持っていた食料も水も疾うに底をつき、砂漠に迷い込んでからどれほど経ったものか、既に男には、分からなくなっていた。
眼は霞み、意識朦朧としつつも、もう一歩行けば、あと二歩行けば、水場が……都市が見えて来るのではないか……そんな僅かな望みに縋り、男は重い体を引きずり進み続ける。
だが、幾らも行かぬうちに足が滑り、倒れ込んでしまう。
体力は限界に達し、もはや起き上がることもできない。
遂に死を覚悟し、それでも生き延びようとあがく男の眼に、その時、信じられないものが飛び込んで来た。
天上には、生きとし生ける者を焼き尽くさんと燃え盛る火輪、地には一面に広がる砂、砂、砂。
その間を陽炎が揺らめき、つなぐ。
嫌というほど見慣れた景色の只中に、何者かが立っていたのだ。
少し距離があるため、瞳の色や表情の細やかなところまでは分からなかったが、その凄艶な紅い唇は、幽かに微笑んでいるかに見えた。
一瞬、助かったと思ったものの、こんなところに人がいるわけがない。
……とうとう幻覚まで見えるようになったか。男は呟いた。
しかし男の思惑には関わりなく、幻のように現れた女は突如、舞い始めたのだ。
流麗な薄紫色のドレスから覗くすんなりとした足が、軽く砂を蹴ると、金のサンダルが砂漠の眩い日光を反射してきらりと光り、緩やかに体が空中へと押し出される。
華奢な腕の動きは優雅で、白鳥の羽ばたきそのもの。
腕や足に嵌められた何本もの細い金の輪が触れ合う、ガラスベルのような澄んだ音が、熱い風に運ばれて砂漠中に響き渡ってゆく。
一連の動作につれて、背の中ほどまである紫がかった紅い髪が生き物めいた動きを見せ、ある時はか細い腕に、ある時は美しい顔に、またある時は眩しいほど白い胸元にふわりと纏わりついては離れる。
美女が無心に舞う空間、そこだけがぽっかりと、重力が消え失せているかのようだった。
初めこそ警戒していた男も、次第にその舞に引き込まれていき、しまいには飢えも渇きも暑さすら忘れ、ぽかんとだらしなく口を開けて、只管天女と見紛う女の舞踏に見とれてしまっていた。
永遠に、この飛天の舞を見ていたい……男はそう希う。
しかし、美しい刻は不意に終わりを告げた。
疲れも見せず踊っていた女は、始まり同様、唐突に動きを止めたかと思うと、その輪郭は次第に曖昧に
なり、ついには霞のごとく薄らぎ、空中に溶け込んでいく。
女の姿が完全に消えた後には、眼を見開いた男の死体が一つ、転がっていた。