
今やルーミアは、歯の根も合わないほど激しく震えていた。
彼女も妖怪の端くれ、人より優れた直感が、迫り来る危機を告げている。
「こ、怖い……けど、見えないともっと怖い……」
この、異常なほど危険な感覚を放つ存在を、とりあえずは目視しようと、彼女は闇を解いた。
「あれ……?」
だが、何も見えなかった。
時はすでに夜半、月が昇って来てもいい頃合だというのに。
面食らって周囲を見回すルーミアの頬に、ふわりと何かが触れた。
「え……?」
手にしてみると、それは漆黒の羽だった。
おびただしい量の羽毛が、黒い霧のように辺りを覆い尽くしている。
「んー、カラス……それとも天狗の羽かしら?
何でもいいわ、邪魔ねぇ、えい、えいっ!」
視界をさえぎられて苛立った少女は、両手を振り回す。
大量の羽が散り散りになり、消えていった後には、不吉な紅に彩られた満月を背にして、
一人の男が立っていた。
ルーミアは眼を見開いた。
「あ、あなた、だあれ……? やっぱり、さっきのおにーさん?
じゃないか……」
先ほどの青年とよく似た道着のズボンをはき、顔も似ているような気がしたが、やはり違う。
なぜなら、目の前にいるのは、どう見ても人間ではなかったのだ。
男の頭には、威嚇いかくするかのように鋭い二本の角が前方に突き出され、背には、漆黒の翼が
生えていたのだから。
さらには、その体のどこにも傷がなく、代わりに、摩訶まか不思議な紋様が浮かび上がっている。
そして、何より違っていたのは、その眼だった。
青年の眼は黒かったが、この悪魔は銀色で、狂気を帯びたようにぎらぎらと輝いていた。
『貴様、闇の妖怪か。どれ、美味いかどうか、今度は我が、味見をしてやるとしよう』
禍々まがまがしいオーラを背負った男は舌なめずりをし、ルーミアに手を伸ばす。
「ひいっ、こ、来ないでぇ!」
幼女は悲鳴を上げ、必死に逃げた。
形勢は完全に逆転し、今度はルーミアが追われる番だった。
「そら、そら、どうした、遅いぞ、のろまめ!」
怯えて逃げ回るネズミをもてあそぶ猫のように、デビルは、執拗に幼女を追い回す。
「も、もー嫌! 真っ暗になぁれ!」
たまりかねたルーミアは、再び闇を呼んだ。
自分も周りが見えなくなってしまうが、それは相手も同じこと。
当然、逃げられる確率も高くなる、そう思った彼女だったが。
「ふん……我は闇に属する者にして、闇は我が友。
例え視界が利かなくなろうとも、貴様ごときの位置など気配で分かるぞ……くくく」
デビルはその暗さをもろともせず、まるで見えているかのように、着実に彼女を追い込んで行く。
コウモリのような翼を持っていることから、同じように超音波で相手の位置を捕捉できるのかも
知れない。
幼女逃走中...
そしてとうとう、ルーミアは悪魔に捕らえられてしまった。
「は、放して、放してよぉ!」
足をばたつかせ、暴れる彼女を覗き込み、デビルは嫌な笑いを浮かべた。
「くくく、捕まえたぞ、このカラスの雛め。
さて、どう料理してやるかな。
このままでは食い出もなさそうだが、やはり頭から、バリバリと生食いするのが一番か」
「い、嫌ぁ! だ、誰か助けてぇ、食べられちゃうよぉ!」
ルーミアは、泣きながら叫んだ。
この時間、この場所なら、妖怪の一人や二人、うろついていても不思議はなかったが、それに
応える者はない。
本当に誰もいないのか、それとも、悪魔の放つ禍々しい気に恐れをなしたのだろうか。
「うえ~ん、もう駄目ぇ……」
ルーミアは、気が遠くなり始めていた。

