~紅龍の夢~

番外編 夢つむぎ(1)

(ここは一体、どこなんだ……?
なぜ……僕は、こんなところにいるんだ……)

気づくと、僕は何もない空間を漂っていた。辺りはただ、漆黒の闇。
それでも、眼が慣れてくると、はるか前方に、二つの集団が戦っているのが見えてきた。
一方は、白く輝く天使の軍団。もう一方は、色も形も様々な……悪魔。

一進一退の攻防。だがやがて、巨大な四頭のドラゴンが現れると戦況は一変した。
紅いドラゴンが、先頭で青白い火炎を吐く。
黒いドラゴンは闇色の毒息、朱色はオレンジ色の炎で天使を次々に倒してゆく。
緑は回復役だ。バラバラ死体さえ蘇生させてしまう。
見とれている間に、戦場は徐々に近づいて、火炎が僕のそばをかすめた。

「──わ…っ! あ、いけね……」
すぐに口を押さえたが、遅かった。
紅いドラゴンは顔を上げ、僕に気づくと、すごい勢いで向かってきたんだ。
逃げようにも体が動かない。必死にもがいている間に、ドラゴンはみるみる迫ってくる。
目の前で急停止したそいつは、巨大な口をカッと開けた。
中には、鋭い牙がずらり!

「──うわあっ!!」
飛び起きると、そこは、見慣れた自分のアパートだった。
(あ……。な……何だ、今のは? 夢……?  いや、夢にしちゃ、やけに生々しい……)
震える手で汗をぬぐい、口から飛び出しそうな心臓を静めようと、僕は大きく息をつく。

(……でも、どこか変だ……?
何だか……前にも同じようなことが…あった気がする……?)
そう思った途端、
「──痛たたた、痛いっ…!!」
頭に激痛が走り、それが消えたとき、僕はすべてを思い出していた。
(そう…だ、どうして忘れていたんだろう……あれは……そう、高二の夏休み……)

窓から差し込む日の光に、僕は目覚めた。
「──ヤベー寝坊したっ! なんで、目覚ましのヤツ、鳴らねーんだっ!?
──あああ、もう! 今何時だよっ!?」

僕は焦って時計を探す。
その頃の僕は、夜中から朝にかけてコンビニのバイトをやっていた。
時給がいいんだ、皆、やりたがらない時間帯だから。
けれど、いつもの場所には、デジタル時計は見あたらなかった。
「どこ行った……って、あれ?」
顔を上げた僕は、ぽかんと口を開けた。
だって、僕が寝てたのは、見たこともない部屋だったんだから。

「──え? な、何だ、ここ、どこだ……?
なんで、僕は……こんなトコにいるんだ?」
パニクりかけて、僕は胸に手を当てた。
(落ち着け、慌てずよく考えろ、イサム。
……えーっと。ゆうべはたしか、自分ん家で寝たんだったよ……な。
あ……れ? それとも……友達んトコに泊まったんだっけ……?)

もう一度ゆっくり見回すと、十畳くらいあるこの部屋は、床も天井も壁も全部板張りで、かなりのボロ。
家と言うより、小屋と言った方がいいかも。
それでも、僕が寝てたのと、並んでるもう一つのベッドは新しいみたいだった。

(……やっぱ、違うな。
友達の部屋にしちゃ見覚えないし、何か変だぞ、ここ……。
そっか、電化製品がないんだ、全然。
ゲーム機はもちろん、テレビにビデオ、エアコンに……おいおい、電灯もないのかよ?)
その代わり、古めかしい燭台が、オンボロ机の上に乗っかっていた。
窓の外には建物もなく、砂漠みたいな感じの景色が、はるか彼方まで広がってる。
僕は、ほっぺたをつねってみた。
「痛てっ!」
やっぱり夢じゃない。けど……これからどうしたらいいんだろう。

「……とりあえず、外に出てみっか? まず、ココがどこか知らなきゃ、だよな。
あ、服。ちょうどいいや。パジャマのまんまじゃカッコ悪りぃし」
僕は、枕元にきちんとたたんであった服を手に取り、袖を通してみた。
肌触りのいいシャツは、鮮やかな朱色。多分、シルク……かな。
深緑の細身のズボンも、かなり上等の生地を使ってる。
だけど。
(何だ、この服。キモいくらい、サイズがピッタシだぞ……?)
面食らっていたとき、ドアがノックされた。

「えっ、あ、ど、どうしよう……」
あたふたしたけど、どうしようもない。僕はただ、開いていく木のドアを見つめていた。
「あら、今お目覚め? いつまで経ってもお寝坊さんね」
入ってきたのは、ものすごい美女だった。
印象的な深いエメラルドの瞳、長いまつげ、ふっくらとした紅いバラのような唇。
窓から差し込む光に輝く金の髪、大きく胸が開いた薄緑色のドレスから覗く胸元は、陶器みたいにすべすべで、白かった。

「……どうしたの? イーサ。わたしの顔に何かついていて?」
女性は優雅に首をかしげ、その動作でキレイな顔にふわりとかかる、金の巻き毛をかき上げる。
僕は生ツバを飲み込んだ。
「あ、あの、キミは……? イーサ……って……誰…だ?」
美女は、くすくす笑った。
「まだ寝ぼけてるのね。もうお昼近いのよ、イーサ。
となりの部屋で、ご飯をいただきましょう」

夢じゃないのは確認済み。どうやら、僕は、イーサってヤツと間違われてるらしい。
「ひ、人違いだよ、僕はイーサじゃない」
僕の返事に、美女はあっけにとられた顔をした。
「な……なにを言い出すの、イーサ」
「僕はイサムだ。どこなんだ、ここ。キミが僕を連れてきたのか?」

「……イサム……ですって……?」
しばらくの間、僕の顔を穴が開くほど見つめていた彼女は、はっとしたように口を押さえた。
「まあ、イーサじゃないわ、この人!
あなた、誰!? なぜイーサに化けてるの!? 彼をどこにやったの!」
「だーかーら、イーサなんて知らないって言ってんだろ!
僕はイサム! 生まれつきこの顔だっ、キミこそ誰なんだ!
あー、もう、わけわかんねーっ!」
僕は、頭をかきむしった。

すると、美女は、ふっと息をつき、となりのベッドに腰を掛けた。
「待って。冷静になりましょう、お互いに。
あなたも、そこに座って下さる?」
「そう……だな。興奮して怒鳴りあってるだけじゃ、しょうもないよな……」
起きたばかりだってのに、今のでものすごく疲れた僕は、力なくベッドに腰を下ろした。

「まず自己紹介した方がいいわね。わたしの名前はヴェガよ。
ここは……イーサの家で、ファイディー国の北端、“刻の砂漠”の近くにあるの。
でも、あなたは本当にイーサそっくり。びっくりしてしまったわ」
「そんなに似てる?」
僕が訊くと、彼女はこっくりとうなずいた。
「ええ、まるで双子みたいよ」

僕は首を横に振った。
「でも、僕には兄弟はいないよ。
……っていうか、両親はもう死んじゃってるし、ジイちゃんはどっか外国にいるし……」
「まあ、イーサにも、近い親族はいないのよ。
ええと……それで、あなたは……イサム、だったわね、どうやって、どこから来たの?」

今度は、僕が、ため息をつく番だった。
「……それがさー、どうやって来たんだか、僕にもさっぱりなんだよ、ヴェガ。
ゆうべは、ちゃんと自分の家で寝たんだ。ああ、僕ん家は日本にあるんだけど。
なのに、今起きたら、ココにいてさ……」
「まあ、どういうことかしら?」
彼女はまた首をかしげた。

「それがわかりゃね……。
わかんないと言えば、ファイディー国とか、“刻の砂漠”なんて聞いたこともないな」
「ええっ? かなり大きな国なのよ、ここは」
ヴェガは緑の眼を見開く。そうすると、さらにキレイだ。
「でも、ニッポン……って、わたしも知らないわ。
……おかしいわね。国名ならわたし、すべて覚えているはずなのに……?」
「日本を知らないって?」
僕らは顔を見合わせた。

……悪い予感がした……。
ひょっとしてこれが、タイムスリップってヤツじゃないのか?
何しろ、ヴェガの服ときたら、何百年も前のお姫様が着てたような、ぶわっとしたドレスなんだ。
「そうだ、キミ、地図持ってないか? 地図見れば……わかるんじゃないかな……」
(けど……すっげー昔の地図が出てきたりして……)
ちょっとビビりながら、僕は言った。

「それもそうね、今出すわ。
──カンジュア!」
彼女は呪文らしきものを唱えた。
いや、それは、本当に、魔法の呪文そのものだった。
だって、何もなかったはずの彼女の手に、いきなり巻物が現れたんだから。

「な──何なんだ、今の! 動きが全然見えなかった、キミ、魔法使えるのか!?」
僕の叫びに、彼女は眼を丸くした。
「あなた、魔法を見たことがないの?」
「──ない。僕の国……いや、僕の世界では、魔法を使う人間なんて一人もいない!
それ、貸せよ!」
僕は彼女の手から巻物をもぎ取り、パッと机の上に広げた。

その瞬間、僕は息が止まりそうになった。
現実は、いやな予感を上回っていたんだ。地図に描かれた地形は、まるで鏡にでも映したかのように、全部反転していた……。

「──な、何なんだ、コレ!? 地形がみんな裏返しだ!? 
どーゆうことだよ、異次元にでも迷い込んだのか……!?」
「イジ……ゲン? 地形が何……ですって?」
 けげんそうな顔のヴェガに、僕は、壁の鏡に地図を映して指差した。
「ほら、これが僕の世界。まるで逆だろ。
……待てよ、逆……っつーことはもしかして、僕とイーサってのも、なんかの拍子で……」

「まさか、入れ替わってしまったというの!? そんな、どうしましょう!」
ヴェガはまっ青になり、深い緑の眼が涙でうるんだ。
ホント、僕も泣きたい気分だった。
何で、こんなトコに迷い込んじゃったんだろう。
元の世界に戻る方法も分からないし、一体どうしたら……。
僕らは途方に暮れて黙り込み、外を吹き渡る風の音が、よけい大きく耳に響いた。

でも、ヴェガはすぐに立ち直った。
「そうだわ、モロス様! そうよ、あの方なら、必ず何とかして下さるわ。
イーサ……いえ、イサム、戻りましょう!
──ムーヴ!」
「わ……っ!?」
いきなり僕の体は、ふわっと浮き上がるような感じになった。
そして、次の瞬間、目の前に、とてつもなくでっかい鉄の門がそびえ立っていて、情けないことに僕は腰を抜かしかけた。
「ひええ……な、何が起こったんだ……」

「ごめんなさい、驚いた? ここはわたしの城よ、急いでいたから魔法を使ったの。
今戻ったわ。いつもご苦労様ね」
門番の兵士にヴェガは声をかけ、ヨロイ姿の彼らは、さっと膝をついて礼をした。
「お帰りなさいませ、陛下」
「──開門!」
がっしりした門が、兵士のかけ声と共にすべるように開いていく。

「キミの……城? 陛下……って、まさか……」
「あら、ごめんなさい、まだ言っていなかったわね。
わたしはこの国の女王なの。
そして、イーサは……わたしの恋人……」
彼女は眼を伏せた。
ちょっと引っかかるものを感じたけど、何かを尋ねるヒマもなかった。
──ガラガラガラ…ッ!
「さあ、急ぎましょう」
轟音を立てて大きな跳ね橋が下りて来ると同時に、彼女は走り出したんだ。
「……あ、ま、待ってくれよ!」

やっとこさ追いついたら、そこは、もう城の中だった。
「……ヴェガ、キミ、足、速っ……はっ、はぁ……」
日頃の運動不足がたたってる。呼吸も鼓動もなかなか元に戻らない。
「イサム、大丈夫?」
「な、何とか……」
どうにか息を整えて顔を上げると、そこには、目もくらむような眺めが待ち受けていた。
「──うわあ、すっげ──!」

迷子になりそうな長い回廊、敷きつめられたふかふかのじゅうたん。天井から下がる、でっかいシャンデリア。
壁を飾るたくさんの絵画。窓にはステンドグラス。あちこちに置かれた高そうなツボ。立派な作りのドア。
おまけに、大理石かなんかでできてるらしい階段には、数え切れないほどの宝石が(きらめ)いていた。
おっかなびっくり、なでてみる。でっかいダイアモンド、ルビーにサファイア、これは……エメラルド、かな?

「こっちよ、イサム」
「あ、うん」
階段をどんどん上っていくヴェガの後を、急いで僕は追いかける。
一階、二階、……七階。
ようやく、彼女が、ひときわ華麗なドアの前で歩みを止めたとき、僕は足が笑っていた。
明日はきっと、筋肉痛だな……元の世界に戻れたら、もっと体、鍛えなきゃ。
「ここがわたしの部屋よ、さ、入って」
彼女はドアを開け、僕を促した。

「え……い、いいんですか、僕みたいなのが……」
女王様の部屋だぜ。口調もつい、改まってしまうってもんだろ。
すると、彼女は、うっとりするような笑みを浮かべた。
「そんなにかしこまらなくていいわ、イサム。
こにある魔法陣で、モロス様をお呼びするのよ、遠慮しないで」
「じ、じゃあ、お邪魔しまぁす……」
おずおずと、僕は部屋に足を踏み入れた。

「……アレ? なんか……思いっきりイメージ違うんですけど?」
中はさすがに広かったけど、意外にも、豪華絢爛(けんらん)ってわけじゃなかった。
置いてある家具も、他よりかなり安っぽい……と言って悪ければ、庶民的……とでも言っとこうか。
「贅沢品があふれているところでは、彼は落ち着けないのよ。
この頃では、わたしも、そう思うようになってきたわ」
ヴェガは、壁に飾ってある小さな絵を指さした。
栗色の髪、明るい栗色の眼。照れくさそうな笑みを浮かべてるのが、イーサだった。
年もやっぱり同じくらい、ただ髪の分け目が僕と反対で……あ、ホクロの位置も逆だ。
僕は右眼の下にあるけど、イーサのは左眼だ。

「けどさー、恋人にしちゃ、ずいぶんガキじゃん? どこがイイのさ、こいつの?」
何気に言ったら、ヴェガの表情がくもり、僕はあわてて話題を変えた。
「あ、ご、ごめん……。
でも、ホント、似てるよな、たしかに。僕、ジイちゃんがイギリス人なんだ。
だから、純粋な日本人より、眼も髪も茶っぽいんだけど、そこもおんなじみたいだねー」

「……恋に年齢や身分は関係ないわ……」
彼女は僕の話を聞いちゃいないようだった。
声もささやきみたいになって、緑の瞳も輝きを失っていた。
(……そっか。ヴェガは女王様だけど、イーサはどう見ても庶民だし。周りから、身分違いだとか何だとか、色々うざいこと言われてんのかもな……)

そう思うと、僕は、自分をぶん殴りたい気分になった。
「うん、ごめん、変なこと言っちゃって……。たしかにホントの愛があれば、カンケーないよな。
──あ、そうだ、誰かに来てもらうんじゃなかったっけ?」
「……いいのよ、気にしないで。
それより、あなただって早く帰りたいわよね。モロス様をお呼びしましょう」
ヴェガは気を取り直し、隣の部屋へ通じるドアを開けた。

隣室は壁が一面の本棚になっていて、タイトルも読めない本がぎっしり収められている。
多分、魔法の書物なんだろう。そして部屋の真ん中にでっかい魔法陣が描かれ、薄緑に光っていた。
「ちょっと待っていてね」
そう言うとヴェガは、魔法陣の前にひざまずき、何事かを祈った。