31.怒りの日(1)
我に返ったサマエルは、頭を振った。
(まるで、長い夢を見ていたような気がする……。
しかし……、妙だな。この感覚には馴染みがあるぞ)
「ああ、そうか、思い出した。
誰かの記憶を覗いた時の、どこか引っかかるような、すっきりしない感じに似ている、な。
そもそも、ただの夢にしては、色々と
となると、あれは……」
彼のつぶやきを耳にした瞬間、さっとベルゼブルの顔色が変わった。
「よ、よもやあれを!
い、いや、……、何を見たにせよ、そは、余の
老いさらばえた老人は、歯の根も合わないほど震え、かすれ声すらも途切れがちで、サマエルは、先ほどの夢はやはり前魔界王の記憶だと確信した。
(ふうむ。この男は、タナトスアナテ女神の
まあ、無理もあるまい……子を生贄にせよ、などという無慈悲な神託に、二つ返事で従う親など、そうはいまいし。
だが。庶民階級ならいざしらず、君主たる者、大局を見据え、時には涙をのんで、意に反することも断行しなければならないのではないか?
にも関わらず、おのれに不都合な神託をもみ消すため神殿の司祭を謀殺し、夢の警告をも黙殺したとなれば、女神のお怒りも
……まあ、それはさておき。
先ほどの夢が事実であるというのなら。
本来は、第二王子である私が火閃銀龍、そして第一王子タナトスは紅龍……すなわち、私こそが真の魔界王となるはずだった、ということ……?
ああ、もし、そうなら。万が一、それが真実、というならば……)
「私が、これほどの労苦を長年背負う必要はなかった……ということか」
サマエルはうなだれ、ぽつりと口に出す。
本来なら手に入るはずだった、けれど、手に入れられなかったもの……この男のせいで。
どうしようもなく湧き上がってくる、狂おしいまでの渇望。
彼は唇を噛み、荒れ狂う感情をどうにか抑えつけた。
そうこうするうちベルゼブルも気を取り直し、声を絞り出した。
「……左様、そなたはあらゆる者の愛を一心に受けて育ち、さらには、儀式にてサタナエルの心臓を喰らい、火閃銀龍へと変化して神族を討ち滅ぼした偉大なる王として末代まで讃えられたことじゃろう……。
しこうして魔族は故郷ウィリディスを取り戻し、何もかもがうまくいくはずじゃった。
つまるところ、そなたの今までの
ベルゼブルは
サマエルは震える拳を握りしめ、幽体化し始めた。
「……もうご勘弁下さい。私はすでに死んでおります。
死者に愚痴ったところで何もなりませんよ、私はもう墓に戻ります」
前魔界王は、慌てて叫んだ。
「ま、待つのじゃ、ルキフェル……!
話はまだ終わっておらぬ!
そなたは生き返りたいのじゃろう!?
蘇りの方法はあるのじゃ、聞け、その方法とは……」
「蘇生法……神族に複製人間を創らせ、それに乗り移ればいいとお考えなのでしょうが、残念ながら、それでは長く生きられません。
神族は試行錯誤を繰り返し、それでも結局、成功には漕ぎ着けませんでした……お忘れですか、すぐに命果てた私の偽者を」
「いいや、そうではない。そもそも、自然の摂理に背いた神族のやり方では、
簡単なこと、サタナエルの心の臓をえぐり出し、喰らえば良い。
さすれば、あやつの肉体に入り、新たな生を受けることが出来るのじゃ。
そもそもあやつはそなたに命を捧げるために生まれて来たておるゆえ、その時期が少々遅くなったと思えば。
あの成り損ないめも、ようやく役に立つ事ができよう」
「な、何を仰るのですか!
それに、考えてもみて下さい、タナトスは紅龍の器です。私、火閃銀龍を入れることなど出来はしません……」
「ならば、ヴァーミリオンを使えば良い。
あれは女神が呪術を用いて創った、火閃銀龍の器の予備……すなわち、そなたの予備の肉体なのじゃ!」
サマエルはつぶやく。
「何? ……そなた、何ゆえ知っておるのじゃ?
まさか、女神様がご託宣を……いいや、それはあり得ぬ、あのお方にはもはや左様な力など……」
ベルゼブルは首を横に振る。
「ええ、違いますよ。
実は家臣達が、リオンを跡継ぎとは認めないと言い出したので、タナトスが天使達にリオンとベリルの遺伝子検査をさせたのです。
すると、二人共、私とほぼ同一であることが判明しました。
つまり彼らは私の複製……そんなことが出来るのは、この世界でただ一人、女神アナテだけです」
サマエルは、そう答えた。
「むう、さすがは我が息子。相変わらず頭の回転が速い、天晴じゃ」
ベルゼブルは満面の笑みを浮かべたが、今さら褒められたところで、サマエルは、嬉しくもなんともなかった。
「ともあれ、いくら複製と言っても、もうあれほど成長してしまえば別人、せいぜい三つ子の弟妹です、肉体を奪うことなど出来ませんよ。
それに、女神が次期の紅龍として創られた彼らを、勝手に私の物にしていいはずがありませんし。
では、もうお気はお済みでしょう、そろそろ私はこの辺で」
彼は、汚れてもいない衣のちりを払うふりをしながら、立ち上がろうとした。
「ま、待て、まだ話は終わっておらぬぞ、そなた、本当に生き返りたくはないのか、そ、そうじゃ、まだ方法はある、二人が嫌というのなら、ヴァーミリオンの息子はいかがじゃ、赤子ならまだ自我も芽生えてはおらぬ、左様、そなたの記憶を消してやろう、そうして赤子からやり直すのじゃ、ライラ女王も魔界に連れてくれば、そなたは今度こそ両親の元で、愛情を与えられ、何不自由なく育つことが出来ようぞ」
ベルゼブルは、さらににじり寄って来て、狂気じみた目つきで彼の顔を覗き込んだ。「そなたが、それほどまでに、人格というものを気にかけておるとはのう。 まあ、よいわ。……では、赤子はいかがじゃ。 生まれたての嬰児(えいじ)ならば、そこまで神経を尖らすこともあるまい、 都合よく、ヴァーミリオンの息子が生まれたばかり……」 言わせも果てず、サマエルは叫んでいた。 「な、何を仰ります! 子供の中に他人の心を入れるなど、親であるリオンが承服するわけがない でしょう!」 「他人ではなかろう、そなたはあれの父親のようなもの……いや、本体とも 呼ぶべき存在じゃ、我が子が依代(よりしろ)となり、そなたが萌蘇(ほうそ)を 果たすと言うのならば、喜んで差し出すであろうよ」 「ご冗談を!」 サマエルはぷいと横を向いた。 「……これも気に入らぬか、ふうむ、……」 ベルゼブルは首をひねったが、すぐに顔を上げた。 「ならば、ヴァーミリオンが人界に残して来た、双子の片割れじゃな!」 「え?」 「もう一方にも魔族の特徴が現れ、人界を騒がす事になりはせぬかと危惧して おったが、そたなの器にすれば良いのじゃ! さすれば、後顧(こうこ)の憂(うれ)いなく、また、おなごゆえ余の妃と為す にも都合が良い。 これ以上の妙案があろうか?」 「何を馬鹿な……!」 サマエルはあきれ返った。 ほう‐そ 【萌蘇】 よみがえり出ること。蘇生すること。
To be continued...