TEKKEN SHORT STORIES
チビ花郎(1)
「こらぁ! またお前か、花郎!」
商店街に、大きな声が響き渡った。
八百屋の親父が、叫んだのだ。
「へっへっへ、リンゴいただきー!」
韓国人には珍しい赤毛、身のこなしは
「……くそ、また逃げられた!
──花郎! 今度こそ捕まえて、きつーいお灸を据えてやるからなー!」
もうとっくに少年の姿は見えず、声も届いていないだろうが、気が済まないのか、八百屋は大根を振り上げ大声を上げた。
その様子を、見ていた青年がいた。
無駄な肉がついていない体、すらりとした足にはジーンズを
肩には、よく武闘家が道着を入れているような、
「……今のは浮浪児ですか? すごい逃げ足だ。
いつも売り物を盗まれているようで、大変ですね、親父さん」
青年は、八百屋に声を掛けた。
まだ怒り冷めやらない様子でいた親父は、我に返ったように青年を振り返った。
「……あ、いや、あの子にはちゃんと親がいるんだがね。後で文句を言いに行くと、代金も払ってくれるし」
「……そうなんですか。でも、いくら、後から払うと言っても……」
「ああ、盗みを容認しているようで、教育上、よくないだろう?
だからワシは、見かけるたびに叱っているんだ。
だが、あの子の親父殿はな、『金を払えばいいんだろう、他の家の教育方針に口を挟むな』と言う……。
まったく、困ったもんだ。
花郎自身は、そんなに悪い子じゃない。
もっと小さかった頃は、いたずら好きでも素直だったし、商店街の連中にもなついて、マスコットのように可愛がられていたんだが……」
八百屋は、仕様がないと言いたげに、首を左右に振った。
「……間違った育て方をされる子供も迷惑ですね。それに、力を持て余しているようにも見えますが」
「そうだな、最近じゃ、近所の悪ガキどもを束ねて、すっかりボス気分でいるらしい。
花郎は腕っ節も中々だし、度胸もあって頭も切れるからな。
奴らが何かやらかしたと思うと、黒幕はいつも花郎だ。
しかし、さっきのように逃げ足は速いから、あの子や仲間達が警察のご厄介になったことはまだない。
……それで、余計に心配なんだよ。
この頃は子供達の数も増えてきて、街のヤクザもんや不良どもに、眼をつけられ始めているらしいし……」
「ふうむ……あの子と話をしてみたいんですが」
「……む? そういや、あんたは誰だい? 通りすがりの子供に、どうしてそんなに興味を持つんだね?」
急に
青年は肩をすくめた。
「私は昔、ひどく貧乏でした。結局一家は離散、盗みをしなくちゃ生きていけないほどでしたから、同じような浮浪児を見ると放っておけないんですよ」
「いや、花郎には、ちゃんと家があるし」
「分かってます。
でも、あの子には、誰か……そう、ちゃんと向き合って導いてやる大人が必要なんじゃないんでしょうか、親父さん」
「……そうかもしれんが……」
ダテに長い間、客商売をしてきたわけではない。
人間観察力には自信があった八百屋の親父は、改めて相手を観察した。
この青年、上半身は袖なしのジャケットを裸に着けているだけだったが、暑い夏の最中だったし、肉体は見事に鍛え上げられており、眼も澄んでいて、態度や口調に乱れたところはない。
この礼儀正しい青年からは、結局、何も悪いものは感じられなかった。
むしろ、武術をたしなむ者特有の清々しさだけがあるように、八百屋には思われた。
見極めがついた親父は、一人うなずき、少年が走っていった方角を指差した。
「それなら、この向こうの公園に行ってみればいい。
多分、また他の悪ガキどもとつるんで、何かよからんことでも企んでいるところだと思うから」
「そうですか。ありがとうございます」
青年は一礼して荷物を背負い直し、そちらに向かって歩き出した。
「あの子を助けてやってくれ」
その背中に、八百屋は声をかける。
「ええ、分かってます」
白 頭山は振り向き、再び礼をした。
彼はそのまま歩を進め、やがて教えられた公園に着いた。
そこは想像以上に大きな公園で、あちこちに木が生い茂り、中央には池もあって、その周囲には、いくつもベンチが据えつけられていた。
「さてと、あの子は……花郎と言ったな、どこだろう……」
白は辺りを見回したが、障害物があり過ぎて、すぐには少年を見つけられそうにもなかった。
そこで彼はとりあえず、池の周囲をぐるりと回ってみることにした。
池を半周ほどもした頃だろうか、にぎやかな声が聞こえて来た。
茂みの陰から覗いてみると、十歳にも満たない少年達がたくさん集まっており、その中央の岩に、先ほどの少年が腰掛けていた。
「おい、花郎、次は何をやるんだよぉ」
「そーだなぁ」
「この辺のチンピラどもを相手にしてたって仕方ないしな、もっとでっかいことやろうぜ」
「ふん、やっぱ、そうだよな。じゃあ……」
花郎が腕組みをほどき、立ち上がったとき。
「また、八百屋でも襲うのかい?」
そう言いながら、白は茂みをかき分け、彼らの前に出て行った。
「な、なんだ、お前!?」
「何しに来た!」
少年達の間に、さっと緊張が走る。
「ああ、私はちょっと、キミに話があって来たんだ、花郎……だったね、キミ。
さっき、八百屋からリンゴを盗んだろう?」
「何だ、こいつ、サツの回しもんか!?」
少年達は浮き足立った。
「違う、話を聞いてくれ、私は……」
「──ずらかれ!」
花郎の号令一下、少年達は四方八方、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
「ま、待ってくれ、話を……あ!?」
青年は花郎を捕らえようとしたが、少年は鮮やかに彼の腕をかいくぐった。
「へん、のろまなヤローに捕まってたまっか、あばよ!」
そして、
気づいた時には、彼一人が、緑の空間に取り残されていた。
「……『逃げ足は速い』か。本当だな……」
白はつぶやいた。
商店街に戻って事の次第を告げると、八百屋の親父は腹を抱えて笑った。
「──あははは! そ、そりゃあ、あんた、真っ正直過ぎるよ。も、もう少し、うまく立ち回らなきゃ」
「たしかにそうですね。
彼の運動神経は素晴らしい……ぜひとも、テコンドーを習わせてみたくなりましたよ」
彼がそう言うと、親父は笑いを収めた。
「ああ、あんた、テコンドーをやってるのか、道理で……」
「ええ。ちゃんとした武術を習えば、礼儀も覚えますし、あんな悪たれどもを
なくなるでしょう」
「そりゃそうだが。今の花郎が、大人しくあんたの話に耳を傾けるとは思えないな」
八百屋の親父は、首を横に振った。
「そうですねぇ。何よりもまず、二人きりになって、じっくり話したいですが……」
「ふーむ。じゃあ、花郎の家を教えてあげよう。
あまり帰ってはおらんようだが、何度も行けば、会えるかもしれん」
「ありがとうございます、助かります」
白は一礼した。
「……本当に礼儀正しいな、あんたは……。花郎もそうなるといいんだが」
感心したように親父は言った。
さっそく白は花郎の家を訪ねたが、やはり留守だった。
そしてようやく数日後、子分達を引き連れて帰宅した彼に会うことができた。
「お前、この間の……!」
「花郎の家にまで!」
「どうする、花郎、こいつ、やっちまうか!」
殺気立つ少年達を制して、花郎は言った。
「まあ、落ち着けよ、お前ら。俺が話をつける。
──おい、オッサン。あんた、おまわりじゃねーんだろ、あんときも今も、ポリ公の制服着てないし。
でも、俺をとっ捕まえて、サツに突き出そうってわけでもなさそうだな」
「ああ、私は警官じゃない。
ただ、悪いことをしている子供達を、黙って見ていられないだけのお節介焼きさ」
すると花郎は、唇をゆがめた。
「へっ、説教でもして、悪から足を洗わせようって?」
「その通りだ。花郎、テコンドーを習ってみないか?」
「……はぁ?」
唐突なセリフに、花郎は、ぽかんと口を開けた。
それまで成り行きを見守っていた少年達も、口々に言い始めた。
「いきなり何言い出すんだ、このオッサン」
「バッカじゃねぇ?」
「頭おかしいんじゃねーの?」
「ああ、お前達も、習いたかったら来ていいんだぞ」
にこやかに、白は言ってのける。
「駄目だ、このオッサン」
花郎は、処置なし、と言った感じで肩をすくめた。
それにもめげず、白は勧誘を続ける。
「キミは力を持て余しているようだし、テコンドーは、韓国の伝統武術と言うだけでなく、筋肉量の少ない女性や子供に向いているスポーツだ。
本格的に習えば、それこそ、大人顔負けに強くなれるぞ」
「……大人顔負けに強く……?」
その言葉には、ほんの少し
「──ふん、んなもん習わなくったって、俺は自力で強くなって見せらぁ!
他に用事がないんなら、俺は行くぞ、忙しいんだ」
「そうか。では、これを渡しておこう。興味があったら、いつでも来なさい」
白は、テコンドー道場の住所と地図が書かれた紙を、花郎に差し出した。
「いらねぇよ、こんなもん!」
花郎は紙をひったくるとぐしゃっと丸め、道路に投げ捨てる。
「──さ、行くぞ、てめぇら!」
そしてそのまま、家の中に駆け込んで行った。
「ま、最初はこんなものだろう……」
白はつぶやき、紙を拾い上げてしわを伸ばし、そっとポストに入れて、その場を立ち去った。
To be continued...

